学習通信=@030614
 
◎自己主張を奨励しない社会、あるいは許さない社会…… それぞれの存在感の不確かさが、自信のなさを作り上げているのだろうか。存在感とはいったいどういうものだろうか。Only One 
 
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自分を誇り、その誇りを言葉や態度で表現することで、人はさらにしっかりと自信を強めていくこともある。自分に高い評価を与えることは、紛れもない自己主張である。「学校の成績」で見たように、自分の成績が半分以下であっても「自分は成績がよい」「頭がよい」と回答したアメリカ、スウエーデンの子どもたちと、むろん例外はあるものの、成績がよくても謙遜ばかりしている日本の子どもたちとでは、今後の人生を選び取っていく時、あるいあは何か新しいことに挑戦する時、さまざまな点で大きな違いを生むことになるのではないだろうか。
 
子どもたちが「自分は成績がよい」「頭がよい」と言い難い社会は、自己主張を奨励しない社会、あるいは許さない社会だと言えないだろうか。こうした社会は、自信のある子を「創り」にくい社会である、という言い方も成り立つ。実際に日本の子どもたちの自己評価の低さを実感した時に、「それは単なる文化の違いである」「国民性の違いである」と言って放置しておけないように思う。
 
従順であることはよい性質であると考える向きもあろう。しかし従順とは、自分の意思や意志を主張せず、場合によってはそれらを殺して誰かの言うとおりすることを意味する。自分で決められることは自分で決め、自立しようとする気持ちと相容れない要素である。
(河内和子著「自信力はどう育つか」朝日新聞社 100〜101p)
 
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彼らを実際に動かすのは、実はお金ではなくて「これは自分にしかできない」という意識ではないか。フリーマーケットに出品して「今日は三万円ももうかった」などとよろこんでいる若者もいるが、彼らにしてもお金そのものがうれしいというよりは、そこで一日をすごした自分がそれだけの成果をあげ、はっきりした数字で評価されたことを喜んでいるのだと思う。
 
そのことをいちばんわかりやすく表現するのが、「三万円もうかった」という言い方だからそうしているだけなのだ。もちろん、これが行きすぎると、「自分の価値はいくら?」と確かめたいあまり風俗産業に身を投じる女性がでてきてしまうことになるのだが。
 
なんでも金額や料金に換算して語る若者が、それだけお金に執着があるわkではない。彼らが執着しているのは、あくまで自分にとっての価値。そう思うと、「え〜、大学の先生の給料ってそんなに安いのですか」というフレーズが、「先生にはもうちょっと価値があるはずですよ」というようにも聞こえてくる。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書 8〜9p)
 
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私にとって「作る」ということはほとんど見ることであり、今まで見ることのできなかった何かを見えるようにすること。
ほんとうにいい作品ができれば僕の存在証明にもなりますが、すべての人のかけがえのなさの証明にもなるという気がするんです。
(彫刻家 船越桂 しんぶん赤旗 日曜版(030615)インタビュー)
 
存在感と自信の関係がつながるだろうか。
この学習通信でものごとの見方・考え方≠変えれば。ということでポジティブ・シンキング≠強調しているわけではない。
 
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ポジティブ・シンキングの人たちに共通しているのは、自分生き方、考え方が絶対に正しいと思っており、それを強引に人に押しつけようとする、そして人の話を決して聞こうとしないことだ。(25p)
 
ポジティブ・シンキングの横暴≠押しつける人たちは、自分の人生には楽観的だが、他人の人生など端から考えていない。彼らは周囲にはこぼれそうな笑顔をふりまきながら、平気で他人の気持ちを踏みにじる。それが相手を不愉快にしていると思っていないのだから性質が悪い。重病人にむかっても、「前向きにポジティブに考えればきっと大丈夫だから、頑張りなさい」などと悪びれもせずにアドバイスしてくれるのだ。
(矢部武著「アメリカ病」新潮新書 28p)
 
前の学習通信に書いたように起点はリアルに志はたかかく≠ネのだ。事実をありのままに受け止めてこそ、克服しべきところを克服する力も発見できるということのではないだろうか。ポジティブに考えれば……≠ナは、ありのままに見ることはできない。