学習通信030714
 
◎DAS KOMMUNISTISCHE MANIFEST 原典から……。
 
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共産党宣言 DAS KOMMUNISTISCHE MANIFEST
 
○1872年ドイツ語版への序文
最近25年間に事情はおおいに変化したが、それでもこの「宣言」のなかにのべられている一般的諸原則は、だいたいにおいて、今日もなお完全な正しさを失っていない。個々の点はところどころなおさなくてはならないだろう。これらの原則を実際にどう適用するかは「宣言」がみずから言明しているように、どこでも、またいつでも、歴史的にあたえられた事情にかかるものである。(7-8p)
 
○1883年ドイツ語版への序文
「宣言」をつらぬいている根本思想は次のことである。おのおのの歴史的時期の経済的生産およびそれから必然的に生まれる社会組織は、その時期の政治的ならびに知的歴史にとって基礎をなす。したがって(太古の土地共有が解消して以来)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち、社会的発展のさまざまの段階における搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級のあいだの闘争の歴史であった。しかしいまやこの闘争は、搾取され圧迫される階級(プロレタリアート階級)が、かれらを搾取し圧迫する階級(ブルジョア階級)から自分を解放しうるためには、同時に全体社会を永久に搾取、圧迫、および階級闘争から解放しなければならないという段階にまで達した。──この根本思想はただマルクスだけに属するものである。(10p)
 
○1890年ドイツ語版への序文
「宣言」にかかげられた諸命題の究極の勝利については、マルクスはひたすら労働者階級の知的発展に信頼し、その知的発展は、共同一致の行動と討論から必然的に生まれると信じた。資本との闘いのなかで生ずるいろいろの出来事や変転によって、成功、そしてそれ以上に敗北によって、闘う人びとはそれまでの万能薬がどんなに不十分であるかを知り、そしてその頭脳は、労働者解放の真の条件は何であるのかについての根本的な洞察をいっそう受けいれやすくなるにちがいない、マルクスは考えた。そしてマルクスは正しかった。
 
しかも、この「宣言」がでたときには、われわれはそれを社会主義宣言と呼ぶわけにはいかなかった。1847年には、社会主義者というとき、そのなかに二種類の人びとが含まれていた。一つは、さまざまな空想的体系の信奉者、特にイギリスのオーウェン主義者とフランスのフーリェ主義者であり、これは両者とも当時すでに萎縮してしまって、次第に死滅していく単なる宗派(セクト)となっていた。(17p)
 
もう一つは、さまざまの万能薬をのませ膏薬(こうやく)をべたべたはって、資本や利潤を少しも痛めずに社会の弊害を取り除こうとする種々雑多な社会的やぶ医者であった。
 
両方とも、労働運動の外部に立ち、はるかに多くの支持を「教養ある」階級に求める人びとであった。
 
これに対して、労働者のうちで、単なる政変では十分でないと確信し、社会の根本的改造を要求する部分、その部分の人びとは当時みずから共産主義的と称した。
 
それは単に荒けずりの、単に本能的な、時にはいくらか粗野な共産主義であった。それでも、この共産主義は、空想的共産主義の二つの体系、すなわちフランスではカベーの「イカリア」の共産主義、ドイツではヴァイトリングの共産主義をつくり出すだけの強さをもっていた。
 
1847年には、社会主義はブルジョアの運動を意味し、共産主義は労働者の運動を意味した。社会主義は、少なくとも大陸では、サロンに出入りできるものであり、共産主義はその正反対のものであった。そしてわれわれはすでにそのころ、決然と「労働者の解放は労働者階級自身の仕事であらねばならない」という意見をもっていたのであるから、われわれは、二つの名前のいずれを選ぶかについて一瞬も迷うことはなかった。それ以後も、この名前を返上しょうなどと思ったことはない。(18-19p)
 
1888年語版への序文
マルクスは、この綱領をすべての党派に満足のいくように作成したのであったが、かれは全幅の信頼を労働者階級の知的成長におき、それが共同一致の行動と相互の討論から必然的に生まれると信じた。資本との闘いのなかで生ずるいろいろの出来事や変転は、その勝利は、そしてそれ以上にその敗北は、各派のかかげるさまざまのいかさま療法がどんなに不十分であるかを人びとに意識させ、労働者階級を解放するための真の前提は何かをもっと完全に見抜く道をひらかずにはいない、とマルクスは考えた。(22p)
 
1892年ポーランド語版への序文
まず第1に注意すべきことは、「宣言」がこのごろ、ヨーロッパ大陸の大工業の発展に対するいわば一つの分度器となっていることである。ある国の大工業がのびる程度に応じて、その国の労働者のあいだに、所有階級に対する労働者階級としての自分の地位をはっきりさせたいという欲求が成長し、かれらのあいだに社会主義運動がひろがり、そして「宣言」への需要が増加する。だから、各国の労働者運動の状態ばかりでなく、大工業の発展程度もまた、その国語で普及する「宣言」の部数によって、かなり正確に測ることができる。(29p)
(マルクス・エンゲルス著「共産党宣言」岩波文庫)
 
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■朝日新聞030627《天声人語》
 「ヨーロッパを妖怪が徘徊(はいかい)している」。この有名な書き出しも忘れられつつあるのかもしれない。「共産主義という妖怪が」と続く『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)である。世に出たのが1848年だった。
 
 『宣言』を借りて「日本を妖怪が徘徊している。マニフェストという妖怪が」と言いたくなるほど「マニフェスト」という言葉をこのごろよく聞く。小泉首相は「公約のことなんでしょう」と突き放していたが、もう少し積極的な意味が込められている。
 
 「公約という言葉にはうんざりだ」「きれいごとを並べたむなしい掛け声にすぎない」。公約につきまとうそんな思いを一掃しようというねらいである。実施時期や財源まで示した政策を掲げ、政権獲得後の実行を国民に約束する。その中身がマニフェストだ。
 
 『共産党宣言』の「宣言」の原語は「マニフェスト」である。かつては、単に「マニフェスト」といえば『共産党宣言』を意味するほどだった。このごろ「マニフェストの徘徊」はあっても、本家の『宣言』はほとんど顧みられることはない。
 
 『宣言』の継承者と見られる日本共産党はといえば、目下「綱領」の改定作業に忙しい。「綱領」というと重々しいが、英語やドイツ語でいえば「プログラム」という日常語だ。少し軽くなる。こちらは外来語の方が親しみやすいかもしれない。
 
 マルクスの『ゴータ綱領批判』には、こんな一節がある。「現実の運動の一歩一歩は、一ダースの綱領よりも重要です」。どの政党にもかみしめてほしい言葉だ。
 
◎そういう意味で綱領≠ネるものの意味をつかみ、血肉にしなければなりません。さまざまな問題を正確に理解し解決の方向を汲み出すには科学的社会主義の学習は欠かせません。