@GAKUTOMO

2011/3/31


■@GAKUTOMO NO.284
小雨の降るなか、ある職場へ行くと帰り際に「気をつけなあかんで」と言われました。いつもの調子で「ありがとうございます」とサラッと返すと「いまの雨は、放射能が混ざってるかもしれへんしな」と真剣な顔で付け足して来られました。

ああ・・・そういうことが言われるようになったのか…と改めて原発事故の影響が自分の生活にも及んで来ていることを感じさせられました。

数年後、数十年後に福島県から遠く離れた地で原爆のときのように、体がむしばまれる人が大量に出たとして、誰が補償してくれるのか。原発の因果関係が証明できないとしたら…。まさに“結果に責任を負わない利潤第一主義の無責任さ”という資本主義の本性むき出しの事態になっていくのかと思うと、いまの東電の対応、政府の姿勢に怒りを感じます。

しかし1人で怒ってもどうにもならない。雨の中、5月から取り組まれる「現代経済学ゼミナール」を各職場へすすめにいく。「人間の労働と生活・生命の根源、人間の尊厳そのものを脅かすようになった利潤第一主義――それを根本から捉え直し、その枠組みを越えるところまで将来展望を追っていこう」という芦田先生の押し出しを強調しながら(麦)11/3/30

◎広島・長崎、水俣病、C型肝炎、B型肝炎、イレッサ……まさに政治の無責任さが、粘り強い長い闘いの中で明らかにされてきた。こんども、繰り返されると思うとやりきれない。正確な情報と的確な判断を。(む)


2011/3/30

掲載する@GAKUTOMOがありません。


2011/3/29


■@GAKUTOMO NO.283
 先日、埼玉に住む友人と連絡がとれました。彼女が住むところは、東京電力の計画停電が実施されています。

 「1回4時間の停電が、1日に1〜2回もあったら、気が滅入る。家に居たら真っ暗なので、その時間は外に出るようにしているけど、信号も止まっているから…」と実情を語ってくれました。

 そして、「今はまだ寒い季節だからいいけど、夏になったら冷蔵庫とか心配…」と。

 「ここ最近は、ガソリンスタンドは大行列。そしてスーパーから商品がなくなっている…」と。

 携帯電話を長い時間使うことも控えているようで、はじめ「5分くらいで」と言っていたけど、最近の状況やいろんな心境を20分以上しゃべってくれました。そして、「聞いてくれてありがとう…気持ちが少し楽になった」と言ってくれました。

 埼玉の友だちのところでも、それだけの変化、まして被災地の生活は、私の想像を絶するものだと思います。

 政府、電力会社がすすめてきたとはいえ、原発頼みの発電、そして電気がなくてはならない生活スタイル…もっともっと私たちの身のまわりから、社会のあり方まで、問い直さなければならない課題がたくさんあるはずです。そして、その課題が何なのか、どういう方向で進むのか、それを考えるのには、一人ひとりの“力”が必要です。

 今、私たちに何ができるか。最低でも、その“力”づくりが私たちの使命だと思います。

 ドイツでは、ドイツの全原発17基の閉鎖を求めるデモが広がり、バーデン・ビュルテンベルク州の選挙では、脱原発を掲げる「緑の党」が大躍進…。

 世界は大きく動いています。日本はどうでしょうか。原発推進の政府、電力会社…このままでいいはずがありません。

 きちんと事実を見極め、どう行動するか…やるべきことは山ほどあります。“科学”が問われています。(吉)11/03/28


2011/3/28


■@GAKUTOMO NO.282
東日本大震災から二週間以上がたちました。自分に何ができるのか?日本中の人々が震災からずっと考え続けていることだと思います。義援金を募ること、献血に行くこと、ボランティア登録すること、どれも大切で今できる最大限のことです。

ただ、今できることを模索しているだけで良いのか疑問が湧いてきます。震災をなくすことはできないけど、人災をなくす社会にはしていける!

137期で出逢った受講生が学び続けることを決意し、138期でも学んでいます。以前は自分の周りへ労働学校を広げることに躊躇していたのに、HORIMARUセミナーの街宣に参加したり、自分の繋がりに広めようとしたりと奮闘しています。137期はあまり出席できなかった彼ですが今では毎回出席です。劇的な変化に驚きます。他にも、凄く仕事が忙しい時期なのに、今日は学ぶ日と決め会館(「京都学習会館」)へ駆けつけてくる受講生もいます。

今できる最善のことをすると同時に、長期的な視野を持って人と関わることの重要性を彼らから学びました。

社会も同じだと思います。今だけを考えていてはまた同じことを繰り返してしまう。過去をふまえて、現在をどうするか、未来をどうしていくか、考えて行動する。このことが今の社会にも私にも問われています。(真)2011/3/27


2011/3/26


■@GAKUTOMO NO.281
震災の状況を見るにつれ、GAKUTOで自分なにを発信すべきだろうと考える日々でした。なにを書いても自分は安全で快適な暮らしのなかで、きれいごとを並べているだけのように思えてなりません。そして昨日の「日本共産党被災者支援いっせい地方選挙勝利 全国決起集会」を視聴。そこで言われた志位さんの報告で、自分の役割を改めて少し自覚しなおせたように思います。

「国民の苦難軽減を立党の原点としているわが党の本領を発揮して・・・戦後最大の国難を打開しそれを通じて新しい社会をつくる契機にしていくと言う姿勢で」と話されていました。被災し生活も人生も一変させられた人たちにたいし、私たちがまず考えていかなければいけないことは「生活再建、地域社会の再建こそ、復興の土台」だということも言われていました。苦難しているのは政府でも大企業でもない。そこで暮らす住民であり、そこで働く労働者たち。政府と自治体のあり方も、今後もっと住民の前に明らかになっていく。そんなときに私たちは「何をなすべきか」。まさに自分たちの取るべき行動がいっそう問われてくる。自分の役割を自覚しがんばります。(麦)11/3/24


■@GAKUTOMO NO.280
震災をめぐって考えた。「復興する」っていうのは一体どういうことだろうか・・・と曖昧な自分の認識に気づき、何か発見があるかと思い、辞書で調べてみました。

「復興:(一度衰えたものを)もう一度盛んにすること。」(三省堂「新明解国語辞典」)

う〜ん、それはわかってるんだけど・・・もうひと声ほしい感じでしたが、言葉そのものの意味は、そうなのでしょうから、仕方ないです。

今回の震災では、津波で押し流されて町は跡形もなくなっています。その町を「もう一度盛んにすること」とは、どういうことか・・・。阪神淡路大震災で被害を受けた地域も、16年経って、町はすっかり復興していると言えるでしょう。しかし、その地域に住んでいた人々が、もともとあった地域のつながりを失い、離れた地でマンションに一人暮らしという、孤独な状態にある人が少なくないということを聞きました。そう思うと、町の“形”が戻ることが「復興」ではないのではないかと思います。

