学習通信030817
◎結婚とは愛情で結ばれるものだと思っていたら、この国では経済関係でなりたっている
 
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 「愛情の関係」ではなく「経済の関係」
 
 そして、「結婚を愛情関係ではなく、経済関係とみなしている」というのは、日本に10年住む女性研究者です。
 残業とは仕方なくやるもので一分でも早く家に帰りたいものだと思っていたら、日本ではそうでもないということが最初はよくわからなかったそうです。
 
 ところが、主婦から夫の早い帰宅を望まない理由をきくうちに、彼女はようやく理解できるようになりました。
「残業カットで家計が苦しいから、もっと残業してきて欲しい」
「接待で食べてきてくれるほうが、手間も食費もかからなくてありがたい」
 
 そもそも結婚とは愛情で結ばれるものだと思っていたら、この国では経済関係でなりたっていることに気づいたことで、いくつかの疑問が解けてきたというのです。
 
 たとえば、専業主婦が夫の転勤についていかないのは、なぜなのか。
 日本では夫の健康管理よりも、子供の教育環境づくりのほうが優先されるからです。夫は愛情を育む相手というより家計を支える人です。かつては、給料運搬人といわれていましたが、いまでは銀行振込みになって運ぶ必要もありません。
 
 仕事する女性が夫の転勤についていかないと、自分勝手だと親戚から非難の的になったりします。ところが、専業主婦で母の役割をつとめていれば誰からも文句を言われないようになっています。
 
 たとえば、長期にわたって夫が単身赴任を続けられるのは、なぜなのか。
 欧米では、長期の別居は離婚の原因となっています。ところが、この国ではかえって夫婦の危機を救っているとさえいわれるのも、そもそも愛情を結婚のベースにおいていないからです。生活時間帯のズレからくる煩わしさから解放され、たまに会うときぐらいはやさしくできるからです。
 
夫が定年を迎えて生活をともにするようになると離婚が増えるというのも、いかに愛情よりも経済によって関係が保たれてきたかを表わしています。(松永真理著「なぜ仕事するの?」角川文庫 p89-90)
 
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 保守化する『VERY』世代
 
香山 社会の保守化は、女性でいえば、結婚という切り口から考えるとすごくおもしろい。小倉千加子さんが、いろんな未婚女性にインタビューしているのですが、今の女性の結婚の意識は、はっきり学歴で違うというんです。女性の場合、たぶん学歴が、今、社会的な階層とか親の収入とかの、いちばん的確な反映になっているからだろうと。
 
 高卒とかの層は、もう生存するために結婚しなきゃいけない。自分が食べていくために誰か男を見つけて、共働きしなくてはいけないというのでで、生存のための結婚を選んでいる層がいる。
 
逆に一流大卒、大学院卒、キャリアの若人は、結婚は自己保存のためにする。私の今の仕事を理解してくれる人なら、結婚してもいいとかというふうに、今の自分を保存するための結婚なら、してもいいと考えている層もいる。
 
福田 ずいぶんはっきりしていますね。
 
香山 それとその中間にマスとして依存する層がいるのです。短大とか、今、短大から変わったような四大とかの女の子たち。そういう人たちは非常にはっきりと、「収入が高い人じゃなきゃ結婚しない」とかね。ファッション雑誌でいえば『VERY』とか『STORY』(ともに光文社)とか、ああいう暮らしをさせてくれる男じゃないと、結婚しないといっている。
 
そのために自分は非常に女らしく着飾ったり、自立するキャリアな女と見せかけながら、すごくおしゃれしたりして、男にゲットしてもらうとか。つまりボボズになりたい人たち。
 
小倉さんは、彼女たちはもし国が「お前たち女は、結婚して家にいろ」といったら、おとなしく「はい、そうします」とかいって、おとなしく家にいるような、非常に保守的な層だといっているんです。そういう人たちも、たぶん自分の生活を脅かず可能性がわずかでもあるような、精神科通院歴のある人かもしれないし、外国人かもしれないし、そういう人たちを排除したいという層ですよね、きっと。
(香山・福田著「「愛国」問答」中央新書ラクレ p87-88)
 
