2010/8/31--------------

■@GAKUTOMO NO.099
久しぶりに趣味のロードバイクで京都市内を走行。しんぶん赤旗の記事で、尹東柱(ユンドンジュ)のことが書かれていたことを思い出し、同志社大学今出川キャンパスにある尹東柱の詩碑を拝見しに行きました。記念碑には、尹東柱の代表作である「序詩」が、ハングルで書かれた自筆のものと、日本語訳で刻まれていました。詩碑には花が添えられていました。

「死ぬ日まで空を仰ぎ一転の恥辱(はじ)なきことを…そしてわたしに与えられた道を歩みゆかねば」

戦前、朝鮮は日本の植民地とされ、皇国臣民化をすすめるために朝鮮語の使用を禁止、名前は民族性を奪う創氏改名を強制、「朝鮮の独立」の叫びは厳しく弾圧されました。尹東柱は、在学中、朝鮮語で詩や日記を書きためていましたが、特高警察はそれが「独立運動」につながるとし治安維持法違反で43年7月、逮捕、45年2月16日、旧福岡刑務所で獄死しました。「中身のよくわからない注射をくり返し打たれ」、息絶えたといわれています。27歳の若さで…。(しんぶん赤旗2006/5/11付け)

私と同じ年で亡くなられたと思うと、他人事ではない気がして、くやしさがこみ上げてきました。彼は死ぬまで変節を拒否したそうです。朝鮮人としてのほこりと、詩人としてのほこりを貫き通した姿勢に、心が引き寄せられました。先日8月29日に「韓国併合」100年を迎えました。尹東柱の「序詩」を胸に刻み、自身に「与えられた道を歩みゆく」決意です。

しんぶん赤旗8月23日付けの記事によれば、市民の運動により宇治にも詩碑建設が進められているとか。今度は宇治までロードバイクを走らせてみよう。(光)10/8/30


■@GAKUTOMO NO.098
知のエッセンスも最後の講義になりました。最後は「マルクスの歴史観」について。

“法則”には2つある、といいます。1つは自然科学でよく言われる「くり返しの法則」。もう1つは社会・歴史で言われる「発展の法則」です。

「発展の法則性」の「予想も計算もできないけれども、“遅かれ早かれ必ず起こる”という部分が印象的だった」という感想がありました。

また一方で「これから…を考えるともちろん希望もあるけれど、どこまで矛盾が深まるんだろう?と思ったら、不安も感じた」という感想も。

どちらも、社会は変わる、ということはこれまでの講義や日々の生活の中で少しずつ確信になってきているようです。でもその変化が何によって起こるのかがあいまいでは、2つ目の感想のように不安も大きくなるのかもしれません。

そこで。先生がズバリ!

「もっと貧困層が増えないと社会は変わらないのではなく、社会は発展することで変わっていくんです。“社会を変えよう”は“発展させよう!”に言い換えられるんですよ」

「ジグザグしながら、階級の闘争によってだから、もちろん不安や矛盾はありますが」、と。

「生産力の発展」を嘆くのではなく、人間にとってどう良い方向に、と前へ前へ、の思いや姿勢が大切なんですね。(和) 10/8/30


2010/8/30--------------

■@GAKUTOMO NO.097
 歳のせいにはしたくないけれど、“涙腺が緩くなってきた”って思うことが、たびたびあります。@GAKUTOMO NO.089で(蓮)さんが、「涙腺が緩くなったのか、ひどい現実が多いの
か。それとも、人間性の回復!?・・・きっとこれですね〜。」って語っておられますが、私もそれかなぁ!?…。歳を重ねる中で、いろんな経験を重ね、いろんな人と触れあい、“想像力”もついてきているってこともあるのかもしれません…。

 自分の体験としてですが…私は第二次ベビーブーム生まれ、つまりは団塊世代の子どもの世代で、ちょうど年齢別の人口分布表なんかでいえば、山の頂点になっているところです。それは小さいころから“競争”の中にいたということなのか…だからということではないかもしれませんが、私の友だち関係では、人に“弱み”をみせたり、まして“涙をみせる”ことなんって、絶対にしてはならないことだったように思います。何かけがをしたとして、実際に痛いと思っていても、“やせがまん”をして平気なふりをするみたいに…。

 そんな私の涙腺も、いつの間にか緩くなっています。

 今年の高校野球の決勝戦、9回裏2アウト、あと1アウトで試合終了というシーン。沖縄代表興南のエース島袋くんは、バッター東海大相模の代打・宮崎くんへの配球で、捕手のサインに首をふり、直球勝負を挑む。島袋くんは、連投連投で、疲れきっているその体から、最後の全力の一球は、直球勝負でバッターは空振り三振!

 その瞬間、なぜかわからないが、涙があふれてきました。

 高校生どうしが、全力をだしつくすその姿に、強い感動をしている私。なにかに全力でぶちあたる、その姿には、本当に感動します。正々堂々と、直球勝負を挑む島袋投手。…言葉に表現しつくせんませんが、高校野球でこんなに心の奥底のほうから湧き出る感動は初めてのように思います。

 数日前(8月13日付)の赤旗日刊紙に、“沖縄・米軍ヘリ墜落6年”の記事がありました。その時の3万人が参加した抗議の市民大会の壇上に、小学校の児童会長として伊波市長とともに写る島袋くんの写真が掲載されていたことも思い出していました。22日付の赤旗日刊紙には、「安心して生活できる環境に」と、壇上から表明したとも載っています。

 「スタンドの大声援が後押ししてくれた。チームが、そして沖縄県民が勝ち取った勝利」と島袋くん。

 私は、沖縄県民、そして日本国民の大きな願い、米軍基地撤去に全力で挑む決意です!(吉)10/8/27


2010/8/28--------------

■@GAKUTOMO NO.096
「泥のなかから 蓮が咲く。 それをするのは 蓮じゃない。 卵のなかから 鶏(とり)が出る。 それをするのは 鶏じゃない。
 それに私は 気がついた。 それも私の せいじゃない。」私のペンネーム(蓮)は、金子みすヾさんのこの詩から拝借しました。

私が学習の面白さを初めて感動をもって知ったのは、労働学校の運営委員になって2期目でした。種はもともと発芽する力を持っているが、種だけ置いていても芽は出ない。土と光と水と気温、発芽に適した環境の下にあって初めて発芽する力を発揮することができるのだと学びました。

それ自身は当たり前のことだけど、そういう「ものの見方・考え方」を学んだのです。世界観を学ぶことは、実際に人間や社会が違って見えてくる!!と、新しい発見をした思いでした。金子みすヾさんの詩は、この初心を思い出させてくれます。

和歌山市内で開かれた「教育のつどい」で、「多くの要因で子どもたちは成長する」と、ある教員は振り返っています(「しんぶん赤旗」10/8/19)。「上からの押し付けでなく、目の前の子どもから出発したい」その思いから、子ども自身が主体的に参加できる授業に取り組み、「子どもって確実に成長していくものなんだね」と手応えを感じている実践も出されていました(同10/8/23)。

教員や保育士のメンタル、特に教員の自殺が社会問題になっていますが、働き方(職場の人間関係も含めて)の問題も子ども観の問題も、根はひとつだと思います。(蓮)2010/8/27
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◎「多くの要因で子どもは成長する」。青年も同じです。決まったものはありません。だからこそ多様≠ノ、どこからでも、科学的社会主義を正確に「紹介する」──だって学び思想(世界観)まで高めるのは青年自身なのですから──活動家が求められているのです。(む)


■@GAKUTOMO NO.095
 今、さらに『龍馬伝』がおもしろい!

 “社会を変革する”“社会を発展させる”ってどういうことなのか、“福山”龍馬の生き様から、いろんなこと学びを考えさせられます。ますます、はまっています。

 8月15日放送、第33回「亀山社中の大仕事」は見所満載。

 龍馬と、長崎の芸者お元のシーン。お元は禁じられていたキリスト教を信仰している。お元「この世の苦しみは、神が与えてくれた試練、その苦しみを乗り越えれば、天国にいける」と。そして少し龍馬とのやりとりの後、お元「私は、逃げ出したい、この国を!ここにいても、良いこと何もない!」…龍馬「わしは、この国を変えようと思っている。お前が逃げ出したいと思う世の中はなくなるっ!」、お元「その国は、みんなが笑って暮らせる国?」、龍馬「そうだ!」…。

 “試練”を乗りこえれば“天国”にいけるのか、逃げ出せばいいのか、それとも現実を“ありのまま”にとらえ、変革しようとするのか…。“みんなが笑って暮らせる国”って何なのか…。考えさせられます

 違うシーンの一コマ。龍馬と、イギリスの商人グラバーとのやりとり。龍馬は、武器を売って儲けようしていたのではなく、日本を外国から守るため、薩摩藩と長州藩が手を結ぶことに尽力をつくしていた。龍馬率いる亀山社中が仲介になって、グラバーから長州藩のための武器を購入しようとしている。グラバーに「亀山社中の取り分はいかほどか」という質問され、龍馬は「取り分はいらない」と答え、グラバーが「なぜ?」と問い、龍馬は「私心があっては志とはいわん!」と。

 “鳥肌”級の一言でした。龍馬の生き様を象徴する一言かもしれません。

 浜林正夫著『カール・マルクス 人間的解放をめざして』(学習の友社)という本にこんな一節があります。マルクスの「職業の選択にさいしての一青年の考察」の一文ですが、(P19)「人類の幸福とわれわれ自身の完成とは対立するものではない。貧弱で利己主義的な喜びを味わうのではなく、万人のために犠牲となる重荷を背負っていくべきである。」

 同時代に生きた、龍馬とマルクス……。

そして、昔どこかで教わった言葉、「人生において、何かを選択するときは、“苦難”の方を選べ!」を思い出しました。それは“私心”“貧弱で利己主義的な喜び”ではない生き方の選択ということなのでしょうか…。