そこへ、日本共産党の志位さんがズバリ!言ってくれました。「復興にあたっての基本的な考えとしては、『生活再建、地域社会の再建こそ、復興の土台』・・・住宅がつくられ、地域のコミュニティーが再建されてはじめて復興といえる・・・」そして、「地域社会の復興」について「何よりも住民と自治体の自主性を尊重しながら、住民合意で新しい街づくりをすすめる抜本的支援を国がおこなうことが必要」と話されていました(日本共産党「被災者支援、いっせい地方選挙勝利 全国決起集会 志位委員長の報告」)。

そこに生きる住民が主人公です。そして自治体の役割、国の役割があります。明解です。(蓮)2011/03/24


2011/3/25


■@GAKUTOMO NO.279
ある日の夕方、ブルブルブル…というヘリコプターの音に子どもと一緒に空を見上げたとき、桜の蕾が膨らんでいることに気が付きました。3月になってもまだ雪が舞う日々で、春は遠いなぁと思っていたときのことでした。気付いていなかっただけで、春はすぐそこまで来ていたのでした。

バス通勤だったのを自転車通勤に切り替えてから半年以上が経ちました。夏は涼しく、冬は暖かいバスに乗っていたときには感じられなかった、ちょっとした気温の変化や風の違い、その季節の音(夏はセミの声、冬は灯油を運ぶトラックの歌など)に気付き、保育士として、人間として大切にしたい感覚だと思ったことを思い出しました。

総合コース第7課「知のESSCENCET 人間らしさと働くこと」で、猿が人間になるときに労働が果たした役割から労働が人間の本質であることを学びました。しかし資本主義の中では逆に労働が人間らしさを奪うことになってしまっているということも学びました。夜遅くまで働き、通勤時間は少しでも短くするよう努め、自由な時間が持てない中では、四季が移り変わっていく過程やちょっとした気候の変化に気が付くはずがありません。人間らしく働ける社会を作ることは急務です。

労働学校で学んだことを実践していく機会として、また社会を変革していく第一歩として、138期に関わるみんなでHORIMARUセミナーに取り組んでいます。搾取について1人でも多くの人に知ってもらいたい、学んだことを1人でも多くの周りの人へ話していこう、と進めています。

HORIMARUセミナー成功のための目標を持ち、それを達成していくため、運営委員会で考え、人が集まっていく様子が目に見えるような物を作ろうと決めました。そこで出てきたのが桜です。各班、コースごとに桜の幹を作り、HORIMARUセミナーに参加できる人が増えるたびに桜の花を増やしていきます。総合コースの各班の桜の木はまだ1つ、2つ花がつきはじめたところ。みんなの力で満開にして、HORIMARUセミナーを成功させたい!目標達成のために1日1日積み上げ、当日はたくさんの人が搾取について学び、考えられるよう、みんなの力を合わせて頑張ります!(螢)2011/3/24

◎「搾取」について不破さんは、第一に、過酷な労働者の実態の根底に「搾取」があること。第二に、「搾取」を科学の力でとらえると未来社会が見えてくる。と「マルクスは生きている」の中で強調されています。しんどさだけの告発ではどうにもなりません。HORIMARUセミナーもなんのためにやるのか! と思いをすすめてみるとその重大性が見えてきます。「見れども見えず」……科学の力が必要です。いまそれが問われています。(む)


2011/3/24


■@GAKUTOMO NO.278
 先週末、学習協事務局のそれぞれの総括に《蓮》さんが、『積極面……強いて言えば、@GAKUTOMOを連日書いて送りました。』と書いていて、私はハッとしました。それは、“強いて”いわなくても積極面だと思います。私は、実際、この間、週1回になってしまっている…。

 “国難”ともいえる未曽有の大災害の中、自分の問題意識と重ねて、意識的に連日“発信”続ける《蓮》さんの姿を見習わなければと、強く思います。こういう時だからこそ、本当に、私たちの世界観・哲学が問われる時だと、改めて痛感します。そして、それもグダグダと単に“過去”“現在”を批判するのではなく、きちんとそこから“未来”を語れるかが問われてくるのだと思います。

 私もたとえ少しでも、今まで以上に、“発信”することができないか挑戦しないと。

 最近、自分の身のまわりで、気になったことがあります。それは、連日災害救助・救援活動している自衛隊や米軍を、日本にとってなくてはならない…そうした意見を聞きました。

 (直接救助・救援していない私が書くことではないかもしれませんが)実際、危険な場所などで、救助・救援活動されている方々には、敬意や感謝という言葉にとどまらず、どう表してよいか言葉がみつからないくらいです。

 でも、それが、自衛隊や米軍が、日本に存在しつづける根拠にはならないと私は思います。

 今、こうしている時にも、日本中に、そして沖縄には集中して、米軍基地が存在します。そして、それによって国民、沖縄県民が苦しみを抱えている…その現実を正当化することはできません。

 災害時に現地で活動する国の直接的なものとして、自衛隊じゃなく、専門的な組織が創設されることも十分検討は可能だろうし、今、自衛隊や米軍に使われている予算の一部でもあてられれば、もっと救助・救援に特化して専門性を高めた組織ができるということも展望できるのではないしょうか。

 これから、より日本の社会のあり方が本当に問われてくるんだと思います。私にできることをより模索するとともに、自分にいろんな意味で力をつけないと、強く思います。(吉)11/3/23


■@GAKUTOMO NO.277
少しずつ、地震や津波による被害を受けた地域も、自転車で走る人の姿があったり、撤去作業が進んだり、避難生活は続く中、復興へ足を出し始めているのを感じます。被害の大きさや、まだ被害が拡大する可能性のある原発問題が継続中である点から見ると、足を踏み出し始めたというと少し語弊がある気もしますが、でも、立ち止まってはいません。そこで生活することそのものが、復興への一歩になるのだ、と思います。

「しんぶん赤旗」も、しばらく特別紙面でしたが、23日付から通常紙面で発行されています。そこで、いつも注目の「学問・文化」欄に、力強い記事がありました。

関東大震災に遭遇した子育て中の平塚らいてうの体験です。「生活者として『言いようもない痛みと悩み』・・・やがてらいてうは『この限りもない憂鬱に打ちかち』はじめる。それは、『今回の思いがけない大震災によって、・・・相互共助の心が、協同一致の精神が輝きはじめた』ことだった」と、思想信条の異なる女性団体や個人が協同して支援活動を行う「東京連合婦人会」が組織されたことを紹介しています。そこから婦人参政権要求などの運動も生まれていったそうです。

「新しい社会をつくり出す仕事は『男性のみに一任すべきでなく、女性もまた女性としての立場からその力を持ち出す』ことによって成就する」と、「女性の復権」の可能性を言っています。

