030605
 
◎実は夢は「記憶の再生」なんです。……
 
人生のはじめのころには、記憶力と想像力はまだ活発にはたらかないから、子どもは現実に感覚を刺激するものにしか注意をはらわない。感覚は知識のもとになる材料だから、適当な順序でそれを子どもにあたえてやることは、将来、同じ順序で悟性にそれを供給するように記憶を準備させることになるようなる。
 
しかし、子どもは感覚にしか注意を払わないから、はじめはその感覚とそれをひきおこすものとの関係を十分明確に示してやるだけでいい。子どもはすべてのものにふれ、すべてのものを手にとろうとする。そういう落ち着きのなさに逆らってはならない。それは子どもにきわめて必要な学習法を暗示している。
 
そういうふうにして子どもは物体の熱さ、冷たさ、固さ、柔らかさ、重さ、軽さを感じることを学び、それらの大きさ、形、そしてあらゆる感覚的な性質を判断することを学ぶのだ。
 
つまり、見たり、さわったり、聞いたりして、とくに視覚を触覚とくらべ、指で感じる感覚を目ではかることによって、学ぶのだ。(ルソー著「エミール」75p)
 
非常に古い時代──そのころ人びとは、まだ自分自身の身体の構造についてまったく無知であり、そして夢のなかにあらわれるものどこから刺激されて、彼らの思考や感覚を彼らの身体の働きではなく、この身体に住んでいてその死にさいして身体をみすて去っていく、特別の霊魂というものの働きであると考えるようになったのであるが、──こういう古い時代から、人びとは、外部の世界に対する霊魂の関係について、いろいろと考えをめぐらさざるをえなかったのである。──どこででも人びとが個人の霊魂の不死ということに退屈な想念をもつようになったのは、宗教的な慰めをもとめたからではなくて、身体の死後に、ひとたびみとめられた霊魂なるものをどう扱ってよいかを、同じくどこでもみられる無知のためにわからず当惑したからである。(フリードリヒ・エンゲルス著「フォイエルバッハ論」30p)
 
実は夢は「記憶の再生」なんです。その証拠に、フランス語を喋れないぼくが、フランス語をペラペラしゃべる夢を見ることは絶対にない。記憶がないから。夢には「記憶にあるもの」しか出ない。ただ、いろいろな組み合わせをしているです。(池谷・糸井著「海馬」74p)
 
もともと子どもは、ありのままにものごと≠とらえようとする。それを妨げてしまうのは大人。神様や霊魂(悪霊……)などを教えこむ人びとがいるのだ。事実そのものを捉えることの重要性は、情報社会といわれる今日とりわけ自覚的でなければなりません。今日の大人(若者)が見方・考え方を学ばなければならないのです。だからこそ。