学習通信031021
◎「種の起原はなにかという問いには、予想というかたちでいわば予言として答えることしか科学にはできなかった」
 
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──この原始的な、素朴な、しかし事柄の本質上正しい世界観が、古代ギリシア哲学の世界観であり、最初にヘラクレイトスによってつぎのようにはっきりとのべられている。
 
すなわち、万物は存在し、また存在しない。なぜなら、万物は流動しており、不断に変化し、不断に生成し消滅しているからである。
 
しかしこの見解は、たとえ現象の全体の姿の全般的な性格を非常に正しくとらえているにしても、この全体の姿を構成している個々の事物を説明するには十分でない。
 
そしてわれわれがこれらの個々の事物を知らないかぎり、全体の姿もわれわれにとってあきらかではないのである。
 
これらの個々の事物を知るためには、われわれは、それらを自然的または歴史的連関からとりだし、それぞれ独立に、その性状、その特殊な原因と結果などにしたがって、それらを研究しなければならない。
 
このことは、なによりもまず自然科学と歴史研究の任務である。これらの研究部門は、なによりもはじめにそのための材料を努力して集めなければならなかったというまことにもっともな理由によって、古典時代のギリシア人のあいだではただ従属的な地位しかしめていなかった。
 
自然的および歴史的材料がある程度まで集められたのちはじめて、批判的なふるいわけ、比較、あるいは綱(こう)、目(もく)、種(しゅ)への分類にとりかかることができた。
 
だから、精密な自然研究はやっとアレクサンドリア時代のギリシア人のあいだではじまったのであり、のちに、中世にアラブ人によってさらに発展させられたが、ほんとうの自然科学はようやく一五世紀の後半にはじまるのであり、その時以来、それは加速度的に進歩してきた。
(エンゲルス著「空想から科学へ」新日本出版社 p48-49)
 
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子供はみんなコレクター
 
 子供時代にたいていの人が一度はするものに、コレクションがある。石を集めたり、カブトムシを集めたり、貝殻を集めたり、ミニカーを集めたり、人形を集めたり、子供というものはたいてい何かを集めているものである。私も小さい頃、トンボやセミを集めたことがある。
 
 ダーウィンはのちに南アメリカや南太平洋の島々でさまざまな珍しい動植物を収集し、それが進化論を構想する重要なきっかけとなったのであるが、彼にとってコレクションは幼少時代から死ぬまで続く生涯の趣味というか仕事であった。
 
 彼は幼少時代に、貝殻、封筒のシール、貨幣、石ころなど、なんでも集めた、と言っている。この「なんでも集めた」というところが、ダーウィンが小さい頃から並のコレクターではなかったことを語っている。なんでも集めたくなるのが、「本物の」コレクターである。
 
私の知っているある熱狂的コレクターなどは、なんとパチンコの玉まで集めたという。ただし、パチンコ玉は錆びてしまって保存がむずかしいのでやめたということである。
 
 ダーウィンは、自分の兄姉のなかにはとくにコレクションに興味を持つ者はいなかったところから見て、それは自分の生れつきのものであった、と言う。人間は生れつき多かれ少なかれ、みんなコレクターの傾向を持っているのではないかというのが私の見解であるが、そもそも人間にとってコレクションとは何なのか。
 
 私の知っている七歳の女の子の趣味は、道端にころがっている薄汚ない石ころを拾い集めることである。彼女はそれをきれいに洗って、大事にしまっておく。
 
 いったい、なぜこんなことをするのだろうか。少年少女はどんな思いをこめて、石ころや貝殻を集めているのだろうか。
 
 ものを集めるというのは、言うなれば、世界をほんの少しばかり切り取って、自分のものにすることである。そして、その世界の断片を所有することによって、満足し、心が落着く。
 
あるいはこんな言い方もできるかもしれない──コレクションとは世界に秩序を見つけようとする試みである、と。この世界にまだあまりなじみがなく、世界というものの不可解さに圧倒されるばかりの子供は、自分なりに納得できる方法で世界を知ろうとする。
 
