学習通信031003
◎子どもをめぐって 「道学者めいたことを言ったり、学者ぶったりして……」
 
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少年に必要な知識は法律よりも道穂──稲盛
 
 道徳の荒廃は、企業や社会の上層部だけでなく、少年を含め、社会全体へ拡散しているのではないかと思います。
 
 じつは、先だって飛行機のなかで読んだ週刊誌の記事で、そのことをあらためて思い起こすことになりました。いまから十年前(一九九二年)、十九歳の少年が一家四人を惨殺する事件が起きました。その裁判が最高裁まで行き、最終的には上告が棄却され、極刑をもって臨むしかないと死刑判決が下ったといいます。
 
 この事件の概要は次のようなものでした。少年が夕方、あるマンションに住んでいた会社役員の家に押し込み強盗に入った。おばあさんを電気コードで絞め殺し、そのあと自宅に帰ってきた夫人を包丁で刺し殺した。そして、長女を脅して夕食までつくらせ、夜帰ってきた会社役員も刺殺し、翌朝には次女の首を締めて殺して、最後に長女の背中を切りつけて逃走したというのです。
 
 背筋が凍るような犯罪ですが、弁護士がその少年に会ってみると、丁寧に喋るし、笑顔も見せて、まったくふつうの少年と変わらない、そのうえ頭の回転まで速いという。そして記者は、「犯行当時、その少年は、未成年は何をやっても死刑にならない、少年院に入るだけですむと思っていたようだ。
 
つまり、誤解はあったにせよ、法律を逆手に取った確信犯だった。本人もいっていることだが、もし彼が法律をきちんと知っていたら、あの事件は起きなかったかもしれない」とまとめているのです。しかし、私はそうではないと思います。少年が知っておくべきは法律ではなく、もっと根本的な道徳とか倫理観というものであるはずです。
 
 私は、人間は利他の心で、人様に思いやりをかけると菩薩にもなれる、逆に、煩悩のまま自由に行動すると悪魔にもなると考えています。創造主は人間に対して、肉体を守り維持するために「本能」を授けてくれました。それと同時に「自由」も与えてくれました。
 
この自由であるということは人類の進歩にたいへん役立ったのですが、一方で本能のなかの煩悩のおもむくままに自由を振り回す人は、極悪非道な悪魔にもなってしまうのです。
 
 つまり、人間は「自由」 の使い方次第で、仏にもなり、悪魔にもなるという両面を持っているのです。すなわち、煩悩の対極にある「利他」(思いやり、優しさ)の心を自由に発揮する人は、仏にもなることができるのです。
 
 ですから、身を守るための本能は必要であるけれども、同時に、仏の教えである六波羅蜜(ろくはらみつ)にあるように、「持戒」(やってはならないという掟を守ること)や、「忍辱」(我慢すること)を通じて、「利他」の心を学ぶことがどうしても必要になります。
 
 刑法を教える以前に、そうした道徳をこの少年に教えていれば、こんな悲惨な事件は起きなかったのではないかと思います。人間として生きるための哲学として、道徳を若い人たちにきちんと教えていけば、いまのすさんだ社会も、よい方向に向かっていくのではないかという気がしてならないのです。
(梅原・稲盛著「新しい哲学を語る」PHP p52-54)
 
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 あなたがた自身の過ちを他人のせいにするのはやめるがいい。子どもが目にする悪いことば、あなたがたが教える悪いことほど子どもを堕落させることはない。
 
たえず説教したり、道学者めいたことを言ったり、学者ぶったりしていると、よいことだと思って子どもにあたえる一つの観念にたいして、同時に二十もの別のよくない観念をあたえることになる。
 
あなたがたの頭のなかにあることはかり考えていて、子どもの頭に生みだされる結果がわからないことになる。たえず子どもたちを悩ましているあなたがたの長ったらしいおしゃべりのなかに、子どもがまちがえてつかんでいることばは一つもないとあなたがたは考えているのだろうか。
 
子どもは自分の流儀であなたがたのらちもない説明を解釈しているのではないか、そこから自分の能力にふさわしい体系をつくる材料をみつけだし、それでなにかの機会にあなたがたに反対することになるのではないか、というようなことをあなたがたは考えているのだろうか。
 
