学習通信030709
 
◎残虐な少年の犯罪がつづいている。その背景になにがあるのか、それは私たちに無関係には存在しない。
 
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沖縄中2 殺害事件で
 「非行」と向き合う親たちの会代表・能重真作さんの話
 
 加害者の少年たちが死体を埋めたという事実におとな社会の反映を感じます。いまや死体遺棄事件は頻繁に起きており、そういう情報がストレートに子どもたちのなかにもはいっています。そういう意味ではおとな社会のあり方自体が厳しく問われなければならないのではないでしょうか。
 
 二時間も殴り続けたと報道されていますが、長時間にわたって暴行を続けるというのは、最近のこの種の少年事件の特徴です。いったん始めると正常な感覚を失い、相手が死んでしまってから、大変なことをしてしまったと気づく事件がこれまでも起きています。
 
 こうした集団では、どれだけひどいことができるかによって仲間同士の位置関係が決まってくる。そのため暴力を競い合う状況になっていると考えられます。そのなかでゲーム感覚で相手を殴ってしまい、相手を人間としてみることができなくなっています。そこには加害者の子どもたち自身も、学校や社会で人間として扱われてこなかったという問題があるように思います。
 
 いま、おとなたちは効率優先の競争社会のなかで、会社に役に立つかどうかだけが問われ、人としての権利が尊重されていません。そういう社会のなかで、子どもたちも「人材」として育てられ、競争から脱落すると人として大切にされない。しかも、そうなったかは「自分が悪いからだ。分は役に立たない人間だ」と思い込まされています。まして相手を人として大事にしようという感覚はもたなくなっています。
 
 こうした事件をなくすためには、どんな子どもであっても、人として尊重される社会や学校・家庭・地域をつくることが一番大事だと思います。子どもが自分を肯定的にとらえられるよう、親や教師だけでなく、地域のすべてのおとなが子どもたちのことを考える、共同の子育てが必要です。(しんぶん赤旗030708)
 
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 万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。人間はある土地にほかの土地の産物をつくらせたり、ある木にほかの木の実をならせたりする。風土、環境、季節をごちゃまぜにする。犬、烏、が款をかたわにする。すべてのものをひっくりかえし、すべてのものの形を変える。人間はみにくいもの、怪物を好む。なにひとつ自然がつくったままにしておかない。人間そのものさえそうだ。人間も乗馬のように調教しなければならない。庭木みたいに、好きなようにねじまげなければならない。
 
 しかし、そういうことがなければ、すべてはもっと悪くなるのであって、わたしたち人間は中途半端にされることを望まない。こんにちのような状態にあっては、生まれたときから他の人々のなかにほうりだされている人間は、だれよりもゆがんだ人間になるだろう。偏見、権威、必然、実例、わたしたちをおさえつけているいっさいの社会制度がその人の自然をしめころし、そのかわりに、なんにももたらさないことになるだろう。自然はたまたま道のまんなかに生えた小さな木のように、通行人に踏みつけられ、あらゆる方向に折り曲げられて、まもなく枯れてしまうだ
ろう。
 
 大きな道路から遠ざかって、生まれたばかりの若木を人々の意見の攻撃からまもることをこころえた、やさしく、先見の明ある母よ、わたしはあなたにうったえる。若い植物が枯れないように、それを育て、水をそそぎなさい。その木が結ぶ果実は、いつかあなたに大きな喜びをもたらすだろう。あなたの子どもの魂のまわりに、はやく垣根をめぐらしなさい。垣のしるしをつけることはほかの人にもできるが、じっさいに障壁をめぐらせる人は、あなたの他にいない。
 
 植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。かりに人間が大きく力づよく生まれたとしても、その体と力をもちいることを学ぶまでは、それは人間にとっ、てなんの役にもたつまい。かえってそれは有害なものとなる。ほかの人がかれを助けようとは思わなくなるからだ。そして、ほうりだされたままのその人間は、自分になにが必要かを知るまえに、必要なものが欠乏して死んでしまうだろう。人は子どもの状態むあわれむ。人間がはじめ子どもでなかったなら、人類はとうの昔に滅びてしまったにちがいない、ということがわからないのだ。
 
 わたしたちは弱い者として生まれる。わたしたちには力が必要だ。わたしたちはなにももたずに生まれる。わたしたちには助けが必要だ。わたしたちは分別をもたずに生まれる。わたしたちには判断力が必要だ。生まれたときにわたしたちがもってなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によってあたえられる。
 
 この教育は、自然か人間か事物によってあたえられる。わたしたちの能力と器官の内部的発展は自然の教育である。この発展をいかに利用すべきかを教えるのは人間の教育である。わだしたちを刺激する事物についてわたしたち自身の経験が獲得するのは事物の教育である。
(ルソー著「エミール」岩波文庫 23-24p)
 
◎少年が人間として育つとは、どういうことなのか……。今年の学習目標を「エミール」に置いた。すでに三分冊読み終えているが現代青少年を見る上で大きな指標を与えてくれそうだ。それは、労働学校で学ぶ青年に密接に関係していると見ます。