未知は恐怖をよぶ。知ることによって、恐怖はやわらぎ、安心できる世界が生れる。世界を知るということは、世界のなかに、何らかの秩序や法則を見つけることである。少年少女が拾い集める石ころは、世界の秩序を告げるシンボルなのである。
 
石ころをよく知ることによって、世界を知ることができる。石ころを集めるのは地球を知るひとつの試みである。そういう目で石ころを集める子供を見るべきではなかろうか。
 
 こんなふうに考えてくると、コレクションには、教育的なはたらきがあることがわかってくるはずである。人間が自然についての知識をたくわえ、学問をつくりあげたのも、もとはといえば自然のさまざまな生物や無生物を拾い集め、それに名前をつけたところに出発点があった。
 
子供はそういう人類の知的活動の初期の段階を無意識のうちに反復しているのかもしれない。ものを収集することは、子供が自然に身につける最初の勉強法なのである。ダーウィンのばあいは、生涯続く勉強法であった。
(木原武一著「天才の勉強法」新潮社 p110-112)
 
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 ダーウィンが現在のすべての生物を一個の原始生物から導き出しているという主張は、ていねいに申しあげれば、デューリング氏「自身の自由な創造物・構想物」である。
 
ダーウィンは、『種の起原〔について〕』第六版の終わりから二ページ目に、「すべての生物は、それぞれ特別に創造されたものではなくて、いくつかの少数の生物の直系の子孫である」と自分は考える、と明確に言っている。
 
そして、へッケルは、さらにずっと進んで、「植物界にたいして一つのまったく独立の系統を、動物界にたいしてもう一つの系統を」仮定し、そして、この両者のあいだに「それぞれこの両者とはまったく独立に或る独自の原発生的なモネーラ形態から進化してきた、原生生物のいくつかの独立の系統を」仮定している(『〔自然的な〕天地創造史』、三九七ページ)。
 
デューリング氏が右の原始生物を発明したのは、それを原始ユダヤ人アダムになぞらえることによって不評におとしいれるためにすぎない。〔しかし、〕ここで彼──すなわち、デューリング氏──は不運に見舞われた。
 
それは、この原始ユダヤ人が、〔ジョージ・〕スミスのアッシリアにかんする諸発見によって、実は原始セム人であることがわかったこと、聖書の伝える天地創造およびノアの洪水の物語が、全部、ユダヤ人とバビロニア人とカルデア人とアッシリア人とに共通な古代異教徒の宗教伝説圏の一部であることがわかったこと、以上をデューリング氏がずっと知らないままであった、ということである。
 
 もっとも、ダーウィンが彼にとって系統の糸が切れるところではたちまち行き詰まってしまう、というのは、彼にたいするきびしいが否認できない非難ではある。残念ながら、われわれの自然科学全体がこの非難を受けても仕方のないものである。
 
自然科学にとって系統の糸が切れるところで、自然科学は「行き詰まってしまう」。自然科学は、これまでのところ、生物を系統によらずに生み出すことにまだ成功していない。それどころか、簡単な原形質またはその他の蛋白体をもろもろの化学元素からつくりだすことさ、え、まだできずにいるのである。
 
だから、これまでのところ、生命の起原について自然科学にはっきり言えるのは、それは化学的な仕方で行なわれたに違いない、ということだけである。ひょっとするとしかし現実哲学には、互いに系統に仲だちされあっていない・独立に並存する自然生産物が自由に使いこなせるのだから、うまくこの場を切り抜けることができるかもしれない。
 
こうした自然生産物は、どのようにして発生できたのか?自然発生によってか? しかし、いままでのところ、自然発生〔説〕のいちばん大胆な代表者たちでさえ、バクテリアと菌類の胞子とその他の非常に原始的な生物以外のもの──昆虫や鳥や哺乳動物が、こういう仕方で生み出される、と主張したことはなかった。
 
ところで、こういう同種の自然生産物──いいですか、生物ですよ、ここではただ生物だけが問題なのです──が系統によって結ばれていないのなら、彼らあるいはそのそれぞれの祖先は、「系統の糸が切れるところで」別々の創造行為のおかげでこの世に生み出されたに違いない。
 
