学習通信030721
 
◎交換がなければ社会は存在しえないし、共通の尺度がなければ交換は存在しえないし、平等ということがなければ共通の尺度は存在しえない。
 
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 技術の交流は技能の交換によって、商業の交流は事物の交換によって、銀行の交流は手形と貨幣の交換によって成りたつ。こういう観念にはたがいに関連があるが、その基本となる概念はすでに得られている。わたしたちはそういうことの基礎を、すでに幼年時代に、園丁ロベールの助けをかりてあたえている。
 
いまわたしたちに残されているのは、そういう観念を一般化し、もっと多くの実例にそれらを拡張して、それ自体において考えられた取り引きの機構を、各国特有の産物についてのくわしい自然誌、航海についての技術と科学のくわしい知識、さらに、場所の隔たり、陸地、海洋、河川などの位置から生じる運送の難易、などによって明らかにされる取り引きの機構を理解させることだ。
 
 交換がなければ社会は存在しえないし、共通の尺度がなければ交換は存在しえないし、平等ということがなければ共通の尺度は存在しえない。だから、あらゆる社会には、第一の法則として、あるいは人間における、あるいは事物における、契約によるなんらかの平等がある。
 
 人々のあいだの契約による平等は、自然の平等とはまったくちがったもので、それは実定法を、つまり政府と法律を必要ならしめる。子どもの政治についての知識は明確で限られたものでなければならない。子どもは政府一般については、すでにいくらかの観念をもっている所有権に関連したこと以外には知るべきでない。
 
 事物のあいだの契約による平等は貨幣を発明させた。つまり貨幣とはさまざまな種類の事物の価値にたいする比較の表彰にすぎない。そしてこの意味で貨幣は社会のほんとうの絆である。しかしどんなものでも貨幣になりうる。昔は家畜がそうだった。貝殻はいまでもいくつかの民族の貨幣になっている。スパルタでは鉄が貨幣だった。スエーデンでは皮革がそうだった。わたしたちのところでは金と鋲が貨幣である。
 
 金属は容易に持ち運びができるので、一般にすべての交換を媒介するものとして選ばれた。そしてそれらの金属は貨幣に変えられ、交換のたびに大きさや重さをはかる労をはぶくことになった。つまり貨幣の刻印はそういう刻印のついた貨幣はこれこれの重さをもつということを示しているにすぎない。そして君主だけが貨幣を鋳造する権利をもつ。その保証が一国民のあいだで権威をもつことを要求する権利は君主だけにあるからだ。
 
 この発明の効用は、こんなふうに説明すれば、どんな愚かな者にもわからせることができる。ちがった性質のもの、たとえば織物と小麦を直接に比較するのはむずかしいことだ。ところが、共通の尺度、つまり貨幣をつくりだせば、製造業者と耕作者とはかれらが交換したいと思っているものの価値をその共通の尺度にくらべてみることが容易にできる。ある量の織物がある額の金(かね)にひとしく、ある量の小麦もまた同じ額の金にひとしいとするなら、商人はかれの織物とひきかえにその小麦をうけとれば、公正な交換をしたことになる。こんなふうに、貨幣によってちがった種類の財は通約されうるものになり、たがいに比較されうるものになる。
(ルソー著「エミール」岩波文庫-上- 335-336p)
 
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 封建的中世は、そのうえ、自分の胎内に、やがて発展をとげるうちに近代の平等要求の担い手になる使命を授かった階級を、すなわち、市民階級を、発生させた。はじめは、自身、封建的身分であって、封建社会の内部で、おもに手工業的な工業と生産物交換とを比較的に高い段階まで発展させていた。そこへ、15世紀の末に、海路上のもろもろの大発見が行なわれて、そのために、一つの新しいいっそう広大な前途がこの身分の前に開かれた。
 
ヨーロッパ以外の地域との貿易は、それまではただイタリアと地中海東岸諸国とのあいだで行なわれていただけであるのに、いまではアメリカとインドとへ拡張され、まもなく、個々のヨーロッパ諸国相互のあいだの交換をも、個々の国それぞれの国内交易をも、ともに追い越すほどの重要性をもつようになった。アメリカの金と銀とは、ヨーロッパに氾濫して、まるで分解剤のように封建社会のすべてのすき間・裂け目・毛穴に押し入った。手工業的経営は、増大する需要を満たすのにもう十分ではなくなった。最も進歩した国ぐにの主要な諸産業では、マニュファクチュアがそれに取って代わった。
 
 けれども、社会の経済生活の諸条件のこのものすごい激変にすぐに続いて社会の政治的編制のこれに見あった変化が起こったわけでは、けっしてない。社会がますますブルジョア的になっていったのに、国家制度はあいかわらず封建的であった。大規模なものになった商業のためには、したがってとくに諸国民間の貿易のためには、それにもまして世界貿易のためには、なにものにも妨げられずに活動できる自由な商品所有者たちが必要である。
 
すなわち、商品所有者として平等な権利をもち、彼らの全員にとって──少なくとも個々のどの地域でも──平等な法にもとづいて交換を行なう、そういう商品所有者たちが必要である。手工業がマニュファクチュアへ移行するためには、その前提として、自分の労働力の賃貸にかんして工場主と契約を結ぶことができ、したがって、契約当事者として平等な権利をもって工場主と向きあう、或る数の自由な労働者──一方ではツンフトの束縛から自由な、他方では自分の労働力を自分で活用するための手段から自由な〔手段をもっていない〕、そういう労働者──が存在していなければならない。
 
