学習通信030629
 
◎起点はリアルに志は高く…… 
 
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この漫才師がどう成長しているのか、青い線と赤い線の色の具合で、良くなっているのか、悪くなっているのか、それが見えてくる。つまり18歳の僕がそのノートをつけていたのは、単純に青線だけを集めたら、完璧な漫才ができるんじゃないかと考えたからだ。同様に赤い線の部分も役に立つ。そこを見れば、自分が絶対にやってはいけないことがわかるのだ。
 
もっとも青い線を集めるといっても、その全部が自分にできるわけではない。どれができて、どれができないか。それを正確に見極めるために自己分析が必要だ。
 
自分は何が優れているのか。何ができるのか。その反対に、どういうことはできないし、またやっても意味がないか。そういう自己分析を徹底的にやって、それもノートに書いていた。そしてその自己分析と、青線を照らし合わせていくのだ。
 
さらに、売れるためには時代も分析しなければならない。時代というのはいつも動いているのだから、先を読まなければ、時代に合ったものは作れないからだ。
 
これからの笑いとはどういうものか。
どういうツッコミのカタチが今後ウケるだろうか。
エンタツアチャコの時代の漫才から、現在の漫才までずっと順を追って見ていくと、どんどん漫才が変わってきているのがわかる。
 
今ある漫才を繰り返しても勝負には勝てない。その変わっていく延長線上に、僕のやるべき漫才があるはずなのだ。
そういう分析を夢中になってやっていた。
(島田・松本著「哲学」幻冬舎 73〜74p)
 
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チャンスはどこに転がっているかわからない。たとえば、私が「こんな映画に出たい」と日頃から思っていれば、フラッと入った本屋でも、それに関する本を手にとったりする。その本から新たな情報を得て、「あ、こんな企画を考えている方だったら、一度お会いしてみたいな」などと思う。思い込んでいる何かは、常に意識の底に川のように流れているものなのだ。
 
そして、願うことなら誰にだって簡単にできる。でも、ここで重要なのは、思い込んだら何かしらの行動をおこさなければダメだということ。
 
たとえば、やせたいと思うなら、それに向かって体操するなり食生活を見直すなりして一生懸命努力することが必要。やせたい、やせたいと言っているだけで、実際は間食をやめられない、四六時中食べてばかりだとしたら、やせられるわけはない。
 
彼がほしいと思うなら、自分をよりよく見せるようお化粧を勉強したり趣味を充実させるなど、マインドチェンジをしなければいけない。
 
つまり、夢の実現は意識の高さの問題だ。自分のなかに定めている照準があまりにも低いようでは、お話にならない。
 
現状を変えたいと思ったら、まずは何がどんなふうに嫌だから私はこうしたい≠ニいうことを口に出して言ってみよう。そうしなければ物事というのはまわらない。そして、口に出し、相応の行動を起こしてもダメだったら、縁がなかったと思って新たな方法を考えよう。いつまでもうじうじしていないで、ダメなら次だ。そういうとき、私は切り替えが早い。
 
思い込んで実行し、ナンバーワンの夢がかなえば言うことはない。でも、ナンバーワンと縁がなかったら、気持ちを切り替えてナンバーツーを探そう。
 
自分が選んだ道ならば、やがてそれが最高の道になる。
(藤原紀香著「藤原主義」幻冬舎 61〜63p)
 
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あの頃の私は、決断すべきときに逃げ、恋が失敗に終わっても相手が悪かったんだと考える他力本願なところがあった。うしろ向きで、親のいいなりで成長がない時期だった思う。(119〜120p)
 
そんな自分がマインドチェンジを余儀なくされたのは、七年前の阪神・淡路大震災のとき。(120p)
 
三月も後半になり周辺がようやく落ち着いた頃、いよいよ親の説得にかかった。
今までは親の言うことを全部聞いてやりたいことを断念してきた人生だったけれど、もしこの震災で、親戚や知人と同じように亡くなっていたら、自分はやりたいことをやっていないという思いから化けて出ていたかもしれないと思うこと。
 
今まで実現できなかったことを親の責任にしてきたけれど、私がもっと意志をもって行動を起こしていたら実現できたかもしれないと思ったこと。だから責任はすべては自分の責任であると考えたこと。
 
そして今回は、何と言われようと東京に出て仕事をしたいということ。それに関して援助は一切求めないことも付け加えた。(123〜124p)
 
震災では、本当にいろいろなことを経験した。パニック時、人間というのは、真の姿があらわになり、ものすごく怖い。
 
それまで友だちだった人が豹変したり、人を押しのけてでも生きようとする利己的な姿も嫌というほど見た。都合の悪いことや真の惨状は報道しないメディアの態勢に心から怒りを覚えもした。同時に、それまでただの遊び仲間だった人が奔走してくれたりと、真の友だちや心の清らかな人の存在も知ることができた。
激烈な体験を経て、人間を表面だけでは判断しなくなった。(125p)
(藤原紀香著「藤原主義」幻冬舎 119〜125p)
 
誰でも、また何事にも起点≠ヘある。それをどう受け止めるのか、そこに未来≠ェあるのだと思います。