学習通信030712
 
◎自然の教育力を……。

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「犯罪者の親、打ち首に」
 鴻池防災担当相記者会見で発言

 鴻池祥肇防災担当相は十一日午前の記者会見で、長崎市の男児誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と述べた。加害者の親への配慮を全く欠いた発言で、問題になりそうだ。
 鴻池氏は青少年犯罪やフリーターなど青少年問題に取り組む政府の「青少年育成推進本部」の副本部長で、政府はこの日の閣僚懇談会で対応策を検討することを確認していた。

 鴻池氏は「勧善懲悪の思想が戦後教育に欠けている」と指摘。「日本中の親が自覚するために、担任教師や親も全部出てくるべきだ」とも述べた。
 政府は同推進本部で七月末に、青少年育成の基本理念として「青少年育成施策大綱」をまとめることになっているが、鴻池氏は「スローガンばかりでは国民から批判が上が澄と述べ、大綱をまとめないで青少年犯罪問題だけを取り上げる検討会を設置すべきだと主張。

 「有識者の書いたものを政治家が味付けして出すのが大きな間違い。(大綱を)出せというなら(副本部長を)辞める。出したかったらおれの首を取れ」と息巻いた。
 鴻池氏はこの後、内閣府で記者団に「市中引き回し」などの表現について「例え話」などと釈明した。
(日経夕刊030711)
 

◎この瞬間にだれが何を発言するのか記録しておこう。

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自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしょうと、それはわたしにはどうでもいいことだ。両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間としての生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。わたしの手を離れるとき、かれは、たしかに、役人でも軍人でも僧侶でもないだろう。かれはなによりもまず人間だろう。人間がそうなければならぬあらゆるものに、かれは必要に応じて、ほかのすべての人と同じようになることができるだろう。(31p)
 
人は子どもの身をまもることばかり考えているが、それでは十分でない。大人になったとき、自分の身をまもることを、運命の打撃に絶えて、富も貧困も意にかいせず、必要とあらばアイスランドの氷のなかでも、マルタ島のやけつく岩のうえでも生活することを学ばなければならない。あなたがたは子どもが死ぬことにならないように用心するが、それはむだだ。そんなことをしても子どもはいずれ死ぬことになる。そして、たとえその死があなたがたの用心の結果ではないとしても、そういう用心をするのはまずいやりかただ。死をふせぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感をあたえる体のあらゆる部分をもちこんでいることだ。もっとも長生きした人とは、もっともよく人生を体験した人だ。百歳で葬られる人が、生まれてすぐに死んだのと同じようなこともある。そんな人は、若いうちに墓場に行ったほうがましだったのだ。せめてその時まで生きることができたならばだ。(33p)
 
自然を観察するがいい。そして自然が示してくれる道を行くがいい。自然はたえず子どに試練をあたえる。あらゆる試練によって子どもの体質をきたえる。苦痛とはどういうものかをはやくから子どもに教える。歯が生まれるときは熱を出す。はげしい腹痛がけいれんを起こさせる。いつまでもとまらない咳がのどをつまらせる。虫に苦しめられる。多血症のために血液が腐敗する。さまざまな酵母が発酵して、たちの悪いふきでものがでる。幼年時代の初期はずっと病気と危険の時期だといっていい。生まれる子供の半分は8歳にならないで死ぬ。試練が終わると、子どもには力がついてくる。そして、自分の生命をもちいることができるようになると、生命の根はさらにしっかりしてくる。(42p)
 
これが自然の法則だ。なぜそれに逆らおうとするのか。あなたがたは自然を矯正するつもりで自然の仕事をぶちこわしているのがわからないのか。自然の配慮の結果をさまたげているのがわからないのか。自然が内部ですることを外部からするのは、危険を二重にすることだとあなたがたは考えている。ところがそれは逆に、危険をそれさせ、弱めることなのだ。経験の教えるところによれば、こまごま世話をしてやって育てた子どものほうが、そうでない子どもよりも死ぬ率がずっと大きい。子どもの力の限界を越えさえしなければ力をつかわせたほうがつかわないより危険がすくない。(42-43p)
(ルソー著「エミール」岩波文庫)
 
◎社会病理が侵攻するもとで、あらためて人間を育てること≠ェ問われているのではないでしょうか。