 8月22日放送、第34回「侍、長次郎」では、亀山社中の経営から、その仲間たちの生活費用をやりくりをしている近藤長次郎が、グラバーと長州藩の仲介にはいり“経営”の観点から、長州藩が購入したユニオン号を亀山社中も使用できる権利を画策していたということと、それを“私心”とみなし、そうした私欲を許さない亀山社中の仲間たちとの葛藤…“理想だけで、飯が食えるのか?!”…実に見事に描きだされています。

民主経営で働く労働者が苦悶するところ理念と経営≠ネのだ。

 『龍馬伝』を語りだしたら、とまらなくなります…。NHKの大河ドラマということは、日本中の人々が『龍馬伝』に注目し、それぞれがいろんなことを感じているということだと思います。

 社会を変えようとする、歴史を前進させようとする、“福山”龍馬が輝いてみえるのは、私だけでしょうか…先人の“生き様”に刺激をうける今日この頃です。(吉)10/8/25
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◎英雄伝として見ないで、人間龍馬としてみると面白い。マルクスとつなげなくても、マルクスの生きたように、生き抜きたいとおもい日夜京都を駆け巡る同志≠ヘ、いくらでもいるのだ。龍馬たちがどんな日本(“みんなが笑って暮らせる国”)を考えていたのか、その後の日本との関係でも大きくとらえるために 前衛9月号に掲載されている原田敬一『東アジアの近代と「韓国併合」』を一読することをすすめます。(む)


2010/8/28--------------

■@GAKUTOMO NO.094
「人間として生きていく、という言葉が印象的だった。それが今の資本主義の下での矛盾と関わってるんだ」
世界での社会変革の動きを学んで仲間と話しての発言でした。

この点について講義の中で先生が話されていたことで、私も新たな発見。

「資本主義では、労働者が労働力を売って賃金を得てもうけをつくり出す、これが大前提。でも、働いても生活していけない、という今の状況はこの資本主義の原則も崩している、ということ。資本主義が発展したことで、資本主義そのものを否定する、ということになっているんです」という先生のお話。

日本やアメリカが資本主義を維持し続けようとしても、すでに前提が崩されているのだから、新しい社会の在り方について世界で模索し変革の動きが起こっているのは、自然な流れなんですね。

マルクスはこれを「変革のための客観的な条件」としました。(『マルクスは生きている』57頁)また、しかし、それだけでは社会変革は自動的に進まない、「階級闘争の発展という、変革の主体的な条件の成熟を通じてこそ切り開かれるの」だ、と。(同上)

何度も読んだ文章でした。でも改めて「ここや!」とつながりました。いろいろな先生の話、仲間との話がつながってきています。楽しいです…!(和) 10/8/25


■@GAKUTOMO NO.093
「組合ニュースの原稿書いたよ」と嬉しい一言から話題が始まりました。その人は「8月やしやっぱり平和のこと書いたわ」と原稿を渡してくれました。しかしそのあとから、少し神妙に「でも・・・8月にしか“平和”について考えることがなくなったのはあかんなぁって思う。常に考えないとあかん大事なことやのに。忙しい毎日のなかで、そういうことを考えることがなくなってきてるわ。」と反省されていました。そういえば、それまで有名俳優たちが兵隊に扮したTVドラマが放送されてたり、特集が組まれたりして取り上げられていた「平和の大事さ」が8月15日を過ぎるととたんになくなってしまうなあと気づきました。戦争のフィクションドラマのような気にさえなってきます。

韓国併合から今年で100年。先月から「しんぶん赤旗」では頻繁に取り上げられています。朝鮮半島を日本が武力で植民地にしてしまい、そこで独立を取り戻そうとする朝鮮の人々を治安維持法で死刑にしたり、従軍慰安婦にしたりと非人間的な残虐行為をくり返してきたのです。いま実際に体験した人たちが、高齢の身をおしてまで命の限り紙面で証言されています。

本当に戦争を二度とくり返さないという立場に立つなら、日本がおこなってきたことに真摯に向き合い、反省する態度が“国として”必要なんだなと、強く思いました。(麦)10/8/25


■@GAKUTOMO NO.092
先日、道を歩いていると、少し先に一人のおじいさんが杖を持って歩いていました。私が「おじいさんがいるなぁ」と思っている間に、私と一緒歩いていた看護師さんは「あ、倒れる倒れる」と言いました。私がその言葉を耳で聞いているその間に、おじいさんはゆっくりと尻もちをつくように倒れたのです。スローモーションのように見えましたが、一瞬の出来事でした。バタンと倒れなくて良かった・・・と同時に、一瞬早くおじいさんの動きを予測する看護師さんはさすが・・・と思いました。対応も冷静です。さりげないことですが、後ろから脇に手を入れて支え、私がどこをどう支えたら良いのか・・・と、とまどっているうちに、もうおじいさんは段差に腰をかけて座っていました。

老人の転倒が危険だということは素人ながらに知っていますが、目の当たりにしたのは初めてでした。本当に何事もなくて良かった・・・。

ちょうど、ラーメンを食べながら人間と労働について話をしてきたところでした(そういうとものすごい話に聞こえますが・・・)。労働学校で出会った人は、その人そのものであって、それ以外のなにものでもないけど、職場で出会うと、「看護師の○○さん」であり、「保育士である◇◇さん」だよね〜と。だから、労働学校で出会った人が「保育士さん」だったり、「事務員さん」だということを考えると、不思議な感じがすると言っていました。そういう感覚、わかります。

「働く」ということがどういうことなのか・・・社会的な大きな分業の中の一部、その職業を自分の専門として、一人の人間としてはもっと広い可能性を持ちうること・・・と。漠然とですが、人間が全面的に発達できる未来社会へと、思いはめぐっていきました。労働者って面白い。だって単純に考えても、労働者が集まれば何だってできるでしょ!(蓮)2010/08/25


2010/8/27--------------

■@GAKUTOMO NO.091
「組合は労働者の要求を実現して権利を守っていくもの。でもそれだけじゃないんです!要求を実現するということは、国民の購買力を立て直す、ということ。社会の矛盾を立て直す、ということ。一人ひとりが自覚していなくても、実はそんな大きな仕事をする運命にあるんですよ。当たり前の運動が社会をよくすることにつながっているんです。組合がもっと大きくなれば、必ず社会は変革されるんです!」
これ、「労働組合の“出番”とはどういうことかついての講義の最後に、山本先生からのメッセージです。

これが「たちあがれ労働組合」だ!とドキドキしながら聞いていました。

これから組合活動を続けていくうえで、本当に困難にぶつかった時に「大事なんだ」という“思い”だけでがんばれるかな…と、私自身、正直不安も抱いていました。でも、事実をもとに歴史(過去)と展望(未来)について学んで考えてみると、ムクムクと前向きな気持ちがわいてきます。当たり前の運動なんだ、と。

受講生の感想にも、「組合で一つひとつの要求を実現して、各組合とも連帯して、社会変革へと進んでいく力が組合にはある、と自分でも言い聞かしているので、心に響きました」。そんな姿や感想に、励まされています。(和) 10/8/23


2010/8/25--------------

◎蛍さんからメッセージ
@GAKUTOMONO.086を読んで
初めて総合コースで労働組合についての講義を聞いたとき、組合ってすごいな、大事だな、と思いました。その思いは組合について学ぶほど、大きくなっています。今は学ぶ前より、組合活動に自覚的に取り組める自分に変化しています。組合に入るだけでなく、学びながら活動していく大事さを実感する日々です。山本JMIU副委員長の言葉で印象的だったのは、「労働者の要求を実現していくことは社会の矛盾を立て直すことにもなっている」ということ。労働組合の使命は大きい!労組情勢セミナーでも引き続き学んでいきたいです。


■@GAKUTOMO NO.090
不破さんの「革命論研究・上」を少しずつ読み進めています。マルクス・エンゲルスの書いた文書はいくつか読み、学習をしてきました。今さらですがこんなにマルクスが“人間”としていろんな人から影響を受け感動し、怒り、エンゲルスたちと議論を重ねながら自分の考えを発展させてあの文章を書いてきたのか・・・≠ニ思い、あらためてこれまで読んできた古典の重みを感じます。

最初に書かれている「ライン新聞」を舞台にしたマルクスの活動がおもしろい。当時の新聞は治安維持法に匹敵するほど厳しい検閲。そのなかでも州議会の議事録を活用して検閲から逃れ記事を載せていく・・・。そしてその執筆活動の中で、社会経済と人民の生活の問題に深く入り込み、初めて庶民の経済生活と国家との関係にぶつかったと書かれています。実際に、農民の生活実態と、森林所有者と政府(支配階級)の関係を調査する中でマルクスは、「人間社会の土台が、人間の経済生活にある」、人間社会を知るためには経済学を探求しなければいけないという思いに至ります。

マルクスが、生まれたときから科学的社会主義の立場で考えていた神様のような人だと思っていたら大間違いなのです。実践を通じて、どんな困難に見えよとも正面から、格闘し獲得されてきたのだと思います。

人類解放という目標で21世紀にがんばっている私≠ニして、革命の理論の成り立ちをしっかり学ぼうと思います。(麦)10/08/22


2010/8/24--------------

■@GAKUTOMO NO.089
自分が「社会の中で生きているんだ」と自覚するまでは、ニュースは見ない、社会に無関心・・・政治なんてだれがやってもそんなに大差ないでしょ。政治がどうなろうと知ったこっちゃない。そんな気分でした。

それが最近、しんぶんの記事を読んでいると、腹が立って涙が出てきます。とくにこの半年ほど。涙腺が緩くなったのか、ひどい現実が多いのか。それとも、人間性の回復!?・・・きっとこれですね〜。科学的社会主義を学びはじめて8年たちます。

