学習通信031011
◎人生は目に見えぬ力で? ……「われわれの存在を規定する、目に見えぬ大きな秩序というものへの帰依にたどりつく」
 
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 その目に見えぬ力とは、各宗教、各派がそれぞれの言葉で言い表わしているが、いってみれば、われわれをこの地上にこの存在の形で与えたものであり、われわれが合理的に認識し得るわれわれの存在を、空間的、時間的に、はるかに超えたところで、われわれの存在を規定しているものにちがいない。
 
 ある人はその力の表示をとらえて因縁とよび、ある人はまた神とも仏ともいい、ある人はまた、それを霊魂ともよぶ。われわれは、この自らに付与された合理的な知覚ではとらえることのできない自らの霊というものの存在を予感したり、それを信じたりすることで、その先、そうした霊を通じ、われわれの存在を規定する、目に見えぬ大きな秩序というものへの帰依にたどりつくことができる。
 
 それが信仰である。
 
 われわれは、人間の原点に立ちかえり、そこから再出発しなければならない。
 しかし、今日のように、科学、すなわち合理主義というものを、しばしば全能なものと錯覚し、愚かなことに、信仰の対象のごとくにすえてしまった現代人は、実は、科学合理主義を超えた、もっと決定的な力を持つ、目に見えぬ力の秩序というものを悟りにくくなっている。
 
 われわれは生活の中で、情緒的、情念的信仰を欲することがあっても、欲すれば欲するほど、それを合理的に自らのうちに納得しようとする誤りを犯す。いずれにしても、われわれは納得する形で、信仰の核である霊なり因縁なり、目に見えぬ力の秩序というものをとらえたいのだが、それは、しよせん、教義経典といった言葉を通じてでは自らのうちにしまわれにくい。
 
 なぜならば、教義の言葉というものは、しょせん、論理でしかなく、言葉を目にし、あるいは聞くということも、われわれの合理主義的な知覚、認知の術のうちの一つでしかない。
 
 しかし、われわれが、もしわれわれと同じ肉体をもち、自らと同じ時間、空間の中に存在している一人の人間の中に、有無を言わさぬ、まぎれもない形で、そうした目に見えぬ力の現出を見れば、それが神秘であろうと、超現実であろうと、ひとつの体験として、それを自らに帰納しないわけにはいかない。
 
 なまはんかな知識で頭でっかちになった現代人は、最低自らの体験だけは信じざるを得ない。
 そして、いつの世においても信仰を求める多くの人間は、今日のわれわれのごとき人間でしかないのであって、そうした人間たちに、まぎれもなく、有無を言わさぬひとつの現出、目に見えぬ力の現出として信仰の手がかりを与えるために、今まで多くの聖人が現われ、古びた宗教を再び蘇生させる教祖、教主が現われてきた。
 
 そうした人間たちの中には、自らの力を自ら錯覚した、あやしげなものも多々あるが、しかしまた同時に、かつてキリスト教をつくり、仏教をつくった傑出した存在との同じ次元に近い、すぐれた人びともいるのである。(石原・小谷著「対話 人間の原点」さんけい新聞 p1-4)
 
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人間を超えた目に見えぬ力の合掌しよう
 
 親が親の権利と義務において子供に与えることのできるもっとも貴重な贈りものは、健康とすなおな心だと思う。
 
 昨今の親は、子供に対する親の義務の履行を、往々にして物になぞらえて測り、それで満足し得心する過ちを犯しているが、じつはそうした物以上に、親が亡くなったあとの子供の人生に最後まで通用する親からの贈りものは子供の時期につちかわれた健康な肉体と心にほかなりません。
 
 人間の力をはるかに超えた大きなものの存在や、秩序に順応しょうとする心を持つことによって、人間は、どれだけみずからを救い、他を救うことができるか、測り知れない。
 
 そうした心の財産の素養は、何よりも人間の人生の中でもっとも柔軟な心の状態を持っている子供の時代に、親の手によって植えつけられるべきものだと思います。第一そのほうが自然にことが運びます。
 
