2010/6/30---------------------


■@GAKUTOMO NO.010
 家の近所に24時間営業のスーパーがある。深夜に買い物に行くと年配の女性もしくは、外国人の女性が必ずレジに立って品物の値段を打つ。いろんな理由でその人たちは、その時間に仕事をしているんだと思うが、スーパーに貼られている張り紙を見る限りでは深夜は昼間や夕方よりも、時給が高くなっている。自分の生活を支えるためには、女性でも関係なく深夜に働かなくてはいけない社会なのだ。それが女性の体にとってどんな影響を及ぼすとも関係ない。

女性が働きやすい環境は、男性にとっても働きやすいということを講義で聞いた。逆は必ずしもそうではないとも。女性が男性と同じように働くことが決して「平等」ではない。また同じ仕事でも賃金に差があることも少なくない。女性が人間らしく働ける社会は、女性の子どもを産むという役割を保障してこそ真に人間らしく働ける「平等」な社会と言えると思う。

うちの保育園でも、お母さんたちで出産で一度職を離れた人は次にパートやアルバイト、派遣で働く人が多い。しかし夫婦の現状としては子どもの保育料や生活費を稼ぐためには家計の「足し」ではなく家計を「支える中心」として働かなければならない。そういうなかで土日も働いたり、仕事を掛け持ちしている人もいる。

深夜まで立ちっぱなしで働く女性や掛け持ちして生活を支える女性。子どもを産み育てる女性の生きる環境がこれでいいと思えない。社会のあり方に大きな疑問を感じスーパーをあとにする。(麦)10/06/28

■@GAKUTOMO NO.009
春から保育士として働き始めた青年が「園の方針は“子どもの主体性を大事にした、自由な保育”。でもその中にあるはずの大人側のねらいや目的が見えづらい時がある」と率直に感じている疑問を話してくれた。もちろん、青年の水準では見えていない部分もあるだろう。でも「ただ好きなことをさせることが自由と言えるのか、主体性を大事にしているのか」という部分で、大事な視点だな、と。

主体性を大事にするとは、対象(保育では子ども)が自らの課題(と意識していなくても)に対して「やってみよう」という気持ちを持って取り組める環境を保障することだと思う。その気持ちを引き出すのが援助者の役割であり、何をねらいにして課題を設定するか、が一番求められることだろう。

労働学校の運営活動にも共通している。仲間が学び、動こうとする気持ちをいかに引き出せるかが運営委員に問われてくる。では、何をねらいにするか。私は、子どもには人として社会で生きる力を、仲間には自覚的に社会で生きる力を、それぞれ身につけてほしい。もちろん自分自身もまだまだ一緒に身につけていく過程にあるし、毎回成功するとは限らない。当たり前だが、どちらも真剣勝負だ。とにかくまずは、自分自身が主体的に取り組むことが必要。(和) 10/6/28

2010/6/29---------------------


■@GAKUTOMO NO.008
「自分の足で歩かせてほしい。たとえ何度ころんでも、どんなにおそくても。自分の手でやらせてほしい。たとえどんなにきずをつけても、どんなに下手であっても。自分の頭で考えさせてほしい。たとえ、どんなに間違っていても。その間違いが、必ずその後の育ちに役立ってくれるのだから。」(斉藤公子「子育て」)

子どものこと、自分自身のこと、仲間のことを思いながら、噛みしめて読む。成長の主体は子どもであり、自分自身であり、仲間自身やもんな〜と。

同時に、「植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。」(岩波文庫「エミール」24頁)という言葉も、そうやんな〜としみじみ思う。自分の足で歩かせたいと思っても、子どもは、自分がもともと歩ける力を持っていることを知らない(オオカミ少女を思い出して!)。自分の足で歩くことを教えなければいけない。周りの人間が歩いている姿を見て、教えられ、歩こうとする。「教える」とはそういうことだろうと思う。「ほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることにある。わたしたちは生きはじめると同時に学びはじめる。」(同32頁)

そう思うと、人間的な生き方をしている人間がまわりにどれだけいるかで、その子ども(仲間)が教えられるものが違ってくるんやな〜としみじみ思う。人間的な子ども(仲間)を育てたいなら、自らが人間的に生きる姿を示さないと。そうしてまだ、自分の力を自覚していない人間仲間に、人間らしい力を発揮することを「教える」。一緒にやろうや!ってことか。後に続く仲間(子ども)の成長を信じて前を行く中で、「教える」側も教育されるんや。(蓮)10/6/28

■@GAKUTOMO NO.007
わが家の5歳の娘の「イヤッ!」に手をやいています。何でも「イヤ!」。「はよ起きや!顔洗い!着替えや!はよ食べな保育園間に合わへんで!」etc。負けずと「イヤ!イヤ!イヤ!」。言うことを聞かないと、ついつい怒ってしまいます。その度「こんな子育てでは小森陽一さんに怒られるわ…」と反省。

