2010/9/30


■@GAKUTOMO NO.128
川島みどりさんの言う「看護の危機」。すごい衝撃だったという私の率直な思いを看護師さんに話しました。機械化で看護師さんが患者さんを見ないでデータばっかり見る、何か対処する度に「お名前は?」「お名前は?「お名前は?」・・・と話してると、一人の女性が笑いながらうなずいていました。笑っちゃうくらい、共感できるようです。

彼女は、熱を出した妹さんの話もしてくれました。家庭での看護の後、入院することになって、まず妹さんが要望したことは「頭を洗いたい」ということだったそうです。それを看護師さんから聞いて、「あぁそうか。妹にとって、発熱も苦痛なんだろうけど、洗髪をしていないことも苦痛なんだ」と思ったと言っていました。発熱の変動ばかり目がいって、この当たり前のことに気がつけなかったと。看護師仲間は「職業柄、そうなるんかな〜」と相づちを打ってました。看護師さんは“症状”に目がいきやすいということでしょうか。

それから、「最近違和感を感じるのは、まず患者さんに名前を聞いてから○○するんやで」と後輩に教えること。そういう“方法”だけを教えたら良いんじゃないやろう!と思うという話や、発語の無かった患者さんが発語できるようになり、「アイスクリームが食べたい」と言っていて、食べさせてあげたいと思う。でも、嚥下が良くないから・・・じゃあ何ならできるか・・・って、患者さんと向き合う時間が持てない。でも、それこそ本来の看護じゃないのかなと思う・・・という話など現場の声を聞かせてくれました。

川島さんは言っています。患者さんの苦痛緩和、生活の充実などの「看護本来の役割」の医療における優位性を、実践し実証しなさいと。それを伝えると「守りの姿勢じゃだめなんやなぁ」と言ってました。

5年後、10年後の医療をどういうものにしたいか。その未来を見据えて、今、自分はどんな生活をして、どんな仕事をするのか。そういう視点を持って、看護師として、一人の人間として、生きることが求められてます。立ち上がれ!医療労働者!!(蓮)2010/9/27


2010/9/29


■@GAKUTOMO NO.127
辛淑玉さんの「悪あがき」、永ちゃん(矢沢永吉さん)の「成り上がり」…色々な人の人生観に触れ、自身の生き方と重ねてきました。大リーグの舞台で、10年連続200本安打という前人未到の偉業を成し遂げたイチロー。私のなかでも「継続こそが最大の力」という言葉が確信となり、自身の人生観もまた広がりました。

「継続こそ最大の苦手」という言葉が私の労働学校に参加するまでの生き方だったと振り返ります。いまはどうか…と問われれば、やっぱり弱点ですが。20代を学習活動で過ごしてきた…なんて生意気なことは言えず、イチローを見ていると、日々継続した活動を貫き通せない自分が恥ずかしくなります。

しかし、労働学校に参加して、自身にとっての生き方の価値が見出せたことが一番大きい。だからいま、積み重ねていくもの一つ一つにも重みを感じます。それまでの私は、生き方についても正面から勝負してこなかった。そのフィールドにも立とうとしなかったといえば正確かもしれません。

イチローは、「努力の天才」とも。二十歳で労働学校に来て、二十歳代もあとわずか3年。イチローが努力を結果に残してきた10年とは、次元が違うかもしれませんが、いま、自身の学習課題である古典や革命論研究を身に付けることの努力と同時に、学習活動にうち込むことが、3年後以降の将来を規する!(光)10/9/27

◎規(=ただしくする きまり)する≠ナはなく、期する≠ナしょうか。
期する=i「その時がきたら‥」と)堅く決意する。「必勝を期する/ひそかに期するところがあるようだ」‥‥新明解国語辞典  
 周りに流されず(流行におわれず)、原則からの距離を‥‥一つひとつ確かめながら前進することが今日必要な課題。その実力(原則をしることなど)こそ不可欠なのだ。飛躍の可能性をもっているのだから、いま努力することが30歳以降の生き方をきめるのだ。(む)


2010/9/28


■@GAKUTOMO NO.126
 釘付けになりました。興奮しました。そして感動しました。

 23日の深夜、テレビをつけるとシアトル・マリナーズのイチロー選手が前人未踏の10年連続年間200本安打を挑む姿が、生中継で映し出されていました。

 イチロー選手をカメラが追います。体が硬いといわれている彼ですが、映像の彼はそれとは正反対の姿…ベンチでも体を柔軟に動かしまるでバネのような姿です。体が硬いからこそ、そうした努力を常に積み重ねているのかもしれません。

 5回の第3打席、真ん中高めの初球とらえ、きれいなライナーでセンター前にはじき返し…思わず手をたたいて拍手をしている自分がいました。

 “鉄人”衣笠祥雄さんが、26日号のしんぶん赤旗・日曜版で、『「イチローは天才」とよくいわれます。しかし、それも日々の地道な努力、飽くことなき探求心があればこそ。今季の二つの大記録は、彼の「努力の天才」としての姿を改めて映し出しているように思います。』と言われています。

 “10年”とは、何においても簡単なことではありません。まして、一流選手が挑んでも1年だけでもすごい記録を10年連続続けるイチロー選手。

 イチロー選手の話と、私のことを重ねるのはおこがましい限りですが…この10年私は何をしてきたのかなと考えました。10年前の春に運営委員になりました。それから、“努力”は積み重ねられていたのだろうか…イチロー選手の話と重ねると、自分のは“努力”に感じられません。

 ただ、イチロー選手のように“日々の地道な努力”と、“飽くことなき探求心”を強くもって生きていきたいと、今思います。しかも、イチロー選手は同じ年の10月で、私は12月生まれですから…。(吉)10/9/24


2010/9/28


■@GAKUTOMO NO.125
職場の労働組合で第16回集中セミナー「日本労働組合運動の課題 未組織労働者の組織化と労働組合強化」への呼びかけを行っていました。すると、ぽつりと「何で未組織≠チて言うのですか?」と、ある青年から質問が飛びました。その青年は、以前先輩に組合未加入者のことを「非組」と呼んで、おもいっきり叱られたというのです。しかし、「なぜ?」ということは言わなかったようです。すばらし先輩だと思いきや、後から聞いて笑ってしまいました。だって、その先輩が、その青年のことを「アカ」と呼んでいるのを聞いたことがあるからです。そう、その青年は、「党員」であり、先輩は「未組織%}員」なのです。このちぐはぐな感じが我が職場の現状です。

「未組織」と呼ぶのか、「非組」と呼ぶのか、言葉の使い方ひとつで、その人の思想や、到達が分かるものです。ちょうど自覚的な大人が「子ども」と書くのか、「子供」と書くのかと同じことでしょう。さらに言うなら、日本共産党が、「マルクス・レーニン主義」と呼ばず、「科学的社会主義」と呼ぶのと同じです。京都学習協で言えば、「哲学」コース改め、「科学的社会主義の世界観」コースとしたのも、そこには問題意識があるからです。