先日(10/8/22)の「しんぶん赤旗」に、「『104歳』白骨遺体発見」の記事。また孤独死か・・・と胸の痛みを感じつつ読むと、違いました。「母は9年前に死亡した」「仕事がなく、葬儀代がなかった」と64歳の息子さんは言っています。2人暮らしで看病を続けていたが、病気で亡くなったお母さん。「遺体をしばらく押し入れにいれ、風呂で洗ってから骨を砕き、リュックに入れて運んだ」と言います。想像できますか、そんな状態。

そこまでの“貧困”・・・経済的なことだけでなく、この息子さんの孤独さです。しかも、行政は高齢者所在不明問題を受けて初めて動き、その事実が明らかになったという後追い。人間関係の貧しさが痛く感じられます。そんな社会はイヤなのに。誰も望んでいないだろうに・・・。

その横の「希望」という欄の、障害(副腎白質ジストロフィ)のある我が子を悩みながら育ててきたお母さんの記事。普段声を発しない、表情も変えないその息子が、イルカに触れて「あ〜」と歓声をあげたと、「諦めずに毎日を大切に生きていると、すてきなことが起こるんです」というお母さんの元気な言葉に、ますます泣けてきました。

悔しくて、せつなくて、それ≠乗り越える力への感動の涙……

有名な人でも「エライ人」でもない、私たちと同じように働き、悩みながら暮らしている人々の生活や思いや闘いをおもいやり、心をゆさぶられ、励まされます。同じ社会の中で生きているんだ。みんなより良い社会を求めてるんだと。(蓮)2010/8/23


2010/8/23--------------

京都造形大の敷地内(高原通り)に

1910年5月 大逆事件
  6月1日 幸徳秋水逮捕
1910年8月22日
  韓国併合に関する日韓条約調印
  8月29日 韓国の国号を朝鮮と改め、朝鮮総       督府をおく旨公布

■@GAKUTOMO NO.088
『新時代の「日本的経営」』という文書をご存知でしょうか。

 この文書は、1995年に当時の財界団体の一つ“日経連”(2002年に経団連と統合して、日本経団連に)が発表した文書。実は、この文書が、財界の“方針書”となって、その後の日本経済、企業経営、雇用対策…など大きく転換するターニングポイントとなったいわれる文書。

 労働学校などで、この文書の存在については知っていましたが、お恥ずかしながら、実際に“原文”で中身まで触れたことはありませんでした。136期経済学コースの演習≠ナ使うことになり、この読む機会ができ、“原文”にふれてみて、驚くことばかり…。

 今までも言葉として知っていたのは、企業が労働者を、「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」という3つのグループに分けて、労働力の「弾力化」「流動化」を進め、総額人件費を抑制し、“低コスト”化しよう…。この頃“リストラ”が一種流行語のようになり、解雇がすすみ、労働者派遣法が99年の“改正”で一部の対象業務は除いて原則自由化され、04年の“改正”で製造業が解禁され…今の非正規雇用問題の“出発点”となった…。

 今回、“原文”にふれてみて、「人間中心(尊重)の経営」「長期的視野に立った経営」という言葉が何度も出てくることに驚き、それに何ともいえない“違和感”を感じるっ!…。

 “自己責任”論につながるような、「個性」「個」を強調した言葉にひっかかります。そして続くのが、「自助努力」「受益者負担」という言葉。

 「労使も率先して痛みを分かち合い、お互い血を流す覚悟」という言葉には、小泉元首相がいった「痛み」にもつながる。

 日本における新自由主義の動きは、これ以前から始まっていたともいわれますが、その流れの中で、この財界の“方針書”といわれる文書が、企業や政治に及ぼした影響というものははかりしれない。

 このほんのわずかな文書が“出発点”になって、今、日本の何百万、何千万人といわれる働くものたちが、「人間として」扱われないような状況にまでおいこまれ、本当に苦しめられている。この15年間の中で、実際に経済的な理由がもとで、自殺においこまれた人、働くなかで苦しめられ、精神疾患を患い苦しむ人、中には過労自殺や過労死にまで追い込まれる人もいる。そんなことを考えると、言葉で言い表しにくいですが、沸々と怒りがこみ上げる。

 今回、経済学コースの演習でこの原文を“読む”機会ができたことは本当によかったと思います。今まで、聞きかじりでこの文書について“わかったつもり”でいた自分でした。まだまだ、わかっていないのは承知ですが、“原文”から直接読みとることは大切だと思います。それは、きっと科学的社会主義の“原典”から学ぶことの大切さと重なるようにも思います。入門書ばかり読んで、“わかったつもり”でいることの危うさを改めて感じました。

 “○○をしている機会”にじっくり深めてみることって大事だと思います。そうした機会をチャンスととらえれるか、それは自分次第なのかと…。(吉)10/8/18


2010/8/21-------

■@GAKUTOMO NO.087
30年も生きていると自分の体の様子がよくわかってくるもので、「夜更かしの限界は1時半」とか「この頭痛は10分寝たら治るな」とか「風邪引きそう」などいろいろ自分の体の傾向がつかめてきました。

「労働者は体が資本」とよく言われます。活動家になる前は「体が元気でないと働けへんしな」と単純に思っていましたが・・・。活動家になってからはその考え方から、労働者階級としての「体が資本」という意味を考えるようになりました。労働者は「労働力」しか売るものはないし、それがダメになったらもう生きていけない存在、一方で支配階級とたたかうには労働者は数の力しかない!「たたかうためにも体が元気でないと!」ということです。

しかし自覚的に活動し始めた労働者は過酷。

長時間労働で、削られた自分の時間は労働者階級が立ち上がるためにフルに使い、帰ってからは自身を高めるために学習・学習(!)。なかなかハードな毎日ですが、そこは生活自体も活動家として自分で管理していかなければなりません。意識的に野菜を食べたり、腰痛体操したり、自転車に乗ったり。日常のちょっとした心がけが長く活動をするためには重要なんだと思います。

数日前にGAKUTOMOで書かれていたことを思い出しました。「『生活の充実を歴史の上に照らし出して見通して、建設していく』。そういう心掛けと、それが自然となっていく、そういう努力!(略)毎日の生活の一日一日が、生き方の表れなんだな〜」と。ほんまにそうだなと思います。生活面でも、体調面でも、自己管理はプロレタリアの修身です。(麦)10/8/20


■@GAKUTOMO NO.086
情勢セミナー『たちあがれ労働組合』の第一講義の日も近づいてきました。労働学校でももちろん、組合について学びます。しかも、講師は山本善五郎JMIU副委員長。まさに、今の労働組合について学ぶのにピッタリ!分散会でもいろいろな議論がされました。

職場に組合はあるけどまだ入っていない仲間が、「ただ賃金の話をしているだけでなく、みんなのより良い生活を目指している、というところが知れて自分の気持ちも少し変わってきた。非正規職員の働き方についても話してるみたいやし、まず職場の組合の会議の話を聞いてみたい」と話してくれました。日ごろの組合員の姿や対話からも、大切なんだろう、とは感じていたそうです。

でもそこでさらに自分も接近してみようと気持ちが変化するのは、やはり組合の役割や歴史を学んでいてこそだし、仲間と話してこそ。小さいけどとても大事な変化だな、と思いました。

「“自分のため”だけに入ってたけど、今日の講義で変わるかな」「全体の20%しか加入していないなんておどろいた。もっと広げないと」…みんなで、広げることの大事さについての発表が続きました。発見はまだまだ続きます。 (和)10/8/18


2010/8/20-------

■@GAKUTOMO NO.085
@GAKUTOMO NO.076と同じく14セミナー「科学的社会主義の労働組合論」を学び直し、改めて「労働組合ってスゴイ!」と思いました。

総合コースで労働組合とは何なのかを初めて学んだ時にも、やはり「労働組合ってスゴイ!」と思いました。右にある、講義日誌の《かんそう》にもあるように、一人ひとりの声がいっぱい集まって大きな声になる、そして働く環境が守られてきたということに労働組合の力を感じました。でも、実際には困難だらけだということも、この《かんそう》と共感するところです。

しかしそこにとどまりません。その「困難」がなんで生まれてくるかっていうところが、ミソだと思います。

「困難」の根源はズバリ資本主義制度そのものにあります。経済要求闘争は団結の出発点であり、なによりも労働者の数を多く集める。その経験の積み重ねの中で数々の「困難」を経験し「これだけではアカンのや!」と、労働者の目を広げさせていく・・・「困難」の根源である資本主義制度そのものを廃止しないとキリがないんや、と労働者たちは気付いていくのです。そういう経験・教育の場が労働組合だと。

これを仲間に話しました。仲間は、JALの労働者が同じことを言っていた!と話してくれました。例えば、自分のところは賃上げしたとしても、路線を撤退・縮小したりして、全体としてますます労働者に厳しい状況を作っていく、資本と労働者との関係がある限りそれは必然・・・だから社会を変えるしかないと。そういう話を聞いて、元気が出たと言っていました。活動家やな〜。

21世紀は特別な世紀として記録に残る世紀だといわれています。労働者階級の解放につながる「今」に自分の人生を重ねて生きる・・・この時代を幸せな時代だと感じるかどうかは、「ハラの据え方の問題」です。(蓮)2010/8/18


■@GAKUTOMO NO.084
先日、父に「今度、自分の誕生日会を開こうと思うんだけど、みんなを集めてくれないか」と頼まれました。

 父がいうには、自分が“後期高齢者になる記念”だということ。あと何回誕生日が来るかわからないので、毎年、自分の誕生日会を開いていく宣言でした。

 そうはいう父ですが、実際、健康面でいうと、病院にいく、風邪をひく、体調を崩すということを、ここ数年どころか10年単位でも、私はほとんど知りません。そのパワーの源泉がどこにあるのか、こちらが聞きたいくらいです…。そういう意味でも父の生活から、いろいろなことで教えられます。

