学習通信030806
◎にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを 平和をかえせ
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将来の核保有 官房長官含み
福田康夫官房長官は六日午前の記者会見で、将来、日本が核兵器を保有する可能性について「将来の方が考えるべきことだ」と述べた。「今現在、政府としてはそういう考えは毛頭持っていない。日本が持たないですむように努力すべではないか」と語ったうえで将来の可能性に含みを持たせた。
政府は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」との非核三原則を国是としている。福田長官は「現実的に国際情勢を踏まえて判断ずべきで、今現在、核抑止を持つ必要はないし、持つべきではない。持てば他国に対する脅威になり、他国の核拡大を招くことは悲劇的なことだ」と強調。同時に「他国にも核の廃棄を訴えかけていく」と語った。
政府の憲法解釈では核か通常兵器かの区別にかかわらず、必要最小限度の範囲にとどまれば兵器の保有は禁止されていない。政府は政策判断として保有しないことを決めており、原子力基本法や核拡散防止条約(NPT)で保有を禁じている。
(日経夕刊030806)
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序
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
平和をかえせ
八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴ほ絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重った河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
(峠三吉著「原爆詩集」青木文庫 7-12p)
あとがき
私は一九四五年八月六日の朝、爆心地より三千米あまり離れた町の自宅から、市の中心部に向っで外出する直前原爆を受け、硝子の破片創と数ヵ月の原爆症だけで生き残ったのであるが、その時広島市の中心より約二千米半径以内にいた者は、屋内では衝撃死又は生埋めにされたまま焼死し、街路では消滅、焦材あるいは火傷して逃れたまま一週間ぐらいの間に死に、その周辺にいた者は火傷及び原爆症によって数ヵ月以内に死亡、更にそれより遠距離にいた者が辛うじて生き残り、市をとり巻く町村の各家庭では家族の誰かを家臣疎開の跡片づけに隣組から出向かせていたため骨も帰らぬこととなった。
またその数日前ある都市の空襲の際撒かれたビラによるという、五日の夜広島が焼き払われるという噂や、中学校、女学校下級生たちの疎開作業への動員がこの惨事を更に悲痛なものとさせたのである。
今はすべての人が広島で三十万ちかい人間が一発の原子爆弾によって殺されたことを知っている。長崎でも十数万。然しそれは概括的な事実のみであってその出来事が大きければ大きいだけに、直面すれば何人でも慟哭(どうこく)してもしきれぬであろうこの実感を受けとることは出来ない。当時その渦中にあった私たちでさえこの惨事の全貌を体で知ることは出来なかったし、今ではともすれば回想のかたちでしか思いえぬ時間の距(へだ)たりと社会的環境の変転をもった。
だがこの回想は嘆きと諦めの色彩を帯びながらも、浮動してゆく生活のあけくれ、残された者たちの肩につみ重ねられてゆく重荷の中で常に新しい涙を加え、血のしたたりを増してゆく性質をもち、また原爆の極度の残虐な経験による恐怖と、それによって全く改変された戦争の意味するものに対する不安と洞察によって、涸れた涙が、凝りついた血が、ごつごつと肌の裏側につき当るような特殊な底深さをもつものとなっている。
今年もやがてなくなった人たちの八周忌が近づく。広島では多くの家庭が、一度に応じきれぬ寺院の都合を思い、練り上げたり操り延したりしていとなむ法事をそろそろひらきはじめる頃であるが、その座に坐った人たちの閉された心の底にどのような疼(うず)きが欝積(うっせき)しつつあるかということを果して誰が知り得るであろうか。
それはすでに決して語られることのないことば、決して流されることのない涙となっているゆえに一層深く心の底に埋没しながら、展開する歴史の中で、意識すると否とに拘らずいまや新しいかたちをとりつつあり、この出来事の意味は人類の善意の上に理性的な激しい拡大性をもって徐々に深大な力を加えつつあるのである。
私はこの稿をまとめてみながら、この事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の実感を伝えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。
然しこれは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひそやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべられざるを得ぬ優しい手の中へのせいいっぱいの贈り物である。どうかこの心を受取って頂きたい。
尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。
私はこのような文学活動によって生活の機会を殆ど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を軽視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。
又私はいっておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。
一九五二、五、一〇 峠 三吉
(峠三吉著「原爆詩集」青木文庫 145-147p)
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◎2003年の8月 決意をこめて読みとってください。