学習通信030909
◎子どもが聞きわけるのはことばの意味ではなく、それにともなう抑揚なのだ
 
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 新生児は生後二、三月で両親などが使う母語を他の昔と聞き分けている──。日立製作所は八日、伊・仏の研究所などと共同でこんな研究結果を発表した。日立が独自開発した脳機能解析装置を使った成果で、今後、子供の教育法の開発などに応用し新事業に育てる。
 
 頭に近赤外光を当て脳内の血流の変化を調べる「光トポグラフィー」と呼ぶ装置を利用した。
 
 イタリアの病院で両親がイタリア語を話す生後二ー五日目の赤ちゃん十二人を対象に実験。イタリア語の会話やこれを録音したテープを逆回しにして聞かせ、何も聞かせない状態と比較した。母語を聞いたときには左耳の上にある言語聴覚野という領域が活発に活動していた。
 
 大人が母語を認識するときにもこの領域を使うことが分かっている。「新生児は母親の胎内で言葉を聞いて覚えているか、もともと能力をもっている可能性がある」と研究チームはみている。
 
 日立は成果をもとに脳機能障害の早期診断法や脳の発達を促す教育法の開発などに取り組む計画。研究には日立メディコ、イタリア国際先端研究所、仏国立認知科学研究所などが参加した。(日経新聞 030909)
 
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 赤ちゃんは生後二−五日で、母親が話すのと同じ言語の言葉を他の音と聞き分けていると、日立製作所基礎研究所とイタリア国際先端研究所などが八日発表しました。近赤外線で脳活動を直接観察した成果で、言語機能は生まれたときから左脳が優位であることも分かりました。研究成果は『米科学アカデミー紀要』の電子版に掲載されます。
 
 基薇研の小泉英明主管研究長は「赤ちゃんは母親のおなかの中にいるときから聴覚が発達しているので、イントネーション(抑揚)やアクセントで母国語を識別できるのかもしれない。しかし、実際に何を手掛かりにしているかは、今後調べる必要がある」と話しています。
 
 研究グループは、両親の理解を得やすいイタリア・トリエステの病院で、新生児十二人を対象に実験。頭皮に光ファイバーで透過性の高い近赤外線を当て、脳の血流の変化を調べる「光トポグラフイ」と呼ばれる装置を付け、録音テープでイタリア語の話を聞かせたほか、テープを逆回転させたり、何も聞かせなかったりして計測しました。
 
 その結果、晋通に話を聞かせた時に限って、左耳の上辺りの脳の血流が活発になることが、画像で確認できたといいます。
(しんぶん赤旗 030909)
 
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 欲求をみたすために他人の助けが必要なばあい、その欲求から生じる不快の念はいろいろなしるしで表現される。そこで、子どもは叫ぶ、泣いてばかりいる。それも当然のことだ。子どもの感覚はすべて感情的なものだから、それが快い感覚であるなら、子どもは黙って楽しんでいる。苦しいときは、子どもはその言語でそれを告げ、助けをもとめる。
 
ところで、目を覚ましているあいだは、子どもは無関心な状態でいることはほとんどない。子どもは眠っているか、それとも、なにかに刺激されている。
 
 わたしたちの言語はすべて技術によってつくられたものだ。あらゆる人間に共通の自然の言語というものがあるかどうかについて、人々は長いあいだ研究してきた。たしかにそれはある。それは子どもが話をすることができるようになるまえに語っている言語だ。
 
この言語は音節によってあらわされないが、抑揚があり、音色があって、聞きわけられる。わたしたちの言語をもちいることによって、わたしたちはそれを捨て、やがて完全に忘れてしまったのだ。
 
子どもを研究しよう。そうすればやがてわたしたちは子どもからふたたびその言語を学ぶことになる。この言語を学ぶうえに乳母はわたしたちの先生になる。乳母は乳飲み子の言ってることをすべて理解している。乳母は子どもに返事したり、ひじょうに長いあいだ子どもと会話したりする。そして、乳母はことばを発音するが、そのことばはまったく無用なのだ。子どもが聞きわけるのはことばの意味ではなく、それにともなう抑揚なのだ。
 
 声による言語のほかに、それにおとらず力づよい、身ぶりによる言語がある。この身ぶりは子どもの弱い手であらわされるのではない。そえは子どもの顔にあらわれる。まだよくととのっていない容貌がもうどんなに豊かな表情を示すことか、それは驚くばかりだ。
 
その顔つきは、一瞬一瞬に、考えられないほどのはやさで変わる。微笑が、欲望が、恐怖が、稲妻のようにあらわれては消える。そのたびにまるでちがった顔を見るような気がする。子どもは、たしかに、顔の筋肉がわたしたちのより動きやすいのだ。
 