言葉のひとつ一つには、深い意味や、理論的な裏付けがあり、慎重に丁寧に扱っていくことは、学びを深め、思想を鍛えるのだと思います。ちぐはぐな我が職場でも、みんなで論議し、言葉の深い意味や重みを知り、積み上げていくことで、それぞれの思想を鍛えていくことになるでしょう。

この間、労働学校の運営委員会で「奴隷」と「労働者」の違いについて話し合っているのを聞きました。「奴隷」も働いているから、「労働者」ということではありません。

未熟により、分からないままのこともあるでしょうが、問題意識としてもっておくことは大事かもしれません。私のなかの宿題は「史的唯物論」と「唯物史観」の使い分けです。使い分けをしている人がいるようです。機会があれば鰺坂先生に聞いてみようと思います。

余談ですが、今年の厳しい暑さで、気温35°以上が「猛暑日」、気温30°以上が「真夏日」と呼ぶことを知りました。(書)10/9/23

◎「非組」と「未組織」の違いはなんでしょうか。はっきりしてください。(む)


2010/9/27


■@GAKUTOMO NO.124
先日の雨で急に空気が秋らしくなりました。その日の携帯の天気予報に「季節をすすめる雨」と書いてあったのが印象的でした。「しんぶん赤旗」の天気欄には「秋雨前線」の話題(2010年9月19日)。「夏の主役だった太平洋高気圧の勢力が弱まり大陸の高気圧が強まると、夏の温かい空気と秋の冷涼な空気がぶつかり秋雨前線ができます。」

なんだか面白いです。「主役だった勢力」が弱まり、別の勢力が強まると、二つの空気がぶつかって「秋雨前線」ができる・・・そして雨が降って、「季節」が前に進む。まるで今の日本のようです。単純にあてはめすぎでしょうか!?

また7月12日の「しんぶん赤旗」天気欄には、「雨粒の大きさと形」という記事がありました。これも面白い。だって雨粒の形なんて、考えたことあります?「直径が1ミリ程度の普通の雨は、ほとんど球体・・・土砂降りの雨は直径3ミリ程度ですが、それ以上になると落下する時の空気抵抗で粒が平たくなり、お供えもちのような形」になるそうです。

一粒一粒がそれぞれに存在して、それぞれに空気の抵抗を受けながら、でも引力に引っ張られて落下してきているのです。(*゜o゜*).。o゜。.○。゜..

「世界を見るときに、できあがった物事の複合体として見てはいけない。今、進行しているさまざまなプロセス(諸過程)の複合体として、世界をとらえる必要がある」(パンフ「マルクスは生きている」15頁)と不破さんが言ってましたが、雨ひとつとっても、イキイキと見えてきます。

科学的に世界をとらえる!これですね〜。(蓮)2010/9/24


2010/9/24


■@GAKUTOMO NO.123
136期労働学校のまとめのプラザが終わりました。

当日は途中で雨が降ったもののまずまず順調。街宣からの仲間も駆けつけてくれました!
今日が終わりではなく、これから社会を変えていくためのスタートなんだ、ということもみんなで確認できました。

当日の感想の中で「プレゼン準備は難航することもあって、正直一人でする方がはかどるかなとも思っていたけど、今日やってみてお互い助け合えるところもあってみんなで取り組んで良かった」という声がありました。

同じ講義を聞いても感じたことや中身の理解度はそれぞれで、分散会で発見することや、すぐにスッキリはせずにモヤモヤを持ち帰って、何度も話すことで少しずつ見えてくることもありました。

プレゼンに向けてまとめていく中でも、何を一番伝えたいか、どう伝えるか、と話す中で一生懸命考えて形にして…。
仲間と一緒に学びを深めていくってこういうことか!と改めておもしろさを感じました。まとめる過程は大変でも、本番を通して受講生も同じ気持ちを感じてくれたことが嬉しかったです。

No.120の「いつも仲間と論議して、先生の話やレジュメを何度も見直し、また論議して…。そのプロセスが、自分の頭で考える「学習」そのもの」、なるほどなぁと思います。分かっていたつもり、でも経験を通して実感できました。もっともっとその経験を仲間と積み重ねていくこと、それが必要だと感じたプラザでした。

成長するために。社会を変えるために。(和)10/9/22


2010/9/23


■@GAKUTOMO NO.122
自らが学ぶことや学んだことを仲間に広げることの面白さ、職場や社会は変えられるんやっていうことやそれをするのはウチらなんや!だからこそ、学んだことを広げたい!という話をしていると、ポソリと「自分の幸せも考えた方がいいよ」と言われました。「いやいや、それが“自分の幸せ”なんです!」と思わず言い返していました。

自分でも、「あれ、ウチはそんな風に思ってたのか」と思いつつ、でも心からそう思って言ってました。でも相手の人には、なんだか現実的でないような、そんな風に受け止められた感じでした。いろいろ例え話も出してみましたが、ん〜・・・うまく伝えられない。

どうも、「きれい事」というように見えるようです。私の話が、客観的な事実で具体的に言えてないからでしょうか。と、反省する一方で、現実から離れたところに幸せがあるかのような感覚があるのかなぁと、疎外感を感じました。人生疎外とでも言うような・・・。

「幸福とは、不幸とのたたかいの中にあるものとして捉えることが大事なのではないか」「絶えず現実に甘んじることなく進んでいく、その過程の中にこそ、生きた幸福がある」「それは、現在進行形のものなのだ」(高田求「新人生論ノート」22頁)

そのことがずっと頭の中に浮かんでましたが、それをその人に説得できるだけの話として話せないなぁと思って、力不足に悶々としました。自分自身は自らの体験や、仲間(先輩達も含め)の生き様を見て、心からそう思っているつもりなのですが、人に伝えるとなると机上の空論のようになってしまう・・・。実践不足ですかねー。ぼやきになってしまいました。(蓮)2010/9/20


2010/9/21

■これ昆虫の巣なのです。
学習会館の外の蛇口の横にいるんです。

■@GAKUTOMO NO.121
京都市内の保育園のなかでも、とくに街中にあるのが私の勤める保育園です。保育園も小さく、もちろん園庭も満足のいく広さはありません。だから保育内容でもお散歩は大きな位置を占めています。しかし駆け回る山もないので、行き先はブランコのある近場の公園や、広場のある遠い公園など“公園”が主です。

“公園”の役割が保育園児だけでなく、社会で生きる子どもにもおとなにも重要な部分であるな〜と思う新聞記事がありました。しんぶん赤旗の「女性の目 アラ・カルト」です。

フランスの村で広場に完 成した公園のこと。「2年前の村会議員選挙で選出された議員には、幼稚園児や小学生の子を持つ親が多数見受けられました。そんな彼らが最初に手がけたのが『公園の設置』でした。(略)人口300人弱のこの村も、放っておけば過疎化の波に呑まれてしまいます。農地を整地して新築の家屋を建設することなどの対策はどこでも行われていますが住む場所だけでなく心地よく暮らしていく場を提供する、そんな村会議員の方針に心から賛成しています。」と記者は書いています。

