学習通信031028
◎もの事をとらえる ということ。学習通信031027 の続きに。
 
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おきなかぶ ロシア民話
 
──略──
 ところで「おおきなかぶ」であるが、これはロシアの昔話であるから、当然のことながら、わたしたち日本人の目に触れるのは、日本語に訳されたものである。わたしが初めに読んだのは、『ぶんげい・文芸読本1』(文芸教育研究協議会編集)に載っている、西郷竹彦氏の新訳によるものであった。その訳では、第一行目が「じいさんが かぶを うえました。」となっていた。
 
 読みはじめるまえには、わたしの念頭に訳のことなどなかったのだが、その第一行目を見て急に訳のことが気になりだした。ふつうなら「おじいさん」というところを、なぜ「じいさん」としたのだろう。
 
町の子、非農家の子なら、実際に「おじいさん」と呼ぶのがふつうだろうが、兼業であったとしても農家の子は「お」をつけないで呼ぶだろうから、作品の内容からいって、そのほうが自然であり、読み手の児童の心理をも、今なお残る農家の子の生活意識に近づけようとしたのだろうか、などとわたしは考えた。
 
 が、「じいさん」についてはあまり問題がないとして、「かぶを うえました」という表現にはもっと強く引っかかった。まず、だれでもが考えるであろうように、かぶは種を播くものではないのか、という疑問である。
 
俗には、種を播くことを含めて、植えるといういい方はするが、それを認めたうえで、やはり、かぶの種を播いたとするほうが的確ではないか、とわたしは思った。
 
そこで、ロシア語の原文ではどうなっているのだろうと気になり、そして、ロシア昔話であるからには、原文といってもひとつやふたつではないだろうということに、わたしはやっと気がついたのである。
 
 そこでわたしは、その辺のところを解説している文章を読んでみたところが、果して、教科書にとられている「おおきなかぶ」の日本語訳でも二種類あり、アファナーシェフの採集したものを西郷竹彦が訳し、トルストイの民話を内田莉沙子が訳していることを知った。
 
そして、その内田訳でも、第一行目は「おじいさんが かぶを うえました」となっている。ところが、西郷の旧訳では「おじいさんが かぶの たねを まきました」となっているのだ。
 
 この「かぶを うえました」という表現についての疑問は、読者からすでに訳者のもとにも届いているとみえて、内田莉沙子はつぎのようにいっている。
 
 「ぱらっと種子をまいて、どうしてとてつもなく大きなすてきなかぶが育つでしょうか〜 おじいさんが愛情こめて一つぶの種子をうえた、となぜ考えられないのでしょうか。原文は、おじいさんが一つのかぶをうえました、となっています」
 
 わたしはこの内田莉沙子の説明に納得しない。わたしも農作業のことを詳しく知っているわけではないが、かぶが属するところの根菜類は耕土の部分を厚くし、鋤床を深くする必要、つまり深耕を必要とするということである。いかに強敵な生命力を持つ根菜類でも、その根は鋤床でとまってしまうからである。
 
 したがって、農民のかぶに対する「愛情」は深耕にこそ注がれるのであり、かぶの生育は「ぱらっと種子をま」くか、「愛情をこめて一つぶの種子をうえ」るかには関係がないのである。わたしにはどうも、内田莉沙子のいう「愛情」は農民のものではなく、園芸を趣味とする人のもののように思えてならない。
 
 それに、わたしには、たとい「原文は、おじいさんが一つのかぶをうえました」となっているとしても、また、のちに触れるけれども、このかぶが家庭菜園のものであったとしても、農民がひとつぶのかぶの種を植えるなどということは考えられない。
 
果物の種ではないのだから、広くはないとしても、最低二畝か三畝ぐらいは起こすだろうし、そこに「ぱらっと種子をまいて」ゆくだろうと思う。それに、鋤床は深いとしても、畝までが深い必要はないのである。
 
 したがってわたしには、原文はともかく、日本語訳としては、「おじいさんが、かぶの、たねをまきました」というほうが、いい文章のように思われる。
 
 つぎにわたしが考えたのは、おじいさんを初めとする三人と三匹の協力、引っ張り方についてであるとくに縦表で引っ張るという形が面白いと思ったし、同時に、そこに問題があると思った。ヴェクトルの考え方でゆけば、縦一線の形によって、力は三人と三匹の単純な総和になる。抽象的な和としてはロスのもっとも少ない形である。
 