今、被災地支援と原発被害をこれ以上拡大させないために、党派を超え、思想信条の違いを超えて、あらゆる英知を結集するべきだと問題が提起されています。それが、新しい社会を作っていく一つの力となっていく。この困難を乗り越えるために、国民的エネルギーを発揮することが、どういう意味を持ってくるか。国民的経験を通じて、国民自身が社会の担い手として成長していく、国民の「復権の可能性」がそこにはあるのではないか!と思います。

その視点で、職場での支援活動も考えなくては。(蓮)2011/03/23

◎「この国難ともいえる危機にあたって、全国各地で、日本共産党員としてのエネルギーが深いところから発揮されつつあることはきわめて重要です。これまで党活動に参加できてこなかった同志が、つぎつぎに募金活動など救援活動に参加しつつあります。ある県委員長は、「これまで立ち上がっていなかった党員が多数がんばっている。党内に立党の精神に立った巨大なエネルギーがわきおこっている」との報告を寄せました。」(2011年3月24日(木)「しんぶん赤旗」被災者支援、いっせい地方選挙勝利 全国決起集会 志位委員長の報告)国民的規模の巨大なエネルギーもまた動き始めるに違いない。(む)


2011/3/23


■@GAKUTOMO NO.276
今、国民の、いや、世界の大きな不安となっている原子力発電所。今回の震災で、その危険性は(証明されるべきではなかったのですが)現実において証明されることになりました(わかっていたのに!)。

原子力発電に依存している日本のエネルギーのあり方が問われていくことになります。危険な原子力ではなく、温暖化を進める火力発電でもなく、何によって人間の生活を豊かにするエネルギーを得るか。人類的な課題そのものだと、今こそ思います。それが、まさに今、日本につきつけられている!そう思います。

風力や水力、太陽光など自然力の活用が言われますが、それは同時に低エネルギー社会への転換も求められます。そう思うと逆に、「高エネルギー社会」そのものが、資本主義によってつくられてきた社会の構造なのだ、と気づきます。

「マルクスは生きている」で不破さんは言っています。「資本主義生産は、・・・増大する自分たちの商品を売り込む市場を拡大するために、『大量生産・大量消費・大量廃棄』の生活を諸国民に押しつけ、人びとの生活をその枠組みにいやおうなしにはめこんできました」(平凡社新書139頁)と。資本主義社会ではエネルギーも商品であり、その例外ではなかった・・・!

自分たちの生活が、なにによって規定されているのか。改めて、そこを学ぶことの意義は大きいと感じます。

「なにがあっても子どもは被曝させたくない」という思いで、お孫さんを袋に入れて避難された方・・・その気持ちは、私の想像以上に切迫したものだと思います。テレビで「ただちに健康状態が悪くなるということはないので、大丈夫です」なんて言われても、放射能汚染の恐ろしさを日本国民は知っています。

被災地への救援に総力をそそぐとともに、それを乗り越えていく国のあり方を模索し、実際につくりかえていくことが必要だと思います。未来社会へ向かって。(蓮)2011/03/22

◎センバツ高校野球で行われた選手宣誓「がんばろう!日本」に、以下の言葉がありました。「私たちは16年前、阪神淡路大震災の時に生まれました。いま東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地では全ての方々が一丸となり仲間とともに頑張っておられます」「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えられると信じております。私たちにいまできること、それはこの大会を精一杯、元気を出して戦うことです。“がんばろう!日本”。生かされている命に感謝し、全身全霊、正々堂々とプレーすることを誓います」と……。選手宣誓を行ったのは創志学園(岡山)の野山慎介主将です。(む)


2011/3/22


■@GAKUTOMO NO.275
子どもの連絡ノートに、「家の近くの川にカモがいて、下の子が『あひるや〜』と言うと上の子が『ちがう、カモやで〜』と言ってました。なんだかほのぼのしました」と書かれており、ほのぼのと読んでいました。その後には「こんないつもの毎日に、罪悪感すら覚える時もあります」と書かれていました。被災地のことを思い、胸を痛めておられました。その“罪悪感”、なんとなくわかる気がします。

ヒロシマに原爆が投下されて生き残った方の言葉の中に、“罪悪感”が言われていたことを思い出しました。その言葉を何かで読んだとき、生き残った人がそんな風に思い、苦しみ生きてきたのか・・・とショックでした。でもそれは、原爆を体験していない私には理解しづらい思いなのだろうな・・・とも思っていました。だから簡単に「その気持ちわかる」・・・とは思えませんでした。

でも、今はわかる気がします。被災地のことを思うと、あまりに日常的な生活を送っている自分に違和感があるというか・・・。今日も私はバイクにガソリンを入れましたが、被災地では命に関わる問題としてガソリン不足が深刻です。バイクをやめて自転車に乗らないと・・・という具合です。

共通する思いがそこにはあるのだと思います。なんとかしたいが手も足もでない苦しさ。自分がその当事者になっていたかもしれないという思い。根本的には、連帯の気持ちなのだと思いますが、一方では罪悪感を感じるのにも違和感はあります。だって、そこが問題ではないから。

震災の報道を見て子どもにも不安が広がっているという話もあるなか、子どもたちが笑って日常を過ごせることは、すばらしいことだと思います。被災地の子どもたちも、笑って過ごせたらいい。大人たちも生きようと懸命です。(蓮)2011/03/19



2011/3/19


■@GAKUTOMO NO.274
震災を体験したという料理研究家の方がラジオで話しておられたそうです。被災地でも大切なことは、食事は手で食べない(手は汚れている)、口の中を清潔に保つ(歯磨きができなくても、布でぬぐうなどする。)という命・健康を守る上での原則的なところをきちんと守ることが必要だと。そうしないと、肺炎になったり、二次災害とも言える事態が起こるそうです。

昨年、チリで起こった鉱山事故を思い出しました。地下奥深くに閉じこめられた人々は、地面の下でも規則正しい生活をし、労働していたそうです。この事故は地震ではなく、利益第一主義が引き起こしたものであるという点で、大きな違いがありますが、危機的な状況の下、人間が「生きる」うえでの原則的なところを守るという点で共通するのではないかと思いました。

被災地では子どもたちが、ストレスからか、食事をすることができずに嘔吐するような症状が多く出ているとニュースで言ってました。また、報道を目にする子どもたちにも不安が広がっていると「しんぶん赤旗」に書かれていました。そこで、大切なこととして、「スキンシップで心を落ち着かせること」、「思い切り身体を動かしたり、笑ったりすること」、「料理やお手伝いなどを一緒にして、その時の感情を共有すること」が言われていました(11/3/17)。子どもが育つ上での原則的なことがそこにもあるんじゃないかと思います。

さらにネット上にも、避難場所の公民館の館長さんの「さぁ、みんなご飯の準備だ」という言葉が載っていて、あぁ、そうか、と思いました。被災者の方々は全面的に助けられる存在ではなくて、当然ながら生きる主体なのだ、と。必要な支援は、物的なものはもちろんですが、生きようとする力を支えることであり、後押しすることであり、共に復興へ向かうことなのだと思います。(蓮)2011/03/18


