学習通信≠mO.2 030707
◎継続は力なりなんだよ。注意されたら、次からは間違えないですむじゃない。
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翻訳の仕事について間もないころ、私は注意を受けたときにどう対処してよいのかわからず、頭を痛めていました。
みんな私が速く上達するのを心待ちにしながら、一生懸命教えてくれているのです。でも、私の知識があまりにも乏しくて、訳すたびにひたすら細々と注意を受けるのです。「はい、すみません」、「わかりました」、「覚えます」、でもいつしか、自分でも受け答えのことばが尽きて、「やっぱり私って、この仕事はむりだったのかなあ」などと自問するようになってしまいました。そしてやがて、私はだんだんことばを失っていきました。
そんなある日、私は大学時代の友だちとお茶を飲みました。
「こんなに注意されるってことは、私には荷が重かったのかもしれない。一生懸命教えてもらってるのに、なんだか申し訳なくて、居たたまれなくなっちゃって」とこぼす私に、彼女はきっぱりといったのです。
「まゆちゃん。それはね、継続は力なりなんだよ。注意されたら、次からは間違えないですむじゃない。それでいいんだってば。なにも気の利いたことばで受けることないんだよ」
それを聞くと、私は急に、両肩がフワッと軽くなったような気がしました。そうか。受け答えのことばなんかより、しつかり実績をだせばいいのです。注意してくれる人たちだって、私のことばではなくて、私の上達を待っているのですから。
自分でも少しずつ仕事に慣れてきたと思いはじめたころ、上司がこういったのです。
「ほんとうによく勉強したわね。注意されることがいけないんじゃないのよ。あなたは一度教えたら絶対に間違えない。それがすごいのよ。これからもがんばりましょうね」
そんなことがあって、私は翻訳が好きという気持ちに確信がもてたのでした。
(三宮麻由子著「きっとあなたをはげます「勇気の練習帳」」PHP出版社 18-19p)
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ギリシャの自然科学者の考察は、西欧では約1400年後のルネサンスまで忘れ去れていました。キリスト教会が勢力をふるった中世では、神に挑戦するかのような科学的思考はきびしく取り締まられていたためです。
このような、考えたり、試したりすることが禁じられた時代では、人びとは、占いや神のお告げなどの超自然的な力を信じる傾向があります。その中で、怪しげな「科学」も流行したのです。その一つが、先にのべた占星術(せんせいじゅつ)です。
科学は、誰でも、どこでも、いつでも、同じ現象が再現できねばならないものです。ところが、一般に「××術」と呼ばれるものは、誰か特殊な能力をもった人だけが使え、必ずしも同じ結果が再現できません。だから「××術」は、科学とは縁もゆかりもないものが多いのです。
しかし、まだ物質の成り立ちや運動についてよくわかっていなかった中世では、「××術」や怪しげな「科学」そのものが、すべて無意味であったともいえません。というのは、そこで行われた実験を通じて、科学が芽生えるきっかけともなったからです。
その代表が「錬金術(れんきんじゅつ)」です。鉛や鉄のようなありふれた金属(「卑金属」とよばれました)に、薬品をかけたり、溶かしたりして、金(「貴金属」)に変えようという試みです。もちろん、それが可能なら大もうけができますから、紀元300年ころに始まり、その後1400年以上もの間、人びとは錬金術に挑戦してきました。天才ニュートンも錬金術に夢中になったそうです。
錬金術の生まれた背景には、粘土から陶器を作ったり、鉱石から銅や鉄や金を抽出したり、砂からガラスを制作したり、穀物からお酒やパンを製造したり、という化学変化を利用する技術を人びとが獲得していたことがあります。
火にかけたり、酵母を加えると、より便利で、より高級なものを作ることができることを経験的に学んでいたのです。ならば、鉄が金になるかもしれない、と考えるのも自然なことでした。だから、錬金術の技術を集大成した本が、早くも紀元300年ころに現れています。
錬金術のもう一つの背景には、一神教であるキリスト教に感化されず、多神教思想である神があらゆる場所に宿るという考えがありました。大宇宙と地上の世界は、互いに照応関係にあり、すべてが関連しあっているとも考えていました。つまり、すべての物質は「円環」(リング)のようにつながっていると信じていたのです。時代がもつ思想や考え方が、人びとの行動に大きな影響を与えているのです。それは現代でも同じです。
結局、物質は異なった原子からできており、化学反応では原子の組み合わせは変わっても、原子そのものは変わらないことがわかって、錬金術は18世紀には終息しました。しかし、鉄を金に変えることを目標にして、さまざまな化学実験の技術が開発されました。その結果として、化学反応のしくみが明らかになり、錬金術が不可能であることが証明されたのです。だから、錬金術は化学という学問の母といえるでしょう。
(池内了著「科学の考え方・学び方」岩波ジュニア新書 90-92p)
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人の前ではこんな自分でいたい、と思って必要以上に頑張ってしまうことも含め、人間は、誰しも二面性をもっている。
前向きに生きたいと思い頑張っている現実の一方で、時には落ち込んでいるマイナス思考に走ってしまう自分もいる。けれど、そんななかでもやはり、前を向こうと顔をあげる気持ちは大切なのだ。
自分はみんなが思っているほど完全な人間じゃない。人にどう思われようが、私はこうなんだよと、息を抜いて生きていけば、もっと楽になるんじゃないかなと思う。それにはほんとうに勇気が必要だけど。
そういう部分が私はまだまだ未熟なので、自分探しの意味も含めて、この「藤原主義」をいつも心に掲げていきたいと思っている。
(藤原紀香著「藤原主義」幻冬舎 67p)
◎私たちの精一杯の生活(働くこと・社会活動……)に無駄だった≠ニいうことはない。「生きることは、どんな時もたゆみなく新しい瞬間を創造することなのだから」(「青い月のバラード」)と。