学習通信030908
◎人間が生きる、……それは自己保存に通ずる。そんなところにも笑い〃が……。
 
■━━━━━
紳助◎ 何でもないような素材から、笑いを生み出す
 
 僕らはネタを作って、それで笑いをとっているわけではない。
 我々は料理人みたいなものなのだ。
 たとえば、普通のおじさんが喋ったことを、一般の人はおもしろいと感じない。
 
 でも、我々は、その人がいったことをおもしろいと感じるのだ、勝手に。なぜおもしろいと感じるのかというと、その話を自分の中で変化させているからだ。
 
 漁船から港に陸上げされる大量の魚を見て、「美味そうだ……」という人もあまりいないだろう。そのただの魚を、誰も想像もできなかったような料理に完成させるのが僕らの技術であり、感性なのだ。
 
 普通の人から見たらなんでもないような素材から、笑いを生み出す。材料はどこにでも転がっていて、それは永遠になくならないわけだから、料理が作れる限りは続けられるはずなのだ。
 
 僕らが話をするのを聞いて、どうしてそんなおもしろい経験ばかりしているのだろうと、一般の人は思うかもしれない。
 
 けれど、それは違う。
 僕らだって、普通の人と同じように、平凡な普通の日常を生きている。その平凡の中から、素材を見つけ出し、料理しているだけなのだ。
 
 逆にいえば、本当のおもしろい現実、完成されたおもしろい話ほど、話をする場合にはおもしろくできない。
 
 おばさんがバナナの皮ですべって転んで、買い物寵の中のタマネギがごろごろ転がって、クルマがスリップして、銭湯につっこんで、女湯から裸のばあさんとじいさんがぞろぞろ飛び出してきた……なんて現場に実際に僕が居合わせて腹を抱えて笑ったとしても、きっとその話はテレビでしないと思う。
 
 そのおもしろさを100パーセント伝えるのは難しい。
 その現実以上に話をおもしろくすることはできないし、それを喋っても、おもしろさは現実よりどうしてもパワーダウンしてしまうのだ。
 それは、そこに僕が介在して、料理することができないからだ。
 
 これはへ理屈といえばへ理屈だけれど、僕はあまり本を読まないのだが、その理由もそういうところにあるのかもしれない。
 本というものは、つまり調理済みの料理みたいなものだから。
 料理人が興味があるのは、誰かが料理したものではなく、生の素材なのだ。
 だから僕は、どんなおもしろい小説を読むよりも、普通のおじさんと喋っている方が、ずっとおもしろかったりする。
(島田・松本「哲学」幻冬舎 p108-111)
 
■━━━━━
笑いとは
 
 進化論で有名なダーウインは、今から百年も昔、「人及び動物の表情」という論文の中で、「笑いとはエネルギーの氾濫なり」
 そう定義しています。
 
 ダーウィソは笑い″を追及し、赤ん坊の眠っている姿の中で真理を発見する。赤ん坊がお乳も一杯のんで満腹、おむつもかわいていて気分良好。その子が成長して行くのを、さまたげる何物もない。すべて満足の状態。はち切れるような健康。そしてそのエネルギーがふきこぼれるような! そんなときその赤ちゃんが、ニコッと笑うのです。誰しもそんな状況を一度や二度は見たことがあろうと思います。−そんな状態をダーウインはみて、これこそ笑いの発生する原因だとしているわけです。
 
「笑いは生殖腺のシゲキによって生れる」それは人間が生に対して生活をいとなむからだと説いてる医学者もいます。
 人間が生きる、そして自分の種を自分の次の生命につなげる。それは自分の肉体の持続につながる。それは自己保存に通ずる。
 そんなところにも笑い〃が生れるのです。
(大空ヒット著「笑いの話術」新日本出版社 p43-44)
 
■━━━━━
 シェクスピアと近松を同時代人として比較する人があるが、私にいわせれば大きな差異がある。それはシェクスピアがあれほど多くの喜劇を書いているのに近松は書いていないことである。そして書いているのは義理と人情というのを責道具にした悲劇である。凡そ喜劇の狙っている人間性の解放ということと程遠いのがこの義理人情であろう。
 
