学習通信030626
 
◎「いま日本で、社会の退廃現象がさまざまな形で問題となり、その中でセクシシュアル・ハラスメントは、女性の尊厳と人格をいちじるしくふみにじる人権侵害として、職場でも、学校でも、社会でも、その克服が重要な課題となっています。」と。
 
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セクシュアル・ハラスメントの底流に流れているのは、女性を性的欲望の対象とみる女性蔑視です。女性を男性と対等なパートナーとみず、性に関して女性の「ノー」を認めない人権無視の暴力です。
(杉井静子著「新しい法と自分らしい生き方」新日本出版社 268p)
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元始、女性は太陽であった。真正の人であった。
いま、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。
さてここに「青鞜(せいとう)」は初声(うぶごえ)を上げた。
現代の日本の女性の頭脳と手によって初めて出来た「青鞜」は初声を上げた。
女性のなすことは今はただ嘲りの笑いを招くばかりである。
私はよく知っている、嘲りの笑いの下に隠れたるあるものを。
 
そして私は少しも恐れない。
しかし、どうしょう女性みずからがみずからの上に更に新たにした羞恥と汚辱の惨(いた)ましさを。(9p)
 
そして、運命は我れ自ら造るものなるを知らざるかの不甲斐なき宿命者の群れにあやうく歩調を合わせようとしたことを、ああ思うさえ冷たい汗は私の膚(はだ)えを流れる。(12p)
 
自由解放! 女性の自由解放という声は随分久しい以前から私どもの耳辺にざわめいている。しかしそれが何だろう。思うに自由といい、解放という意味が甚だしく誤解されていはしなかったろうか。(18p)
 
尤も単に女性解放問題といってもその中には多くの問題が含まれていたろう。しかしただ外界の圧迫や、拘束から脱せしめ、いわゆる高等教育を授け、広く一般の職業に就かせ、参政権をも与え、家庭という小天地から、親といい、夫という保護者の手から離れていわゆる独立の生活をさせたからとてそれが何で私ども女性の自由解放であろう。(18p)
 
なるほどそれも真の自由解放の域に達せしめるによき境遇と機会を与えるものかも知れない。しかし到底、方便である。手段である。目的ではない。理想ではない。(19p)
 
「自然は常に完全なり、彼女は一つの誤謬(ごびゅう)をも作らず」といったではないか。自からの意力によって自然に従い、自然に従うことによって自然を我がものとした彼(ロダン)は自ら自然主義といっている。(20p)
 
私はむやみと男性を羨み、男性に真似て、彼らの歩んだ同じ道を少し遅れて歩もうとする女性を見るに忍びない。(20〜21)
 
女性よ、芥(あくた)の山を心に築かんよりも空虚に充実することによって自然のいかに全(まった)きかを知れ。(21p)
 
しからば私の希(ねが)う真の自由解放とは何だろう、いうまでもなく潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることにほかならぬ。それには発展の妨害となるもののすべてをまず取り除かれねばならぬ。それは外的の圧迫だろうか、はたまた知識の不足であろうか、否、それらも全くなくはあるまい、しかしその主たるものはやはり我そのもの、天才の所有者、天才の宿なる宮なる我そのものである。(21p)
 
私どもはもはや、天啓を待つものではない。我れ自らの努力によって、我が内なる自然の秘密を暴露し、自ら天啓たらんとするものだ。(22p)
 
もはや女性は月ではない。
その日、女性はやはり元始の太陽である。真正の人である。(23p)
 
しかしなお一言いいたい。──よしここしばらくの「青鞜」は天才の発現を妨害する私どもの心のなかなる塵埃(じんあい=ちりやほこり)や、渣滓(さし=液体の底に沈んでいるおり、沈殿物)や、籾殻(もみがら)を吐き出すことによってわずかに存在の意義あるくらいのものであろうとも。(23p)
 
私はまた思う。私どもの怠慢によらずして努力の結果「青鞜」の失われる日、私どもの目的は幾分か達せられるのであろう、と。(23p)
 
烈しく欲求することは事実を産む最も確実な真原因である。(24p)
(小林・米田編「平塚らいてう評論集」岩波文庫)
 
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女性の差別と権利侵害をひきおこしている最も主要な原因は、支配層の国民に対する支配のあり方に根ざしている。明治以来の封建的ないわゆる「家」制度などをつうじて、長い間つちかわれた女性蔑視の「古い」思想や慣習は、今でも女性の地位を低くおさえるのに一役かっているが、しかしこの封建的残存物を維持し、あるいは教育やマスコミをつうじてさまざまに近代的な装いをこらし形をかえて再生産させ、女性差別の道具としてもっとも巧妙に利用しているのは、ほかでもない「近代的」な独占資本=支配階級そのものなのである。(3p)
 
女性の権利をまもり発展させるためには、権利についての男性の「無理解」、女性の「無自覚」を嘆きあうことにとどまるのではなく、「女性に対する抑圧と差別、権利の侵害は、だれの手で、なんのために、どのようにおこなわれているのか」──つまり女性差別を行っている真の責任者とそのねらい──をしっかりとつかむことがまず第1に必要であろう。(3〜4p)
(坂本福子著「女性の権利」法律文化社)
 
平塚らいてう は「青鞜」発刊に際して──1911年9月でいっている。女性の社会的地位について、その打開の方向について。1975年の国際婦人年でかかげられた平等・開発・平和=B
セクハラ……女性を人間としてとらえることができないということ、世界的な反戦運動でいま青年が見せている ONLY ONE とは相容れない、ということだ。