学習通信030730
◎<一つの与えられた社会では、女の解放の度合いが全般的解放の自然的尺度である> フーリエ
 
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●太田誠一衆議院議員は鹿児島県内の全日本私立幼稚園連合会主催の公開討論会で「集団レイプする人はまだ元気があっていい、正常に近い」と発言。
 
●福田官房長官は週刊文春によると
6月27日、太田発言の夕方、官邸内で福田長官と数人の女性尾含む長官番の記 者10数人、完全オフレコ「番懇)を行った。
福田氏:太田さんは謝っちゃったんだね・・・・・・。太田さん、集団レイプが犯罪だってしらないんじゃないかなあ。だけど、女性にもいかにも「してくれ」ってい るの、いるじゃない(両手で服を開くような仕草をして)。そこらへん歩けば いっぱいいるでしょ。挑発的な格好してるのがいっぱいいるでしょ。世の中に男が半分いるっていうこと知らないんじゃないかなあ。ボクだって誘惑されちゃうよ。
 
記者:女が半分いるって事を知らない男もいるんじゃないですか。どんな格好をしていても、レイプはレイプです。
 
福田氏:そこらへん歩いてごらんなさいよ。まあ、そのへんにはいないかもしれないけど。そういう格好しているほうが悪いんだ。男は黒豹なんだから。情状酌量ってこともあるんじゃないの?これから夏になるしね。女性も悪いんだから、女性も気をつけなきゃいけないんだよ。そういうの、いると思わないか?(と男性記者に同意を求める)以下略
 
●森喜朗元首相(衆院議員)の発言
(6月26日 全日本私立幼稚園連合九州地区大会にて)
「子どもをたくさんつくった女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが、子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手といっちゃなんだけど、自由を謳歌して楽しんで、年取って……。税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ」
 
●石原慎太郎都知事の発言
 
@「週刊女性」2001年11月6日号 
 「独占激白“石原慎太郎都知事吠える!”」より
 
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。
 
まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」
 
B「平成13年東京都議会会議録第16号、平成13年12月11日」より抜粋
(渡辺康信議員の代表質問への答弁の一部)
 
「そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいたゆえんの一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。」
 
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 男と女とは、性格においても、体質においても、同じょうにつくられてはいないし、同じようにつくられるべきでもないということが証明されれば、男と女とは同じ教育をうけるべきではないということになる。
 
男と女とは、自然の指示にしたがって、協力して行動しなければならないが、同じことをなすべきではない。仕事の目標は共通だが、仕事そのものはちがっている。
 
したがってまた、仕事を方向づける好みもちがっている。自然の男子を育てあげる努力をしたあとで、わたしたちの仕事を未完成に終わらせないために、こんどは、自然の男子にふさわしい女性はどんなふうに育てられなければならないかをみることにしよう。
 
 いつも正しく導かれることを望むなら、いつも自然の指示に従うがいい。女性の特徴となることはすべて自然によって決められたものとして尊重されなければならない。あなたがたはたえず言う、女にはわたしたち男にはないこれこれの欠点がある、と。
 
あなたがたは傲慢な心にだまされているのだ。そういうことは、あなたがたにあれば欠点になるのだが、女性にあっては美点なのだ。女性にそういうことがなかったら、なにごともそれほどうまくいくまい。そういういわゆる欠点が変質しないようにするがいい。しかし、それをなくさせようとしてはなるまい。
(ー下ー17p)
 
 抽象的、理論的な真理の探求、諸科学の原理、公理の探求、観念を一般化するようなことはすべて、女性の領分にはない。女性が勉強することはすべて実用にむすびついていなければならない。男性の発見した原理を適用することが女性の仕事であり、また、男性を原理の確立に導く観察を行なうのが女性の仕事である。
 
自分の義務に直接関係ないことにおける女性の考察はすべて、男性についての研究か、趣味だけを目的とする楽しい知識にむけられなければならない。天才を必要とする仕事は、女性の能力をこえているからだ。
 
女性はまた、十分の正確さと注意力をもたないから、精密科学には成功しない。そして、自然認識についていえば、それは、男女のうち、いっそう活動的で、外へでかけることが多く、多くのものを見ている者がすべきことだ。いっそう力があり、力をもちいる機会の多い者こそ、感官にふれる存在の関連について、自然の法則について考えるべきだ。
 
力が弱く、家の外にあるものをぜんぜん知らない女性は、自分の弱さをおぎなうために働かせることができる動因を評価し判断するのだが、この動因とは男性の情念だ。
 
女性が知っている力学はわたしたちの力学よりずっと効果的で、そのすべての挺子は人間の心を揺り動かすことになる。女性は、自分にはできないこと、しかも自分にとって必要なこと、あるいは楽しいことをすべて、わたしたち男性にさせる技術を知っていなければならない。
 