しかし我々は近松を責めることは出来ない。なぜなら、徳川の治世下の芸術家は厳重な統制と規制を受けていたので、徳川芸術は検閲下文化なのだ。このところ流行っている言葉でいうなら人々は「奴隷の言葉」で書かねばならなかったのだ。
 
あの浄瑠璃や歌舞伎の脚本が型にはまっているのは作者の罪というより自分たちに都合のいいイデオロギイの宣伝具としての性格を持っていなけれは興行物は許されなかったからである。だから御家に忠義の忠臣が主人公でなければならず、常に英雄は御家の重宝が紛失したその行方を探しているのであった。
 
見物人はこういう政府御用のイデオロギイの部分は酒を飲んだり雑談をして、ろくに頭の中には入れず、さわりだけを楽しんでいたのであろう。書く人々も、一応体制の線には沿いながら、この窮屈な中で何とか新味を出そうと苦慮している。笑いなどなかなか挿入出来なかった深い事情があったのだ。
 これというのも笑いが下剋上の本質を持っていることを徳川の為政者は知っていたのであろう。(p21)
 
 日本の笑いは殆ど取り締まられて来たのである。笑うことは不真面目で、不道徳でさえあった。確かに、徳川氏にとって自分たちの不行跡や矛盾が鋭い民衆の日を逃れられず笑いという武器で攻撃されるのは耐えられないことであったろう。
 
戦国時代それを痛感していた徳川家康は将来を見通していたのだろうか、儒教というユーモア皆無の孔子の教えを政治の根幹とした。そして笑いを手近なサムライの世界から追放し、笑いを危険視し、この運動を展開して町人にまで拡大した。そこで義理人情が前面に押し出されて「ここでは悲劇ばかり流行る」ことになったのだ。
 
 私は、かつてのNHKの「日曜娯楽版」を三木トリローと共に、やった一人であることを告白するが、まだ大きな新聞社の中の一員であったから、極力身分をかくして参加し、吉田内閣を揶揄(やゆ)していた。これは終戦後、『アサヒグラフ』の編集に携わることになったので、連合軍の検閲下でどれくらい諷刺が出来るか、やってみた、その余勢のようなものであった。
 
 吉田内閣はNHKを圧迫して、ついに「日曜娯楽版」を、とりつぶさせた。それは私の属していた『朝日新聞』の社会面のトップを飾る特種になったが、ある意味では私の執筆が禁止された私事でもあったのである。私は日本のおよそサムライ的官僚というか政治家の中で吉田茂氏などはユーモアの点では抜群と思っていたのだが、結局、彼もサムライの一人で禁圧という強硬手段で、我々に対抗したのであった。
 
当時、英国人から「君たちは英国の放送の人気番組からヒントを得たのだろう」といわれたが、当時、そんな情報すら私たちは得られなかったのだから全く偶然というか、圧政の下では必然的に生まれるものが生まれたというべきであろう。
 
 今、ラジオやテレビが、これほど盛んであり、笑いのものが、大いに歓迎され、しかも検閲もないというのに、なぜ、あの嘗て「日曜娯楽版」や『アサヒグラフ』の「玉石集」に見られたような生き生きした諷刺がないのだろうと、よく人から、いわれることがある。
 
私は「それはあの時は乱世であったからですよ。圧迫されればされるほど、民衆の内圧は高まるのです。今、あんな風にやってみろといわれても、私たちあの時のメンバーが、あれほど生き生きとやれるでしょうか、多分、やれないでしょうね」と、いつも答える。
(飯沢匡著「武器としての笑い」岩波新書 p33-34)
 
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「人間が生きる、そして自分の種を自分の次の生命につなげる。それは自分の肉体の持続につながる。それは自己保存に通ずる。そんなところにも笑い〃が生れる」
 
「笑うことは不真面目で、不道徳でさえあった。確かに、徳川氏にとって自分たちの不行跡や矛盾が鋭い民衆の日を逃れられず笑いという武器で攻撃されるのは耐えられないことであった」
 
「普通の人と同じように、平凡な普通の日常を生きている。その平凡の中から、素材を見つけ出し、料理しているだけなのだ。」
 
◎島田・松本の笑いが、普通の人の本質に迫るなら……と思います。お腹の底から笑う日……私たちの知恵を研ぎ澄ましましょう。