学習通信030828
◎楽しみ″を追っかける小市民的な夢に安住している人間……
 
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 小市民的な夢に安住するな
 
 自由競争の経済界で生き抜くためには、物ごとを計る尺度が要求される。経済観念″である。といっても、家計のやりくりをするような経済観念とは質を異にする。会社という自由企業のなかで、自分を計る物差しと思っていただきたい。たとえば、次のような物差しを使う社員がいてもよい。
 
「ふつうに定年までいれば、三〇〇〇万円はもらえるとする。五分の利子と換算すれば、自分の全姿本は六憶円である。だが欲″を出さなければ、六億円は永久に六億円だが、六億円を十億円に増やすチャンスは毎日ころがっている。深夜、上役から自宅へ電話がかかった。女房が××さんは非常識だ、いま何時だと思っているのか″とぐちる。
 
本人もその気になって、そうだな、明日会社でとっちめてくる>氛氓アんなとき、おれならどうするかと考える。深夜の電話に文句をいっていては、六億円はびた一文増えはすまい。この電話も資本拡大のチャンスと考えたい」
 
 これはほんの一例である。人それぞれが独自の物差しを持てばよいのである。ただ、繰り返すようだが、金銭だけに物差しを当てるのは近視眼的だ。技術発展に伴う知恵までも計るべきである。いくら札束を積んでも買えない無形の報酬もあることを忘れてはいけない。
 
 この〃経済観念〃は見方によれば、会社のなかでの自分の存在を確かめる基準ではないだろうか。この基準がないと、永久に「おれはちっぽけな歯車にしかすぎない」というコンプレックスから抜けきれない。
 
 このコンプレックスが高じると、始末に負えない安楽主義の虜になる。「どうせおれは出世できない。せめて楽しい生活≠送ろう」というわけだろう。だから、若いサラリーマンに「あなたの夢は?」と聞くと、「自分の家を持った楽しい生活がしたい」という答えが返ってくる。さらに楽しい職場≠ニいう言葉が飛び出す。いったい彼らが求る楽しい職場≠ニは何をいっているのか?
 
 まず社員寮は完備している。立派で安い社員食堂がある。スキー場や温泉地には、きれいな社員寮がある。休日はそれを利用してレジャーを楽しむ。これでは、会社は福祉施設になってしまう。日本みたいに福祉施設の完備した会社は、アメリカのどこへいっても見当たらない。
 
 はじめに書いたように、会社とはあくまでも儲ける〃ための団体である。血みどろの戦いの場である。本当の戦争にも慰安はある。次の戦闘の士気を鼓舞するための手段だ。会社の福祉施設の意義も、あくまで次の活力を生むためのものでなければならない。それを楽しみ℃ゥ体に目的を持たれては、たまったものではない。
 
 楽しみ″を追っかける小市民的な夢に安住している人間を、だから私は、ビジネスマン失格者と見なす。安閑としていては、会社の成長についていくことは難しい。会社の成長といっても、会社の規模が大きくなるということだけではない。会社のなかで、物ごとを考える速度についていけないことも含んでいる。
 
 ソニーでは、口の悪い連中にいわせれば朝令暮改″といわれるほどに、すべてのものが進行している。小市民的な夢に溺れていては、この荒波に耐えることができずに、置き去りにされても不思議ではない。
 
 口うるさいほどにいいたいのは、会社とは欲″と二人連れの、儲けるための団体である。この儲け=@の精神を忘れたとき、すべてのサラリーマンは、失格者として進歩から見放されるであろ。
(盛田昭夫著「21世紀へ」WAK ワック出版部 p73-75)
 
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六 幹部の団結=集団の力
 
 今の社会状況はたいへん複雑で、世界中が激動しています。こういう時代に労働者・国民の利益を守って資本とたたかうには、経験と勘だけでは勝てません。やはりしっかりした勉強を積み重ねていくことが大事です。
 
 また、労働組合運動はある意味で職人芸が要求されます。熟練工になることが必要です。こういうもの全体を養っていかねばならないということになれば、やはり勉強し、自分をみがいていくしかないと思います。
 