 まず規則正しい生活。自営業ということもあって、可能なのかもしれませんが、夜早く寝て、3時、4時に起き、日記を書いたり、仕事のアイデアを考えたり、本を読んだり…。そして朝食前に一眠り。自分が眠たい時に、寝ることも。一日三度の食事に、夜は適度の飲酒。そして75歳の今でも現役で働いています。

 そして、とにかく“歩く”ということ。夏や、冬の一定の時期には、往復3〜4kmのお寺に毎朝参詣。仕事場と自宅とを一日2回往復(計4km)、仕事が早く終えた時は、一時間以上の散歩も珍しいことでもありません。休みは日中に家にいることはほとんどなく、山登りや、「本屋にいく」といえば、上京区の自宅から、八条口まで歩いていく…。

 そして、いろんなことに“関心を持つ”ということも。新聞は、毎日、読売新聞、週末には、赤旗日曜版、京都民報に目を通します。本も、新刊の本から、古本屋、古本市にでかけて目的の本を探して、毎日読書の時間を持っています。仕事柄、いろんな人に会って話をする時も、相手の話を聞くことをしながら、いろんな話題とつなげて話をしているように思います。前に、父、母、自分と大人になって初めていった旅行でも、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」さながらに、現地の人たちに話かけていく姿には驚きつつ、昔から人に対してそういう“姿勢”だと思い出しました。

 教えられていることは、この他にもまだまだあると思いますし、反面教師として教えられていることもあると思います。ただこの文章を書くにあたって、父を自分がどうとらえているかを今回考えさせてもらうことができました。

 自分が、“父を超える”ことができるか、それはわかりませんが、父から学んだ、“自分の生き方のスタイルを確立する”ということを目指して、歳を重ねていきたいと思います。(吉)10/8/13


2010/8/19---------------------

■@GAKUTOMO NO.083
人があつまるとなって、あわてて部屋の掃除をしました。別に急な話ではなかったのですが、なかなか、ぎりぎりにならないとエンジンがかからないのが悪い癖です。結局当日が一番はかどりました。

それにしても、どうしてこうもホコリや書類やその他いろいろのモノが散乱してくるのか・・・。散乱してくるなんて言うと、自然現象のようですが、自分の生活スタイルがそれを作り出しているんですよね〜。

私の部屋に人があつまった時に話題になって、宮本顕治・宮本百合子の「12年の手紙」を見ていると、こんな手紙がありました。訳あって、百合子が引っ越しをしたことについて「私たちの生活の波瀾を凌がせ、揺がせず、前進させている私の内部の力は、こういう力で、大局的に貴方の生活と自分の生活との充実を歴史の上に照らし出して見通して、建設していくところから湧くのです。」(新日本文庫90頁)と。

治安維持法の下で社会変革の立場を貫くことは、生活そのものが、ものすごい闘いだったのだろうと思います。顕治はこの時は市々谷刑務所の中です。そんな生活!!その中でも「いかに暮らすかということの根本は、心掛けの一事に帰すこと」「複雑さを平然として処理して誤らなくなること、そういう努力、実に生活すると云うことは興味津々たるものだ」(同93頁)と手紙を返しています。

「生活の充実を歴史の上に照らし出して見通して、建設していく」。そういう心掛けと、それが自然となっていく、そういう努力!そんな生き様を見ると、毎日の生活の一日一日が、生き方の表れなんだな〜と思います。努力します。(蓮)2010/8/14


■@GAKUTOMO NO.082
市役所に「学習の友」を持っていきました。「こんにちは〜」といつものように担当の人の所へ行こうとすると、1人の男の人が割り込むように入ってきて窓口の相談員?に何やら相談をしています。「市役所で何か手続きしに来られたんかな。」と思って先を譲り、後ろで待っていると、「生活保護を受けるにはどうしたらいいかわからなくて来ました。」と聞こえてきました。するとまた1人男の人が、窓口にやって来て同じような話を相談されています。よく見ると紙袋パンパンに何かを詰めて大事そうに足下に置いて話をしておられます。全財産なのでしょうか。最初に来られた人はとりあえず窓口でパンと牛乳の入った袋を受け取り、待合いのイスで待つよう指示されている様子。私も担当の人が出てくるまで待っているとさらにもう1人、男性が来られ相談室に入って行く姿が・・・。10分も経っていない間に3名の方が生活保護の相談に来られたようです。

日本には憲法があり25条では「生存権、国の生存権保障義務」を掲げています。内容は、「1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2.国は、すべての生活部面について、社会 福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあります。

17日付のしんぶん赤旗にも「76歳男性、熱中症死 電気代が払えずエアコン未使用」と報道されていました。男性は10年前から電気代とガス代が払えずエアコンを使えなかったと。これらが憲法25条を持つ日本の現状です。

わたしたちはなんのために学ぶのか。「自分たちが生きている世界にたいして「解釈」するだけの立場でのぞむでなくこれを「変える」立場でのぞむことが肝要だとするこの見解のなかには、科学的社会主義のもっとも重要な核心が現されています」(革命論研究・上 8頁)わたしたちが学び行動し、仲間を増やしていくことは社会的にみても急務だと思いました。(麦)10/8/18


2010/8/18---------------------

■@GAKUTOMO NO.081
♪キャンプだホイ、キャンプだホイ、キャンプだホイホイホイ♪

 キャンプをしたのは、何年ぶりのことでしょう。お盆休みに、運営委員の仲間たちで琵琶湖でキャンプをしました。

 意外だったのは、BBQ(バーベキュー)の経験はあったとしても、飯盒炊さんや、キャンプは初めてという仲間がほとんどだったことです。

 自分が10代後半から20代前半といえば、もうだいぶ前のことになりますが、友だちどうしでキャンプにいくということもありましたが、職場の先輩の号令で“みんなで力を合わせて”準備をし、キャンプではいろんな世代の仲間たちが語り合い、その中からいろんなことを教わったりして…そうした体験が私には“しあわせ”にもあったのかもしれません。昨今、職場の中は、正規と非正規など労働者がバラバラにされ、名前すら呼び合わないようになっているところも…“キャンプは初めて”という20代前半の仲間たちの声に、そんなことも考えました。

 キャンプというのは、準備からはじまり、当日は“みんなの力を合わせて”一人ひとりが行動をするということ、そして後片付けまでやりあげてこそ、といえます。準備段階では…何を持っていくのか、食材の買い出しでは何をどれくらいなどなど、“想像力”が試されます。当日も、自分がみんなの中で何をすべきか、全体としてどうするか…テントを張ったり、火をおこしたり、料理をつくったりなどなど、“行動力”“団結力”が問われます。そうした準備、当日の中で、日頃見えない仲間の姿や、“人となり”が見えてくるし、予想以上の仲間の力が発揮されたり、みんなでつくりだすおもしろさを、大変だけど実感できたと思います。

 余談になりますが、キャンプ場にかなり久しぶりにいって驚いたのは、来ている他の人の設備。つまりテントが最新式のものばかり。自分たちは、レンタルで借りていったので、2〜30年前でも珍しいような、だいだい色で、ところどころカビがはえている三角テント。説明書もなく、どのように張ればいいかわからない??といったところからのスタートでした。さらに、雨が降ってきたのですが、他に来ている人たちは、テント以外にも、雨よけのターフなどを持参、設置しているのですが、私たちは、急きょみんなで、ブルーシートを大きく広げ、四つの角にロープで引っ張り、木にくくり、真ん中には、竿をたてて…まさしくみんなが一つになった瞬間でした。

 自分がキャンプをしていた頃と今と、何も変わらないことがあります。それは、朝方まで“語り合う”仲間たちの姿です。その姿には、未来へのエネルギーを感じました。

 ただ、いつものようにまたもや、自分の“やるべきこと”を忘れて、その中に入って一緒に語ってしまう自分の姿に、反省と自己嫌悪におちいる私です。

 でも、キャンプに挑戦してよかった〜と思います。(吉)10/8/16


■@GAKUTOMO NO.080
子どもとアンパンマンの映画を観にいってきました。

嵐の夜に暗闇の森に飛ばされ、ブラックノーズに育てられたカーナ。ある日、ブラックノーズの命令でアンパンマンワールドにやってきたカーナは、“暗やみの笛”を吹いて人々から幸せな気持ちを奪ってしまう。「歌やダンスやおいしいパンはまちがった幸せだよ」と教えられて育ったカーナ。「食べ物は強くなるものであって、おいしい必要はない」と言います。ジャムおじさんとバタコさんは言います。「食べ物は、においや、色、味がとても大切なんだよ」と。歌やダンスも自然と笑顔をひきだす大切なものというふうに映し出されます。

アンパンマンワールドのみんなと接するなかで、カーナは何が本当の幸せかを考えるようになります。そしてアンパンマンの主題歌が、さらに問いを深めます。よくできた構成に自然と涙が。→(バカ親父)

映画の最初に日本保育協会推薦とありました。ばっちり食育の観点もあり、感心するほどでした。以下がアンパンマンの主題歌の歌詞です。みんな昔、アンパンマンは愛と勇気だけが友達ってかわいそうと思っていたはず。もっと深かかった。活動家には勇気がわく歌です。

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのためにうまれて なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!