2011/3/18


■@GAKUTOMO NO.273
私事ですが、@GAKUTOMOで書いた文章が、100件になりました。文章を書くことの積み重ねで、少しは事実を見る視点が変化したんじゃないかと思います。文章の未熟さはさておき・・・日常の中のささいな出来事が心にひっかかり、それがどういう意味を持つのだろうか、と少し掘り下げて考えるようになりました。そして課題として、あれが問題、これが問題、と言うだけじゃなくて、だからどうするのか!という視点こそが必要なんだと思っています。科学の視点があってこそ、その展望は示せるのだと思います。

その点で、やはり科学的社会主義を指針とする日本共産党の立場はさすが!福島原発の問題で、政府の問題をあれこれと指摘したり、非難するばかりでなく、具体的に策を示しています。

「原子力行政の推進機関である経済産業省の一機関である原子力安全・保安院まかせにするのではなく、(同省から)独立した中立的な立場で専門家を結集し、担当行政機関および事業者を指導する役割を担っている原子力安全委員会の活動がきわめて重要だ」と。人類の科学的知見を蓄積しているあらゆる専門家の集団化、その総合的チームでの対応を呼びかけています。

NO.268でも書かれている事実にも現れているように、資本家のスローガンは「大洪水よわが亡きあとに来たれ!」だということの認識、今、東北で起こっているような事態になってもなお、この“魂”を持ち続けるという認識があってこそ、この提案ができるのではないかと思います。そして、科学に対する信頼、人類の英知に対する厚い信頼があるからこそ、この提案ができるのだと思います。

明日(未来)へ向かって、今、何が求められているのか。歴史の中で蓄積された英知を結集して、あらゆる手だてを尽くすこと。「現在において過去と未来は出会っているわけなのです。・・・その選択の責任は、過去にあるのではなくて、現在にあるのです」(加藤周一著「学ぶこと 思うこと」岩波ブックレット44頁)。(蓮)2011/03/17


■@GAKUTOMO NO.272
大地震の連日の報道 街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人が行方不明となり、住民が消えた街とも報じられている宮城県南三陸町。骨組みだけとなった町役場が映し出されていました。

その役場で、津波が押し寄せてくる瞬間まで「早く逃げてください」と防災無線放送で住民に避難を呼びかけ続けた25歳の女性職員のことが報じられていました。「娘は最後まで声を振り絞ったと思うと話す母親の涙、胸がしめつけられました。

報道を見ていた友人が「同じ青年で、同じ自治体労働者として、改めて自治体職員の仕事を考えさえられた」と話していました。

貧困状況が極限状態にまでなっていると言われている大地震。世界で唯一原爆が落とされた国で、原発事故による「被曝者」が拡大している。

京都学習協議会の第18回集中セミナー『「地方自治」とはどういうことか』。学習する住民…創造的自治体労働者…主体的に、また能動的に自治に関わろうとすることが、自治の新しいあり方へ展開をつくっていくということが講師の岡田先生から言われていた。

集中セミナー終了後、急きょ、セミナーに参加していた職場の民青同盟の仲間たちで集まり、募金活動に街へ出ました。高校生や、駅でたむろしていた青年たちが、次々とカンパをしてくれました。(光)11/3/17


2011/3/17


■@GAKUTOMO NO.271
原発に対する怒りのGAKUTOMOが続いています。私も書かざるを得ないひとりです。現地に駆けつけようにも実際のところ、原発の状況が分からないのでは、動きようもありません。東電や政府の説明不足には、イライラが募ります。

そんな不穏のなか、職場では「情報が隠されている気がしますね。」と言ったとたん、「今は、不安を煽るようなことは避けたほうがいい。」とピシャリ。
次の日も、「絶対に危険ですよ。」と言うと、「危険なところでがんばって作業している人のことを考えるとそんなこと言えません。」と、またしてもピシャリ。とこんなやりとりがありました。

言われることは分からないでもないですが、何か戦時中みたいです。日本の戦況が悪くなることを言うのは非国民だと…。

感情的に「大本営発表なんか信じられるかい!」と思っていましたが、我ら日本共産党は、やはりきちんとした提起を政府にしていました。「産業省から独立した中立的な立場の機関に必要な権限を与える」というものです。これは、政府が事実上、東電に事故対策を丸投げしており、東電側に振り回された対応が後手に回っているとみられるからです。

日本科学者会議も声明で東電の「隠蔽体質」を指摘しています。さらに「事故が収束した後の原子力発電の在り方が問題になる」とも。

冷静な対応をするためにも、第3者的な立場からの検証は欠かせないと思います。(書)11/3/17


■@GAKUTOMO NO.270
大地震の報道を見ながら、できることは何かあるかと考えていました。保育園のバザーで残った衣類を送りたいが輸送機能がもっと復旧してからでないとできないし・・・と考えて、とにかく職場のみんなでできることは“義捐金のカンパを保護者と全職員に訴えてみよう”ということで、分会でさっそく封筒に訴えを貼って順番に園の門前に立って訴えました。

門前に立ってやり始めると、保護者のなかには「職場でもしてるよ」と言いながら財布からお札を出して入れてくれる人、「来週東北に支援しに行く予定です」と話してお金を入れてくれる人、「学校でもやったけど、保育園の封筒にも入れとくわ」と妹のお迎えに来た中学1年生のお姉ちゃんが自分の財布から小銭を入れてくれました。職場のみんなもこころよく財布からお金を出して入れてくれます。

みんな何かできることをと考えている、人間として、困っている人に対して連帯したいという気持ちでいることがわかります。現地で被災した人のことを考えて、(きっと現地の人は私たちの想像を絶する不安と悲しみと、恐怖、を味わっていると思いますが。)小さな行動ですが同じ人間として、労働者としてできることを考えてみんなで実行していきたいと思います。(麦)11/3/15


■@GAKUTOMO NO.269
連日、休憩室での話題は東日本大震災です。保育をしている間も、今、地震がおきたら・・・と考えてしまいます。あの地震の起こったときには、保育園児は保育園に預けられてただろうし、親とまだ出会えていない子どももいるかもしれない・・・。報道を見ていて、「怖い」「つらい」「苦しい」という声が多いですが、自分に何かできないか!とも思います。

新聞の報道など見ていても、それは全国の老若男女を問わず共通の思いなのだと感じます。何か自分にできることはないだろうか。何か・・・!でも、手も足も出ないもどかしさを感じます。とにかく今できることは、義援金を集めることくらいです。

「しんぶん赤旗」の潮流(11/3/15 )には、現地へ向かう記者の生々しい経過が書かれていました。渋滞の中、突然カーナビの画面に警告音とともに「緊急メッセージ」の表示。「福島原発周辺半径20キロ圏内非難!立ち入り禁止!」と。カーナビで原発までの距離を測ると約100キロ。「しかし、とても安堵の気持ちにはなれません」と書かれています。