が、実際には、だれか音頭をとるものがいて、三人と三匹の力が同じ短い時間帯に、それもいっせいに出現しなければ、かえって力は分散し、協力関係のもっともむずかしくなる形なのである。
 
一本の綱をかぶに結びつけて、みんなで引っ張るという形は、わりに力が結集できるのであるが、かぶをおじいさんが引っ張り、そのおじいさんをおばあさんが引っ張るという形、つまり連鎖の形は、逆におじいさんの力をそぐことになりかねない面があり、おじいさんが何ものかに引っ張られるのを引きとめるのには有効だが、この話のようにかぶを引き起こす力としては、なかなか足し算にならないのではないかと思う。
 
 しかも、このかぶを引っ張る場面でも、西郷訳と内田訳ではちがっている。西郷訳では「かぶをじいさんが」、「じいさんをばあさんが」、「ばあさんをまごが」、「まごをいぬが」、「いぬをねこが」、「ねこをねずみがひっぱって」と、かぶに近いほうから遠いほうへと引っ張り手が紹介されているが、内田訳ではそれが逆順になり、「ねずみがねこを」に始まって、「おじいさんがかぶをひっばって」と、最後にかぶにたどりつくように描かれている。
 
 内田訳は、それらの一連の文章のまえに、「ねこは ねずみを よんできました」とあるのを受け、ねずみが列の最後尾に加わったという感じをよく出しているけれども、これではあまり力が出そうにもないという印象を受ける。連鎖の感じがもっともはっきりする表現形式である。それに、読み手の関心の中心はかぶにあるのであるから、ねずみに焦点を集められても困るのである。
 
ここはやはり、ねずみを呼んできたところで一区切りをつけて、読者の視線をいったんかぶにもどし、かぶから順番に引っ張り手を紹介し、読み手の視線の移動の方向と力の流れの方向が一改するように表現されるのが自然であろう、とわたしは思う。
 
 だが、わたしが「おおきなかぶ」を読んで疑問を持った最大の点は、この三人と三匹の顔ぶれのなかに、なぜ、お父さんとお母さんが入っていないのだろうか、というところにあった。お爺さんとお婆さんと孫の三人は、この農家と思われる家族のなかで、いずれも中心的な農作業のにない手ではない。
 
三匹の動物についても同じことがいえる。犬と猫と鼠は農作業には役立たない動物であり、富力として農作業に貢献する牛や馬は、この 「おおきなかぶ」 には登場しない。
 
 こうして見てくると、この三人と三匹は悪意的に寄せあつめられた顔ぶれではないことがわかってくる。彼らは農作業にとっては補助的労働力か、またはそれ以下の存在であるにすぎず、したがって、農家の家族の一員であることに変わりはないとしても、農業労働が描かれる場面では農民の代表とはなりえないし、彼らの協力行為が感動的であるにしても、それがただちに、農作業にまつわる労苦と知恵と喜びを集約的に表現しているともいえないのである。
 
 では、お父さんとお母さんはなぜ出てこないのか。それはたぶん、すでに死んでしまっているからでもなく、出かせぎに行っているわけでもなく、畑に行っているからにすぎないだろう。
 
おそらくお父さんとお母さんは牛や馬を連れて、もし未婚のきょうだいがおればそのきょうだいもいっしょに、すべての労働力を動員して、畑へ穀物を収穫するために出かけているのだろう。
 
ロシアの農民にとって主要な農作物である穀物(小麦、大麦など)の収穫期は八月から九月にかけてであり、それはかぶの収穫期とほぼ重なるのである。
 
 つまり、三人と三匹のうち、人間だけにかぎっていえば、猫の手も借りたいほど忙しい収穫期に、弱い労働力として家に残された家族なのである。だが、農家のことであるから、病気ででもない以上、彼らもまた何かをなさねばならぬ。お婆さんには家事があるとして、お爺さんに与えられた仕事は、家庭菜園におけるかぶの栽培と収穫だったのであろう。
 
