学習通信031009
◎「税金から戦争の説明に至るまであらゆることをごまかしている。これほどのうそつき大統領は米国にいない」
 
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 私は、かつて弾丸やミサイルが飛び交ったサラエボやベオグラード、そして「情報」や「PR」という、目に見えないが時に実弾よりも恐ろしい力を発揮する武器が使われたニューヨーク、ワシントン、ロンドンなどで、一九九〇年代最悪の紛争、ボスニア紛争における「PR戦争」を取材した。
 
その成果はドキュメンタリー番組『NHKスペシャル「民族浄化〜ユーゴ・情報戦の内幕〜」』として、二〇〇〇年十月二十九日に放送された。本書は、番組で紹介しきれなかった取材の成果や、その後得た最新情報を加え、国際紛争の陰で戦われたPR戦争の凄まじい実態を書き表したものである。
 
 ボスニア紛争は、一九九二年の春に始まり、九五年の秋まで続いた旧ユーゴスラビアの民族紛争だ。かつての冬季五輪開催地サラエボが攻撃され、無残に破壊されたニュース映像を覚えている人は多いだろう。それは、冷戦の終結後、世界各地で頻発するようになった民族紛争の中でも最大級の戦いである。
 
この紛争では、数十万といわれる命が失われた。その後続いたコソボ紛争やNATO空爆は、さらなる犠牲者を生んでいる。その多くが武器をもたない民間人である。本書を書くにあたって、亡くなられた人々にあらためて弔意を表したい。
 
 冷戦の時代には、アメリカをはじめとする西側の論理からすれば、ソ連が敵である、とはっきりしていた。そこに疑問の余地はあまりなかった。だが、冷戦後の世界で起きるさまざまな問題や紛争では、当事者がどのような人たちで、悪いのがどちらなのか、よくわからないことが多い。
 
誘導の仕方次第で、国際世論はどちらの側にも傾く可能性がある。そのために、世論の支持を敵側に渡さず、味方にひきつける優れたPR戦略がきわめて重要になっているのだ。それは、国際政治の場だけでなく、経済の世界にも広がっている現象である。
 
 人々の血が流された戦いが「実」の戦いとすれば、ここで描かれる戦いは「虚」の戦いである。PRや情報戦が、「実」の戦いの帰趨のすべてを決めるわけでほない。しかし、「虚」の戦いが「実」の戦いの行方に大きな影響を与えることも事実だ。
 
「情報の国際化」という巨大なうねりの中で「PR」=「虚」の影響力は拡大する一方であり、その果実を得ることができる勝者と、多くを失うことになる敗者が毎日生み出されている。今、この瞬間も、国際紛争ほもちろん、各国の政治の舞台で、あるいはビジネスの戦場で、その勝敗を左右する「陰の仕掛け人」たちが暗躍しているのだ。
(高木徹著「戦争広告代理店」講談社 p3-5)
 
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柳条湖事件72周年に考える
侵略戦争はうそで始まる
 
 九月十八日は、戦前の日本の侵格戦争の始まりとなった柳条湖事件(一九三一年九月十八日)の七十二周年にあたります。
 
 「満州事変」と称されたこの事件をきっかけに、日本は当時「満州」と呼ばれた中国東北部への侵略を一気に拡大しました。一九三七年には慮溝橋事件を起こして中国への全面戦争を開始、四一年にはハワイ島などを奇襲してアジア太平洋戦争に突入したのです。
 
 九月十八日は、ふたたび戦争の惨禍を繰り返さないために忘れることのできない日です。同時に、アメリカがアフガニスタンとの戦争に続いてイラクへの侵略戦争を強行し、日本の小泉政権がそれへの協力を深めていることとの関連でも、見過ごしにできない日となっています。
 
 いまでは明らかなことですが、柳条湖事件というのは当時中国を支配しようとしていた日本の軍部が起こした、まったくのでっち上げでした。日本の軍隊が、当時は「奉天」と呼ばれた藩陽市の郊外、柳条湖というところで鉄道線路を爆破し、それを中国軍の犯行だといって、侵略のきっかけにしたのです。
 