 実務能力も理論も勘も必要、その全部を備えればいいのですが、人間は力に限界がありますから、すべての能力を兼ね備えるというわけにはなかなかいきません。
 
 すべての能力を兼ね備えるように努力しなければなりませんが、大事なことは、幹部の集団としてそういう能力をどう備えるか、ということをしっかりおさえる必要があるということです。
 
 すべてに勝った能力を持っている人は、指導者として限界があるのです。
 何でもできますから、すべて自分のところに仕事が集中してきますが、個人の力には限界がありますから全部は消化できなくなってきます。幹部として小さくなります。
 
 たとえば私は実務能力がほとんどないんです。だからいつでも助けが必要です。しかもパートナーは自由に選べるわけではないので、きらいな人でもしかたないし、大事にしてきました。それで私はこの年まで活動を続けられたのだと思います。
 
 集団としての幹部の力をどうやってつけていくかが大事だと思います。
 
 そのためには、先ほども述べましたが、お互いに勉強を続け、自分自身をみがくということが大切です。ただこうしたことは幹部でなくても、一人の労働者でも、人生を生きていくために必要な条件です。
 もちろん勉強といっても、固いことだけをやるのが勉強ではありません。
 
 たとえば中里委員長は、ガンガン演説するだけでなく、ナイーブな感覚を体の中にもっています。
 
 どこでそういうものが養われているのかといえば、日本画を描いているのです。ヒョッといい景色があると、一心に見て頭の中にたたきこみ、家に帰ると描いています。ちょっとした暇をみつけて美しさを体の中にためているんです。池貝の争議でも、労働者の感情にふれる行動が多かったのですが、こういぅところにそれが出ていると思います。
 
 第二節で、裸の姿といいましたが、こういうものを養ってほしいということです。
 
 そういう意味で勉強というのは科学的社会主義の本だけ読めという意味で申し上げているのではないということです。
 大いに勉強して下さい。
 
七 幹部を選ぶ私の基準
 
 「幹部を選ぶ私の基準」とは、これから幹部になっていただきたい人の基準としてあげるもので、JMIUの中央の幹部を選ぶ基準ではなく、職場でこういう人に目をつけたらいいのではないか、という意味です。
 
一、まじめに考え行動する人
二、仲間に信望の厚い人
三、権力、資本とゆ着しない人
 
 一般に、みなさんが自分の後継者、新しい幹部を選ぶ場合に、階級的であるかどうかとか、でしゃばりではないかとか性格がどうかなどと考えて、そうした基準をつくりがちですが、そうした点は幹部として実際に活動していくなかで壁にぶつかり、変わっていくものです。
 
でしゃばりすぎてまずければ、でしゃばらなくなります。どう成長するかという問題ですから、基本はいつでもまじめに考え、行動に移せるかどうかだと思います。
 
 また、労働組合は、宗教、党派、年齢、性別さまざまな人びとの集団ですから、その幹部にいろいろな人がいるのは当然です。
 
 ある労働組合のすぐれた幹部で、信望を集めている方で、組合活動に入る前には創価学会の熱心な会員だった人を知っています。
 
 まじめに考えて行動したために労働組合の中に入ってしまい、幹部になってしまったのです。そして、今では学会とは関係なく、理論的根拠は科学的社会主義になっていますが、そのまじめさは変わっていません。
 そういう意味で三つの基準をあげました。
 
八 幹部をどう養成するか
 
 人にはさまざまな特徴がありますから、たとえば中里さんのようになりなさいといっても、あんなに体が大きくなれる人はあまりいません。中里さんの体格も、一つの個性です。そうした個性は、その人の体から発散してくるものであり、基本的にはみがかなければダメです。
 
原則をしっかり学んでみがく、そのみがき方は人によって違いがあり、それぞれがそれぞれの方法で、一所懸命みがくことだと思います。
 
 しっかりした人生観、自分なりの生き方を確立することが大事です。ワンパターンの幹部をつくろうとしても無理ですし、それではいい幹部にはなりません。
 
 JMIUの幹部も、特徴も得意な面も、みな全然違います。その人たちが集まって、JMIUの幹部団をつくり、JMIUは魅力があると思われるようになります。
 
 お互いの長所を認めあい、尊重しあい、勉強しあってはじめて一つの組織になると考えています。一人ひとりがみがいていないと、その中のバランスが崩れてしまいます。
 
 そして大量にそうした幹部を育成するにはどうすればいいかといえば、学習会を何回も一所懸命やるとか、幹部はたえず集まって討議するとかなどであり、特別な方法はないと思います。
 
