学習通信030720
◎盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。
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土地は人間の栽培に関係のないものではない。人間は温和な風土においてのみそのあらゆる可能性を発揮することができる。熱帯や寒帯の土地では不利なことは明白である。人間は木のようにある土地に植えられて、いつまでもそこにとどまっているものではない。そして、一方の極端から出発して他方の極端にいたる者は、まんなかから出発して同じ目的地に到達する者にくらべて二倍の道を行かなければならない。
気候の温和な国の住民があいついで熱帯と寒帯の国へ行くとしたら、その有利なことはさらにはっきりしている。かれは一つの極端から他の極端へ行く者と同じ状態におかれるとしても、その自然の体質から半分だけ少なく遠ざかることになるからだ。
フランス人はギニアでもラポニアでも生活しているが、ニグロはトルネアではフランス人のように生活できないだろうし、サモエ−ド人はベニンでは生活できないだろう。さらに脳の組織も熱帯や寒帯の国ではそれほど完全ではないらしい。ニグロもラポン人もヨーロッパ人の感覚をもたない。
だからわたしは、わたしの生徒が地球の住民であることを望むとしたら、温帯地方にもとめることにする。たとえば、ほかのどこよりも、フランスにもとめることにする。
北国では、人間はやせた土地で多くのものを消費している。南国では肥えた土地で少ないものを消費している。そこらから新たなちがいが生じて、一方は勤勉な人間になり、他方は観照的な人間になる。こうしたちがいの似姿を社会は同一の場所で貧しい人と富裕な人とのあいだに示している。前者はやせた土地に住み、後者は肥えた土地に住んでいる。
貧乏人は教育する必要はない。その状態からうける教育は強制的なもので、ほかの教育をうけることができない。はんたいに、金持ちがその状態からうける教育は、その人にとっても社会にとっても、このうえなく不適当なものだ。それに、自然の教育は一人の人間をあらゆる人間の条件にふさわしいものにしなければならない。
ところで、貧乏人を金持ちになるように教育するのは金持ちを貧乏人になるように教育するのにくらべて非常識なことだ。この二つの階級の人数を考えてみれば、金持ちになる者のより貧乏人になる者のほうがが多いからだ。だから、金持ちを生徒に選ぶことのしよう。わたしたちは少なくとも一人の人間をふやすくことになるのは確実だ。一方、貧乏人は自分の力で人間になることができる。
(ルソー著「エミール」52-53p)
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ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニクが剰余労働にたいする渇望の積極的表現であり、その各条項がそれを合法化したものであるとすれば、イギリスの工場諸法は同じ渇望の消極的表現である。これらの法律は、国家の名によってしかも資本家と地主との支配する国家の側からー労働日を強制的に制限することにより、労働力を無制限にしぼり取ろうとする資本家の熱望を取り締まる。
日々ますます威嚇的にふくれ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノ(※)を注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行なわれたのである。この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。ここでは、周期的な流行病が、ドイツおよびフランスにおける兵士の身長低下(46)と同じように、そのことを明瞭に語ったのである。
(46)「一般的には、有機体がその種の平均的大きさを超えることは、ある一定の限界内では、その有機体の繁栄を証明する。〔……〕人間については、自然的事情によるにせよ社会的事情によるにせよ、その繁栄がさまたげられるときは、その身長が低下する。〔……〕徴兵制がしかれているすべてのヨーロッパ諸国では、その実施以来、成年男子たちの平均身長が、また全体的に見て彼らの兵役適格性が低下した。
革命(1789年)以前には、フランスでの歩兵の合格最低限は165センチメートルであった。1818年には(3月10日の法律では)157センチメートル、1832年3月21日の法律によれば165センチメートルであった。フランスでは、平均して、半数以上が身長の不足および身体的欠陥のために不合格となった。ザクセンでは徴兵の合格身長は1780年には178センチメートルであったが、いまでは155センチメートルである。プロイセンでは、それは157センチメートルである。
1862年5月9日付の『バイエルン新聞』におけるマイア一博士の報告によれば、9年間の平均で、プロイセンでは1000人の徴募兵のうち716人が兵役に不適格──317人は身長不足のため、399人は身体的欠陥のため──であることが判明した。……ベルリンは、1858年に補充兵の応召兵員を提供することができず、156人が不足であった」(J・X・リービヒ『化学の農業および生理学への応用』、1862年、第7版、第1巻、117、118ページ)。
※《南米西海岸、とくにペルー沿岸の島に産する海鳥の化石糞で、1840年以後、とくに50年代以後、 肥料として大量にヨーロッパに輸入された》
(マルクス著「資本論」原書 253p)
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◎人間を育てることの条件について考えてみよう。繰り返し読めば理解が深まります。ルソーの言を鵜呑みのするつもりはまったくありません。そこから学ぶことなのです。例えば、現代の日本人を育てるのではなく人間を育てる≠ニいう視点から、貧乏人(だいたい労働者のことでしょう)と金持ちのもっている条件を考えてみて下さい。
資本論を引用しました。(64)はマルクスが書いたものではありません。『化学の農業および生理学への応用』という表題の書物からの引用です。わたしたちもこういう姿勢をちょっとでも学び実行したいですね。