京都に住んでいても、なにか不安を感じます。今日も雨が降っていましたが、ヒロシマではこの雨にも放射性物質が混じって被爆していたことを思い出します。黒い雨・・・。被災地の方の不安は、はかりしれません。「簡単には家に戻れないのが放射能汚染のおそろしさ」とも言われていました。先の見えない不安も折り重なるのだろうと思います。

「地震や津波で助かった命が、支援の手が届かず損なわれるということは絶対あってはなりません」。その言葉は政府への責任として重くのしかかるとともに、社会の担い手としての私たちにも重くのしかかってきます。

「負けない」の大きな見出しに、被災地で生きる人々の姿の写真に、励まされる思いです。がんばりましょう。(蓮)2011/03/15


2011/3/16


■@GAKUTOMO NO.268
 東日本大震災、本当に想像を絶します。言葉になりません。自分に何ができるのか…あまりの無力さに悔しい限りです。

 被災地は、局所的なものではなく、広範囲に広がる現実…日本全体の大問題。

 そして、福島原発震災。政府、東京電力の発表…聞けば、聞くほど不信が募り、絶対に許せない。この様な事態を懸念され続けていたのに…。すぐに海水を入れてでも冷却すべきところを、復旧後原発を使えるようにするため、海水を入れることを遅らせたなんて…東京電力という会社は、何を優先しているのか。“人の命”はどこに、そしてこの地球に人類が生存できなくなるかもしれない…。東京電力をそうさせている、この社会のあり方が問題なのか…。そもそも、この地震大国に、原発を建設すること自身が問題なはず。許せない。

 天災が、“人災”になっているのではないか。

 一人ひとりに何ができるか考え、そしてどう実行していくか。

 まして、誰も経験もしたことのないような事態に直面している時だからこそ、本当に一人ひとりの世界観が問われているんだと思う。

 義援金、献血、節電、現地に赴く消防や医療の専門の人たち…自分のみのまわりでも、いろんなかたちで、いろんな仲間が動いている。

 経済学コースの麻生先生が、直後の講義のはじめにこう言われた。「社会のあり方や、改革のあり方を考えていくために、学習をきちっとすることは、意義のあることだ」と。

 この言葉、私は重く受けとめようと思う。災害、救助、救援、そして復興…社会のあり方が問われている。“社会のあり方、改革のあり方”を自分自身もより深め、そしてともに考える仲間を増やせるかどうか…自分の役割として、自分に何ができるのか、問い続けたい。(吉)11/03/15


2011/3/15


■@GAKUTOMO NO.267
想像を絶する、東日本大震災。被災地で生活する人たちのことを、思っても思っても思いきれません。

輪番停電の発表があった時、HP上では、青年と見られる人々の、「力をあわせるしかない」「がんばろう」という声が続出していました。輪番停電そのものは、一方的なやり方に批判もあり、停電は命にかかわる問題も生まれる(中小病院での人工呼吸器、集中治療室など)ということが言われています。

思いもよらない事態に、良かれと思ってうつ対策も、別の命を奪う可能性につながる。一分でも早く、一人でも多く命を守るために、知恵を出し合うこと、客観的な判断が求められます。

「しんぶん赤旗」では「障害者や高齢者がヘルパーを頼むと断られた」とも報じられていました。それは命に関わる状況をつくり出すのでは・・・保育園は、子どもたちはどうしているのか・・・日本共産党の笠井さんはNHKの番組で「政府の力をフルに動かすのは当然だが、民間の力、医療も含めて全面的に英知を尽くす」こと!と強調されていました。

なによりこの震災被害の上に、原発による被爆の不安・・・これには腹がたちます。これは明らかに人災です。“思いもよらない事態”ではない。地震の多い日本で、原発の危険性はずっと言われてきました。本当に腹がたちます。

これ以上、人災を起こさないように・・・知恵を結集して、一人でも多くの命が守られますように。(蓮)2011/03/15


2011/3/14

◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。
東日本大震災 くじけづ乗り超えるために共にがんばろう。福島原発の事態は危険性の指摘を本気に検討してこなかった結果でもある。情報をきちんとつかみこれからに生かさなければならない。


2011/3/12


■@GAKUTOMO NO.266
私の活動拠点は左京区です。左京区と言えば「学生の街」と言われるほど、大きな大学が複数あり、たくさんの若い人たちが自転車で走っています。そういう点ではもっと自転車や歩行者が歩きやすい、走りやすい道があれば暮らしやすいのになと考えていました。ちょっと私がコンビニの前にバイクを止めようものなら、途端に行き交う歩行者と自転車がぶつかりそうになるほど狭い道が多いのが現状です。

職場は下京区。以前にも書きましたが、緑はないけど小さな公園は多い。けれどキレイとは言い難い砂場、高さのある危険なブランコや地面が堅い土で固められたすべり台などなど、子どもたちにとっては遊びにくい公園ばかり。

そこで暮らす人々の意識は、「なんとなく不便だけどそれが普通だよと言われて、そういう暮らしが“当たり前”」と思っているかもしれません。しかし一人ひとりが“暮らしやすさ”を求めればもっと安全で安心の街づくりができるんだということが今度の集中セミナーのテーマ「地方自治とはどういうことか」です。それは、一人だけが暮らしやすければいいとか青年だけが、ということではなく労働者、高齢者、子ども、障碍者など誰でも暮らしやすい社会をみんなで考えることが重要だと岡田さんは言われています。自分たちの生きる地域社会はどんな社会か、なにが課題でなにが強みか、どういう層の人が暮らしているのか、産業は何が発展していて何が衰退しているのかなどなど、地域の人たち一人ひとりが自分の地域を知り、知恵を出し合い暮らしをつくっていく、“住民が主人公”それが「地方自治」というもの。

現実に自分の暮らしと照らしてみると、その基本的な考え方に対していろいろなことで問題が見えてきます。制度の面でも、実際の街づくりの面でももっと暮らしやすくできるカ所はいっぱいあります。自治体は担い手の意識の水準によって変わるということはこういうことなんだと思います。これから京都で生きていく青年みんながそのことを知って自覚的に街づくりに声をあげていったら、道路一つとっても京都の道路はもっと自転車が走りやすい快適な道路になることは間違いないでしょう。そのために18セミナーを広げていきます。(麦)11/3/9


2011/3/11


■@GAKUTOMO NO.265
クラスの責任者が集まり、月一回責任者会議をします。先日の議題は親支援について。話題になるのは、生活が乱れがちな家庭についてです。

保育園の朝は、7時半から順次登園、9時には一定まとまって体操やリズムなどをして身体を動かし、その後各クラスでおはようの会(朝礼のようなもの)をします。そして、午前中の設定保育が9時半から始まります。

ところが、9時半を過ぎてから登園する家庭が私のクラスだけでも複数あります。夜寝るのが遅く、朝が起きられないようです。母親が育休中であったり、午後からの仕事であったり、9時から(あるいは9時半から)の保育は必要としていないのです。