また、小さい子どもたちが保育時間外に集まる場所、入園前の子を持つ親たちが交流する場所としても「公園のような場所があれば」という思いもあったそうです。

私の保育園のまわりの“公園”はどうでしょう。たしかに数はありますが、整備されているとは言い難い・・・。ネコのフン、ガラス、ゴミ、雑草、塗装のはげたブランコなどなど。どれくらいの頻度で市の整備が行われているのか・・・。安全面でも衛生面でも「子どもや大人が心地よく暮らしていく場」としての“公園”にはなっていないなあと思います。「目的が人間」になる街づくり、子どもも大人も憩いの場として利用できる公園づくり。記事の写真で笑顔を見せる子どもと、保育園で遊ぶ子どもの笑顔は同じ。どちらも大事な未来です。(麦)10/9/17


2010/9/18


■@GAKUTOMO NO.120
初めて総合コースを受講したときのこと。サルからヒトになる話を聞いて、それまでにもなんとなく知っていた中味だけど、「労働が人間をつくった」という見方が、すごく新しいことを知ったようで面白かったことを覚えています。納得納得!・・・でも、ひとつだけ納得できないところがありました。

確か、その講義のレジュメの後半部分に「国家は抑圧の機関である。」という文章が書かれていたのです。当時の私の認識では、「国家」といえば、警察とか消防とか福祉とか税金の管理とか、そういうことをする公的な機関であって、「抑圧の機関」だと言われると、納得がいきませんでした。

ところがその後一年ほど学び続ける中で、いつの間にか「国家は抑圧の機関である。」ということに納得している自分に気がつきました。階級社会がどのように生まれてきたのか(同時に「国家」も生まれた!)、今も階級社会であって、階級が無い社会もあったんだ、ということを学んだことが大きかったのだと思いますが、ホントに“いつの間にか”納得していたのです。そのことにふと気付いたとき、学習の面白さを感じたものです。あぁ、人間って大人になっても成長するんだなぁと d(*^ー^*)

今、136期に学んだ仲間たちが「オープンGAKUTOMOプラザ」(9月19日(日))に向けて論議をすすめていますが、その姿を見て思い出したのです。いつも仲間と論議して、先生の話やレジュメを何度も見直し、また論議して、ワーワー言いながらやってた。そのプロセスが、自分の頭で考える「学習」そのものであったなぁと。

人は必ず成長する。そういう力を持っています。(蓮)2010/9/17


2010/9/17


■@GAKUTOMO NO.119
「第16回集中セミナー」の募集が始まっています。さまざまな講座をすすめるべく労働組合へ話しに行くたびに「非正規の人が増えてるし労働組合って言ってもなかなか入ってもらえないんだよね」と組合役員さんは嘆いています。どこの職場でも「非正規雇用労働者=組合には入らない」という意識が支配しているようです。かなり強い力で支配しています。

しかし今度の「第16回集中セミナー」はそういう声に答える形になるでしょう。「JMIU」では未組織労働者の組織化で労働組合の力が強まっていると委員長の生熊さんは言われます。「非正規労働者をはじめ、いま未組織労働者の組織化について、ここ10年なかった大きなチャンスを迎えているとき、あらためて労働組合の組織化をどういう方向で追求するかについて、積極的な議論をおこない、今後の組織化のとりくみに生かしていくことが必要」と。(季刊 労働総研 クォータリー No.79・77)いま、各職場で悩まれてい る状況を“労働組合を強める(組織化する)チャンス”と見る生熊さん。

もちろん理論的確信、実践的展望を持っておられます。新自由主義の経済政策のもとでつくられてきた低賃金で不安定雇用、非正規労働者の増大、長時間過密労働、孤立、人間的つながりの分断など労働者が置かれている状況は一会社、企業の社長がつくったものでない。まさに国をあげての資本による攻撃であり、それに対抗するわれわれ(労働者)の力は「数の力」しかない。それは雇用形態を超えて「労働者階級」として団結してこそ初めて発揮される……と解明。

しかしどうやって!? 賃金も契約期間も契約内容も違う非正規労働者と正規労働者にはどんな「共通した要求」があるの?! 労働組合に未組織労働者を組織するうえで「仲間をつくれる人」の存在が決定的に重要?! 産別で団結することの大事さなどなど生熊論文を読むたびに“ピンチはチャンス”に思えてきます。

その生熊さんの実践を生で聞き、職場の実態とともに質問もできる!自分の担当する職場やありとあらゆるネットワークを使って広げたいと思います。(麦)10/9/15


2010/9/16


◎蛍さんからメッセージ
@GAKUTOMO No.105を読んで
私は「学ぶこと 思うこと」(加藤周一著 岩波ブックレット)を読んで、この論語を知りました。最近「学ぶこと」と「思うこと」が対になっていることを少しずつ実感できるようになってきました。主体的な思いを持って、客観的な事実を学ぶことを大切にしていきたいと思います。


■@GAKUTOMO NO.118
仕事の休憩時間に、昼食を食べにいつものカレー屋さん(?)へ行きました。客は先に入っていたおじいさんと私の2人だけ。お店のおっちゃんはそのおじいさんと話していました。

「85年になるわ」と話始めて、聞こえてくる話によると、どうやらこのおじいさんは近所のお米やさんのようです。「今は、買い物はみんなスー
パー。ウチみたいな米屋は、みんな『何売ってはるんやろう・・・』ってのぞいていくんや」「反対運動もしたけど・・・」と、話は街の移り変わりに展開していきました。

お米屋さんのある通りは、ひとつの商店街だったそうですが、今はもう全然店がない“シャッター通り”になってしまっています。近くに大型スーパーができる時、「活性化してエエ! 」という人もいたそうです。それから、ここら辺は昔は映画の街だったということ、女優さんや監督がたくさん住んでいて店のお得意さんだったということ、店はおじいさんのお父さんが田舎から一族そろって出てきて開いた店だということ、戦争に行っている間に子どもが生まれたということ・・・そして、「その頃を思ったら大激変や」とゆったりと話されていました。

なんだか、ドキュメンタリー番組を見ている気分でした。10年近くいて、ある意味「住み慣れた町」であるその場所が、そんな歴史を持っているなんて、考えたこともありませんでした。その土地に住む人にしたら、「そんなの知ってるよ」という話なのかもしれませんが。

今あるこの「街並み」は、人が作っている、歴史が作っているんだと実感した休憩時間でした。(蓮)2010/9/15

◎85年……一生というスパンで考えれば、焦らずじっくりと生きる土台を作る時期……。20歳代から30歳代に自分のスタイルがだいたい決まってきます。労働学校に参加する世代です。気を抜くわけにいきません。私たちには毎日のことですが、受講生は初めての体験で、その人生に大きな影響を与えるわけですから。(む)