 ところで、この「おおきなかぶ」はロシアの昔話であるから、そこで描かれている農民の生活と労働は封建時代のものと考えられるが、そのころの農地はすべて封建領主の所有であり、農民の労働は、領主の直営地に賦役を提供することと、領主から貸しっけられた農地に主として穀物を栽培することにあった。が、そのほかに、農家のまわりに、家庭菜園と称する小さな耕地があり、そこだけが農民の自由になったので、農民はそこにさまざまな作物(果樹、穀物、野菜、飼料作物など)を、家族の食料にかぎらず栽培した。
 
 つまり、このお爺さんのかぶは家庭菜園のかぶであり、広々とした畑のかぶではない代りに、一粒の種子から育成されたかぶでもない、と想像される。だいたいが、一粒の種子だけで、大きなかぶが育つとも思えない。多くの種子を播き、発芽したものを間引くことによって、野菜は育つものだろう。
 
先日もテレビニュースで見たが、アメリカで大きなかぼちゃ(高さ一メートル三〇センチ、重さ二〇〇キログラム)がなったという、それもかぼちゃ畑のなかの一異変であった。
 
 さらにもうひとつ問題なのは、お爺さんの収穫しょうとしているかぶが、果して食料としてのかぶなのか、それとも、家畜の冬場の飼料としてのかぶなのか、それとも砂糖大根としてのかぶなのか、という問題である。「あまい あまい かぶに なれ」という期待がお爺さんにあるところを見ると、このかぶは砂糖大根のような気もするが、わたしに判定できるはずもない。
 
 以上わたしは、危うげな農業についての知識を援用しながら、いくらか分析的に、実態的に「おおきなかぶ」を読みこなそうと努めてきたが、むろん民話を社会科学的にのみ解明することの愚かさは知っている。が、同時に、農民や農作業の実態を無視して、労働の美談に定着することの危険も気になるのである。
 
 この話はたしかに、農民の作物への愛着、育成への細心な配慮、陽光のもとでの労働の汗、困難を打開するための知恵と協力、そして収穫の喜びなど、人間の基本的な営為における美しく良いものへ読み手を導く要素を含んでおり、物語の展開も簡潔で、文章にもリズムがあり、過不足なくまとまっているが、
 
やはりわたしは、この話が農業労働一般を表現しているものでない以上、弱者といってはいいすぎになろうが、やや衰えた労働力や未熟な労働力の持ち主が、なお労働への意欲と誇りを持ち、実際に大地に挑み、そのことによって生の証しを立て、社会へ貢献していることの意味をも読みとりたいと思う。
 
 なかなか抜けないかぶが、最後に、もっとも小さく、もっとも力が弱いと思われるねずみの参加によって抜けたことの意味は、ひとつの協同作業のなかでは、つまり社会関係のなかではということになるが、ねずみとお爺さんが等価であることの証明である。
 
これは民主主義の原理でもある。そこから当然、この三人と三匹の弱者グループが、穀物の収穫に出かけていったであろうお父さんたち強い労働力とも等価であることが導きだされてくる。これが「おおきなかぶ」が描いてみせた、人間に関する基本的な図式なのである。
 
 なお、チェホフに「かぶら」と題する童話の翻案があるが、ここではお爺さんとお婆さんがセルジュを生んだところ、セルジュは大きく育ったが、「耳が長くて、頭の代りにかぶらをつけて」いた。
 
以下、お爺さん、お婆さん、公爵の奥さん(お婆さんのおばさん)、将軍(公爵の奥さんの名付け親)、金持の商人(お爺さんの娘むこ)の順に呼び集め、やっと「かぶらの頭がすっぽり抜け」、「そしてセルジュは、五等官になりましたとさ」という話である。
 
これで見ると、貴族と将軍と商人を揃えればたいていのことはできるという、世俗の力学を諷刺しているようにも思われるが、わたしには一種のしりとりのような、連鎖的に随時人の名をはめこんでゆく、意味のない遊びと考えるほうが面白い。もともとその程度の話にすぎないのではないかという気がする。
(右遠俊郎著「こども目おとなの目」青木書店 p3-13)
 
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◎「どうしてもこどもの目になりきれないわたしは、せめて本気なおとなの日で、静かにこどもを見つめていたいと思う。」と。本の書き出しに記されています。
 
◎事実を基礎にしないでは、人間のすべての生活にとって役にたたないということよりも害をあたえるということでしょう。 学習通信031027 と合わせて学んで下さい。
 
◎甘言≠ノ騙されてはいけない。その背後にあるものを見抜く力を……。