新システムになったら、こういう家庭の保護者にとっては必要な時間の保育料だけ払えばいいのだから、その方がいいやん!という話になるのかも・・・なんて話題にもなります。でも、やっぱりそこには、育つ主体としての子どもの姿は見えません。

そういう家庭に対してどう支援をしていくか、と議論になります。「がんばれがんばれ」と言ってできるものでもないのだろうし・・・、保護者同士で励まし合えたらいいなぁ、でも懇談会でも「うちも無理無理〜(笑)」ってそっちで共感してしまう場合もあるし・・・今のこの子にとって、こうだから!って話しなあかんのかな・・・と保育者たちも悩んでいます。

保護者の働く状況や生活状況と親の価値観・子ども観、そこへ働きかける保育者としての観点と実践力が問われるなぁとつくづく思います。岡本太郎さんの言葉が面白いです。「人間とはそもそもたたかいながら生きるもの 毎日がたたかいだ しかしたたかいといっても、私のいうのは相手を殺したり痛めつけるものではない フェアーに挑んで相手を逆に生かすこと、これが大事だ」(「しんぶん赤旗 日曜版」11/3/6」)相手を生かす日常的なたたかい。揺らがない軸を持たねば。(蓮)2011/03/11


2011/3/10


■@GAKUTOMO NO.264
労働学校に初めて参加する仲間に話していて、改めて実感したことがあります。それは、労働学校はすべて“自分たちの手”で作っているということ。その力の大きさです。

共に学ぶ仲間を集め、レジュメは自分たちの手で製本し、受講証に名前を書き、まだ見ぬ仲間に思いを馳せます。2ヶ月間、一緒に学ぶ仲間たち。名簿にある名前しか知らないけど、どんな人が来るのかな、どんな風に学習を一緒に深められるのかなと、そこにはもう仲間意識が生まれています。もっと言えば、仲間が受講の決意をしたその時から、仲間意識は生まれていました。労働学校の運営委員は、そんな風に緊張しながらも楽しみに開校の日を迎えていました。

そのことを伝えると、まだ会館に来たことのない仲間も「自分の名前が書いてある資料が、そこにあるんですね。準備してくれてるんですね」と、改めて講義日に足を運ぶことを決意していました。実務的な研修ではなく、どこかの企業がやる学習会でもなく、人と人とのつながりが原動力の労働学校・・・その魅力。そういう価値観を取り戻させてくれる場所だと、138期開校を迎え、改めて思いました。

「しんぶん赤旗」の潮流(11/2/28)にあった人と人とのつながりの力と重なりました。福岡県の三牧亨さんが孤独な状態にある息子を詠んだ詩。その詩が載っている記事を見た読者の永井さん(兵庫県)が、息子さん宛てに絵手紙を送りました。誰からということもなく待ちに待っていた手紙が届いて飛び跳ね喜ぶ息子さん。交流が続く中で、三牧さんは「眠っていた心に灯がともり、気持ちを伝えたい思いが言葉と文字を獲得し、言葉は詩となった」と息子さんのことを語っています。永井さん自身も「生きる力になった」と語っています。

温かい、人と人とのつながり。そんなにも素直な関係に、なんだか肩の力が抜けるような、でも背筋はピンとするような、そんな気がしました。(蓮)2011/03/08


2011/3/9


■@GAKUTOMO NO.263
診療所のレセプト業務に携わるようになり、事務一般をしていた私としては、改めて気付かされることがあります。それは、お年寄りの服薬のほとんどが排便コントロールをするためのものであることです。

やはり、食べて出すということが人間の日常のサイクルであり、そのことをきちんと管理していくことが健康であり続けるためには必要なことなのです。それはお年寄りに限りませんが、お年寄りはその機能が低下していくために、そのことが健康管理の中心になっていくのでしょう。老いも若きもうんこは健康のバロメーター。

介護保険が始まる前、介護の基本は家族介護でした。そこでの家族は、何よりも「糞尿の恐怖」にさらされていたといいます。介護保険が始まり、家族はあの「糞尿の恐怖」から逃れられると思ったそうです。

しかし、介護保険が出来て10年経ったいま、介護の社会化は実現されたとは言えません。「糞尿の恐怖」にさいなまされている家族はなくなってはいません。

「糞尿の恐怖」を言い過ぎると暗い気持ちになり、介護職のイメージをまた一段と悪くしてしまいますが、人間むきふむきはあると思います。

以前、認知症のお年寄りを送迎車で迎えに行ったとき、「手にうんこついてる。うんこクサ。」と笑いながらお年寄りと、その手をつないで家から出てきた介護職を見て、すごさを思い知らされました。あの介護職はきっと機械的な単純作業は嫌う人であったと思います。

私は、家の廊下に子どものパンツが落ちていて使用前か使用済みか分からず、においで臭かった時、とても腹が立ちました。私はきっとむいていない。(書)11/3/8

◎ウンコさん 向きも不向きもあるか。子どものウンコとオシッコの臭いをさせて学習会館に来て堂々としていることを忘れたらあかん。本人が気づかないだけ。人間の営みを軽くあつかったらあかんよ。(^_^)(む)


2011/3/8


■@GAKUTOMO NO.262
朝、子どもたちが元気に登園してくる月曜日。ある男の子の顔が気になりました。両頬と耳に痛々しいアザと内出血です。打ち身ではない、明らかに故意に力を入れて殴って出来たアザと内出血。本人もいつも以上にイライラし、友だちの行動が気にくわないと叩いたりつねったり・・・。先週とは別人のように乱暴です。保育園で少し遊んで落ち着いた頃、その子に少し話してみると「パパにやられた、ママもパパに叩かれた」とポツポツと話し出したので、週末から日曜日にかけて家庭で何かあったと察しました。そして、お迎えでお母さんに何気なく聞いてみるとやはり父親の暴力でそうなったことがわかりました。

「日曜日に家族で出かけようとしたときに、息子がわがままを言い出したので父が両頬を何度も殴り、あまりの激しさに母親が止めると止めたことに逆上し母親を殴ったのだ」とお母さんは涙をこらえて話して来られました。それでも母親は「普段は優しい父親なんです。昨日が特別ひどかったんです。大事ではないです」と最後に付け足すように話して帰って行かれました。そのお母さんは20代で、体も小柄な方です。そんなお母さんが必死で子どもを守ろうとしたことを想像すると、どうして殴る行為にでるのかと父親に対して怒りが押さえられませんでした。しかし家に帰ってまたいつ父親が母親と子どもに暴力を向けるかわからないという不安がよぎり、とにかく何かあったらいつでも保育園でも担任でもいいので連絡してほしいと連絡先のメモを渡しました。