2010/9/15


■@GAKUTOMO NO.117
沓脱タケ子の生涯を描いた小説「タケ子」は、私たち若い活動家が学ぶべき生き様や活動姿勢が大きなものから些細なものまで随所に込められています。

「タケ子U」には、選挙に立候補することを決めたタケ子が、川上貫一にまず何をするのかと相談する場面があります。川上はまず、演説の原稿をつくるように言います。タケ子は「え?何もかも放って置いて、まず、演説の、原稿を作るんですか?」とたずね、川上はぴしゃりと、しかりつけ言います。「候補者で一番大事なのは、演説や。もっとも大事なことにきちんと向き合う、それが責任を果たすということだ。僕は、もう、一万回以上演説をやってきたが、いつもきちんと原稿を作る。駆け出しの若いモンが、原稿もナシにベラベラしゃべるのは、横着というもんやないか」と。

そして、「メモを作るより、原稿のほうが、何倍も骨が折れるんではないかな。では、なんで、そんな骨の折れることをするのか。僕は一つの演説原稿にざっと一ヶ月かかったことがある。話しズレ≠オた人は、なかなか原稿を作らないで、出たとこ勝負をやる。ぶっつけ本番だな。文章のように跡に残らないのを幸いに、その場限りでごまかすんだ。自分の話に責任をもつということを貫くと、ぶっつけ本番は、できないモノだよ。…」と。

昨日、組合の定期大会に参加しました。原稿を持たない人がほとんどで、少し気になりました。きっと彼らのまわりには、川上貫一のような先輩がいないのでしょう。若者の成長に責任を持てる先輩になりたと思いました。(書)10/09/13


■@GAKUTOMO NO.116
職場からの帰り道、夜の9時を回っている街中がなんだか煙で覆われています。たき火にしては時間が遅すぎるし、なんだろうと思いながらバイクを走らせていると工事現場のプレハブからメラメラと火が噴き出しています。「火事だ」と思ってバイクを止めました。同じようにバイクを止めた横のおじさんが「火事や!」とすぐに携帯電話で119番。しばらくすると道の向こうから消防車がやってきました。消火を見届けないまま、その場を離れましたが、突然の出来事にしばらくはドキドキした心臓が落ち着きませんでした。

いざというとき消防車や救急車がすぐに駆けつけてくれるということは市民が安心して暮らすために欠かせないと身をもって感じました。

その夜、家に帰って新聞の切り抜きから「検証 公務員削減 消防士」の連載記事を引っ張り出し読んでみると京都市の実態が、私が思ったのと正反対だということが書かれていました。「消防ポンプ車は『整備指針』で本来5人で乗ることになっています。しかし、京都市の消防職員は『4人で乗っている』と話します」(しんぶん赤旗7月6日付)と!(えーーー!!)

さらに他府県でも「15分近く、他の出張所から応援を待っているしかない。人員体制が整っていれば『助けられたのでは』と思ったこともありました」と消防署の職員が話されています。全国的に消防署は人員不足。なんと・・・怖ろしい。国から下りてくる予算は「整備指針」で必要とされる職員数分より少ないそうです。(もとは国が定めた指針なのに)「整備指針」に見合った人数を配置しようと思ったら市町村の「持ち出し」が必要になると・・・。

京都市に対しても国に対しても、住民の安心・安全のための予算よりも優先させるものとは何なのか!住民・国民の暮らしを危機にさらして誰を守ろうというのか!と憤りを感じます。事故でまっさきに命を落とす可能性が高いのは高齢者や子ども、障害を持った人など社会的弱い立場におかれている人たちだろう。その人たちも含めて誰もが安心・安全で暮らせる街づくり、国づくりをしてほしいと強く思いました。公務員削減は住民の暮らしに直結するとても深刻な問題です。(麦)10/9/14


2010/9/14


■@GAKUTOMO NO.115
私は18歳まで、能動的に勉学に励むということがありませんでした。むしろ学校教育を避けていたので「教養」はありません。ましてや文学なんてもってのほか。学習が苦手という事実も、「教養ないから」とひらきなおっていたのですが。それが、労働学校で科学的社会主義を学ぶなかで変わってきました。いまは、「日本文学史序説」(加藤周一著)を先輩からすすめられ、読んでいます。まさかの&カ学がおもしろい、と。

最初の頁。日本文学の特徴がいくつかあげられていて、「具体的な文学作品のなかで、その思想を表現してきた」とあります。科学的社会主義の文献などは別として、いわゆる日本文学をそんなふうに意識して読んだことがありません。ただの読み物とだけ。

…が、以前、尹東柱の詩を@gakutomoで紹介しましたが、本当に心が洗われるといった感覚でした。それは詩を通して尹東柱の人生観が感じ取られ、自身の世界観が広がったと思います。文学を学ぶことは、自身の世界観に関わる問題だということだと思います。

でもやっぱり難解な文章で思考停止。「教養」がないのは事実で、いままでの積上げをおこたってきたことが素直にくやしいです。だって成長したいから。(光)10/9/13

◎史的唯物論≠ニいうものをどんな風に学んできたのでしょう。労働者の学習は、覚えることではない、身につけることだ。あと3年で30歳……急がなければならない。(む)


2010/9/13

■@GAKUTOMO NO.114
今日は、職場の団体交渉でした。ウチの園長は、保育運動を保護者や労働者とともに進めてきた人です。その園長も、経営者という立場で30年・・・労働組合とのやりとりも30年です。私が知ってるのはこの10年未満の間ですが、「資本の人格化」とはこういうものか!と園長の話を聞くたびに思います。

△歳児の子どもが◇人=¥□□□、職員Aの1日の休暇=¥×××、今日の給食=¥◎◎◎・・・とすべてがお金に置き換えて見えるようです。労働時間や休暇のことを話題にしている時に、「君たちはお金お金っていうけど!」なんて言われると、驚くやらおかしいやら。でも今の制度にのっとって、国や市からの補助金を申請し、受け取り、予算を執行して、職員を配置し、園を運営する・・・という作業を考えると、そうなるのもわからなくもありません。

今日の団交で、妊婦勤務緩和制度をめぐって話し合う中でも、「お金のためにやってた」と昨年度廃止された補助金のことを言ってました。加えて、「妊娠した本人も『(緩和があれば)助かる』って言ってる」と。驚きました。“妊娠した本人の母体保護のため”が第一じゃないんですね。結局、「社会的に見ても、安心して子どもを育てようという保育園で、こういう事項をダメだダメだというのも得策ではない」ということで、緩和を取ることを認めたのですが・・・。

必要だと思う、しかし「お金」にならないのでは、どうしようか・・・という発想が常にあるのだなぁと感じました。それにしても、命を育む保育の現場で妊娠した母体(母親と胎内の子どもの命!)を保護しようという制度を、「お金」のために「どうしようか・・・」と検討されるなんて、ショックでした。保育制度の改悪で、保育園の経営が懸念され始めている中での動きでした。(蓮)2010/9/10