今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ

わからないまま おわる そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ

ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる 光る星は 消える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ どんな敵が あいてでも

ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

いかかでしょうか。私が労働学校の運営委員をやっていたときのスローガンはアンパンマン活動家≠ノなろうでした。「それいけ!運営委員会」(書)10/8/17


■@GAKUTOMO NO.079
お盆はなにかと忙しく、やれ古本市だ、やれ実家に帰るだ、やれ掃除だ(あまりできてませんが)とあっというまに過ぎてしまいました。(もちろん学習もしつつ)それでも普段できなかったことも少しはできて、ちょっぴり気持ちは満足です。

この時間を利用して初めて「モダン・タイムス」を見ました。機械に巻き込まれたり、トイレに行く時間も、ご飯を食べる時間も奪われ「働く姿」を見せるチャップリン。独特の動きで笑いとして見せていますが、それがますます労働者のおかれている状態の悲惨さを語っているように思えて笑えませんでした。一方で失業者が街にあふれ一つの仕事に何百人もの人が殺到するシーンもいまの日本の状態と重なります。働きすぎて過労死する労働者もいれば、働きたくても仕事がない労働者が低賃金の不安定な職に集められ、資本主義の国のどこでもどの時代でも同じことをくり返す・・・。(麦)10/8/16


2010/8/17---------------------


■@GAKUTOMO NO.078
HORIMARUセミナーを準備する中でたくさんのことを体験し、感じとることができました。準備する仲間も取り組みを通じて、成長していくとともに、その仲間たちがつくりだす136期の労働学校自身が“成長(変化)”していると感じます。

 街宣での一コマ。今まで一度も、どんな街宣にも参加したことがない仲間が、はじめてHORIMARUセミナーの街宣に来ました。その仲間に“ビラを配って下さい”というのではなく、“セミナーに来てもらいたいという思いを、街ゆく人たちに伝えるならどうする?”と、自分の“思い”で街宣をしてもらおうと提起すると……次から次へと、「こんにちは、HORIMARUセミナーやります!」とあいさつしてから、街の人たちにどんどん声をかけていきます。

 そうしたはじめての仲間の動きに、驚くとともに、先輩として“ちゃんとしないと!”と身の引き締まる思いでした…。次には、開催日などが書かれたプラスターを信号待ちの人、車にむかってアピールしたりと…“街宣はこういうやり方だ!”って決めつけてしまいがちな私たちに、新鮮な“風”を吹かせてくれました。

 そして後日、その仲間は、自分の先輩にHORIMARUセミナーのことを自分の言葉で紹介して、先輩も当日来てくれました。

 違う仲間が以前こんなことを言ってました。「今まで、街の人混みは苦手だったけど、今はこんなに“セミナーに来てほしい仲間”にみえてくる…」って。すごい一言です。街ゆく人たちは、“仲間”なんですよ。自らの労働力を売って生活していかなければならない、“搾取”されている、でも社会を前進させる“力”をもっている“仲間”なんだと…。そう思ったら、どんどんビラを渡して、どんどん話しをしていきたくなってきます。

 また違う仲間のこんな一コマも。セミナーにいろんな人に来てほしいという思いは、人一倍持っていても、街宣でビラを渡したり、話しかけたりするのが、どうしても苦手で…という仲間。“苦手”意識は持っているけど、毎回きちんと時間通りに集まる。ある日、勇気を出して、話しかけてみたけど、あまりにも相手の反応が“薄く”、ちょっとそれが“トラウマ”になって、その後ビラを渡すことすらできにくくなってきた…。でも、他の仲間と少し“想像力”を働かせて考えてみました。“もしビラを渡した人が、セミナーに来て、学習して、仲間と話して、さらに労働学校に来て…どんどん変化したら…!”って。その直後から、その“思い”でビラを一人ひとり丁寧に渡しています。

 街宣に来た仲間は、14回で、のべ73名。たくさんの仲間が行動したことのすごさは、たんに“数”ということだけではなく、その仲間の行動一つひとつに“ドラマ”があります。仲間は行動を通じて、必ず変化する!それを実感した街宣でした。(吉)10/8/11


■@GAKUTOMO NO.077
世間はお盆休みですが、今年からお盆休みがなくなった我が園はお盆の時期も子どもが登園しています。・・・しかしいわゆる「お盆休み」の前後11日くらいからは徐々に園に来る子どもが減ってきて、14日は74人中5人という少なさになりました。

5人の中に、虫や草花が大好きな女の子が1人。セミなど、見つけては虫かごに入れて大切に眺め、弱ったり、元気に動いたり、何か変化が起きると大きな声で「せんせいー!!動いた!止まった!飛んだ!」と教えてくれます。毎朝おじいちゃんと保育園までの道々でバッタを探しなら登園しているのも影響しているのでしょう。

今日は、その子が一番に登園して来ました。人数も少ないので何をして遊ぼうかなと2人で考えて「あ!朝顔咲いてるし、朝顔を水に入れてつぶしてみる?」と提案。一気に目が輝いて早速、庭にあるおままごと用のコップに水を入れてきました。きれいに咲いているのは、かわいそうという意向を汲みつつ、枯れ始めている花を見つけてはチョンと摘んで水に入れています。3つほど花を入れ棒でトントン・・・「わあ〜〜!色変わってきたでー。グレープジュースみたいやわ」とコップを凝視しての素朴な感想。もっとトントンして濃い色水ができました。興奮して「おじいちゃんに見せる!」とビニール袋に一滴も落とさず入れて口を縛って大事に鞄に入れていました。

「子どもはすべてのものにふれ、すべてのものを手に取ろうとする。そういう落ち着きのなさに逆らってはならない。それは子どもにもきわめて必要な学習を暗示している。そういうふうにして子どもは物体の熱さ、冷たさ、固さ、柔らかさ、重さ、軽さを感じることを学び、それらの大きさ、形、そしてあらゆる感覚的な性質を判断することを学ぶのだ。つまり、見たり、触ったり、聞いたりして、とくに視覚と触覚とくらべ、指で感じる感覚を目ではかることによって、学ぶのだ。」(岩波74頁)とエミールにあります。その女の子はいま、視覚を始めとする五感をフルに働かせて学んでるなあー、ものごとを捉えるうえで必要なことを肌で体験しているんだなあーと嬉しくなりました。(麦)10/8/14


■@GAKUTOMO NO.076
5月9日に行われた、京都学習協の第14回集中セミナーは、「科学的社会主義の労働組合論」でした。このテーマで人が集まるのか?とお思いの方は、京都の情勢から取り残されています。なんと、受講者は100名を超えました。100名もの人たちが科学的社会主義の立場にたって労働組合の強めようと考えているわけです。

情勢はすすんでいきます。この高揚を受け、恒例の秋の情勢セミナーは、労働組合情勢セミナーへと大きく足を踏み出しています。

私たちもしっかり14回セミナーを復習して、募集に取り組まないと。ということで、戸木田先生の論文を読み直します。

腰抜かしました。こんなにはっきり、「労働組合が階級闘争の中心部隊になる」と書かれているとは思っていませんでした。さらっと読み過ごし、分かったつもりでいました。

以下、腰抜かすほど重要だと思ったところです。

『労働組合はさしあたり労働者の日常的利益をまもるのをその目的にしているが、労働組合じしんまだ自覚してない、もっと大きな歴史的役をはたすことができる。――なぜ労働組合はそんな大きな役割をはたすことができるのか。――労働組合は、労働者階級をひろく組織する「中心」となることができるから。――ますます増大する労働者階級の多数を団結させることができるのは、なによりもまず労働者としての共通する経済的利益をまもるための組織である労働組合以外にない。――労働組合が自覚していようといまいと、労働組合は、労働者階級解放の運動のなかで、大きな歴史的役割をになうことができる。――資本主義の経済発展の諸法則によって規定された、労働組合の法則的な発展傾向を、その理論的な裏づけとしていること。つまり、労働組合はいずれは発展をとげて、資本主義制度をうちたおす階級闘争の主力部隊になるほかない――労働組合は資本主義制度の廃止にむけて政治闘争をたたかう中心部隊になるよういっそう努力せねばならない。』

やはり、『たちあがれ 労働組合』(書)10/8/13


2010/8/12---------------------

■@GAKUTOMO NO.075
行ってきました古本市。涼しい服装、歩きやすい靴、両手が空いて背中が暑くないショルダーバッグ、眼鏡、手ぬぐい、虫よけスプレー・・・うちわは現地でもらって、古本市スタイルです。

下鴨納涼古本まつりは今年で23回目だそうです。やっぱり年3回のうちでも、この下鴨が一番充実しているように思います。店数の多さと安さ!100均、200均、2冊で500円コーナー・・・そういうところに、労働者にとって魅力的な本はたくさんあります。

商品の価値はその中に含まれた労働の量で決まりますが、古本市の本の価値は何によって決まるか・・・こんなに魅力的な本がこんな値段でいいの!?価値をわかってない!でも労働者のための本だから安い方がいい・・・値段をつけた人は労働者に広く読んでほしくてわざと安価をつけてるのか!?そうか、労働者の本だから、安くないと売れないのかも・・・なんて勝手なことを考えながら、安いコーナーをまずは見てまわります。

初めて来た時は、かたっぱしから全部見てまわっていました。がむしゃらに。そして知っている著者の本を見つけると、とにかく買っていました。乱読のススメなんていう文章も読みつつ、本は持っていなければ絶対に読めないけど、持っていればいつか読める!と可能性を広げていたように思います。

最近は、自分なりに厳選しています。そのことが、毎回ながら自分の未熟さを自覚する(もともと自覚してますが!)きっかけとなり、仲間や大先輩が見つけた本を見せてもらって、あぁ、そういう本を見つけるんだ〜と学ぶのです。そしてまた次の古本市が待ち遠しくなります。今回も春の古本市で見つけられなかった本を手に入れました。そして大先輩は私の課題図書を見つけてきてくれました。この本、あの人に必要かも・・・そういう本の選び方も面白い、古本市です。16日まで。また行きます。(蓮)2010/8/11


■@GAKUTOMO NO.074
「この時代の労働者の運動がなかったら、今ももっとひどい状況になっていたんじゃないかな。たとえば憲法を変えようという動きはずっとあるけど、今もまだ九条が守られているのだって運動があったからやし。これまでの運動の歴史の上に、今、自分たちがいると思った」…仲間の発見にハッとしました。

戦後の日本であった、民主主義をめざす労働者を中心としたたたかいの歴史を学んでの感想交流での一コマです。

過去があって、現在がある。今の現実は、労働者にとって人間にとって、決して生きやすいものではないけれど、でもこれまで生きてきた人たちが悩みながらもたたかい続けてきた上に存在しているんだ、ということ。そして現在があって、未来がある。10年後、20年後がどんな社会になっているかは、今の私たちの意思や行動が関わっているんだ、ということ。