 しかし、それにしても後継者が育ってこない、どうすればいいか、などという悩みは各地できかれます。
 
 後継者が育ってこないということは、一面ではそこの幹部がよくやっていることの反映です。しかし、そうした幹部がそこにいる限り、頼りにされ、その人を越える幹部はなかなか生まれません。ですから、大胆に仕事を委譲していくことが必要です。
 
 また、立っている舞台が違うと、器が違ってきます。器を大きくして中身を充実するためには、できるだけ大きな舞台に立たせることだと思います。
 
 支部の幹部を地域の幹部集団にどれだけ組みこむか、職場末端の幹部を支部全体の活動の中にどれだけ組みこむか、たえずそうした場に立たせて高めていくこと、そして抜てきすることが大事です。
 
 また幹部は方針書などを書いたりする仕事があるわけですが、「方針書や議案書が上手に書けない」とか、「ニュースの原稿がはやく書けない、どうすればよいか」 などときかれることがあります。
 
 しかし私なんか旧制小学校しか出ていないんです。文字への親しみはみなさんの方がずっとある。
 私も文章を書くときは徹夜になることが多いんです。機関紙を編集している人たちを見ていても、全身全霊を傾けてやっています。殺気みたいなものがただよってますよ。
 
 文章を書くというのは身を削る仕事だ、などともいわれますが、やはり楽に書こうなどとしない方がいいんです。自分の生命をうつす──そういう真剣さが大事であり、それがないと心を打つ文章はできません。
 春闘方針なども、狎(な)れで、やっつけてしまうと実のないものになってしまいます。
 
九 読書のすすめ
 
 いくつか思いつきで本をあげておきます。 松田解子 『おりん口伝』は、明治から大正にかけての社会状況がわかります。
 司馬遼太郎『菜の花の沖』を読みますと、日本の封建社会が崩壊していく経済のしくみ──商業資本が活動しはじめ、コメを中心とした現物経済が破壊されていく過程がよくわかります。
 
 そういう意味だけで読めと勧めているわけではなく、『菜の花の沖』なら、高田屋嘉兵衛の生き様にほれて、この本を勧めるわけですが、その副産物としてこの二冊から、徳川末期から明治、大正の社会背景が理解できます。
 
 また、たとえば宮寺精一さんの本をよめば、現代の状況がわかり、小林多喜二『蟹工船』をよめば、大正から昭和の時代がよくわかります。
 そういうものを含めて、労働者のたたかい、人間としての生き様、どのようにして人間は生きていくべきか、という問題を含めての私のすいせんです。
 科学的社会主義の古典とあわせて、こうしたものもぜひお読み下さい。(JMIU編「労働組合を強く大きくするために」学習の友社 p122-127)
 
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プロレタリアの修身
 
  一
 
 昔、加賀百万石のお城下まち金沢で、石田芳之助外七八名の同志によって、些やかな陰謀事件が企てられた事があった。
 
 その頃は徳川も末期に近く、加賀百万石と雖(いえど)もその「大世帯」をやり繰りして行くことは、容易でなかった。この事件は、時の家老大村玄蕃が財政立直しのために、お家中の侍の禄高を一斉に削り、ドシドシ人員の淘汰をやったことから起った。
 