◎短兵急(たんぺいきゅう=だしぬけに何かを言いかけたり、結論を出したりすること)な結論を「持てない」のは理念をもっている園長だからでしょう。資本主義のもとでの経営である以上カネ≠ェ入り用です。資本と対極にいるはずの労働者でも、お金を基準に生活していると思える仲間に遭遇します。労働者の自殺行為です。民主経営の理念と経営……この折り合いは、職場の力関係を基礎にした労働組合運動強化で変わります。「○○の様な発言したら職場の職員との関係が壊れる」と配慮させるだけの力関係に無いのではないか。「許される」関係にあるのでは。職場で働く労働者の○○%を組織し、その大衆性と階級性の到達点はいかばかり(いかばかり=「どれほど」の意の老人語)でしょうか。(む)


2010/9/11

■@GAKUTOMO NO.113
 明日は、9月11日。今から9年前(2001年)、アメリカ同時多発テロ事件が起きた日として、世界中の人に記憶されている日です。3,000人を超える死者と行方不明者、6,000人を超える負傷者をだした大事件、全世界に衝撃が走りました。その後の、アフガンやイラクでの戦争、そして今でも泥沼化するその“戦争”を思うと、人間が引き起こすこれほど無惨なものはない…など、心が本当に苦しくなります。

 2001年当時、私は一運営委員として、第110期の労働学校を準備する期間だったと思います。ちょうど、仕事柄、税務調査があって、“仕事、仕事…”におわれ、まともに運営活動ができてたかどうか…その頃に、その大事件が起こっていたと今あらためて知りました。

 私にとって9月11日は違う出来事としても覚えています。それは、2005年9月11日です。当時、“郵政選挙”といわれた衆議院議員選挙の投票日。その日、棄権防止活動をし、選挙の“お疲れさま会”のために、大好きなフライドチキンを買いにいった思い出があります。でも私は一口も食べられなかったので、よく覚えています。

 ちょうどその前年の暮れあたりから、身体の不調が続いていました。どんどん体重が落ち、ついには1〜2年で20sも痩せてしまったのですが、その原因がわからぬまま、9月になっていました。そして、ついに一番やりたくなかった大腸の内視鏡の検査が9月12日だったのです。9月11日は、検査前日で絶食時間にはいっていたということです。

 そしてその検査をうけ、やっと自分がクローン病であることが判りました。それからは、食生活の改善や、薬などの調整で、緩解状態にもどすことができ、今では体重もすっかりもとにもどっています。

 今、こうして運営活動に携わることができているのも、まわりの仲間、先輩、後輩たちに本当に支えられてきていると実感しています。そして、鰺坂真先生が、『哲学のすすめ』(学習の友社)で、“なぜ、哲学を学ぶのか”というところで、「まず第一に、私たちがものごとに迷ったとき、なんらかの危機に直面したとき、つまりいざというときに哲学は必要なのだといえましょう。」(p10)と言われていることが、(その時は身体も心も全力でぶつかっていたと思うので無我夢中ではありましたが、)後から思えばですが、その言葉の意味が実感としてよくわかります。その通り実践できていたかはわかりませんが、病気とわかった時、非科学的なものにすがるということや、いろいろなものから“逃げる”ということをしなかったり…そうしたことが積み上げられてきている、現在もその模索、途上なんだと…今だからこそ、そう思えます。

 私にとって“9月11日”は、いろいろ考えさせられます。今年、新たに思ったのは、その2001年から2005年の間よりも、この5年間のほうが長い時間過ぎているということに驚いています…この5年間で、いったい私はどんな成長をしたのか、“身の引き締まる”思いです。(吉)10/9/10

◎だいたいは、共有して過ごしてきた者として発言すれば、大きな揺れはなく、危機的な状況でも一つひとつおさえてすすむ≠ニいう、着実なあゆみ方だったと、外から見ての話しですが思います。そういう点では成長したな。と思います。学習という点では、まだまとまり=構造化≠ヘ出来ていませんね。これも、早々に始まってくるとは思います。10年という年月が人間をどの様に変化させ成長させるのか、無駄な時間はないのでしょう。わたしも52歳からの10年を共にすごしました。面白い10年でしたね。(む)

2010/9/10

大谷大学の正門北側には、「知進守退」と刻まれた石碑、時代を超えて「進むを知りて退くを守る」と、いうことらしい。


■@GAKUTOMO NO.112
今、保育園の廊下に昔の卒園児が描いた絵がいくつか飾られています。なんかいいなぁ〜と思って、園長に「いいですね」と言うと、嬉しそうにその子のことを話してくれました。「その子」と言っても、聞くところによると私と同い年でした。ますます親近感がわきました。「その子」は、ダウン症だそうです。

この間、「しんぶん赤旗」の「希望」欄もお気に入りで見ていました。その欄に初めて注目したときのことも覚えています。「希望」の題字を書いている金澤翔子さんという、こちらもダウン症の女性のことが書かれていました(2010年5月)。

ニコニコと母娘二人で写る写真。その記事には、翔子さんが生まれたときのお母さんの想いが紹介されており、その時の苦悩、衝撃が感じられ、胸が苦しくなりました。「私が翔子の命を絶ってあげなければ・・・」と思ったそうです。実際にミルクを薄めて与えたこともあったそうです。仮死状態で生まれた翔子さんへの輸血を決意したお父さんを恨んだそうです。

しかしお母さんは、揺れながらもゆっくりと我が子を受け入れ、乗り越えていきます。そして、「もし、翔子が健常者として生まれていたら、私は鼻持ちならない人間になっていたでしょう。・・・翔子に心から感謝しています」「翔子の元気な姿に希望の光を感じてもらえるなら、どこにでも行きたい。2人の使命です」と語っています。

卒園児の彼女は自身の画集でこう語っています。「私は、いつでも夢をもって油絵やピアノ、そして、お仕事もがんばっていきたいです」。いつでも伸びよう、成長しようとする力・・・教育者の“目”が問われる!負けてられない!!と激励されます。(蓮)2010/9/8

◎全力で生きる。自分の可能性への挑戦。それを人間として生きる日常に転化できるだろうか。私でいえばもがき°黷オんだ時間とともにやってくるだろう(?)結果ではないか。挫折は人間らしい生き方をあきらめることにつながる。突きつけられる究極の生き様。……周りの人間に、警戒することなく甘えられる自分の存在。周りから甘えられる存在。……人間の生き様を「現れるままの姿」で。(む)


2010/9/9--------------

■@GAKUTOMO NO.111
9月19日(日)のオープンGAKUTOMOプラザは、学んで話し合ってきたことを受講生自身がプレゼンして、それについて集まったみんなで考えてみよう、という136期の総まとめです。