 たとえば私は子供のころよく父とした朝の散歩の道すがら、丘の公園の並木の下で、海から昇ってくる朝日に向かって手を打ち合掌している父の横顔を見上げることによって、何か人間を超えた絶対なるものに対する人間の帰依の姿を、それをしている相手が、子供から見れば大きくたくましい父であったがゆえに、ひとつの潔さとして感じ取ることができました。
 
 あるいは、私が子供のころ、弟の裕次郎がかわいい子犬を小川に流して殺してしまったことがあって、そのうち弟がかかった奇病が、あちこちの病院に行っても、いっこうに治らず、ついにある人の紹介で、近くの修験者である老女にその原因をただしたところ、子供心についしてしまった子犬に対するむごい過ちがその原因であると言われ、父は老女に教えられるまま、何週間かの日数、朝と夕、老女に教えられた何ヵ所かの道の角に、供養のための水と塩を供えて回ったものです。現代の人は、それを迷信として笑うかもしれませんが、不思議なことに、父のその勤めのあと、弟の奇病は確かに治りました。
 
 その因果律を私は私なりに見届けて感じ取り、信仰とまではいかなくとも、何か人間の力を超えたさらに大きな力と秩序がわれわれの生活を支配しているという実感を、そら恐ろしいほど感じ取ることができたものです。
 
 そして私自身は、幼時の折のそうした体験と早世した父の死に顔という二つの点が結ばれることによって、人間の存在の次元を超えた、悠久の存在なるものにつながる信仰を求める気になったのです。
 親は決して子供に強いることなくとも、日常のしぐさにあらわすことによって、じつは語らずして子供に大きなものを伝えることができるはずです。
(石原慎太郎著「いま魂の教育」光文社 p24-26)
 
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顔と運命
 
 運命はあるのか?
 ある学習会でのこと。運命というものはあるのかないのか、ということが問題になった。
 「自分の意志ではどうにもならないことを運命というんだとすれば、やっぱりそれはあると思うな」とA君がいった。
 「そもそもからして人間は、自分の意志で生まれてくるわけじゃないんだから、生まれたいとも思わないのに生まれてきちゃったというこ
とからして、もう運命を背負ってるんだ」
 
 「じゃあ、君は生まれてこなかったほうがよかったと思ってるの?」と私がたずねた。
 「そうは思ってないけどさ。でも、もうちょっとちがった生まれかたをしてたら、とは思うね。親にもうちょっと金があって、もうちょっと顔がよくって…‥」
 「人間は生まれつき平等だなんて、ウソよね」とB子もいった。
 思いだした。別のサークルでのことだった。C子がふといったものだ。
 「顔がきれいだということは、それだけで一つの価値じゃないかしら」
 C子は、ほんとに無邪気にいったのだった。みんなが猛然と反発した。C子はきれいな顔をしていた。
 
人間の顔について
 
 顔ってなんだろう、と私は考える。マルクスは『資本論』のなかで、「顔のよしあしは境遇しだいだが、読み書きができるかどうかは生得のものだ」ということばを、シェークスピアの戯曲『むださわぎ』から引用している。無学なくせに学のあるところを見せたがるお人好しの警官ドッグベリーが得々としてしゃべる文句の一節。
 
もちろんこれは話が逆で、「顔のよしあしは生得のものだが、読み書きができるかどうかは境遇しだいだ」というべきところをいいちがえているわけだ。だが、ひょうたんからコマがでる、ということがある。この文句の前半にかんするかぎり、ドッグベリーはもしかしたら、案外な実理を無意識のうちにいいあてているのかもしれない、と思う。
 
 というのは、ここでリンカーンのことばが私には思いだされてくるのだ。「人間は、四〇をすぎたら自分の顔に責任をもて」とリンカーンはいった。田中角栄は、まちがいなく四〇をすぎているはず。あの顔は親に責任のある顔だろうか──つまり「生得」のものだろうか? あきらかに「境遇」によるものだと思う。
 
 もちろん、ここでいう「境遇」とは、生まれおちた環境ということではない。自分できりひらき、つくりだしていくものとしての境遇だ。そんなふうに境遇をきりひらきつくりだしていったことを角栄氏はつねに誇っている。あの顔はそんなふうにして彼自身がつくりあげていった顔だ。
 