だから、女性は、男性の精神を徹底的に研究する必要がある。抽象的な男性一般の精神ではなく、自分の周囲にいる男性の精神、法律によってにせよ、世論によってにせよ、自分が従属させられている男性の精神を研究しなければならない。かれらのことは、行動、まなざし、身ぶりから、かれらの感情を洞察することを学ばなければならない。
 
自分のことは、行動、まなざし、身ぶりによって、そんなことを考えている様子を見せないで、自分にとって好ましい感情をかれらに起こさせることができなければならない。彼女にくらべてかれらはもっとよく人間の心を哲学的に考察する。
 
しかし彼女はかれらよりもっとよく人々の心を読みとる。いわば、倫理の実験をするのが女性の仕事で、それを体系にまとめるのがわたしたち男性の仕事なのだ。女性にはいっそう多くの才気があり、男性にはいっそう多くの天才がある。
 
女性は観察し、男性は推論を行なう。この協力から人間の精神が自分の力で獲得できるかぎりの明晰な知識と完璧な学間、一言でいえば、人間が到達しうる、自己とほかのものについてのもっとも確実な認識がもたらされる。そして、こんなふうにして、自然からあたえられた道具を技術がたえず完全なもにしていくことになる。(ー下ー68-70p)
(ルソー著「エミール」岩波文庫)
 
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フーリエは、ただ批判者であるだけではない。いつも変わらない快活な性質のおかげで、風刺家であり、しかもすべての時代を通じての最大の風刺家の一人である。革命の没落とともに花を咲かせた思惑的投機をも、当時のフランスの商業にいきわたっていた小売商根性をも、みごとにまた愉快に描き出している。
 
それにもましてみごとなのは両性関係のブルジョア的形態とブルジョア社会における女の地位とにたいする彼の批判である。<一つの与えられた社会では、女の解放の度合いが全般的解放の自然的尺度である>とは、彼がはじめて言明したことである。(141)フーリエが最もすばらしくに映るのは、しかし、社会の歴史についてのその見解においてである。
(エンゲルス著「反デューリング論」126p)
 
(141)……とは、彼がはじめて言明したことである──たぶん『産業的・共同社会的新世界」か『宇宙統一論』かのなかでであろう。『四運動の理論』のなかには、つぎのような言明が見られる──…最良の国民とは、必ずや最高の自由を女に与えている国民である。文明人におけると同様、野蛮人や未開人においてもこのことが見られた。
 
野蛮人のうちもっとも勤勉かつ勇敢であり、もっとも尊敬に値する日本人は、女に対しても、もっとも嫉妬心がなくもっとも寛大である。……タヒチ人は、おなじ理由によって、あらゆる未開人のなかで最良のものである。……またもっとも女を迫害しないフランス人は、もっとも柔軟な国民であるという意味において、文明人のうちで最良のものである。……」(巌谷訳、現代思潮社、上、120頁)。
 
「一般命題として、社会の進歩および期劃の変更は自由への女の進歩に比例して行なわれ、社会秩序の衰微は女の自由の減少に比例して行なわれる。……要するに、女の特権の伸長はあらゆる社会的進歩の一般原則である」(同221頁)
(エンゲルス著「反デューリング論」281p)
 
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いくらかでも歴史を知っている者ならだれでも、大きな社会的変革は婦人を発酵剤にしてしか起こりえないことも知っています。社会の進歩は美しき性(醜い者たちも含めて)の社会的地位を尺度として、正確に測ることができるものなのです。
(「マルクスからクーゲルマンへ」手紙 マルクス・エンゲルス全集32巻479-480p)
 
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◎日本社会の水準……。「野蛮人のうちもっとも勤勉かつ勇敢であり、もっとも尊敬に値する日本人は、女に対しても、もっとも嫉妬心がなくもっとも寛大である」とフリーエがいっている。問題意識をもってとらえなければならないと思います。
 
「エミルー」の中にも日本があげられている部分があります。
「布教氏たちは日本に行っているのか。かれの策動はかれらを日本から永久に追放することになってしまったし、またそこでは、からの先駆者たちは、新しい世代の人びとには、偽善的な熱意をもってやってきて、武力をもちいずに国を奪おうとしたずるい策謀家として知られているにすぎない。」(「エミール」ー中ー203p)
 
◎労働学校の久米先生「女性の自立と平等をめぐって」の講義感想に「歴史上、組織上、機能上……男と女には役割が与えられてきた。そして、男は〜の為に死ぬという観が強く、女は〜の為に生きるという観が強いように思われる。男女平等を主張する女の方が圧倒的に多いと思われるが、性差というモノが存在する以上平等とは妥協であろう。」50歳以上の男性のものです。

ルソーの女性論いかがですか?