だから、われわれは、またしても造物主のところへ、(理神論)と言われているものへ〔初版では「ふだんは(理神論)と言われているものへ」〕、いきついたわけである。
 
 さらにデューリング氏は、ダーウィンが「ただもろもろの特性を性的に合成するというだけの行為を、こうした特性を発生させる基礎原理としている」のは、切なはだしい皮相なやりかただ、と宣言する。これもまたわが根底的な哲学者の(自由な創造物・構想物)である。
 
反対に、ダーウィンは、(自然選択という概念は、ただ諸変化の保存を含んでいるだけで、諸変化の産出は含んでいない)、ときっばり言明している(六三ページ)。
 
このようにダーウィンに彼が一度も言ったことがないことをまたしてもなすりつけるのは、しかし、われわれがつぎのようなデューリング流の深遠な思想に達するのを助けるためなのである、──「もしかりに生殖の内的図式構造のうちに独立した諸変化を生み出すなにか或る原理を探し求めたのであったら、この考えはまったく合理的であったろうに。
 
なぜなら、普遍的生成という原理を有性生殖という原理とひとまとめにして統一し、或る一段高い見地から、いわゆる自然発生を、生殖〔再生産〕の絶対的な対立物と見ないで、まさに一つの生産と見るのが、自然な考えだからである」。そして、このようなたわごとを筆にすることのできる男が、臆面もなく、ヘーゲルを「隠語」を使うと言って非難するのである。
 
 しかし、自然科学がダーウィン理論に刺激されたおかげでなしとげた巨大な躍進にたいしてデューリング氏が自分の腹立たしい思いをぶちまけた、その不機嫌で矛盾だらけの愚痴と苦情とは、もうこれでたくさんである。
 
ダーウィンにしても、自然研究者のあいだで彼に追随する人びとにしても、ラマルクの偉大な功績にいくらかでもけちをつけようなどとは、考えていない。なにしろ、まさしくこの人たちこそ、はじめてラマルクの名声を復活させたのだから。
 
しかし、見のがしてならないのは、<ラマルクの時代には科学がまだけっして十分な材料を使いこなすところまでいっていなかったので、種の起原はなにかという問いには、予想というかたちでいわば予言として答えることしか科学にはできなかった>、ということである。
 
しかし、それ以後に植物学と動物学との収集し解剖する分野で膨大な材料が積み重ねられたほか、この問題にかんして決定的な重要性をもっているまったく新しい科学が、ラマルク以後に二つ成立した。
 
すなわち、植物の胚と動物の胚との発生の研究(発生学)と、地表のさまざまな地層に保存されている生物の遺骸の研究(古生物学)とである。つまり、生物の胚が成熟した生物になるまでの段階的な発達と、植物と動物とがつぎつぎに地球の歴史に登場してくる順序とのあいだには、或る独特な一致がある。
 
そして、まさにこの一致こそ、進化論に最も確実な基礎を与えたのである。進化論そのものはしかしまだ非常に若い。だから、(この先の研究によって種の進化の通すじについてのこんにちの観念が──厳密にダーウィン学説的なものも──非常に大きな修正をこうむるであろう)、ということは、疑いを容れない。
(エンゲルス著「反デューリング論」新日本出版社 p105-108)
 
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◎「人間は、歴史の中にすなわち、先人の上げた物質的、文化的、芸術的等々の達成の上に、肩に脚をのせるようにして発展したものです。」とは、-学習通信031012-で紹介した堀江先生の指摘です。
 
◎現代の階級闘争がたんなる、いわゆる「課題と闘争戦術」というような狭いものではありません。科学的社会主義の理論によって世界全体を視野にいれたものであることをつかんで欲しいと思います。「課題と闘争戦術」もそのようでなければ真理性は保障されないとおもうのですが。
 
◎恋愛や結婚も好き≠ニいう感情だけに限られたものではありません。まさに当人とそのまわりの仲間達の世界観にも影響されるものなのだと思います。