 戦争ではなく「事変」と称したのも、当時の国際連盟などで強まっていた戦争違法化の流れを欺くためでした。日本の政府や軍部がさかんに軍事行動は「自存自衛」のためだと宣伝したのも、侵略が目的であることをごまかすためでした。
 
 こうしたことを振り返り、今日のアメリカのイラクへの侵略へも目を向けるとき、気づかされることがあります。それは、侵略戦争はうそで始まる″という共通点です。
 
 柳条湖事件がまったくのでっち上げだったのと同じように、アメリカがイラクを攻撃する根拠とした、イラクが大量破壊兵器を隠しているとか、テロリストに渡りそうだなどという主張が、まったく根拠の乏しいものだったことは今日明白です。
 
イラクの政権が崩壊して四カ月以上たつのに、ただの一個の大量破壊兵器も見つかっていません。アメリカのブッシュ政権もイギリスのブレア政権も、国民にうそをついたと追及され説明に窮しています。
 
 柳条湖事件に始まる日本の中国侵略の誤りは、今日明白です。だいたい、うそでしか始めようがなかったこと自体、その戦争に大義がないことをしめすものです。アメリカのイラクへの侵略戦争も、その大義のなさが日に日に証明されているのは当然ではないでしょうか。
(以下略)しんぶん赤旗 030918
 
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「第三帝国」誕生70周年の年に
自滅の歴史わすれずに 今こそ
 
 今年は関東大震災の八十周年だった。地震自体の犠牲者だけでも痛恨の極みなのに、あの大震災の記憶は、多数の朝鮮人と社会主義者・アナキストの虐殺のゆえに、さらに悲惨の度を加えなければならない。日本の現代史の中で、それは二度と繰り返してはならない罪過のひとつである。
 
 それと同じ一九二三年秋、じつはドイツでもひとつの大事件が起こっていた。ミュンヒエンでのヒトラーによるクーデターである。それはたちまち鎮圧されたが、地方小政党にすぎなかったナチ党は、これによって注目を集め、やがて全国レベルの政治に進出する。
 
ついにヒトラーが首相に就任したのは、一九三三年一月のことである。つまり今年はまたナチス「第三帝国」誕生の七十周年でもあるわけだ。
 
 ユダヤ人大虐殺と侵略戦争によって人類の歴史に叢な足跡を残したヒトラー政権は、連挙で合法的に選ばれた国民の代表として出発した。ナチズムの罪業を想起するとき、このことを忘れてはならないだろう。ではなぜ、国民はヒトラーを支持したのか。直接かつ最大の理由は、大失業状況を解決するという公約だった。
 
 当時のドイツは、完全失業率が全労働人口の20%を超えていた。しかもこの数値には、職を必要としながら職のない主婦や若年層は含まれないので、実際の失業者は遥かに多かったり労働組合加入者では、44・9%が完全失業、つまりバートや日雇いの仕事さえなかった。完全就業者はわずか33%にすぎなかった。
 
この状況の解消をヒトラーは公約したのである。ドイツ人に職がないのはユダヤ人が職を奪っているからで、それをヒトラーは取り戻してくれる、と国民に信じさせることにナチスは成功したのだった。
 
 これがいかに非現実的だったかは、ユダヤ人がドイツの全人口に占めていた比率を見れば明らかだろう。その比率は、わずか1%にも満たなかったのだ。そのわずかなユダヤ人が自分たちの職を奪い、生活を脅かしていると、ドイツ人は信じてしまった。
 
歴史の過程で自分たちの側こそユダヤ人にたいする加害者であったことを忘れて、ユダヤ人を自分たちにたいする加害者だと思い込んだのである。
 
 その結果は、国民ぐるみのユダヤ人にたいする憎悪と虐殺だけにとどまらなかった。仮想敵を作った国民は、つぎには自己の「生存権」のための侵略戦争と、自滅への道を突き進んだのだった。
 
