学習通信030826
◎学習通信030812 につづいて その2 人間はだれでもミスはする
 
■━━━━━
 小さなことを見過ごしたり、なおざりにすると、思わぬことでつまずいたりする。つまり小さなことが完璧にできる人は、大きな仕事も完璧にこなせる資質が備わっているのだ。
 
その道に、大きな仕事ならやりがいがあってできるが、目に見えぬ、人が気づかないような小さな仕事をいい加減にする人間は、必ずどこかでミスをし、それに気づいたときには修正のきかぬほどの問題へと発展していることがあるのだ。
 
 人間はだれでもミスはする。しかし、小さなことができる人間がミスを犯したときには、その小さなミスも発見することができる。しかし、小さなことをなおざりにしてきた人間は、その小さなことへは目がいかない。つまり、小さなミスを見逃して大きなミスをこうむったり、大きなミスを犯す可能性が往々にしてあるのだ。
 
 それに、小さなことができた人間が、大きなことを任されるような立場になったとき、小さな仕事をしている人なりの、痛み、というものを理解していることも大きいと思う。
 
 もちろん、当時十八歳のぼくにそこまで考えが及んだかといえば、そんなことはありえない。そのときになにかに気づきはしたが、そんな小さなことの積み重ねが、膨大な量から価値ある質へと変化を遂げていくなどとは思いもしなかった。それこそ、そういったことになりうるのだということが理解できたのは、つい最近のことかもしれない。
(郷ひろみ著「ダディ」幻冬舎 p275-276)
 
■━━━━━
五 失恋や失敗が人をかしこくする
 
実験をすると、ミスをしたサルのほうが記憶の定着率がいいのです。脳は消去法のように、「ミスをした方向に進まないことで道を選ぶ」という性質があります。間違えることは、脳にとっては飛躍のチャンスなのです。失敗や失恋が人をかしこくさせるのは、このせいです。
(池谷・糸井著「海馬」朝日出版社 p215)
 
■━━━━━
 
失敗をおそれず、困難を避けず──嵐は幹部・活動家をきたえる。
 
 「嵐はつよい樹をつくる」というように、困難は活動家をきたえる。失敗をおそれず、困難にまけないこと、困難、ピンチのときこそ、幹部・活動家のの真価が問われるときである。
 
 失敗しないものは、なにもしないものだけである。
「失敗することが悲しいのではなく、失敗の原因がわからないことが悲しい」のである。
 
二度と同じあやまちをおかさないひと、決定的に重大なあやまりをおかなさいこと、このことを自らも、またお互いのあいだでもつねに戒めあうことである。
 
 また、困難は、避けることによって解決することはできない。困難はのりこえるべきものであり、またのりこえることができるものである。
 
なぜなら、われわれの要求とたたかいは正当であり、敵の行動や攻撃は不当であり、腐敗のなかからうまれた反動的、反民族的なものであって、そのゴマカシと邪悪なネライを大衆にバクロされることを、つねにおそれながら加えてくる攻撃であるからだ。
 
 困難ななかに、散の弱点と矛盾をみつけだし、味方を結集して、はじめて、情勢をきりひらいて、不利を有利に変えることができる。
 
 敗北主義におちいったときには、敵の力がバカに大きくみえるものである。また、油断をし、なんとかなるだろうと楽天的にかまえて、なにもしなければ、手おくれになる。
 
 幹部・活動家は、目先きのことに目をうばわれて一喜一憂することなく、つねに、全局面に目をくばって、敵の弱点と矛盾をつく能力、困難にぶつかって動揺しない冷静さと不屈の精神を実戦のなかできたえなければならない。
(月刊:全自運 1972.7 p41-42)
 
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎誤りに気づいていても、それを訂正する勇気をもてないでいる先進的仲間がいます。
 
「まことに、誤りを固守し、それを掘り下げて基礎づけ、誤りを「どこまでも押しすすめる」ならば、小さな誤りも、いつでもとほうもない大きな誤りとなりうるのであろう。(レーニン10巻選集第9巻「左翼小児病」 p276)」学習通信030812 
 
◎客観的な条件を正確に捉えれば、自らが犯している問題も鮮明になるでしょう。自らの成長を拒んでいることがわかるはずです。社会発展に自らの歴史を重ねて!……。