学習通信030713
 
◎腹立たしいだけですまない。私たちの青少年観∞人間観≠ェ問われているのだから。
 
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京都新聞社説 030713
 
「打ち首」発言
貧困な発想が悲しい
 
 長崎市内で四歳の男児が誘拐され殺された事件で、鴻池祥肇防災担当相が「犯罪者の親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と述べた。
 
 「例え話だよ。僕は東映映画が好きだから」と釈明したが、その席でも「勧善懲悪の水戸黄門がはやっている」と悪のりを続けた。
 
 いたいけ盛りの幼児が被害にあい、十二歳の中学生には刑事罰を問えない。被害者の両親の「心が煮えくり返り、極刑に処してほしい」という叫びが胸に刺さったままだ。
 
 地域、友人、学校関係者には忸怩(じくじ)たる思いがあることだろう。だれもがなんともやりきれない気持ちをぬぐいきれないでいる。だれかを血祭りにあげて解決するような問題ではないはずだ。
 
 鴻池氏はさらに「犯罪者として扱わないなら、担任、校長、全部出てくるべきだ」と追い打ちをかける。
 
 人権意識の低さはもちろん、「印寵(ろう)」と「おどし」で解決できるという短絡的な発想が貧しすぎる。しかも鴻池氏は、中長期的な青少年施策の在り方を検討する政府の「青少年育成推進本部」の責任者であり、失言ではすまされない。
 
 鴻池氏は、少年犯罪の実態をどう認識しているのか。
 二〇〇一年の警察白書は「二十一世紀を担う少年のために」と題して少年問題を特集している。佐賀市の少年が西鉄バスを乗っ取り、女性を刺殺したり、大分県で高校一年生が一家三人を死亡させたなど凶意事件が相次ぎ、「少年犯罪多発時代」と位置づけた。
 
 「警察の取り組みだけでは解決しない」と強く訴えており、その後も教育現場や地域で、少年犯罪を防ぐ解決策が模索された。刑事罰の対象年齢も十六歳から十四歳に引き下げられ、厳罰化した。家庭教育の重要性も強調した。
 
 それでも今回の事件や、沖縄県北谷町の中学生死亡事件などの凶悪事件が相次いでいるのが実情だ。
 
 小泉純一郎首相は「不適切」と遺憾としたが、鴻池氏の発言の背景には、少年犯罪だけでなく、大人の犯罪も増加、社会全体がいらだっていることがある。
 
 そのいらだちから、まるで八つ当たりでもするような発言をするとは、政治家の態度としてふさわしいとは言えまい。
 
 少年犯罪の多発には、確かに親の育て方にも責任の一端はあろうが、治安大国にあぐらをかいてきた警察、有効な解決策を見いだせなかった教育関係者、政治が難題を避け、問題を放置してきたのが大きな原因である。
 
 安心できる社会を取り戻すには、その反省に立って、政治、警察、教育などすべての関係者が力を合わせる以外に方法はあるまい。
 親だけに責任を転嫁するとは。時代劇なら「悪代官」のやることだ。
 
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ここ数年、思春期の子どもによる事件が起こるたびに、日本の社会は大きく動揺してきた。さまざまなコメントが飛び交いはするが、結局のところ大人たちは「思春期に子は難しい」「何をかんがえているのか分からない」と口々に語り、彼らを理解することを最初からあきらめているかに見える。
 
筆者は大学生を教えているが、最近とみに学生が二極化していることを痛感している。何事にも努力する学生と頑張らない学生。自分で先へ先へと積極的に勉強する学生と教師から出された課題さえも遅れがちな学生。ふたつのグループの格差は年々拡がっているという印象を持っている。
 
後者のグループに欠けているものは自分を押し出す力、自分を信じる力である。彼らは自分が能力を持っていること、まだまだ伸びる力があることをあまり信じない。したがって、どこか内向きであり、人とのコミュニケーションが不得意である場合が多い。将来の方向を決めなくてはならない時期に自信を持ていないことで、彼らの不安は大きい。彼らは、おそらく支援もガイドもなしで、孤独な戦いをしているのではないか。
 
もっと早い時期に、たとえば中学生ぐらいの段階で、彼らが自分を押し出す力、自分を信じる力をつけることはできないものか。そもそも中学生は自分をどのように評価し、どのような将来像を描いているのか。親や教師に何を求めているのか。彼らは日々何を考え、何を感じて家庭生活や学校生活を送っているのか。
(河治和子著「自信力はどう育つか」朝日新聞社 3-4p)
 
◎河治和子著「自信力はどう育つか」は私たちに重要な視点を投げかけていると思います。先進的な思想をもつ家族にも日本社会の子どもを育てる力≠フ影響は避けられません。それだけに、もっといっそうに自覚的におこなう必要があります。強迫観念ではなくてね。日本人を育てる≠フではなくて人間を育てる∞人間として成長する≠アとが必要なのです。