憲法九条の会事務局長も務める小森陽一さんは指摘されています。大人の言うことに無条件で従ってきた子どもの側から、「イヤッ!」という拒絶の言葉が発せられる…大切な変化であり「自我」が生まれてくる決定的な成長段階。「イヤッ!」という声こそ、独立した人格を持った人間への第一歩。反抗すること、拒絶することは、言葉を操る生きものとしての人間の要となる大切な力…それをもし家庭内暴力などでつぶされてしまったら、人格形成の破壊に…と。

6月23日、沖縄では「慰霊の日」を迎えました。沖縄戦から65年、安保改定から50年の日。沖縄の県民の「基地はイヤ!」の怒りの声で鳩山政権を退場させました。県民の意志は憲法九条の精神に根ざしています。安保条約でも7割近い県民が「破棄すべき」「平和条約に」と。

「今の政治はイヤ!」の声を広げて、参議院選挙で新しい政治プロセス≠さらに前進させたい。と、わが家の子どもたちを見て思うところです。(光)2010/6/28

2010/6/28---------------------

■@GAKUTOMO NO.006
米軍基地問題で、「5月末」にこだわり続けた鳩山さん。結局日米合意の強行という最悪のかたちで終止させ、5月が過ぎてみれば、自ら首相の責任を放棄。はじめから、そのつもりで「5月末」と繰り返したのか…。

5月は憲法月間でした。みなさん覚えてますか?日本国憲法の三原則。「国民主権」「人権尊重」「平和主義」の三原則です。どうやら鳩山さんは完全に忘れていたようです。いや、知っていても知らなかったとしても大問題。政権交代で国民が示した「米軍基地はいらない」という意思を裏切り、「住民の合意」ではなく「アメリカとの合意」で、基地を沖縄に押し付けた…国民・住民の「主権」は無視されました。米軍の訓練や米兵の犯罪などで生活を破壊されている住民の「基本的人権」には目をそらしたまま。殴り込み部隊として配備されている米軍基地に「平和主義」の文字はありません。新しく就任した管首相。日米合意を踏襲するようです。

沖縄米軍基地の問題は、平和運動からの側面だけではなく、地方自治体の問題でもあり、自治体破壊そのものだと思います。「憲法をくらしのなかに生かそう」…蜷川革新府政のスローガンでした。行政に「憲法をくらしのなかに生かそう」の根をはる仕事に、住民とともに歩む自治体労働組合のがんばりどきです。(光)2010/6/25

■@GAKUTOMO NO.005
「こどもの日」の新聞の囲み欄に載っていた記事を切り抜いて手帳にはさんでいた。「子ども 29年連続減」。記事によると、29年も連続して15歳未満の子どもたちが前年度より減っている。総人口に占める子どもの割合は36年連続で低下。米国、中国、ドイツを下回る水準だという。

そこから何が見えてくるのか。子どもが生まれ、生きていく社会はどんな社会なのか。子どもを産み、育てていく社会の仕組みはどうなっているのか。保育園の母子家庭のお母さんが切実に、「母子家庭で正規での雇用を探すのは不可能に近い……」と話されたのを思い出す。

手段としての人間、労働力としての人間、そんな位置づけの社会のなかではこの数字を引き上げることはできないだろうと思う。子どもの「子ども期」を保障できる社会、誰もが安心して子どもを産み、育てることができる社会は人間が目的になる社会・・・。(麦)10/6/25

■@GAKUTOMO NO.004
組合で、保護者に保育の国の動きを伝える訴えをした。ビラを渡して、制度が「子どものため」ではなく「予算を抑えるため、儲けの場にするため」に大きく変えられている、大変な状況にあることを伝える。

新しい保護者には「労働組合の者なんです」からの説明。職員が働きやすい環境、それが子どもの育つ環境をより良いものにすることにつながるし、保護者が安心して働けることにもつながる。だからぜひ一緒に、現場の声を出していきましょう…。新しい人の真剣に話を聞いてくれる姿が新鮮で、意見や思ったことも出してくれるのでうれしいなぁと思いながらの対話だった。

他のことについても言えるが、運動の目的や思いを丁寧に伝えながら"お客さん"じゃなく、一緒につくっていきましょうという姿勢で働きかけることが大事だな、と改めて感じる。

井上ひさしさんのメッセージを借りるなら、仲間を信じて、対話によってより多くの仲間を増やしていくしかない。周りの仲間をどう見るか。こちらが勝手に決めつけて可能性を狭めてはいけない。それでは運動の力も半減するだろうし、こちらもしんどくなってしまうだろう。仲間を信頼し、仲間が主体的に立ち上がって私以上に成長していく存在であることを信じることが、今の自分にはもっともっと必要だ。(和)10/6/25