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 だが、どちらの場合にも、結婚は当事者たちの階級的地位によって制約されており、そのかぎりではつねに打算婚である。この打算婚は、どちらの場合にも、じつにしばしば、もっとも極端な売春に転化する──ときどきは双方の、ずっと普通には妻の、売春に。
 
この妻が普通の高級売春婦とちがうのは、自分の肉体を賃銀労働者として一回幾らで賃貸しするのでなくて、その肉体を奴隷状態に決定的に売りわたしてしまうことだけである。
 
そこで、フーリエの次の言葉は、すべての打算婚にあてはまる。すなわち、「文法では二つの否定が一つの肯定になるように、結婚道徳では、二つの売春が一つの徳行となる」。
 
異性愛が女性との関係で真の通則となるのは、被抑圧階級のあいだ、したがって今日ではプロレタリアートのなかにおいてであり、またそうなりうるのはそこしかない──女性との関係がたとえ正式に認められたものであろうとなかろうとも。
 
だがここでは、古典的な一夫一婦婚の土台もすべて取り除かれている。一夫一婦婚と男子支配とがつくりだされたのは、まさに財産の保全と相続とのためにほかならないが、ここにはその財産なるものがなにもなく、だからここには、男子支配を実行する動機もなに一つとしてない。のみならず、そうするための手段もありはしない。
 
男子支配を保護するブルジョアの法律は、有産者のために、また有産者とプロレタリアとの取引のために存在するだけである。この法律は金がかかり、労働者は貧乏なので、したがって労働者のその妻にたいする立場にとってはそれはなんの価値もない。そこでは、まったく別な個人的および社会的な関係が決定する。
 
かててくわえて、大工業が女子を家庭から労働市場に、また工場におもむかせ、じつにしばしば女子を家族の養い手にするようになって以来、プロレタリアの家では、男子支配の最後の残滓(ざんし)の基礎がことごとくなくなった──一夫一婦婚の実施以来はびこった女子虐待の一片が、まだのこっているのでもなければ。
 
だからプロレタリアの家族は、夫婦双方の熱烈きわまる愛と堅固このうえない貞節があってさえも、またどんな宗教的および世俗的な祝福が万一あたえられていても、もはや厳密な意味での一夫一婦婚家族ではない。
 
だから一夫一婦婚の永遠の随伴物である婚外性交と姦通も、ここではほとんどあるかなしかの役割を演じるにすぎない。妻は事実上離婚の権利をとりもどしており、夫婦仲がうまくゆかなければ、むしろ別れるほうをえらぶ。要するに、プロレタリアの婚姻は、言葉の語源的な意味では一夫一婦的ではあるが、言葉の歴史的な意味では決してそうではない。
(エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」新日本出版社 p98-99)
 
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◎結婚について 前の二つは現代の日本でのこと。エンゲルスが明らかにしていることと重ねてとらえていください。
 
◎「一夫一婦婚の実施以来はびこった女子虐待……」いまではDVも表面化している。エンゲルスの言葉売春∞婚外性交と姦通≠ネどの言葉は、激しく思えるかもしれない。しかし現実の日本には普通に見聞きしている。同棲、出来ちゃった婚、浮気、援交……いくらでもある。エンゲルスは本質的な言葉をつかっているのです。
 
◎異性愛……これは恋愛のことです。これからどんどん学習通信≠オていきます。あなたの恋愛観が吹っ飛ぶ≠ゥもしれません。泣かないで下さい。あなたが労働者であれば、本当の恋愛・結婚観を手に入れる歴史的条件を備えているのですから。
 
◎抜粋にページ数が出ているのは、みなさんに本を手に入れて読んでもらいたいからです。「反デューリング論」や「家族・私有財産・国家の起源」を手に入れて読んでいくと力になります。また、読んでもわからん!≠ニいうこともあるかもしれません。それは当然といえば当然です。5〜10回読んで討論すれば分かるかもしれません。
 
学習通信≠ヘ学習の対象なのですからしかたありません。プリントして熟読している方もおられます。毎日モニターで眺めているだけでは、まず身につかないでしょう。