総合コースは4つの班があるので、大きく4つのテーマを立てて発表を予定しています。テーマはそれぞれですが、講義内容をもとに考え始めると深まって広がって、改めて18講義を全体として考えることの大切さと難しさに直面しています。受講生と運営委員全員のまさに挑戦です…。

プレゼンテーマ
★総合コースで学んだ仲間 4つのテーマ
 搾取とはどういうことか
 労働者(階級)の力の源泉
 個性が輝くとは
 社会が変わるとはどういうことか
  ……以上のテーマで私達が働き・生活する現代日本を考えます。


また話していて強く感じるのは、私たちの「こう生きたい」「こんな働き方がしたい」という思いは、決して特別すごいことを望んでいるのではなくて、人間として当たり前の思いなんだ、ということ。「自身の収入のみで生活している若年者は44%にとどまっている」(厚生労働省「若年者雇用実態調査」)という今の在り方がやっぱりおかしいんだ、ということ。

それなら人間として労働者として、要求をすることは自然なことだし、社会が変わっていくということも、自分たちの生活に引き寄せてリアルに考えるようなってきた気がします。考えれば考えるほど「じゃあ自分たちが動かないと、良い方には変わらないな」という意見でみんながうんうん、とうなずく力強さが増していきます。(和) 10/9/8

◎学んだ事を、普通の青年にプレゼンすることが出来るということは、学んだ事を生きた姿で深めるということになります。これにまともに関わった労働者は、労働者階級としての自覚を獲得するでしょう。だから「要求することは自然」と。(む)


■@GAKUTOMO NO.110
 “39.7℃”…これは気温じゃなく、日曜日の私の体温です。

 熱が出ると高熱になるんですが、39度超というのはなかなかないので、自分でも驚きました。土曜日から体の具合が何かおかしい…膝の関節や腰が痛かったし、食欲もあまりなく…前兆はありました。日曜日、朝、体がしんどくて起きあがれず、でも約束の時間があるからと、体をおこし、体温を測ろうとしても、デジタルの体温計が止まらない…約束の時間もあるし、動いている表示を見ると“38.8℃”…そのまま出かけました。でも、あまりにしんどいので、すぐに救急病院にいくと、そのありさまです。

 日曜日の昼の救急病院の人の多さには驚きました。実際、私が入って診察までに40〜50分はかかっていましたし、それから少し検査をするなど、帰れるまでで2時間半はかかりました。病院の待合いで、自分で熱が上がってきているのを感じ、頓服を飲み、効いて少し楽になっていくのを感じる体験なんて初めてかも…そんな体験はしたくないですが…。

 深夜や休日の救急のお医者さんは、若い人が多いと聞きますが、実際“若い”と感じるお医者さんが、一生懸命診てくれていました。救急医療という一分一秒を争い、判断ミスも許されない緊張感…すごい現場だとあらためて思います。私の腹部エコーをして、ゼリー状のものを右手で拭き取ってくれるお医者さんは、同時に左手には医療用携帯電話をもって、違うことでやりとりする…。この人手不足は、なんとかならないのかと、考えさせられもしました。私も忙しくさせる原因になってはいましたが…。怖いことです。

 結局、1日半寝込むことになりましたが、家にいる間に“よし、この間に本でも読めるかな”なんて初めは思いましたが、寝込んでしまって何もできないというのが現実でした…。

 活動仲間にもいろいろ助けられ、迷惑をかけてしまうありさまで…自分が体調を崩すことは、自分だけの問題ではないのは当然で…いろいろとすみませんでした、そしてありがとうございます。

 きちんと日頃から、体調管理と体力作りをすることは、何をするにしても、それは仕事の上での信用であっても、活動をする上でも、基本中の基本になることだと改めて痛感しました。

 でも、あのお医者さんたちのような働き方では、その“体調管理と体力作り”をする時間すら奪われた働き方におちいってしまうことになっているのではないか…“次の日、まともに働ける身体”に回復することない働き方が広がっている現実…あまりにも非人間的だと思います。

 真夏に風邪をひくなんて、なんかおかしい…。9月なのに、こんなに暑いっ…台風が北陸地方に直接上陸したケースは統計開始以来初めて…なんかおかしい。季節の変わり目は体調を崩しやすいといいますが、その走りになってしまいました…。(吉)10/9/8


2010/9/8--------------

■@GAKUTOMO NO.109
先日、非正規で働く青年に労働学校の受講をすすめに行きました。以前から何度も労働学校の受講をすすめてきました。「お金がない」「興味がない」と、断り続けられていました。今回は様子が違っていました。

お母さんと、お兄さん3人暮らしで、お母さんが定年退職、お兄さんが職場を辞めてしまい、一気に生活が苦しくなり、将来に不安を感じはじめたようです。

「非正規のままでは、将来不安だけど、他に仕事はないし、ここはまだマシだし、3年契約だけど、居たかったら居てもいいと言ってくれているし、どうしようか?」

いまの雇用情勢は悪い。無責任な具体的なことはもちろん言えません。

「いま、大学卒の就職率は60%。若者の2人に1人は非正規労働者という状況は、つくられたもの。君は、あやつられている。社会のしくみを知って、どう生きるかを考える必要がある。」ということを熱っぽく話しました。

「完全にあやつられていると思います。私の友だちも学校を卒業してから未だに就活してるし、非正規やし…。私のまわりにはそんな子がいっぱいいます。前よりも興味が出てきました。」と。

137期労働学校は、10月23日から。今回必ず来てもらうよう話し込んでいきたいと思います、青年は、いまの状況はつくられたもの≠ナあることを知る必要があります。そこからあきらめと絶望から脱出するエネルギーも生まれてくるのではないでしょうか。(書)10/9/6

◎「あきらめる」─望んでいることが実現出来ないと認めて、それ以上考える(する)ことをやめる。「絶望」─希望をまったく失う(が全く無くなる)こと。……新明解国語辞典 (む)


2010/9/7--------------

■@GAKUTOMO NO.108
ホント、「しんぶん赤旗」がアツいんです。読まなければただの紙ですが、読めば本にも匹敵するくらいの存在。ハッとした記事は線を引いて、いつでもまた読めるように切り抜き保存しています。

その中に、「届かぬ叫び」という連載記事(9月1日〜3日)があります。2歳と3歳の子どもが、街中のマンションの一室から、どんな思いで泣き叫んだのか。母親はどんな思いで部屋を後にしたのか。なぜ誰も気がつかなかったのか・・・。

「こういうことがあってもおかしくない」「自分が同じ境遇やったら、同じことになるかも」・・・同じ子育てをしている多くの若い親が「人ごとではない」と受け止めています。そう思うと、事件の母親は決して孤独ではなかったのです。でも、「孤独」であったがために起こった事件でした。

