学習通信=@030621
 
◎3人寄れば集団だ。集団を導いていくリーダーが求められています。平和を求めるにしても、生活の改善、働きやすい職場をつくりだしていくためにもそれを求める集団とリーダーが必要なのです。
 
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リーダーとは先輩とも友だちとも違う関係で、ふだんとは別の何かを発揮しなければならないものであることを理解したのである。(72p)
 
すべてが終わったとき、私は不思議なことに気がついた。綱引き直前の最後の瞬間、私はサブリーダーを活用することができた。それでよかったのだが、それができたのは、実はここにくるまでに一人ひとりとしっかりと会話を重ね、私との信頼を作り上げていったからであったろう。確かに、整列とか人の配置のようなことにはサブリーダーの力が有効かもしれない。けれどリーダーの言葉が瞬時に正確に全員の心に伝わるためには、リーダーがサブリーダーに頼ってはいけない場合もあるのではなかろうか。(76p)
 
言い換えれば、リーダーは、メンバー一人ひとりから、目標に向けて動くための原動力を引き出さなければならないのではなかろうか。その意味では、私のやり方も一つの方法だったかもしれない。少し遠回りだったけれど、リーダーにはそのように、どこかで労を惜しまずやらなくてなならないことがあるような気がする。(76p)
 
運動会での経験やキビタキ船長のような話から、私はあることを確信した。それは、一つのグループが行動するとき、リーダーだけでなく、メンバーにも重要な役割があるということである。リーダーでもメンバーでも、すべての人がリーダーシップを発揮しなければ、グループは動いていかないのだ。言い換えれば、リーダーとは、たまたまそのときにリーダーのポジションにおかれているだけで、実際にはメンバー全員がグループの行く先や現状を的確に判断し、いつでも最良の決断を下させる能力をもっていなければならないのだ。(82p)
 
でもそんなとき、たとえ自分がどちらのポジションにいても、心眼(物事の真実の姿をはっきり見抜くことができるような心の働きを目にみたてた語)をもって英断を下せば、どんな集団の中にあっても心のリーダーになることができると思う。それは、部下として上司に提案するという形をとることもあるかもしれないし、班員として班長に進言する格好になるかもしれない。だが、そんなことはどうでもよい。一つの判断がリーダーを通してグループを動かせるのなら、そで立派な指導力と言えるからだ。(83p)
 
特に自分の考えと違うリーダーと仕事をするときには、心の指導力は有効だと思う。喧嘩するのはたやすいけれど、それよりも相手とがっぷり四つに組んで目標を成し遂げるほうが人間としてはるかに価値があると思うのだ。とはいえ、実際にはどうするか。私は、まず自分に心のリーダーになってくれる人を見出すことだと思っている。最初から英断が下させるほどの判断力はなかなかつかない。だからまず、判断のヒントをもっている人に率直な気持ちで力をいただくのである。(83〜84p)
 
グループの中でコミニュケーションがうまく行かないとき、私は決まってそういう人を探してみる。すると不思議なことに、必ず誰かが、思いもよらない視点から助言してくれたり、ときにはリーダーとの架け橋になってくれたりすることがよくあるのだ。そしてあるときには、私自身が心のリーダーとして、思わぬ場面でグループの気持ちを一つにまとめられることさえあるのだ。「叩けよ、さらば開かれん」である。(84p)
 
リーダーなどと構えてしまえば、この話は縁の遠いテーマに見えるかもしれない。だが、リーダーシップということに焦点を合わせれば、それはけっして他人事ではない。社会の一員として豊かな人生を送るには、誰もが磨くべき精神の一つではないかと、私は思うのである。(84)
(三宮麻由子著「目を閉じて心開いて」岩波ジュニア新書 72〜84p)
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だいたい、ものわかりのよさの本質は、発見の精神ではなくて適応の精神であり、創造への感情ではなくて、従属への感情である。ものわかりのよさは、高い人間の明知(すぐれた知恵)とはちがった性質のものである。
 
一方に深い質問をいだいていてそれを追研して新しい何かの価値を人生にもたらしてくるような、そういう建設の意力を、ものわかりよさはもっていない。ものわかりのよさは、いつでも現在その人の生活する世間で通用している型どおりの上手なとりあわせを心得ているということである。
 
善悪の判断のありきたりの型だの、表通りはそうでも、裏の小路はこうついていて、そこの歩き方はこうこうという要領や、人間はあまりの真実はかえって嫌う臆病さをもっていること、嘘も方便ということ、労少なくして効多きを尊しとするしきたり、それらをみんなわきまえていて、下品に流れず、さりとて実際からそれず生活の棹(さお)をさしてゆく術(すべ)を、ものわかりのよさ、というのである。
(宮本百合子著「若き知性に」新日本新書 22〜23p)
 
ものわかりの良さがリーダーの資格では、どんなことになるのか。だいたいの事はだれでも分かっているのですが、一歩踏み出せません。
目標が決まればそれに向かって集団のみんなが知恵を尽くして奮闘することが出発点になるのかもしれません。その時間は客観的に決まっているのでしょう。急いで、あらゆる場面に進歩的なリーダー≠。