過去も現在も未来も、すべてつながっている。事実を知って過去から学び、現在をどう生きるか。それが大事なんだ―。歴史を学ぶ大切さに触れられた気がしました。(和)10/8/11


2010/8/11---------------------


◎蛍さんからメッセージ
@GAKUTOMO No.066を読んで
労働学校で運営委員になって、本を読むことのおもしろさに気付きました。それは何度も同じ本を読むということをするようになったからです。同じ文章なのに、読むたびに感じることが変化していることに驚きます。自分の変化が本を読むことで感じられます。読めば読むほど楽しいです!これからもさらに読みこんでいきたいし、新しい本にも挑戦していきたいなぁと思っています。古本市も行ったことがないので、まず行ってみたいです。


■@GAKUTOMO NO.073
真夏の暑い日曜の昼、HORIMARUセミナーが開催されました。教室いっぱいの仲間たち、照りつける太陽と、二つの熱気で、室温は上がります。『“目に見えない”搾取とはどういうことか』というテーマの先生のお話は、“ヒートアップ”します。

 HORIMARUセミナーは、今回が4回目。労働学校で学んでいる仲間たちが、自分たちでとどめるのではなく、学んでいることを広げようと、まわりの仲間や街ゆく人たちに呼びかけて、みんなで学び語りあい考えようと積み重ねてきています。今回の参加者39名のうち13名は、はじめて学習会館に来た仲間です。

 「今、社会で起こっている問題の原因が知れた!」『「どうにもならない」とあきらめることで、ますます労働者はしいたげられていく。』「資本家が、労働者に支払う賃金を“コスト”でしか見てないことに衝撃を受けました。」「資本家はお金をそんだけ増やしてどうしたいのか。」「知らされてないことも多いのかなぁ、知られたら困ることは隠されてる?」

 やはり“知る”ことでいろいろな気持ちが芽生えたり関心が広がったりと、すべての出発点は“事実を知る”ことなんだと実感。

 「一人で考えていてもなかなか答えは出ないししんどくなってしまう。みんなで学んで話すことで、がんばろう!って思えるし、やっぱりおもしろいね」という初めて来た仲間の言葉にうんうん、とうなづくみんな。

 自分たちは競争しあう存在ではなく、“労働者”どうし仲間なんだということも実感。

 “知る”ことと、“仲間を感じる”こと、労働学校の原点だと思います。はじめての仲間がそれを「おもしろい!」と感じて元気になる。―やってよかった!と思える瞬間でした。

 今、HORIMARU(堀川丸太町)はアツい!(和)(吉)10/8/9


■@GAKUTOMO NO.072
第4回HORIMARUセミナーが終わりました。参加者39人のうち、10人以上が労働学校にも来たことのない初めての仲間でした。初めての仲間が学ぶとき、特にワクワク、ドキドキします。講義を聞いてどんな風に思うんだろう、初めて会う仲間とどんな話をするんだろう、と。

今回、司会という役割なのもあり、グループ討論のときはグループに入らずに、全体の様子を見ていました。今回は7グループに分かれてグループ討論をしました。どのグループも初めて会ったとは思えないほど話していて、参加者の顔が生き生きしていたのが印象的でした。時間が足りない、もっと話したいという声も聞かれました。

講義で今の日本社会はしんどい、人間らしく生きられないという話がありましたが、その現状を知って落ち込んだり諦めたりするのではなく、ありのままの姿をリアルにとらえ、「社会を変えることが必要」、「そのために私たちはどうすればいいのか?」ということを話し合っていました。「まずは知ることから」、「みんなで学び、力を合わせることが大事」。労働学校で学ぶ意義をそれぞれが感じていました。

今日がそれぞれの学びのスタートになったことに確信を持ち、次はプラザを、137期労働学校を、さらに新しい仲間たちに広げていきたいと思います。(蛍)10/8/9

2010/8/10---------------------

■@GAKUTOMO NO.071
バイクで走っていると出会う人たち。タクシーの運転手さん、コンビニの店員さん、ゴミ収集車でゴミを集める人、路面電車の運転手さん、工事現場のおじさん、仕事帰りで子どもを前後に乗せるお母さん・・・私も含めて、みんなに共通してることは「労働者」だっていうこと。

戸木田先生の「古典から学ぶ労働組合論」を改めて学びなおした次の日。いつものようにバイクを走らせていると目についた人たちが昨日とは違って、みんな自分と同じ「労働者仲間」に見えてきます。

しかし労働者一人ひとりがおかれている現状は、決して簡単には「仲間」なんてつながりを感じるような状況にはありません。「労働者仲間」は現在の社会では資本の支配でお互いを「競争相手」というふうに思わされています。たとえば非正規と正規で、公務員と民間労働者で、男性と女性で・・・。資本は見事に「不団結」を組織し一人ひとりをバラバラにしている・・・私の職場でも実際に感じる非正規と正規の大きな壁・・・。

でも、その壁を壁だと気づいたからには取っ払わないとあかんし、その壁をつくりだす根本の仕組みを変えるべく、まずは「労働組合」で団結しないとあかんのだと思います。

いま、労働組合が立ち上がらないと、社会はますます生きづらくなっていく。(労働者も子どもも高齢者も)権利を守ることとともに、社会を変えていくこは労働組合の重要な役割。そのための力づくりが「労働組合情勢セミナー」です。その意義をしっかり伝えて一つでも多くの労働組合から、一人でも多くの労働者に参加をつくりだしたいと思います。(麦)10/8/9


■@GAKUTOMO NO.070
昨年の4月より職場の診療所のレセプト請求業務を行うことになり、診療所でレセコンにカルテの記載データを打ち込んでいます。時々、職員が診察に来ます。そこで衝撃の会話が交わされていました。「先生、ロルフェナミンをください。夜勤のともロルフェナミン。」というのです。「あんまり飲みすぎると胃をこわすよ。」「はい…。」ロルフェナミンと言えば、ロキソニンの後発剤、いわゆる鎮痛剤です。@GAKUTOMO No.037には看護師が睡眠薬を服用して夜勤を乗り切る話がありました。こちらは鎮痛剤をともにして夜勤を乗り切る人。

看護現場の夜勤に負けず劣らず、介護現場の夜勤も凄まじい。ある部門では、認知症のお年寄り50人を介護職2人でみています。そこでは常に10人以上の転倒注意者がおり、動いたら音が鳴るようにセンサーが取り付けられています。もちろん順番に音が鳴ってくれるはずもなく、あちこちで一斉に鳴るという具合です。そこで、一瞬のうちにそのお年寄りの特徴や特性を判断し、優先順位をバババ≠ニ付け、介助に向かいます。優先順位は、日々の日誌の読み込みと、日常のケアでの経験からです。

お年寄りの転倒は、「そこで一生が決まることになる」という危険があります。とてつもない緊張と重圧の連続が介護現場での夜勤なのです。

介護職の賃金は安いというのは大きな社会問題となっていますが、現場としては、「賃金よりも人手がほしい」というのが実感のようです。働き続けられないというのは、決して賃金だけの問題ではありません。(書)10/8/6


2010/8/9---------------------

■@GAKUTOMO NO.069
8月、平和について深く考える季節です。先日、労働組合で平和のつどいがありました。

フリージャーナリストの西谷さんの話で、戦争のロボット化について聞きました。無人機で爆撃、戦地へ行かず、パソコン画面でボタンを押すだけで人を殺せる。まるでゲームです。人間性のかけらもない。事務員さんがパソコンに向かい仕事を終えて家に帰るように、そのボタンを押す人も仕事を終えると普通の家庭へ帰っていき、戦地では民間の人がわけもわからず死ぬのです。

ベトナム戦争の映画では、枯れ葉剤の影響を受けた人々の生活を見ました。「あぁそうか・・・」と思ったのは、村に障害児がたくさん生まれてきて初めて枯れ葉剤の影響が問題になったということ。最初は遺伝かなにかだろうと言われていたそうです。日常生活の中で異常を感じたのは、爆音が聞こえた後、果物のような良い香りがし、粉がたちこめていたということだけ。何も知らないまま、身体を汚染され、三世代にまでわたって苦しんでいるのです。米軍兵士も「蚊の駆除のため」と言われていたそうです。

涙がでそうになったのは、そうして生まれてきた重い障害をもった子どもたちを育てるなかで、三度の食事をさせることが大変だと語りながら、食べられるものが増えてきたのを見て、「障害はあっても生きようという力はあります」と我が子を見つめるお父さんの姿。「誰のせいとも言えません。戦争だったのですから」と語るお母さんの姿。

本当に誰のせいでもないのか!?と怒りがわいてきました。ヒロシマ・ナガサキを知っています。それでも戦争をし、人間を内側から壊していく“効率的な”方法を探し、試し、実践しているものがあります。原爆投下の日。今、ヒロシマに結集している思いが世界を実際に動かしつつあることを思うと、胸のあたりがギュッとなります。(蓮)2010/8/6


2010/8/7---------------------

■@GAKUTOMO NO.068
これまで小、中、高、そして仕事を始めてからも、いろいろなことに対して自分の力量の水準の低さにガックリきたり、要領の悪さに「自分の限界だ」と勝手に決めつけたりしていた・・・そうなるともう、閉じてしまう私。クサクサと悩んで、そこで「もうやめる」と投げ出したり、周囲に心配をかけたり、他人のフォローの手を待っていたりと“生きるうえでの試練(自分の課題)”にたいして、とっても「受け身」でした。