創造の条件
 
 A君やB子やC子や、C子に猛然と反発したみんなの顔を思いうかべながら、顔っていったいなんだろう、と私はふたたび考える。それはたんに表面的・外面的なもの、つまり顔面皮膚の状態、ツラの皮のことか。
 
 しかし、ツラの皮といえども、それが生きたツラの皮であるかぎり、内面的なものからきりはなれて、お面のようにそれだけで存在することのできるものではないだろう。
 
 とすればそれはやはりお面のように、すでにつくられてしまっているもの、すでに与えられてしまっているものではないだろう。つくっていくもの、つくっていけるもの、そして日々につくりつつあるものではないのか。もちろん、整形手術の話しではない。
 
 もちろんまた、なにものも無からはつくることができない。与えられた素材でつくる。が、与えられた大理石からダビデの像を刻みあげるか、それとも田中角栄の顔を刻んでしまうか、それは彫刻師の問題だ。
 
 「そう、その大理石がほしかったんだ。ところがおれの人生の素材としては丸太ん棒や木っ端(こっぱ)しか与えられなかった」とA君はいうだろうか。
 
 奈良時代の仏師たちにも、円空にも、木食(もくじ)にも、大理石は与えられていなかった。丸太ん棒や木っ端のたぐいが彼らに与えられた素材であった。しかし、あの奈良の乾漆仏や円空仏、木食仏がなかったら、世界の美術は淋しいものになっていたにちがいない、と私は思う。
 となれば、これは「顔」だけの問題ではない。
 
 「人間は、自分で自分の歴史をつくる。ただし、思いのままの素材でつくるのでもなく、自分でえらんだ状況のもとでつくるのでもない。すぐ目のまえにある、与えられた、過去からうけついだ状況のもとで、つくる」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリユメール一八日』)
 
 その意味では、人は時代の制限を超越することができない。このことについてはヘーゲルも、つぎのように述べて念をおしている。
 
 「どんな哲学も、それぞれの時代にぞくしており、時代の制限にしばられている。個人はその民族の子、その世界の子であって、どんなにいばってみたところで、その時代を越え出ることはできない。ちょうど、自分の皮膚を抜け出ることができないように」(『哲学史講義』)
 
 それにもかかわらず、人間は「自分で自分の歴史をつくる」。その意味では、過去からの制約を未来にむかって越え出る。そこに現在の生活がある。
 
 「自分の皮膚」だって、やはり日々に変わるのだ。皮膚を構成していた古い細胞は日々に死に、新しい細胞がこれにとってかわる。「生きている」とは、そういうことなのだ。
 
団子っ鼻の羅漢(らかん)さま
 
 私は木食が彫った十六羅漢像が好きだ。丹波の青源寺にある。写真でしか見たことがないが、およそ仏像のイメージとはかけはなれた、とほうもなく人間くさい顔だ。ほとんどが笑っている。まぎれもない日本の庶民の顔だ。団子っ昇のまわりに眉と目をくしやくしやにして、もう顔じゅうで笑っている。片目を閉じてウインクしているのもあるし、大きな酒壷を前に、椀のような盃を片手に、そしてもう一方の袖で顔をかくしているのまである。
 
 なんというすばらしい顔、顔、顔だろうと思う。こんな顔ができたらなあ。こんな顔がみんなの顔、顔、顔となれたらなあ。それが社会主義ということなんだろう、きっと。
 
 私はC子にも、こんな顔になってほしいと思う。みんなの猛然たる反発をうけて、C子はちょっと半泣きになっていた。無邪気に思ったままを口にしたのにこんなに反発されるなんて、C子は自分の顔でずいぶん損をしてるなあと思った。私はC子がその「運命」に負けないでくれることを願う。そして、ほんとうにりっぱな顔をつくりだしていってくれることを!
 