 そうでなくても、職を離れ、食えない浪人が野にも山にも満ち充ちている。──時がそういう時だったので、家老大村を憎む声が加賀藩を圧して、勃然と起った。
 
 その先頭に立ったのが、石田芳之助だった。義憤に燃ゆる若い家中の同志を集め、他方では不平不満の浪人と結び秘密な組織を作り、家老大村を無きものにしようと、はかった。
 
 これが今だと、職場にいる労働者が失業労働者と手を結びあって、デモをもって資本家をやッつけろ!となるところだろう。
 
 けれども、由井正雪の事件のほとぼりが未ださめ切らない時なので、一人々々同志を獲得するのには、非常な苦心と用意が必要だった。──丁度この時、候補者に上っていた武田と野口のいずれを仲間に引き入れようか、ということが問題になっていた。色々なことが引き合いに出されたが、その人物といい、学識といい、武田の方がしッかりしているという事は疑いなかった。
 
「文句なしに、それア武田だ!」
皆がいった。
「野口とじゃ、誰が見たって段違いだ!」
「そうだ!」
 石田芳之助は然し最初から黙って、みんなのいうのをきいていた。彼は何か考え込んでいた。
「石田氏は?」
 最後にうながされたが、彼はそれについてはモウ三日だけ待って貰いたいといった。
 
 三日目だ。
 皆が集まって待っていると、彼は少し遅くれて、階段をギシギシさせながら上がってきた。──期せずして、皆の視線が彼の口元に集まった。「われわれは野口を選ぼう!」彼が座についた時、キッパリといった。
──えッ?
 
 その意外さに、皆は思わず声を出した。
「あのデクの棒がけ」
「それア間違ってる!」
「石田氏とも覚えない事だ!」
 皆はとりどりにいった。
「誰が何処から見たって、武田の方がガッちりしてる!」
 
 然し、彼はそれに対して一言もいわなかった。こらえ兼ねて、一番年かさの謂わば今度の陰謀の女房役である同志が膝をにじり寄せた。
「石田氏! その理由を承わろう!」
 瞬間、皆は口をつぐんで、息をのんだ。
 彼はしばらく相手の顔を見ていた。そしてたッた一言云った。
 「武田は朝寝をする男じゃ!」
 
  二
 
 「四・一六事件」で、北海道地方のオルグとして検挙された森本良玄という、坊主のような名をもった党員が、裁判所で予審判事に取調らべられた時だった。
 
 判事は、この森本が同じ仲間であった島田と伊藤に対して、島田だけを党員に勧誘して、伊藤をそうしなかったのが、どうも怪しいとにらんだ。
「お前はその事実が無いとガンばるが、島田と伊藤を比らべれば、誰だって人間としては伊藤の方が上ではないか。」
 (この伊藤というのが私なんだが。)
 
 森本は判事のそんな問いを相手にもしないで、窓から久し振りで外の景色を見ていた。が、ニヤニヤ笑いながら、
 
 「伊藤は何ンしろ朝寝坊なんでねえ。」
と云ったそうである。
 
 オルグだった森本が石田芳之助の話を知っていたのか、どうか私は知らない。彼は或いは「講談倶楽部」か「キング」で、そんなことを読んだのかも知れない。街頭連絡に出掛ける時など、よく電車の中で「キング」や「講談倶楽部」を読ませられていたから。
──然し若しそうだとすれば、これは却々皮肉で、愉快なことではないか。
 
 だが、それはそれとして、諸君! 君たちは何時でも「朝起き」をしていますか?
(小林多喜二全集第六巻 p37-39 「プロレタリアの修身」)
 
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◎楽しみ″を追っかける小市民的な夢に安住している人間……とは盛田氏です。「会社とは欲″と二人連れの、儲けるための団体である。この儲け≠フ精神を忘れたとき、すべてのサラリーマンは、失格者として進歩から見放される」と。利潤第一主義を貫くSONYの創業者の面目躍如の一言です。たまりません。
 
◎JMIUの冊子にある。「すぐれた幹部で、信望を集めている方で、組合活動に入る前には創価学会の熱心な会員だった人」とは京都の人です。いまから三〇年前の京都中央労働学校卒業生です。
 
◎今年は小林多喜二生誕100年没後70年です。私たちも含めて人を見る≠ニいうことの要をまなんでください。
 
◎京都中央労働学校運営委員会には、少なくとも指導部、幹部と言われる人が数人います。その仲間の姿が労働学校の未来を準備するのは間違いありません。それだけに学ぶことが多い学習通信≠ナはないでしょうか。