私の最近のお気に入り、「日曜版」に連載されている「ゴリラ先生の教室だより」(2010年9月5日)にありました。「一般に成長途上にある子どもたちは、何かを教えられ、指導される対象として私たちの前に存在しているとされ」る。だから教師に求められる第一は「指導力」・・・それに「違和感」があると。「子どもを変える」ではなく、「変えるべきは、自分の子どもへの眼差し」だと言っています。ドキッとします。

「叫び」は、子どもの叫びでもあり、それ以上に母親の叫びでもあったのです。

「子どもへの指導力」が第一とされる教育、それが一般的な社会の中で、追いやられ「孤独化」している人々の「叫び」なのだと思います。子育ては「調教」ではないのです。(蓮)2010/9/6


■@GAKUTOMO NO.107
136期労働学校は今、GAKUTOMOオープンプラザにむけて準備の真っ最中

「自分たちの組合や職場の環境にしても、やっぱりそこの人々の意思や意欲が同じ方向を向いたときにそっちに向かって変わる。日本にしても、国民の意識の変化をみてみたら悪くなってるばかりじゃないんや、って思えた」講義を振り返る中での受講生の発言。

「世界ではこんな変化が、では日本は、というように、世界を大きく見るその観点で改めて日本を見てみることは大切です」という先生の言葉が改めて納得できます。

社会が変わるのに不可欠な国民や労働者の意思・意欲の変化、形になって見える変化ではないけれどそこをちゃんと客観的にとらえるためには、やはり世界とその中の日本と、まるごと′ゥることが大切なんだ、と。

『マルクスは生きている』の不破哲三さんの講演録にも「生きた価値ある生き方をする…マルクスを読んで(学んで)世界の全体をつかむ、時代の流れをとらえるということは、そのことにかかわってくる」(P7)世界の流れをつかむことは自分の生き方に関わっているのです。(和) 10/9/6


2010/9/6--------------

■@GAKUTOMO NO.106
もうすぐ東山の「母親大会」」が開催されます。実行委員のひとりの女性に「もうすぐですね」と話すと、うれしそうに「そうやで。地域で活動してる人に実際に話してもらう取り組みは初めてのことやしどうなるんやろう」と期待と緊張の様子を教えてくれました。

東山の「母親大会」は、従来の講師を招く形でなく、地域で子育てやさまざまな運動をされている人にパネラーとして話してもらう形式に変わってきたそうです。「なんで形式を変えてきたのですか?」と疑問をぶつけてみると「だって、地域を掘り起こそうと思ったら講師を呼ぶより、地域で子どもたちを守るためにどんな取り組みが行われてるかを知らせる方が、そこで住む人たちにとっては良いと思ったから」とあっさり。

「地域を掘り起こす」というところが印象的で、ほんまに東山でひとりぼっちで子育てに悩んでるお母さんがいないか、いたら何とかつながりたいという思いが伝わってきました。活動家の大先輩が、たたかいの場は違えども、実践されている話にすごいなと思いました。

私は保育士という立場で母親のおかれている状況をどう変えていけるのか。保育園に入りたくても入れない、保育料を滞納している、低賃金で朝から夜まで働き通しでお迎えに来ても子どもに笑顔で向き合えない・・・子育てに悩むお母さんを目の前になんとかお母さんたち自身が立ち上がる運動を、保育士として労働者として、一緒にできることを求めていきたいと思います。(麦)10/9/4

◎子育てという窓からだけではなく、社会生活全般に関わる問題意識がなければ、そこから見える問題も狭く、実利的な解決の方向で終わってしまう。時折論議することがある「東山の母親大会」の課題は深い……。保育とは福祉! 保育とは人育て! とは卓見であると思います。「しんぶん赤旗」2010年9月4日 土曜ワイド くらし・家庭@唐熟読しましょう。また、今日からはじまるドラマの紹介が 9月6日付け「しんぶん赤旗」に掲載されています。何故赤旗≠ノ また、働く女性の問題で連載もされている、。子どもと女性・母親をめぐる問題をどう見るか、「しんぶん 赤旗」は 熱い。(む)


2010/9/4--------------

■@GAKUTOMO NO.105
「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あやう)し。」

人から学んだり、書物を読んで学んでも、その学んだことをさらに考えて深めなければ、本当に学んだとはいえない。また、頭のなかで思うだけで、実際に人から学んだり、古人の考えを本で学ぶようなことをしなければ、まったく的外れな方向に向かい、独断に陥ってしまい危険。「学」は本来、思索だけではありません。本を読むことと人の話を聞くこと、外からの知識の取得も大切…と。

孔子の論語ですが、運営委員をしていた20歳のとき、当時会長の井ヶ田良治先生から、直筆で『学而不思則罔』と書かれた色紙をいただきました。成人を迎えた運営員たちに送られた書です。それから7年たったいまも大事にわが家の勉強机の前壁に掛けています。近頃、ようやくその意味にずっしりとおもみを感じます。

もう一つ、有名な論語。

「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。」

歴史を学べば、そこから今の時代に役立てることができる。過去と現在は連続していて、過去のことをないがしろにしては、現在、そして未来のことも分からない。いま「古典への招待」(不破哲三著 新日本出版社)を読み始めています。私の凡人頭ではなかなか進まず苦戦していますが、マルクスを学べば学ぶほど、現在に生きたかたちで新しい発見を知ることができます。(光)10/9/3

◎井ヶ田先生の書≠ヘ、『京都学習新聞』の題字に使わせてもらっています。労働者の学習を組織する今日的視点を示したものだと思っているのです。それが、今日の労働学校運営活動で証明されています。(む)


■@GAKUTOMO NO.104
 今年の夏は、記録的な暑さ。“暑いですね…”という会話を一日何回しているでしょう…。でも、もう9月。9月になったらさすがに…と思っていたけど、実際は“猛暑日”が続くそうで…。“猛暑日”って漢字が、さらに暑く感じるのは私だけでしょうか?

 とはいえ季節は少しは進んでいます。セミの声も一時ほど聞かなくなり、朝、夜の空気が少し違っているようにも…。ラジオのお天気のコーナーでも、“エンマコオロギ”が鳴き始めたとの話題がでていました。

 と、その時、ラジオから…なんとエンマコオロギの鳴き方から気温がわかるらしいのです。それも、きちんと実験に実験を重ね、科学的にも証明された“法則”として、学会でも認められていると…。

 (15秒間に鳴いた回数+8)×5÷9=気温。(聞いたままメモったので、不正確かも…)

 たとえば、15秒で50回なけば…(50+8)×5÷9≒32℃ということらしいのですが…コオロギの鳴き声が、気温と関わりあっているだなんて、なんだか、私は妙な感動を覚えました。