運命に負けないとき
 
 そこで、けっきょく、運命というものは、あるのかないのか?
 運命に負けるとき、運命は運命となる。運命に負けないとき、運命は運命でなくなる。私はそう思う。
 
 「運命」というのは、自分に負けているとき出てくることばではなかろうか。
 「自分の意志ではどうにもならないことを運命というんだとすれば、そもそもからして人間は自分の意志で生まれてくるわけじゃないんだから、やっぱり運命というものはある」とA君はいった。しかし、考えてみるとこのA君のことばは、もっともなようでいて、ちょっとおかしい。
 
 だって、生まれてこなければ「自分の意志」というものも、そもそもありようがなかったはずなのだから。私たちは自分の意志によることなく生まれてきたが、こうして生まれ育つなかで、自分の意志というものも育ってきた。これからの自分の人生をどのようなものとするかは、その自分の意志をどのようにもつかによる。まさか、生まれたときの星座の配置で、私たちの一生のありかたがすでにきまってしまっているわけではあるまい。
 
「運も実力のうち」
 
 「運命」とほぼ同義語で、もう少ししめり気が少ない感じのことばに「運」というのがある。そして、これについては将棋の第十四世名人木村義雄氏が「運も実力のうち」といっている。
 
 これは、至言だと思う。人間というものをよく知り、自分というものをよく知っている人の、これはことばだと思う。
 
 将棋や碁の世界は、実力の世界だという。「運がよかったから勝った」とか「運がわるかったから負けた」とかいうが、その「運」とはほかでもない、実力のあらわれだということだ。
 
 「運」を「チャンス」といいかえてみよう。そうすればすぐにあきらかなことは、どんないいチャンスがあったとしても、実力がなければそのチャンスをいかすことなどできないということだ。そんなチャンスがあることに気づきさえしないかもしれない。
 
 いや、そもそも「いいチャンス」にしろ「わるいチャンス」にしろ、ひとりでにふってわくものではない。自分の実力とのかかわりであらわれるものだ。
 
 そうしたことをわきまえている人の、あれはことばなのだと思う。そうして、つねに自分の実力を謙虚に見つめ、のばそうとしている人の。
 
 こうした態度でのぞんでいるかぎり、勝負の時間と同様、人生の時間は、つねにかぎりない可能性にみちたものとしてあらわれるはずだと思う。
(高田求著「新 人生論ノート」新日本出版社 p11-17)
 
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 人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである。あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭のうえに夢魔のようにのしかかっている。
 
そこで、人間は、自分自身と事物とを変革する仕事、これまでにまだなかったものをつくりだす仕事にたずさわっているように見えるちょうどそのときに、まさにそういう革命的危機の時期に、気づかわしげに過去の幽霊を呼びだして自分の用事をさせ、その名まえや、戦いの合言葉や、衣装を借りうけて、そういう由緒ある衣装をつけ、そういう借りもののせりふをつかって、世界史の新しい場面を演じるのである。
 
こういうわけで、ルッターは使徒パウロに仮装したし、1789──1814年の革命は、ローマ共和国の服装とローマ帝国の服装をかわるがわる身にまとったのであるが、1848年の革命にいたっては、あるときは1789年をもじり、あるときは1793──1795年の革命的伝統をもじるのがせいいっぱいであった。
 
これと同じように、新しい外国語を覚えた初心者は、いつも外国語を自分の母国語に訳しもどしてみるものであるが、母国語を思いださずに外国語をあやつれるようになり、外国語を使うさいには生まれつきの言語を忘れるようになってはじめて、その新しい言語の精神をのみこんだというものであり、その言語を自由自在に使いこなすことができるのである。
(マルクス・エンゲルス8巻選集 第3巻 「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」大月書店 p153-154)
 
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◎「現代人は、実は、科学合理主義を超えた、もっと決定的な力を持つ、目に見えぬ力の秩序というものを悟りにくくなっている」「人間の力をはるかに超えた大きなものの存在や、秩序に順応しょうとする心を持つこと」……石原氏はこれを子どもに教えるべきだといいます。
 
◎マルクスの引用は、高田先生の引用部分です。
 
◎「これからの自分の人生をどのようなものとするかは、その自分の意志をどのようにもつかによる。」……と。労働学校で科学的社会主義を学んで人生観を確立しよう。