これに反して、子どもの目はどんよりして、ほとんどなにも語らない。肉体的な要求しかもたない時期にあるかれらの表現方法は当然そうあるべきだ。感覚の表現は顔面に見られ、感情の表現はまなざしに見られる。
 
 人間の最初の状態は欠乏と弱さの状態だから、その最初の声は不満と泣きごとだ。子どもは欲求を感じてもそれをみたすことができず、叫び声をあげて他人の助けをもとめる。
 
腹がすき、喉がかわけば泣く。寒すぎても暑すぎても泣く。身を動かしたいのにじっとしておかれると泣く。ねむたいのに動かされると泣く。かれの気にいらない状態にあればあるほど、それを変えてもらいたいとしきりにせがむ。子どもはただ一つの言語しかもたない。
 
いわば、ただ一種類の不快しか感じないからだ。その器官がまだ未完成の状態にある子どもは、さまざまな印象を区別することができない。悪いことはすべてかれのうちに苦痛という感覚を生みだすにすぎない。
 
 この泣き声を人々はそれほど注意にあたいするものとは思っていないのだが、ここから、人間の、かれの周囲にあるすべてのものにたいする最初の関係が生じてくる。ここに社会の秩序を形づくる長い鎖の最初の輪がつくられる。
 
 子どもは、泣くとき、思うようにならないのだ。なにか欲求を感じているのだが、それをみたすことができないのだ。人々はしらべ、その欲求を知ろうとし、わかると、それをみたしてやる。なんであるかわからないと、あるいは、みたしてやれないと、子どもは泣きつづけ、人々はやりきれなくなる。
 
そこで子どもを黙らせようとしてあやしたり、眠らせようとして揺すってやったり、歌をうたってやったりする。それでも泣きやまないと、じれったくなって、子どもをおどかす。らんぼうな乳母はときに子どもをぶったりする。人生へのかどでにさいして、なんという奇妙な教訓。
 
 そういうやっかいな、泣き虫の子どもの一人が、そんなふうに乳母にぶたれたのを見たことがあるが、わたしはそれをけっして忘れることはあるまい。子どもはピタっと泣きやんだ。この子はおびえたのだ、とわたしは思った。わたしは考えた、こいつはいずれ卑屈な人間になるやつだ、手きびしくやっつけられなければ、いうことをきかないやつなんだ、と。
 
わたしほまちがっていた。かわいそうにその子は、怒りに喉をつまらせていたのだ。息もできないくらいになっていたのだ。見ていると、顔は紫色に変わった。一瞬間ののち、はげしい叫び声をあげた。その年ごろの子どもが感じることのできる恨み、怒り、絶望のあらゆるしるしが、その声にふくまれていた。そうして泣き叫んでいるうちに死んでしまうのではないかとわたしは心配になった。
 
かりに、正、不正の感情が人間の心にはじめから存在することにわたしが疑問をもっていたとしても、この子の例だけで、その疑問はぬぐいさられたにちがいない。この子の手のうえに、偶然、まっ赤に燃えた炭火が落ちてきたとしても、それほどひどくぶったわけではないが、明らかに害をくわえようとする意図をもってあたえられたあの平手打ちほど耐えがたいものではなかったにちがいない、とわたしは確信している。
 
 興奮、恨み、怒りを感じやすい、子どものこうした性質は極度に手心を必要とする。子どもの病気は大部分けいれん性のものだが、それは成人よりも頭が比較的大きく、神経系がひろがっているので、子どもの神経はいっそう刺激されやすいからだ、とベールハーヴェは考えている。
 
子どもをからかったり、いらだたせたり、じれったがらせたりする召使いはできるだけ注意して子どもから遠ざけるがいい。そういう召使いは空気や季節があたえる害より百倍も危険で、いまわしい影響をおよぼす。
 
子どもは、ただ事物にだけ抵抗をみいだし、けっして人々の意志に抵抗をみいだすことがなければ、反抗的にも怒りやすくもならず、いっそう健康に身をたもつことになる。
 
これは、いっそう自由で、束縛されることの少ない民衆の子どもが、人々がもっとよく育てようとしながら、たえずその意志に逆らおうとしている子どもにくらべて、一般的にいって、虚弱でなく、いっそう丈夫であることの理由の一つだ。
 
しかし、子どもの言いなりになることと子どもに逆らわないこととのあいだには大きなちがいがあることをいつも念頭におく必要がある。
(ルソー著「エミール」岩波文庫-上- p76-79)
 
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◎日経新聞の報道と赤旗の報道……なんでも金儲けの手段に変えていくことを促すのでは、寒々としてきます。学習通信030905 と合わせて学んで下さい。
 
◎私たちが仲間と対話するとき、政治のことを語るとき板に水を流すがごとく′黷チても相手に想いが通じないことを経験します。抑揚¢ホ話にとって重要なものです。そのためには語る政治≠深く知らなければとにかく£度の話しになります。