──だが、そのことにもまして重要なのは、あの爆発的なヒトラー・ブームの中でさえ、国政選挙でのナチ党の得票率は、政権獲得の前後で、ついに一度も50%に達しなかったという事実である。半数以上の国民は、冷静で批判的だったのだ。それにもかかわらず、かれらの考えは声とはならず、かれらの思いは政治に反映されなかったのだ。
 
 いま、私たちの国家社会が、自己の加害の歴史を忘れ、仮想敵を作り、確実に破滅への道を突き進む超大国に追随して省みることのない現状を見るにつけても、八十年前のミュンヒェン・クーデターと七十年前のヒトラー首相就任を、思わないではいられない。
 
しかもこの現状に暦脚の念をいだく国民は少くないないのだ。その批判の思いが、いまこそ声となって現実を動かさなければならないのである。
(京都新聞 031008  池田浩士 京都大学院人間・環境学研究科教授)
 
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 二〇世紀は戦争の連続だった。それらの戦争は、経験していない人間にも、歴史的には認識することができる。歴史認識とは過去を復元することではない。歴史は過ぎ去ったことでも、もうありえないことでもない。たしかにアウシュヴィッツも、ヒロシマも、ナンキンも、われわれが経験したものでもなく、その経験を記憶してもいない。
 
もしわれわれが経験したものしが語れないとすると、歴史認識も歴史哲学もありえない。われわれ自らもまた、完全には認識できない未知の部分を含まざるをえない歴史の現在を生きているとすれば、そうした出来事も現在から捉えなおさねばならない。
 
戦争の現実の経験やその記憶が重要なのではなく、「過去」と呼ばれているものを歴史的な視野で認識することが重要なのだ。それは現在を理解することだからである。
 
 戦争とその産物は、経験しなかったわれわれにも恥辱をあたえる。ラーベの日記を読んでみたまえ。それを読みながら感じる恥かしさは人間性の境界をはみだしたことを知る恥辱である。そのように感じる立場はわれわれが望んだことではないが、望まなかったその立場まで含めてしか、われわれの歴史認識はありえないのだ。
 
 日本では、いま終わったばかりのコソヴォの戦争についての関心が稀薄だ。それが遠いバルカン半島で起こったにせよ、現在の世界では距離はほとんど問題にならない。この戦争は今のわれわれの住む世界の出来事にほかならないのだ。
 
 戦争が世界性をもつということは、金融や為替のレートが世界性をもっていること以上のものである。戦争は可能なかぎり防止すべきものだ。しかし現在の世界に生ずる戦争は、直接にはどんな局所的な理由から始まっていようとも、その原因も含めてわれわれの生きているグローバル化された世界のなかで形成された言説から生じているのだ。
 
コソヴォの戦争についての言説は、戦争を説明しているのではなく、その言説自体から戦争が生じていた。ヨーロッパ人は地政学的な言説を語ったが、そのことを非難しても意味はない。その限界を認識すべきなのだ。アメリカは暗にインペリウムの言説を語っていた。
 
戦争の世界性、あるいは世界の戦争化は、そのインペリウムの言説から生じてこようとしている。コソヴォの戦争はそういうあたらしい戦争の認識を生みだした。逆説を弄しているのではない。戦争と言説の関係を、以前とは反転させて認識できるようになったのだ。
 
 第二次大戦後、時間がたつにつれて、「記憶」は薄れている。記憶とは第一義的には経験したことであるが、それは経験しなかった人びとの集合的な空間で歴史化される。その空間に宿るものが、経験しなかった者たちの記憶である。たしかにヒロシマという名前は、次第に風化する。
 
しかし風化された状態について認識することが、おそらく歴史の現在の認識のための出発点である。認識の奥行きが、もしわれわれが現に経験したものに限定されるとしたら、歴史はどんなに薄っぺらなものになるだろうか? われわれは過去を歴史として探究すべきである。記憶の風化とは歴史の忘却である。
(多木浩二著「戦争論」岩波文庫 p187-189)
 
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◎憲法改悪を狙う小泉首相……歴史の教訓から言って危険きわまりないのです。これを阻止する力をおおきくすることが急務です。