学習通信030810
◎「女性は恋愛だけしていればいい、ふつうに生きていればいい」という時代は終わった。
 
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 21世紀、女の子にとって恋愛はむずかしくなったのでしょうか。それとも簡単になったのでしょうか。
 
 私はよくそんなことを考えます。むずかしくなったよなぁ、と考える理由は、「女性は恋愛だけしていればいい、ふつうに生きていればいい」という時代は終わったから。
 
 私が10代の頃、若い女性の悩みといえば、なんといっても恋愛と結婚″でした。オトナの女性の雑誌をパラパラめくってみると、そこには「適齢期のうちに結婚を」とか「夫の浮気をこう見抜く」といった記事ばかりが並んでいて、「オトナの女っていうのは、発情しっぱなしなのかい?‥」とコドモ心に恐しくなったことがあります。
 
 でも、今はどうでしょう。20代、30代の女性たちは、やさしい恋人やステキな夫がいるにもかかわらず、ため息をつきます。「私、このままでいいの〜」。
 
 実は、私自身は「愛より仕事」というタイプです。目の前に、かっこいい男性とのディナーと仕事のビッグチャンスとが転がっていたら、迷わず仕事を取ってしまう。これ、マジメとか仕事好きというんじゃなくて、安定より波乱を求めるタイプ、つてことなんだと思います。
 
 私自身は、そんな自分にある程度、満足していました。「恋愛にはなかなか恵まれないけどさ、こんなにがんばって仕事してるんだから、ま、上出来じゃない」って。でも、最近の雑誌や新聞などによく登場する裁判官でふたりの母で妻″みたいなスーパーウーマンは、私のような恋捨て女≠ノも「あなた、仕事に逃げてるだけじゃない? 愛と仕事、両方ゲットすることもできるのよ」と言ってるみたいに見えるのです。
 
 いや、これはキビシイ。愛だけじゃダメ、でも仕事一途だって決してほめられない。これからの女性は、ステキな恋愛や結婚をしながら、自分自身の可能性もしっかり開花させなけれはならないのだとしたら…。ますます「この恋でいいのかしら〜」という女性が増えてくるかもしれません。
 
 「自分を偽ってでも、とにかくカツコいい男をゲットしちゃえばこっちのもの〜」なんて言っていた無邪気な時代は、はるか遠くに行ってしまったのでしょうか。
 
 でも、一方で「恋愛しやすくなったかも」と思う瞬間もあります。
 
 私の知り合いで一五歳年下のハンサムボーイと結婚した女性起業家がいますが、彼女が若い夫に求めているのは「趣味のカヌーを教えてくれることだけ。あとは自分で手に入れられるから」。夫となる人には人間性、経済力、知識や経験などすべてを求めたい、などという必要がない分、彼女の選択の幅はぐっと広がったわけですね。
 
 そういうわけで、これからの女性にとって恋愛ほむずかしいのか簡単なのかは、その人の心がけ次第。そして、その心がけをちょっと作りやすくする上で、この本に書かれていることは、きっと役立つはずです。
 
 恋する前、恋している最中、そして恋が終わっちゃったときに、気軽に末長く開いていただければ「恋を投げうってでも仕事に励む」私としても、うれしく思います。いやいや、私だってまだあきらめているわけではありませんぞ…。
(香山リカ著「「好き。」の精神分析」大和書房 p220-222)
 
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 若い頃、女の子にモテたらどんなに幸せだろうと、私は思っていました。ふられてばかりの青春時代だったからです。モテる男や恋人がいる同級生たちがうらやむしくて仕方ありませんでした。そして、社会的に成功したらどんなにすばらしい人生になることだろうと思っていました。また、お金があったら最高の人生になるだろうな、と思っていました。
 
 でも、五十歳に近くなるにつれ、モテた話をする男ほど実はそんなにモテていないことがわかりました。そして、本当に女性にモテる男は、決して自分はモテるとは言わないこともわかりました。また、ダメな男がダメな女にはモテることにも気がつきました。
 
そして、社会的成功度と幸福度は別であることにも気がつきました。お金があることと幸福度もまったく別であることにも気がつきました。幸福になるのにお金はそんなにたくさん必要がないこともわかりました。誇り高く生きることと幸福度が一致しているのです。
 
 最近、もうひとつ気づいたことがあります。それは、自分がどれだけモテたかよりも、人をどれだけ愛したかということのほうが大事ではないかということです。たとえ片思いで終わったとしても、あるいは最終的にその女性にふられたとしても、「いい女」を好きになることのほうが人生においては大事だ、ということです。「いい女」を好きになった自分を密かに誇りに思う生き方のほうが、本当はずっとカッコイイのではないかと思うようになったのです。
 
 負け惜しみで言っているのではありません。人を好きになるということの中に、幸せの原点があると思うからです。人の幸せをどれだけ願うことができたか、人の幸せをどれだけ支援できたか、そういう行為が人を幸せな気分にするのだと思います。いえ、愛されることに意味がない、などと言っているのではありません。相手の幸せをどのくらい願ったか、それに比例して悦びが手に入るのではないか、と言っているのです。
 
 さて本書は、私がたくさんの人から聞いた話を総合して書いたものです。多くの人の話を聞いていて面白いなぁと感じることは、女性が男性に求める理想像と、男性がなりたい理想像とが一致することです。
 
 男性が「理想とする男性像」になるためには、たいへんな努力が必要です。多くの人の支援も必要です。
 
 そこで、読者のみなさんにお願いがあります。もし、あなたが、英雄体験を終え、自分に自信と誇りを持って生きられるようになったら、ぜひ、若き少年たちの良き指導者になっていただきたいのです。
 
 第五章で申し上げましたように、私自身が発展途上ゆえに、まだまだ力不足です。私は喫煙者ですが、クルマの窓から吸い殻を捨てる人を見ると、クルマから引きずり出して殴りたくなるほどの未熟者です。そんな私の力不足なところを、ぜひともあなたに補っていただきたいのです。それが未来の日本に必要不可欠なことだからです。
 
 人が生きるためには多くの人の無私の愛が必要です。人生の前半は、無私の愛を受けるべき時ですが、しかし、人生の後半は無私の愛を人に授けるべき時です。愛のバケツリレーですね。
 
私たちの社会は、多くの人の無私の愛で成り立っています。親の愛や親の協力だけでは一人の少年が英雄体験をすることは不可能です。先に英雄体験を済ませた者は、次の若い世代を支援する義務があると、私は思います。一人類の進歩と調和、そして個人の幸福のために本書が役立つことを願っておわりにしたいと思います。
(岩月謙司著「女は男のどこを見ているか」ちくま新書 p231-233)
 
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◎この2冊の本は、特に「女は男のどこを見ているか」はよく売れている本です。主張されていることに賛成か反対か……ということからだけ見ないで学習≠フ対象として見ると青年が見えてくると思います。
 
◎先進的な思想をもつ青年もそうでない青年も恋≠ヘおおきなテーマです。自分の生き方と重ねてとらえることが大切です。