活動で労働組合へと活動拠点が変わってからは、職場へ行くとさらにその「試練」は過酷なものとなっていきます。だって資本の支配がしっかり染みついている職場に挑んでいくわけですから。自分の生半可な思想、対話力ではとうてい「こんな忙しいときに学習に何て時間を割けない」と蹴散らされてしまう。またやめようか・・・でもそこであきらめたら、資本の思うつぼ。労働者の未来は切り開けない。

「有利な状況のとき、一定の「自覚」でたたかうことができても、局面が変わると“その程度の自覚”ではたちむかえなくなる変革の高い志に影がさし、自分のことしか考えられなくなり、生き方の基本が崩れはじめる。くずれた自分を弁護するため、それを容認してくれる“理論”を探しはじめる。こんなときのために支配階級は退廃文化からイデオロギーまでとりそろえて待っている」(浜林正夫編「現代の社会観」序章 中田進)

自分のことを言われている!これを脱しないと巨大な「資本」には勝てない!!急いでトイレに貼って、くじけそうになる度に読んでいます。

そして辛淑玉さんの「悪あがきのすすめ」も生き方の指針になっています。「『悪あがき』を蔑み、揶揄する「善人」たちが巷にあふれているような状況は、金・コネ・権を持つ者にとってきわめて都合のよい状況なのだ。人々が『悪あがき』をやめ、おとなしく「身分相応」の願望や欲求だけで満足するようなら金・コネ・権力を持つ者たちは、いつまでも安泰で甘い汁を吸い続けられる(略)たとえカッコ悪くても、やり方がしつこくてスマートじゃなくても「内向きの善」に執着する人たちからは醜態と見られようとも自分は悪あがきをする「悪人」になる。そう心に決めるところから「開かれた善」への一歩がはじまる」

そう、あきらめたらあかん。単純な私は、@GAKUTOMOを書きながらなんだか力が沸いてきた。明日もがんばろう。(麦)10/8/6


■@GAKUTOMO NO.067
労働学校に通い始めて2回目の8月ですが、私自身、去年と今年の夏を比べると、戦争に対する思いが変わってきています。学んでいく中で、だんだんと自分に関わっていることなんだということ、そして子どもたちの未来は今の私たち大人の意識や行動に、大きく関わっているんだということを強く感じるようになっています。やっとスタート地点、これからが本番、といったところかもしれませんが。

学んだことを次はどう実践していくのか。子ども達に、仲間たちに、まずは事実を伝え、人間として何を大切にしていくべきなのかを一緒に考えていきたいです。 (和) 10/8/6


2010/8/6---------------------

◎眼さんからメッセージ
@GAKUTOMO NO.040を読んで
保育士として働いて2年たった頃、悩んでいた時期があったことを思い出しました。2歳時クラスをもっていたのですが、この子達にとって僕が担任で本当にいいんだろうか…もっとステキな先生がいっぱいいるのに、この子達の2歳という時期は今しかないなかで僕に何が出来るのか、と。そんな時に、職場の先輩に労働学校の世界観コースというのを教えてもらいました。受けていくなかで、色々な人と話しをして一番胸にズドーンときたことは¨子どもを人間としてみること¨でした。その子が¨人間¨としてどのように成長していくのか、経験していくのか。なんだか自分の視野の狭さに驚いた記憶もあります。それを大事にしていきながらまずは自分自身が人間として成長していかなきゃと、悩みが前向きに変わっていきました。

■@GAKUTOMO NO.066
もうすぐ古本市、年に3回のお楽しみです。特に夏の下鴨は、あの木漏れ日と砂利道とホコリっぽさと掘り出し物・・・!!ワクワクします。それにしても、本だらけの私の部屋ですが、これは一体いつになったら読めるのか・・・。

古本市に行くようになったのは、数年前から。それ以前は、こんなに便利な社会で育ってきたものですから、ほしいものはどこでも頼めば取り寄せてもらえる、お金さえあれば!じゃないですが、いつでも買えると思ってました。

しかし、違ったのです。絶版というものがあるんですね。それに、自分の「ほしいもの」が何なのかわからないということもあるし、「コレ」と思い描く本は自分の限られた認識の範囲のものだと気づきました。“本と出会う”楽しさを知ったのです。今すぐは読まなくても、「いつか」読む本にも出会えます。

タイトルよりも著者名、出版社名を見るようにもなりました。そちらの方が比較的、その本の本質(読んで字のごとく!?)を示していると思います。絶対的ではないですけどね。それにしても、なかなかお目当ての本には出会えません。だからこそ、見つけた時の喜びがあるのです。魅力的な本を見つけると、一人でも思わず「あっ」と声をあげそうになります。すぐに仲間に伝えたくなります。

テレビなどの情報とは違って、「読む」という行為には積極性が必要だと言いますが、本を選ぶ段階から積極性が発揮されます。「読み手が積極的に本にはたらきかけて『浅い理解からより深い理解へ』と、読み手自身を引き上げていく」(講談社学術文庫「本を読む本」19頁)古本市自体がそういうものと言っても過言ではない!?今年も積極的にアプローチしてきたいと思います。あ〜楽しみ。(蓮)2010/8/4


2010/8/5---------------------

■@GAKUTOMO NO.065
「科学」について、どんなイメージがありますか? 冷たい・科学技術の進歩が社会や人間をダメにしている・戦争のためのもの?自分たちがこれまで抱いていたイメージは、そもそもの科学の在り方とどうも違うらしい…。11課はそんなことを考える講義でした。

「科学技術の"使い方"が重要なんや」
「科学が発展したことで人間の疎外が起こるのではなく、使う大きな目的が企業のもうけのためになってしまったことが問題。もったいないな」
「今だと、エコカーとか地デジとか。国民は消費を押しつけられてる。結局もうけが最優先で、廃棄の仕方とかは企業にとってはどうでもいいこと(後は野となれ山となれ!)」
「でもそもそも科学って人間の集団がつくって発展してきたもので、人間らしい生活をつくっていくためのものだったんだ」
「人間的であるために、科学があるのかな」

さらに。「言語が生まれたことで人間の生活はどんどん豊かになった。コミュニケーションも文学もそう。科学技術もその一つで、もともとの使われ方はきっとそこにあるんじゃないかな」

どの受講生もいい顔で議論。ワクワクします。そもそも…って物事の本質を改めて考え、しかも仲間と! 労働学校の分散会のおもしろさって何だかうまく言えませんが、特別です。 (和) 10/8/4


■@GAKUTOMO NO.064
今日は、活動という活動になっていませんでした。最近、自身の仕事が忙しいうえ、女房の仕事も忙しい、言い訳はいろいろあります。しかし、やるべきことがやれておらず、時間を浪費している感もあります。今日の活動が、先の参院選での後退と重なりました。やるべきことをやりきれたかという点でです。日本共産党の志位委員長は創立記念講演でどんな総括をしたのでしょう。明日にでも出るのでしょう。

志位委員長の総括はさておき、やるべきことをやりきれたかということは、いつでも問題となります。京都学習協では、数年前、労働学校の総合コースが4名という事態に陥りました。しかし、運営方針への確信と、青年労働者の成長への確信は揺らぐことなく、主要な問題は、はたらきかける側にあるとして、さらにカリキュラムの改革をはかり、前進をしてきました。主要な問題をはたらきかける側にあるとした方針のもと、これまでのとりくみでは前進を勝ちとってきています。

現在、とりくんでいる課題は、労働組合を強めるための労働情勢セミナーです。労働組合の発展への確信を揺らぐことなく、訴え、やるべきことをやりきることが求められています。今日の活動は、主要な問題がはたらきかける側にあるということの最たる証です。

今、志位委員長の記念講演をYou Tubeで流しています。志位さんは、国民が政治の探求をしているという確信を揺らがすことなく、主要な問題は、はたらきかける側にあったという角度で、話をしておられます。

明日は、労働組合へ正面からあたりたいと思います。『立ちあがれ!労働組合』(書)10/8/4

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◎09年から助言をしてきました。それを避けていても活動を前進させることは出来ない。1日は24時間なのだ。1時間を2時間にも3時間にもする集中した活動、姿勢での挑戦≠ェ、お父さんの活動なのだ。子どもに、つれあいに隠れてはならない。十分に自分で努力・解決出来る事柄なのだ。

そして重大なのは、この時期にこそあと30年〜40年の活動スタイル、生活スタイルがほぼ決まるのだ。(む)


2010/8/4---------------------

■@GAKUTOMO NO.063
蒸し暑い日が続くなか、マンションの一室でおこった痛ましい事件。幼い2人の命が犠牲に。この報道を見るたびに、2人の子どもをもつ父親として、胸が締め付けられます。2人きりで、どんなに苦しかったことだろうか…想像すると涙が止まりません。(光)10/8/2


■@GAKUTOMO NO.062
「搾取をまなびませんか」と。HORIMARUセミナーの街宣活動をしています。街角に立ち、「こんにちは」と、話しかけます。きっと街宣をしなければ話すことなんてなかったような人たちと話せることが楽しいです。

街宣では「“HORIMARUセミナーに来てほしい”という想いをそれぞれの形で伝えよう」と、挑戦しています。ただビラを配るだけでなく、働く中で思うことや考えることを聞いてみると、「考えないようにしている」、「時間外労働が多くてしんどい」、「しんどいけれど楽な仕事なんてないから仕方がない」など、いろんな思いを話してもらえます。そこに、「今労働者が感じているしんどさ・苦しさの根本にあるのが“搾取”なんです!」とHORIMARUセミナーの魅力を語ります。

街宣の中で仲間も変化しています。「今日は全然喋れへんかった」、「座っている人にしか話しかけられない」。対話をしてHORIMARUセミナーに来てほしいという想いを伝えようとするからこそ、出てくる悩みだと思います。いろんな人と話すことで学びがさらに深まるのだと労働学校で感じた仲間だからこそそう思えるのではないでしょうか。

HORIMARUセミナーまであと少し。最後まで新しい仲間に広げていきます! 10/8/3(蛍)