その夫婦は1年前にも暴力が原因で、母親が耐えかねて園に相談し離婚の危機にあったのです。しかし父が暴力をふるわないことを約束しやり直すことにしたという過去があっての今回。子どもにまで暴力が向けられたにもかかわらず、母親は父親をかばうように「普段は優しい…」と話す。別れられないことの背景には何があるのか。経済的なこともあるのかもしれない。何があるにせよ暴力をふるう夫こそ問題であることは間違いないと思います。とにかく、なんとか子どもと母親の力になりたいと思って小さな変化も見逃さず、毎日話していき、保育園全体でいつでも相談に乗れる体制をつくっています。(麦)11/3/7


2011/3/7


◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。

文章がつくれない!
あせる事はないでしょうが、中東での革命的情勢をみていて、のんびりと過ごしてよいのでしょうか。日本に革命的情勢がやってくるとは、本気で思わないのだ。わたしたちの知識では予想できなかった変動がいつ来ても、それに応えることの出来る力を培うことは緊急の課題。生活に埋没し……。投げ捨てられ……。残念でしかたがない。日々の積み上げ以外に培われない。付け焼き刃では通用しないと思うのだが。(む)


2011/3/5


■@GAKUTOMO NO.261
総合第2課の講義後、138期総合コースの歓迎会がありました!

行く途中に同じ班の受講生と歩いていると、すでに受講生同士も仕事の話ですごく盛り上がっていました。お店について、連絡先交換しあっているのを見たとき「あらたな繋がりができてる!」と感動。

「みんなで班もりあげていこ!」と受講生から声が上がって、それにさらに感動!歓迎会の出だしに感動しまくり、ワクワクしながら参加しました。

運営委員も含めると23人の参加。お店もいっぱいでした。全員一緒には座れなかったんですが、私は19歳の学生さんが多かったテーブルに。

講義どう?楽しい?と聞いてみると、
「学校の講義よりも、すごく集中して講義受けてる!」「ホワイトボードに書かれたのを写すんじゃなくて、ほとんど先生の話を聞いてノート書くから、いつの間にかノートができあがっててビックリするし、ぼ〜っとしてたら聞き逃してしまうから、気が抜けない!」「ホワイトボードはあんまり使わないけど、レジュメがあるから良いよね」

などなど。
学校の講義とはまたちょっと違うんやな!という印象。それをすごく楽しそうに話してくれたから、大学や高校の講義や授業とは違うところを、これからも新たに発見していってほしいなぁと思いました。講義の受け方も、中身の部分でも。

受講生同士も打ち解けてきて、「なんで労働学校にきたの?」とか「将来どうするの?」とか盛り上がっていました。
みんな19歳だったけど、班が違うから普段の講義だけだと、なかなか喋れなかったんじゃないかな?と思います。でも、こうやって交流会から新たな関係を作って講義前や後にいっぱい交流してほしいなと思いました。

みんないっぱい話していて、あらたな繋がりもできたみたいでこれからがすごく楽しみです!
第3課は搾取の講義(自分の中で凄くおすすめの講義です!)。
打ち解けてきた受講生が搾取の講義で分散会に挑むと一体どうなるのか。
火曜日が待ち遠しいです!
(世)


■@GAKUTOMO NO.260
 1日、一緒に活動している仲間O君が、高校を卒業しました。

 自分が高校を卒業した頃のころを思いだします。

 私の高校の卒業式は、1992年(平成4年)3月2日10時にはじまりました。その数字の並びから「4・3・2・1・0・発射!」と言って騒いでいたので、よく覚えています。高校を卒業する私たちに、その数字は気持ちをたかぶらせてくれました。

 それからもう19年。O君は今18歳。その年月は、妙に重なります。

 人が生まれ、18歳になるまで、身体的にも、精神的にも、その18年間は、すさまじい変化、成長をしていきます。18歳からの19年、私には、どんな変化、成長があったのか…そんなことを考えさせてくれました。

 高校を卒業してすぐの頃、一度だけ労働学校に参加しました。それから、大学にいき、就職もし、民青同盟の活動や、自治会活動に携わらせてもらったり…でも“自覚的に”科学的社会主義を学習することはなかったかもしれません…。

 労働学校を受講し、運営委員になったのが2000年。それから、大先輩や、仲間たちに支えられて、今に至っています。でもそれは、“自分自身のため”の「学習と実践」をしてきただけであって、まだまだ後に続く世代の仲間たちへ、本当の意味で影響を与えられるようなことはまだまだできていないと思います。

 138期労働学校の総合コースは、43名の仲間が“学習と仲間づくり”を開始しました。2010年では30名規模だった総合コースが、2011年、今、新たな段階へとステップアップしてきていることを実感しています。

 その中で、私の課題は明確になっています。私自身が変わらなければなりません。今まで、直接的に影響を与えられ先輩たちから学んだこと、そして本やさまざなま形態で学んだことを、今やりだそうとしている仲間たちへ、どう影響を与えられるか、それを意識的に働きかけられるか、そうしたことが問われていると思います。自分ががむしゃらにすることは、簡単なことかもしれませんが、それを“伝える”ということは、さらなる成長が求められます。

 “学び続ける”ということと、“実践し続ける”ということを、ともに大事にすることが何よりも大事だと、諸先輩から学びました。

 今から18年、より意識的に、そして“自覚的に”学び活動できるか、私自身問われています。それはいくつになってもかわらない、挑戦は続いていくのだと思います。

 O君、卒業おめでとう!ここからスタートです!どんどん壁にぶつかって、けっして逃げることなく、真正面から乗り越え、大きくなって下さい!!

 私も(勝ち負けではないですが)負けてられません、やりますからねぇ!(吉)11/03/03


2011/3/4


■@GAKUTOMO NO.259
月曜日に138期総合コースの第1課の講義がありました。
二ヶ月間の募集期間を経てとうとう始まった!!という感じで内心そわそわしつつ、当日は早めに会館に行って準備していました。

受付の15分前から受講生が来はじめて、仕事を終えて講義始まってから駆け込んでくれた受講生もいて、教室はいっぱいになりました!

