学習通信030619
 
◎近頃、対面対話≠ニいうことが話にでてきます。常識的にいって電話よりも対面する方が効果的です。こういう常識論でとらえるだけでは……どうかと思います。もっと重大なように気がします。また、私的なコミニケーションとして手紙があります。私信というものです。後にのこります。メールについてはどうでしょうか。
 
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インタビューに応じてくれる若者を募集するため、アルバイト情報誌に募集要項を掲載したところ、けっこうな数の応募者があった。拘束時間は二時間程度で、彼らが日頃感じていることや自分の考えを話してもらうだけにしては高額なアルバイト料だったことが、その理由だと思う。応募者にはまず履歴書を提出してもらった。そして、そのなかからこちらが求める属性の若者たちを選択し、アポイントを入れたのだった。
 
結果を先にいってしまえば、当日、時間通りに約束の場所に現れたのは、約半数にすぎなかった。
 
アポイントを忘れている人もいるだろうと、前日にこちらから確認の電話を入れたのだが、そこでまず、2〜3割減った。電話に出ないのである。しかし、そこは織り込みずみで、必要な数のほぼ3割増しで募集していた。そして、当日──。約束の場所に現れたのは、前日の電話で「行きます」と確約した人の約半数というありさまであった。
 
アルバイト情報誌に掲載されていた記事を見て応募してきたのは、彼らである。彼らが自発的に参加することを決めたわけで、当然、彼らは仕事の内容や報酬に高いモチベーションをもっていたはずなのだ。ところが、そういう結果になったのは、いったいどういう理由なのか。そう疑問に思って、来てくれた人に聞いてみると、彼らが約束を守らなかった理由として考えられるのは次の二つだという。一つは「その朝になって気がかわった」。もう一つは、「突然、イベントが入った」というものだった。イベントというのは、飲み会や合コン、彼氏とのデートといった、彼らにとって非日常的な行事を指すらしい。
 
「だけど、前日には約束通りに行くといったんだから、当日、ドタキャンしたら相手が困ると思わない?」
すると、彼女はこう応えた。
「そんなのカンケーないよ」
 
ところが、である。彼らは、自分が交わした約束のすべてを軽視しているわけではないのだ。
 
「あなたはその日の朝になって、急に気が変わることはないの?」
こうたずねると、彼女は「絶対あり得ない」と言う。
「だって約束なんだから、守るのが当然でしょ。約束破るやつは許せない」
「じゃあ、いまこの場で私と交わした約束と、昨日、電話で確認した約束とでは、何がどう違うの?」
 
これに対する彼女の答えは、次のようなものだった。
要は、一度でも会って言葉を交わした相手であれば、彼女たちにとって礼儀やルールを守るべき対象として認識されるというのである。そうした仲間うちでは、いまの若者も約束やマナーが大切なものであると感じることができるのだ。
 
一方、会ったこともなければ直接、話したこともない相手なら、それは仲間≠ナはなく、そうした相手との約束やマナーはまったく意味がない。相手が困るかどうかなど、「カンケーない」のである。そんな相手は、道端に転がっている石ころと同じなのだという。私は、彼女が説明してくれたこの理論に愕然としてしまった。
 
いまの若者は、目の前にある具体的な存在しか、信義や礼儀、共感や連帯、優しさや思いやりの対象として認識していない。抽象的な存在に対しては、何のイメージも抱かず、リアリティを感じることはないというのである。
(波頭亮著「若者のリアル」日本実業出版社 30〜33p)
 
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では、メールの普及によって、若者にとって現実などどうでもいいものになってしまったのだろうか。どうもそれは違うようだ。若者と話をしていると、重要な話にさしかかったときに「じゃ、あとメールで」と言われることがある。これには、「相手の顔を見ながら大切なことを決めるのは気が重いので、気楽なメールで」という場合もあるだろう。
 
しかしそれ以上に、「大切なことなのだから、モニターの中に文字として送信する、というカタチで示してほしい」という意味もあるようだ。声や表情はその場で消えてしまうが、メールならはっきりしたカタチでそこに残る。あるいは、メールを打って送ってくれた、という相手の行為は確固とした現実である。それが重要なのだ。
 
宣伝を目的に不特定多数の人に送られる「迷惑メール」が社会問題になっている。もちろん、受信しただけで利用者に料金がかかってしまうという、一部の通信会社のシステムに腹を立てている人が多いのだが、怒りの原因はそれだけだろうか。若ものにとっては、メールはカタチで気持ちを伝え合うことができる大切なコミュニケーションの手段である。
 
そう考えると、その大切なメールがどうでもいい宣伝のために送られてくる、ということじたいに、若者は怒りを感じているのではないか。だから、たとえメールの受信はすべて無料ということになっても、「迷惑メール」に不快感を覚える人の数は減らないと思う。
 
かつて人は、大事な話は電話などですませずに実際に顔を見て、と考えていた。ところが今の若者は、大事な話だからこそメールというカタチで送ってほしい、と思っている。彼らが求めてるのは、カタチあるコミュニケーションなのだ。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書 85〜86p)
 
連帯意識が強くなければならないとするところからFAXだけで連絡するのが当たり前になりつつある。あとで電話がかかってくるところも残されているが。相手の顔も見ず声も聞かずに行われる一方通行……これで本当の仲間意識はつくれるのだろうか。巨大な敵に太刀打ちできるのだろうか。電話での対話でなく対面対話≠ェ強調されている。私たち大人のコミュニケーションの取り方が21世紀に問われています。よほど若者の方が健全だとみえます?
 
ちなみに波頭(はとう)(経営コンサルタント)著「若者のリアル」は、これを青年の積極性として評価していない。著書の全体は批判的にとらえなければなりません。
いま、京都中央労働学校に多くの若者が参加してきている。ソ連崩壊後で最高になりつつある。6月27日に開校される115期は114期よりも前進した局面で、対面で……≠フ実証となって若者が対話をつづけています。毎日12時近くまで労働学校を熱く語っています。あなたも是非仲間に……。