そして、最後に、(すべての人間労働は、人間労働一般であるから、また、その限りで、平等であり、平等な資格をもっている)、ということが、近代ブルジョア経済学の価値法則のなかに、無意識的にではあるがきわめて力づよく表現された。
 
この法則によると、<或る商品の価値は、そのなかに含まれている社会的に必要な労働によって測られる>、というのである。──しかし、経済的諸関係が自由と平等な権利とを要求しているところで、政治制度は、一歩ごとにツンフト的束縛と特殊な特権とをそれに対立させていた。地方的特権・差別関税・ありとあらゆる例外法、これが、商業上、外国人や植民地住民に打撃を与えただけでなく、自国民のすべての部類にも打撃を与えどおしであった。
 
ツンフトの特権が、いたるところで、また、絶えず新しく、マニュファクチュアの発展の道をふさいで立ちはだかった。どこへいっても進路はふさがっており、競争するブルジョアたちにとって機会は均等でなかった。──しかも、この〔機会均等という〕ことこそ、ますますさしせまった第一の要求なのであった。
 
 <封建的束縛から解放し、封建的不平等をなくすことによって法的平等を確立せよ>、という要求は、まず社会の経済的進歩によって日程にのぼされると、たちまちもっと広い範囲にひろがらずにはいなかった。この要求は、工業と商業との利益のためにかかげられたものであったが、この同じ平等な権利が、〔一方では、〕広範な農民大衆──彼らは、完全な農奴制をはじめとするすべての段階の隷属状態にあって、その労働時間の大部分を恵みぶかい封建領主に無償で提供し、そのうえまだ無数の貢租を領主と国家とに納めなければならなかったのである──のためにも要求されずにはすまなかった。
 
他方では、(封建的優遇・貴族の免税・個々の身分の政治的特権をも同様に廃止せよ)という要求が現われずにはいなかった。そして、人びとは、かつてのローマ帝国のような一つの世界帝国に暮らしているのではなく、互いに対等の立場で交際している・ほとんど同じブルジョア的発展の水準にある独立の諸国家の一体系のなかで暮らしていたのだから、この要求が個々の国家を超えた普遍的な性格を帯びるようになり、自由と平等とが人権〔人間の権利〕であると宣言されたのは、自明のことであった。
 
その場合、(人権を承認している最初の憲法であるアメリカ憲法が、同時に、アメリカに存在している有色人種の奴隷制を是認している)、という事実は、こうした人権のブルジョア特有の性格をよく示している。すなわち、階級的特権は追放されるが、人種的特権は神聖化されるのである。
 
 しかし、ブルジョアジーは、よく知られているように、封建的な市民階級のさなぎから抜け出るその瞬間から、この中世的身分が一つの近代的階級へ移っていくその瞬間から、絶えずまた避けようもなく、自分の影法師であるプロレタリアートにつきまとわれる。また、同様に、ブルジョア的な平等の要求は、プロレタリア的な平等につきまとわれる。
 
<階級的特権を廃止せよ>というブルジョア的要求が提出されるその瞬間から、それと並んで、<階級そのものを廃止せよ>というプロレタリア的要求が現われる、──はじめは原始キリスト教をよりどころとした宗教的形態で、のちにはブルジョア的平等理論そのものに立脚して。
 
プロレタリアは、ブルジョアジーのことばを楯に取って言う、──<平等をただ外見上で・ただ国家の領域で実行するだけではなく、また現実にも、社会的・経済的領域でも実行しょう>、と。
 
そして、とくにフランスのブルジョアジーが大革命以来ブルジョア的平等を前面に押し出してからというもの、フランスのプロレタリアートは、たて続けに社会的・経済的平等を要求してこれに応答しており、平等は、とくにフランスのプロレタリアートの鬨(とき)の声となった。
 
 こうして、プロレタリアートが口にする平等の要求は、二重の意味をもっている。一方では──とくにごく初期にたとえば〔ドイツの〕農民戦争のさいに見られたことであるが──とんでもない社会的不平等にたいする、富んだ人と貧しい人との・領主と奴僕との・飽食する人と飢えた人との対照にたいする、自然発生的な反動である。そういうものとして、それは革命的本能の表現にほかならず、その点で、また、ただその点でだけ、正当である。
 
しかし、他方では、ブルジョア的な平等の要求にたいする反動から生まれたものであって、このブルジョア的な平等から、多かれ少なかれ、正しいもっと進んだ諸要求を引き出しており、資本家自身の主張を用いて労働者を資本家に反対して立ち上がらせるための扇動手段として役だつ。
 
そして、この場合には、ブルジョア的平等そのものとその生死をともにする。以上の双方のどちらの場合にも、プロレタリア的な平等の要求の本当の内容は、<階級を廃止せよ>という要求である。これを乗り越える平等の要求は、すべてどうしても不条理なものになってしまう。われわれは右にそういう事例をいろいろ挙げた。
(エンゲルス著「反デューリング論」-上- 新日本出版社 150-153p)
 
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◎平等≠ニはなにか。だれでもが語ることなのだが、その中身は深い。ルソーのいう平等とエンゲルスのいう平等、重なってもいるし違いもある。「人」も社会のなかで歴史的に形成される<泣\ーもエンゲルスも例外ではないのです。私たちもね。