2010/8/3---------------------

■@GAKUTOMO NO.061
「知識としてだけじゃなく『日常のレベルで戦争と平和について考えること』が大事という先生の言葉が印象的だった」総合コース『君の生きてきた時代』での仲間の感想です。先生のコメント「日常のレベルで、というのは例えば『思いやり予算』で考えてみて。多額の税金がアメリカの基地のために使われているけど、それを社会保障費に使えばいい。基地があるからそんなふうに使われている。これは日常の中の戦争です!」も印象的。

「沖縄のことを身近に感じられない」という意見に、基地があることで国民の生活に使われるべき税金が『思いやり予算』として使われている、という事実を取り上げて「沖縄で起こっていることは、自分たちの生活とつながっているんです」と。135期のオープンGAKUTOMOプラザでの河根先生の参加者とのやりとりです。

日常のレベルで、自分とつなげて考えることの大切さ…。学ぶ意義を改めて考えました。(和) 10/8/2


■@GAKUTOMO NO.060
2歳児クラスを担任していたときのこと。パズルが得意な子が、他の子がパズルをしているのを見て「ちがうよちがうよ、まるでちがうよ」と言っていて、思わず笑ってしまいました。だって、2歳の子が「まるでちがうよ」なんていうからおかしくて。それと同時に感心しました。だってそれは、その頃クラスでよく読んでいた絵本のなかのセリフだったのですから。

「違う」という認識が「チガウ」という言葉と結びついて、その子自身が「違う」と認識したときに「チガウ」と発するまでには、数々の「違う」経験をしてくるなかで学んできたのだろうな〜と、まわりくどいことを瞬時に考えました。それに「まるで」なんていう言葉がある意味、機械的に入っていた(ように思う)のは、「型」にはめてつかってみたのかな〜と。

たまたまそれは違和感があって(つかいかたは間違ってないんですがね・・・)印象に残ったのですが、きっとそういう子どもの「挑戦」は毎日毎日、瞬間瞬間にあるのだろうな〜と思い、ますます愛おしく感じました。その日常の「挑戦」の積み重ねで失敗したり成功したりしながら、言葉や行動以外の目に見えないものも含めて学びとっているんだろうな〜と、日常の偉大さを改めて感じました。

目に見える変化が起こる前には、目に見えないところで変化がじわじわと起こってます。それを見逃さない「目」を鍛えないと、子どもの成長を後追いするだけになってしまう・・・社会も同じだというと、飛躍しすぎでしょうか。(蓮)2010/8/2

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◎「目に見えない」にこだわりすぎて スピリッツ! 実は見えているけど見えない。ここが問題ではないのか。子どもも、もの≠ナはなく、こと≠ノ目が。百合子の学校で何を学び取るのか、学び取らせるのか、という問題提起を忘れてはならない(む)


2010/8/2---------------------

◎九さんからメッセージ
〓〓No.52を読んで
坂本龍馬がしがらみのない中で、身近な土佐だけではなく、江戸、長崎…と渡り歩いて行くうちにいろいろな人達との出会いと、その中で感じた疑問や違和感が社会を前進させたきっかけなのかな…?今まで見えてなかった社会を、事実を知っていくうちに、”このままではイカン!”と思ったはず。自分も労働学校に来て、色々な人との出会いや関わりがあって、子どもや大人、社会の捉え方が広がっていってるのかなと感じています。それにしても、坂本龍馬とマルクスが同じ時代に生きていたなんて!!!


■@GAKUTOMO NO.059
ある仲間に労組情勢セミナーで一緒に学ぼうと話をしていると、「確かにおもしろそう」と学ぶ必要性は感じていました。日程的にも問題はないようです。でも、「決意の問題」と言って、その日は受講を決意しませんでした。

●「決意」を辞書でひいてみました。「自分のとるべき行動・態度などをはっきりさせ、その通り実行しようと心に決めること」(「新明解国語辞典」三省堂)。なんだかきいたことあるフレーズ・・・思い出した。「エミール」です。「なにものかになるためには、自分自身になるためには、そして常に一個の人間であるためには、語ることと行うことを一致させなければならない。いつもとるべき態度をはっきり決め、敢然とそれを守り、押し通さなければならない」(岩波文庫「エミール」28頁)

●「取るべき態度をはっきりと決める」ということは、単純に自分があぁしたいこうしたいという主観的なものではないのだと思います。「その通り実行する」ということには、困難もついてくるのだと思います。

●「どんなに苦しくても実行しようと、心を決めること」・・・「決心」(「新明解国語辞典」)。いろいろな困難が出てくるのが私たちの生活です。「決意」と「決心」がなかったら、どこかへ流されてしまう!?自戒の念もこめて・・・。(蓮)2010/7/30


■@GAKUTOMO NO.058
しんぶん赤旗のホームページがどんどん見やすくなっています。4月からは、「今日の潮流」も載ることになり、データでの活用もしやすくなりました。しっかり、活用しなければ…と気を引きしめました。

ということで早速。7月13日付けの潮流は、参議院選挙での共産党の宿題が書かれており、『「増税は当然と報じ新顔の党をもてはやすマスメディア相手の選挙戦みたい」。ある党員がもらした実感です。そんな中でも人々にしっかり存在感を示せる党へ、大きな宿題が課せられているようです』とありました。

検索サイトYahooの参議院選挙特集では、マニフェストマッチというのをやっていました。党名をふせ、「行財政・税制」、「経済政策」、「雇用」、「医療・年金」、「子育て・教育」、「外交・防衛」、「政治改革・憲法」の7分野で、自分の考えにあった政策を選んでいくというものです。バカにしてはいけません。何と30万人ものひとがマッチを行っています。みんなのマニフェストマッチの結果では、3分野で「みんなの党」がトップをとっています。

ある調査結果では、青年の情報源が、新聞に次いで、インターネット、テレビとなっていました。(これもインターネットの情報ですが…)

インターネットは、でたらめもありますが、しんぶん赤旗のホームページのように真実を伝えるものもたくさんあります。また、インターネットが社会参加を促進する積極性があると指摘した、「若者論」を唱える人もいます。

@GAKUTOMOも若者の琴線に触れるよう、検索結果が導きの糸≠ニなるよう内容を豊かにせねばなりません。そして、真実を見定める目=科学の目≠提供できるように…。(書)10/7/31


2010/8/1---------------------

■@GAKUTOMO NO.057
夏は、バイクに乗っていてもいろんな「夏の音」が聞こえてきてにぎやかでおもしろいです。まずはいろいろな種類のセミの声。いろいろな場所で聞こえてきます。保育園の近くでは柳の木々から「クマゼミ」のジィージィーという鳴き声、ときどきミンミンミンミーンと人の気配を感じて鳴くのをやめる「ミンミンゼミ」。左京区の路地では夕方に、カナカナカナ・・・と「ヒグラシ」の鳴き声。次は、雲がもくもくと出てくると稲光とともにあっという間に「雷の音」が近づいてきます。遠くでゴロゴロ・・・と鳴り始めたと思ったら、すぐにバリバリ!!という激しく鼓膜を突き破りそうな音に変わっていきます。

「雨の音」もヘルメットに当たる加減で違います。パタパタ・・・ならまだカッパを着なくても大丈夫。ビタビタ・・・となってくるともうカッパを着ないとずぶ濡れになります。

そういえば少し前まで耳にイヤホンをつけて好きな音楽を聴きながら走っていた私。「どうせ車のエンジン音しか聞こえない」と決めてかかってましたが、こんなにおもしろいとは。

保育士(子どもを教育する仕事に携わる者)が自然の音に耳をすまさずして、どうして子どもの育つ環境を守っていけるのか、子どもたちの小さな発見(成長の芽)に気づく教育者になれるか・・・そんなことを考えるようになって耳からイヤホンが外れました。

「夏の音」を聞きながらバイクに乗って通勤しています。子どもたちにも「今日はセミがいっぱいいるな〜」「かみなりさん近づいてきたな〜」と朝のあいさつとともに話が弾みます。(麦)10/7/31


■@GAKUTOMO NO.056
仕事が変わってもうすぐ7年です。何が変化したかと考えてみると、当然、仕事の内容など、たくさんありますが、大きな位置を占めるのが、“ラジオを聴く”生活になったことです。

ラジオは、作業をしていても、車を運転していても、いつでも聴くことができます。“天気”のことは、何度も耳にするので、いつのまにかよく知っていたり…ただ、仕事が休みの次の日の天気はわかってないということも…。

ラジオを聴く時、耳から情報がはいってきて、いろんな想像を働かせて、考えています。本を読む時も、目から情報がはいってきて、いろんな想像働かせて、考えています。テレビは、目から映像や字など多種にわたる情報がはいってきて、耳からも同時にはいってくる。そんなに想像力を使わず、受け身のままということなのでしょうか。「テレビは何も考えなくなる」って言ってた人に、「そんなことない!ちゃんと考えてます!」って、反論していた、テレビっ子の自分を思い出します。

ラジオ、本、新聞、テレビ、インターネット…いろいろ他にも情報を得る機会があります。それぞれに長所、短所があるんでしょう。受け取る私たちの“アンテナ”を鍛えないと、“流される”ことになるのかもしれません。

…“脱線”しますが…先日、ラジオの投書で、あるお父さんがカレーライスを食べる時に、「カレールーを少なめにして、ご飯を多くして…」と言ったと、「なぜ?」とたずねると、「最近カレイシュウ(加齢臭)が気になるので…」(字をみればはっきりわかっても、耳だけでは勘違いしてしまうことも…)。

という話を一緒に聞いていた自分の父が、「わかる、わかる」って。そして、「熱中症って、何かに“熱中”しすぎて、日常生活が乱れる(例:ネトゲ廃人みたいに…)ことだと思っていた」と。


同じ漢字で同じ読みでも、意味が違うことも…。自分の“アンテナ”を、日々いろんな意味で鍛えないと…。(吉)10/7/30