 それに、この“法則”を発見した人もすごいですよ。実験に実験を重ねる…まさしく“実践”から導きだされた“法則”なんですね。

 “虫のしらせ”は、よくない意味でつかわれますが、コオロギは、秋とともに、気温もしらせてくれるとは…。

 今年の秋は、“虫の声”に耳をすませてみたい…秋風が、待ち遠しい今日この頃です。(吉)10/9/1


2010/9/3--------------



◎蛍さんからメッセージです。
No.100を読んで
ついにNo.100ですね♪毎日仕事の休憩時間か仕事終わりに@GAKUTOMOを読むのが習慣になっています。読むたびに考えさせられたり、深められたり、励まされたり。これからも頑張って下さい。科学的社会主義の魅力を伝えるパンフ。出来上がったら1人でも多くの人に丁寧に渡したい。いろんな人とパンフを挟んで話ができる…と想像すると、なんだかワクワクしてきました。その前に聞く力をもっとつけないと。学習と実践を積み重ねます。



■@GAKUTOMO NO.103
「ホメオパシー」という言葉に聞き覚えがありました。どこで聞いたっけ〜と、新聞の記事を読みながら考えていて、あぁ・・・と怖くなりました。クラス懇談会で、あるお母さんが「ホメオパシーって知ってますか?今それに凝ってるんです〜」と話していたのです。しかも、「知ってますよ」と得意げに共感するもう一人のお母さん・・・。二人とも、食生活にもこだわりがあり、衣服もおむつもエコな感じ。「自然志向」というやつです。

2010年8月30日付のしんぶん赤旗の「主張」に書いてありました。「ホメオパシー」とは、民間療法で、日本学術会議が「治療効果は科学的に明確に否定されてい」ると会長談話(24日)を発表したと。

怖いのは、「当然受けるべき通常の医療から、患者を遠ざける危険性があ」るということ。実際に、ある助産師さんが「ホメオパシー」を治療に使用したことで、必要な治療が与えられず、生後2ヶ月の女の子が亡くなったという事実があることです。

日本学術会議といえば、日本の科学者を代表する公的機関。「科学の無視」だと批判しています。

そんなこととは知らず、お母さんたちの話を聞いて、「へぇ〜」としか思わず流していました。無知は魔物なり。子どもの命にかかわることにもなりかねないことを、自分が知っていれば救える可能性があることを思って、自分の興味のあるところだけを拾って見ていてはいけない!と強く思いました。

「多様≠ノ、どこからでも、科学的社会主義を正確に『紹介する』活動家」、保育士にならないといけないのだ〜と思いました。しんぶん赤旗の主張・潮流を毎日読むこと、重要ですね。(蓮)2010/9/1


■@GAKUTOMO NO.102
昨日は、下の娘の1歳の誕生日でした。1年前を思い出します。産前1ヶ月くらいから胎内での成長がおもわしくなく、自力での出生が困難となり、急きょ帝王切開での出産となりました。生まれたときは、低体重で保育器に入れられ、点滴と酸素吸入に、新生児黄疸ということで紫外線をあてられていました。小さな体で治療を受ける姿に、大変心配をしましたが、顔をみると、しっかりした顔つきでしたので、直感的に「この子は大丈夫」と思ったものでした。

直感どおり、今ではすくすくと育ち、保育園でも大きな赤ん坊と知られるくらいに成長してくれました。

学習通信で、斉藤公子さんが書かれた本のなかに「産道を通るときの皮膚刺激が足りないと、乳児の体の内部器官の発達を促さないということを知ることができた。」とあり、(本の内容としてはそこは本質的なところではないのですが)妙にこのフレーズだけが頭にのこっていたので、単純に「この子は、産道を通ってないから大丈夫だろうか」と思い、子どもとかかわる時間は少ないながらも、意識して皮膚刺激をしています。

今でも、気管支と胃腸が弱いのかなあと思うような体調の崩し方をしますが、上の娘にくちゃくちゃにされても笑っている姿は、またもや「大丈夫」と思わしてくれます。

子どもの誕生日を祝いつつ、自身の成長課題を考えました。だって自身の成長具合で子どもにあたえる影響が大きく違ってくるのですから。子どもの未来への可能性を広げるため日々学習を積み上げたいと思います。(書)10/9/1


2010/9/2--------------

■@GAKUTOMO NO.101
今、不破哲三著「革命論研究」に挑戦しています。ようやく上巻を読み終えました。むずかしい〜。まさに挑戦です。けれども、おもしろい。おもしろいのは、マルクスがライン新聞での執筆活動の際の検閲をくぐる工夫や、インターナショナルでの活動の際のいろいろな立場の人に受け入れられる言葉を選ぶよう苦労している点です。こういう工夫や苦労が、革命家マルクスとして「解釈」するだけの立場でのぞむのでなく、「変える」立場でのぞむという核心なのだと思いました。

共通しているのは、動かすことのできない事実をもって、説得し、支持を得ていくことです。日本共産党の志位委員長のアメリカ訪問報告を思い出しました。志位委員長自身が「はげましの書」と評するだけに、くみつくされていると思いました。

そして、不破さん自身も様々な著作で、誰にむけてどのような言葉を選んで科学的社会主義の理論や、精神を紹介・普及しているのかという問題意識を伺わせます。

私たちが学ぶべきは、こういうマルクスやエンゲルス、不破さんや志位さんのような革命家の精神で諸々の課題にあたることだと思います。

インターナショナルでの活動は下巻に続きます。下巻も楽しみです。(書)10/8/30


2010/9/1--------------

■@GAKUTOMO NO.100
真っ白な紙に鉛筆のセットが好きで、ついついノートやらペンやらたくさんストックしてしまいます。自分次第で、何にでもなりうる、何でも表現しうる。そういう可能性が面白いです。

今、科学的社会主義を広く青年に学んでほしい!!と思い、その魅力を伝えるべく、マンガで訴えるパンフレットを作っています。

さぁ描くぞ〜と紙を前にして、「・・・・・・」。しばらく固まってしまいます。とりあえず、枠を描いてみよう。とりあえず、題字を描いてみよう。とりあえず、一言目を書いてみよう。そうして、恐る恐る(!?)始まります。描き始めると、次々「こういうことを表現したい」と芋づる式に出てくるのですが。

次にぶつかるのが、血肉になっていない、自分の学習内容・・・。理解が浅いんだなぁ・・・とつくづく感じます。結論だけを言っても面白くないし。過程を言いたくても発想が乏しいし。

以前、看護師さん向けにパンフレットを作った時は、川島みどりさんの本を初めて読んで、「看護の危機」についてすごく衝撃を受けたのと、看護師さんに科学的社会主義のものの見方・考え方を知らせないと!!という思いで、感動をもってサクッと作れた気がします。

先日あった「教育のつどい」(学べることがいっぱい!!)の報告で「子どもたちのことを理解し支えるということは、大事だと思うことを一方的に語り続けるよりもずっと難しい。けれど、子どもたちを励ますことができる・・・」という記事がありました(「しんぶん赤旗 日曜版」2010/8/29)。「子ども」をそっくり「青年」に置き換えても通じると思います。この記事を読んで、そういうパンフレットを作りたいと思いました。(蓮)2010/8/30