運営委員は一番後ろの席に座るんですが、後ろからいっぱいになった教室を見て138期はこんなにたくさんの仲間と一緒に学んだり考えたりできるんや…!と嬉しくなってしまいました。

それと同時に、137期に自分が初めて講義を受けた時の気持ちを思い出しました。科学的社会主義もマルクスも何もかも知らなくて、18課の講義を全体的に説明してもらえる1課で、分かったような分からないような…こんなもんなんかな?と思っていたような。

四ヶ月前のことなのに、ものすごく時間が経ったような気がします。

初の分散会もドキドキ。

オリエンテーションで会った受講生とは少し打ち解けてたり、初めて顔を合わせる受講生とは「やっと会えたー!!」と内心うきうきしてたり。

講義を聞いてのみんなの感想もやっぱりそれぞれで、これからひとつひとつ講義を聞いて疑問をひも解いていったら、どんな風に感じていくんかな〜と、またひとつ楽しみが増えました。

講義を終えて、自分が誘った受講生から「思ってたより良かった!これから楽しみや〜!」と言ってもらえて、募集頑張って良かったー!!と思えました。

私は137期の2課の終わりに運営委員に誘われて、今までは受講生と運営委員という二つの立場でしたが、138期は班担当になって運営委員の立場で関わっていくことになります。

どんなふうに向かっていけば良いのか、すぐに正しさを求めてしまったり人と比べてしまったり…。

自分のあんまり見たくないところに正面から向かっていかなくてはならないので、簡単ではないだろうと思いますが、一緒にやっていく運営委員もいるし、138期の仲間もいるし、今の自分で思い切りやっていこう!!と思いました。

第2課の講義も今から楽しみです!(世)2011/3/4


2011/3/3


■@GAKUTOMO NO.258
総合コース第1課は「マルクスは何を発見し変革したか」、これから2ヶ月で学ぶことを1時間半で学ぶ、内容の濃い講義です。でも、18講義が構造的にまとめられた図を見ながら、マルクスがどんな風にして研究し、発見してきたのかということを丁寧に聞けるおもしろい講義です。

受付に座っていると6時15分から続々と受講生が集まってきました。1人1人の名前と顔を覚えようと意識しながら、対応します。早い時間から来てくれるということは、講義を楽しみにしてくれているということなので、嬉しく思いながら受付をしていました。中には「今日は仕事を早く切り上げてきたんです」と話してくれる受講生も。「時間は人間の発達の場である」(賃金、価格および利潤)というマルクスの言葉を思い出しました。

講義が始まる7時には20名近くの受講生が集まっていました。司会をするために前に立つと、受講生が少し緊張した顔で座っているのがよく分かりました。今日の講義を聞いてどんな風に思うんだろう、とワクワク、ドキドキしながら受付に戻りました。

パタパタパタパタ…と足音がしたかと思うと、息を切らした受講生が駆け込んできます。少しでも早く講義が聞きたいと思って走ってくる。凄い!! 身体も心も引き締まります。

講義が終わり、私もある班の分散会に入りました。自己紹介もしながら感想を話してもらったのですが、「これからの講義に期待する」、「これからの講義が楽しみ」という感想が多く、嬉しかったです。印象的だったのは3名が言っていた「マルクスが“人生を費やして”発見した」という言葉です。人生を費やした研究、それが今の私たちが社会を見るときに大切になっているということに感動した感想でした。その思いを持ってこれからの講義を聴き通したら…。ワクワクします。

全体会のあとに各班で役員を決めたのですが、後から確認すると班長は全員女性、副班長は全員男性でした。女性が「班長やってもいいよ」と言うと、男性が「じゃあ副班長するわ」と名乗り出てくれた班もあったようです。同じ女性としてなんだか嬉しい気持ちになりました。

これから2ヶ月、運営委員も含め、総合コースみんなで学んでいきます。まだ会ったことのない受講生に早く会いたいです。(世)11/3/2


2011/3/2


■@GAKUTOMO NO.257
ある大学の生協労組へ。これまでつながりが途切れていたところなのでとにかく何か一つでも労働組合や職場の状況を教えてもらおうというつもりで行きました。話してくれた人は購買部(大学の中の文房具屋さんのようなところ)で働き、組合では執行委員長もされています。

いきなりでしたが「生協労組の春闘ってどんな要求を出されてるんですか?」と聞いてみることにしました。その人はこころよく今年の春闘の要求書を出して、「あげるよ」と渡してくれました。(やったーー!)と内心嬉しい気持ちでいっぱいになりながら、(この際だし、いろいろ聞いてみよう)と思って職場で一番問題になっていることも聞いてみました。

大学生協は大学の中で購買部や食堂などいろいろな店を持っています。そこで働く職員は若い人がけっこう目立ちます。私は全員か、もしくはほとんど正規で働いていると思っていたのが、実はほとんどが非正規雇用。従業員が30人くらいいる食堂も正規雇用の従業員は3名とのことでびっくり!「えええ!?そんなに少ないんですか!?」と思わず大きな声を出してしまいました。

ほかにも、大学がコンビニを導入し、営業時間を延ばさざるを得ないという競争関係になっていたり、経済状況の悪化が影響し生協食堂を利用する学生が減り経営も年々赤字になりつつあるなど具体的な問題をたくさん話されました。学生の経済状況の悪化がこんなところにも波及しているのか・・・と改めて思います。

その組合では青年組合員も少なからずいるそうです。しかしなかなか時間を合わせて会議をすることや学習をすることができていないそうで、「若い人たちにこの現状が何で起こってるかを知ってもらわなあかん。自分たち(若い人たち)がしっかりつかんで、たたかっていけるようにするために僕らも援助しなあかんねんけどな」と話して学習の友を1冊買ってくれました。ここにも変革の芽はあります。これからしっかり噛み合わせて話していかないといけない、ともらった要求書を穴の開くほど読んでいます。(麦)11/3/1


2011/3/1


■@GAKUTOMO NO.256
世界地図を部屋に貼りました。アラブ諸国で起こっている出来事を、日本の位置と比較しながら感じたくて(本当は地球儀が欲しい!)。

私の記憶では、エジプトは地図の左下の端っこの方(日本を中心にした世界地図の記憶)・・・というイメージしかありませんでしたが、意外と大きくて、緯度で言うと沖縄と同じくらいです。新聞に出てきたアラブ諸国の名前と位置を確認しながら、そこで起こっていることを地図上に想像すると、すごく大きなエネルギーを感じます。

そして、それらがすべてインターネットでつながり合っていることを考えると、地図上に無数の人人人・・・が見えて、生活が見えるようで、不思議な感覚です。今向かい合って座っているこのパソコンも、そのネットワークの一部だなんて。

生活の中から生まれる要求から、国の体制そのものへの国民の意思となって、社会を動かしています。「古いものが反抗せずに死んでゆくほど賢明であれば、平和的に、だが古いものがこの必然にさからうならば、暴力的に、交代がおこなわれる。」(エンゲルス「フォイエルバッハ論」新日本出版社14頁)。今、それが誰の目にも明らかに、アラブ諸国で起こっています。

その国の歴史をしらない私から見れば、あっという間の出来事でした(まだ途上ですが)。でも、そこに蓄積された矛盾に苦しめられてきた人々にとっては、長い長い闘いの中で「立て銃」で準備が進められていたのだろうと思います。

飛躍を作りだす「闘い」の蓄積。学習運動の奮闘の歴史にも重なります。我が身を振り返ると・・・職場への戦略眼、粘り強い働きかけ、仲間への思い・・・がんばります。(蓮)2011/02/28

◎「インターネット」を使える階層はエジプトでは、チュニジアでは、日本では、……マスコミであおり立ててる「インターネット」の評価をして、自分の評価とするならば、それは一面的です。マルクスのその国の革命運動に対する態度はどんなだったか、半年かけて革命論で学びました。(む)