 いろいろなことを教えこまれたお人よしの子どもの言うことを聞いてみるがいい。その子にしゃべらせ、質問させ、勝手に無茶なことをいわせてみるがいい。あなたがたの議論が子どもの頭のなかでとることになった奇怪な形にあなたがたはびっくりすることだろう。
 
かれはなにもかも混同し、ひっくりかえし、あなたがたをいらいらさせ、ときには思いがけない反対をもちだしてあなたがたをがっかりさせるだろう。あなたがたは沈黙するか、子どもを沈黙させるかしなければならなくなるだろう。そして子どもは、しゃべることのたいへん好きな人間がそうして黙ってしまったばあい、どう考えることだろう。
 
そんなふうにして子どもが勝利を得ることになったら、おまけにそれに気がついたとしたら、教育はおしまいだ。そうなったら、なにもかもおしまいで、子どもはもはや学ぼうとはせず、あなたがたを反駁しようとするだろう。
 
 熱心な教師たちよ、単純であれ、慎重であれ、ひかえめであれ。相手の行動をさまたげるばあいを除いてけっしていそいで行動してはいけない。わたしはたえずくりかえして言いたいのだが、悪い教育をあたえることにならないように、よい教育をできるだけおそくあたえるがいい。
 
自然が人間の最初の楽園にしたこの地上で、無邪気な者に善と悪との知識をあたえようとして、誘惑者の役割りを演じることになるのを恐れるがいい。子どもが外で実例によって教えられるのをさまたげることができないとしたら、そういう実例が子どもにふさわしい姿で精神にとどめられるようにする、それだけに心をもちいるがいい。
(ルソー著「エミール-上-」岩波文庫 p137-139)
 
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◎以下のような書籍が書店に横積みされています。
 
 幼稚園では遅すぎる[新装版]
  著者:井深 大 2003年9月16日初版発行
内容
●「人材育成」の根っこは幼児期にあった!●
世界的企業「ソニー」を創業した著者は、幼児開発協会(現・ソニー教育財団幼児開発センター)を設立するなど、子どもの教育にも情熱を注ぎました。その代表的著作である本書は1971年の刊行後もまったく色あせることなく、現在に至るまで120万人以上に読み継がれてきた名著です。このたび、貴重な秘蔵写真や井深語録などを新たに加え、新装版として世に問います。「人生は3歳までにつくられる」「親のしつけしだいで子どもはよい人間にも悪い人間にもなる」「心の教育こそが人類を救う」などの熱いメッセージは、いまこそ求められているのではないでしょうか。
 
(もくじより)
◎脳細胞の配線は三歳までに決まる
◎「むずかしい」「やさしい」という大人の判断は子どもに通用しない
◎生後三カ月の赤ん坊にもバッハがわかる
◎学者の子だから学者に適しているとはかぎらない
◎抱き癖は、おおいにつけるべきである
◎幼児は叱られたことや不快感を“悪い”と判断する
◎テレビのコマーシャルは、おおいに見せるべきである
◎整理されすぎた部屋は子どもの成長を妨げる
◎お金や暇がなくても子どもの教育はできる
◎ビジョンをもたない母親に子どもの教育はできない
◎親を超える人間に育ててこそ、ほんとうの教育    etc.
著者紹介
いぶか・まさる
1908年栃木県生まれ。早稲田大学理工学部卒業。1946年ソニーの前身である東京通信工業を創立、1950年同社社長に就任、世界のソニーを育てあげる。1968年財団法人 幼児開発協会を設立し、理事長に就任、幼児教育に情熱を注ぐ。ソニー名誉会長を経てソニーファウンダー。1989年文化功労者。文化勲章、勲一等旭日大綬章受章。著書に『0歳からの母親作戦』(サンマーク文庫)、『あと半分の教育』(ごま書房)など。1997年没
 
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◎子どもをめぐる問題を深くとらえる必要があります。子どもの深刻な状況を一つの理由にあげて、教育基本法への攻撃が集中しています。
 
◎競争≠ニいう現実の中で、幼児教育が流行っています。
 
◎ルソーは言います。「自然が人間の最初の楽園にしたこの地上で、無邪気な者に善と悪との知識をあたえようとして、誘惑者の役割りを演じることになるのを恐れるがいい」「よい教育をできるだけおそくあたえるがいい」と。……人間とはなにか! が問われています。