学習通信030812
◎「失敗」を恥ずかしいとか、取り返しがつかないとは思わない
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すぐに忘れてしまうようなささいな失敗。だれにでもある小さなつまづき。そんな「へコみ」ばかりを集めて笑い飛ばしてしまおうという本が、7月末に出版された。タイトルは「死にたい」。
〈お釣で10円玉が9枚でてきた。一死にたい〉
〈ジーパンを裾上げした。死にたい〉
〈教り言で、かんでしまった。死にたい〉
〈俺の並んだレジだけやたち進まない。死にたい〉
著者のタナトスさんは23歳のフリーター。大学を中退し、愛犬のシロが死んだ昨年秋、インターネットの・個人サイトに「死にたい」ネタを書き込んだ。たちまち投稿が寄せられ、半年たらずで3千を超えた。反響の大きさに目をつけた出版社から声がかかり、自作を含む700本を編んだ。
「本気で死にたいなんて思ってませんよ。ただ、へコんだりしたことをそのまま書いても暗すぎて、だれも読んでくれない」
だから、末尾に「死にたい」とつけて情けない自分を笑ってみせる。「泣きたい」では笑いにならない。オチにするには「死にたい」しかない、と。
(アエラ03.8.18-25 「若者 死に至る訳」p8-9)
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誰もが自分の気に入った会社に就職できるわけでもなく、理想の上司、同僚に恵まれるわけでもない。この本を読んでかつての自分の姿を思い出し、四十代の半ばの今になってあれこれ反省している、基本的に大雑把な性格なものだから、転職などもリサーチをせずに、本能のおもむくままにしたものだから、入ってからいつも、「こんなはずではなかった」と後悔する。
OL時代の憎しみの対象だった上司にも、いろいろと社会勉強をさせてもらった、雇用者の方々には迷惑をかけたと反省するけれども、若い頃はそんなゆとりなど何もなく、憎い人はただ憎かった。どこかに行ってくれないのなら、自分がどこかに行こうという気分の連続だった。嫌な人々とかかわっている時間がもったいなくて、このまま無意味に時を過ごすのが怖かった。
でも今から考えてみれば、若い頃は持っている時間は短いようだけれども、実は長いものだ。私のように辛抱もせずに、転職を続けてやってこれたのは、ひとえに運がよかっただけだ。社会に出て仕事をしようと思ったら、就職する側がきちんとリサーチをして、状況を把握しておかないといけないのだろう。
就職状況は年々変化していく。特に最近の不況では、就職もままならないと耳にする。私はOL時代、松永さんのように組織を楽しむこともなく、勉強もしないで、ただ、「もっと自分に向いているようなことがあるような気がする」と考え続けてきた。
私は組織の中ではうまくやっていけない人間なのだろうが、仕事をする立場からただひとついえるのは、自分さえちゃんとしていれば、「失敗」は「失敗」ではないということだ。「失敗」を恥ずかしいとか、取り返しがつかないとは思わないほうがいい。
長い人生から見たら、「失敗」の一度や二度、どうってことはないのだ。だいたい失敗しない人生なんて、平坦でつまらないではないか。
この本は現在、会社に勤めている女性たちには、自分の現在を見直し、就職をひかえている女性たちには、会社という組織や仕事に対する考え方を教えてくれるだろう。今やIモードの立役者となった松永さんの言葉はキャリア・アップを考える女性たちにも参考になるはずだ。もちろん辛いことはたくさんあるけれども、それをひとつずつクリアしていって、年をとったときにとっても素敵な女性になっていたいと私も思うし、多くの女性たちにもそうなって欲しいと心から思っている。
(松永真理著「なぜ仕事するの?」角川文庫 解説 群ようこ p198-199)
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まことに、誤りを固守し、それを掘り下げて基礎づけ、誤りを「どこまでも押しすすめる」ならば、小さな誤りも、いつでもとほうもない大きな誤りとなりうるのであろう。
(レーニン10巻選集第9巻「左翼小児病」 p276)
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任務がただしく提起されさえすれば、この任務の実現をくりかえしこころみるだけの精力があがりさえすれば、一時の失敗はなかばの不幸でしかなかった。革命的練達と組織者としての手腕は、おいおい獲得されるものなのだ。
ただ、必要な資質を自分にやしないたいという意欲がありさえすればよいのだ。欠点が意識さえすればよいのだ。革命の事業においては、欠点を意識することは、それをなかば以上訂正したにひとしいのだ。(p53)
目的にかなったものであるかぎり、いっさいの闘争手段、いっさいの計画と方法を原則的にみとめるということと、かりにも戦術を論じようと思えば、ある一つの政治的時期には、一貫して遂行される計画にしたがって行動する必要があるということを、混同するのは、あらゆる治療法が医学上みとめられているということと、ある一つの病気を治療するときには一つのきまった方法をまもる必要があるということとを、混同するのにまったくひとしかった。(77)
(レーニン著「なにをなすべきか」大月書店 )
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◎「失敗」を恥ずかしいとか、取り返しがつかないとは思わない……仕事でも生活でも、進歩的な運動においても、あらゆるところで失敗も成功もあります。必要なことはそのところから教訓をつかみとれるかどうかです。いわゆる次の場面(ず〜と先かもわからないが)に活かすことができるかどうか、ここです。こういう姿を「生活力」と。
◎いま労働学校では、21世紀の運営委員会第2世代(第1世代は20代の後半)、20代の前半がリーダーとして活躍しています。毎日が失敗の連続ですが毎日が前進の連続、発見があります。さらに前進するためには、第2世代の足で文字通り歩み出すことが不可欠です。そうしてこそ第1世代の運営委員もさらなる発展を期することになるのです。
労働学校運営委員会が再建されて丸1年半なのですが、新しい力が生み出されています。