■@GAKUTOMO NO.003
NHK大河ドラマ“龍馬伝”を欠かさずみている。今までいろんな“大河”をみたけれど、こんなに自分がはまっているのはない。龍馬の人物像を知らなかった訳でもないが、こんなに龍馬の生き方から学ばされたことは今までなかったかも…。自分が労働学校の運営活動を通じて感じることと、共通したりする…。

6月6日放送の一場面…神戸の海軍操練所から望月亀弥太が飛び出し、一人京に向かった後、龍馬が連れ戻そうとした時に、他の仲間から「ほっておけ!」や「すきにさせとき!」といったことを言われた後の、龍馬の言葉には鳥肌がたった。(土佐の言葉を少し訳しているが→)「日本をのっとるために、異国は日本がバラバラになるのを待っている。そうはさせんと心にきめたものの集まりではないのか!」「おらんでええ仲間は一人もおらん!」「蒸気船は一人で動かすことはできない…カマをたくのも、風をみるのも、海図を読むのも、見張りをするのも…誰一人欠けても船は動かせない!日本の海軍という大きな船を…」

なんだか、運営活動そのものの精神を言いあてられたような…。私自身、運営委員長としての養うべき精神をぶつけられたような…。これは運営活動だけじゃない、労働者階級として、仲間をどうみるか、労働者をどうみるか、資本のイデオロギーにどっぷり浸かっている労働者でも…けっしてあきらめない、仲間の成長に信頼をおく…。いろいろ考えさせられた…。私の運営活動の原点に戻って…“敵を間違えるなっ!”(吉)10/6/25

■@GAKUTOMO NO.002
オーガニックランチの店に入り、バイキングだったので適当に皿にとって、レジにいったら1500円した。しんぶん赤旗の潮流で、「金持ちが有機栽培の綿の服や長持ちする服を着る。貧しい人を低賃金で働かせてつくった服を着ない…」とあり、GAKUTOMOメンバーで「オーガニックやエコが流行っているけど、それがビジネスになっていて結局お金ないと買えないよね」と話したことを思い出す。「そういうスローな素朴な生活に憧れるけど、経済的土台がないと無理だし、精神的に死んでいる気もする」と。精神的に死んでいる≠チて古典のどこかにあったと思い、本棚を探ると『イギリスにおける労働者階級の状態』(新日本出版社 p24)であった。『彼らは規則正しく教会へ通い、政治を語る ことも陰謀を企てることもなく、考えるということをせず、身体を動かすことをたのしみ、(略)。しかしその代わりに彼らは精神的には死んでいた』と。続いて、産業革命により完全な労働者になることで、ものを考え、人間的な地位を要求するようになるとある。もちろん目的としての人間という角度からオーガニックなどにこだわり、運動をしている人もいる。それでも、こだわる人のなかには生まれながらに裕福な人が多いように思う。ひがみか。(書)10/6/25

■@GAKUTOMO NO.001
「みんな『やめたい』と言いながら働いてる」。看護師さんのリアルな声。「看護師さんにとても親切にしてもらった」と喜ぶ患者さんに、「患者さんがみんなそうだったらいいのに」「(いつも)できていないことばかり言われる」とも話していた。

少し前に病院での虐待事件があった。そこで言われていたのが「疎外感」...虐待をした人は「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」「職場に相談できる人がいなかった」と話していたという。その思いは、「やめたい」と言いながら働いている「みんな」と共通してる...!!

2010年6月に大阪で開かれた“子どもの虐待問題を考えるシンポジウム”では、「誰が虐待の当事者になってもおかしくない」という感想が出された。実際、自分も虐待と紙一重だという若い母親の声がある。虐待は、特別な家庭で起こってるんじゃない。

医療現場と家庭...どちらも命を守り、育てるところだ。相手(患者・子ども)の生きる力を引き出すところだ。虐待の背景には、看護師さんの働き方の問題、親の貧困問題(=働き方の問題)がある。

「やめたい」って思うのは、看護師がイヤなん?働くのがイヤなん?と聞いた。答えは「働くのがイヤ」だった。看護師になりたいと思ってみんな夢を実現してきた。でも、今のこの働き方で働くのがイヤなんだろうな〜と思う。

働くことが喜びになる、そういう働き方を誰もがしていた時代がある。それは原始共産制の社会。狩りや採集で収穫を得ることはみんなの喜びだった。生活に必要な道具や食糧を作ることは、みんなの生活を豊かにしていった。そうして他の動物とは違う、人間らしい生活は発展していった。今、そういう人間らしさを奪っているものは何か。社会のことを学ぶ中で、自分の働き方、生き方を考える。(蓮)10/6/25