学習通信031110
◎負ければだれでも悔しいのです。だからこそたたかうこと≠本格的に問い直して見ることが……。
 
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 歴史はより合理的で進歩的な社会の実現に向かうことを必然にしているというのは、私たちの世界観的な確信にもとづくものです。けれども、現実の周囲の出来ごとをみているとほんとうにそうか? と思わせるような暗さがはりつめているようです。
 
 ぜんぜん明るくなんかないさ、冬の時代だよ、という仲間たち。無理もありません。やっとこさ一人食べれる程度の低賃金でとても結婚できそうもない、それに去るも地獄、残るも地獄の首切りと労働強化、そして雇用不安、最近労働者のなかでは週末過食症とか休日恐怖症候群などという新しいノイロ−ゼ症状がひろがっているということです。
 
 また「戦後政治の総決算」路線のもと、軍備拡大優先の「車椅子そこのけそこのけ戦車が通る」といわんばかり、そして政党法とか機密保護法とか有事立法とか、ファシズムの足音ばかり大きく聞こえてくるというわけで、これではいったいどうなるのか、未来に希望どころか、お先まっ暗ではないのか。
 
 たしかに、私たちをとりまく現実はそのとおりです。が、それは情勢の一面でしかないということ、いまこそ暗さのなかに明るさを見る、つまり現象の奥にかくれている本質の姿をつかむ知恵が求められているのです。
 私は情勢をつかむときに大事なポイントが三つあると思います。
 
 一つは一面的に見ない。つまり暗い面を見ると同時に、その逆の面を統一的に全面的にとらえることです。
 
 二つめに固定的に見ない。つまりいまの事態を動かない固定的なものとしてでなく、過去、現在、未来の見地から発展的にとらえることです。
 
 三つめに変革者の立場で情勢をとらえる。つまりただ存在するものを受け身に解釈論的に見る立場でなく、変革のためのたたかいを前進させる立場から見るということです。
 
 こういう情勢把握の見地からみるとき、きびしさの面だけから冬の時代を嘆いてばかりいることがどんなに大きなまちがいか、ということがよくわかるはずです。外が明るくなると内側が暗くなるというではありませんか。明けない夜は絶対にないのです。
 
 よく知られているように、日本の歴史のなかにも南北朝の内乱とか、あるいは戦国時代、明治維新などと社会的な大変動と変革の時代が数多く記録されてきました。それらは一つの時代から次の時代へとうつりかわる境目のところにあたる大きな出来ごとで、たとえば明治維新、これは数百年におよぶ封建的支配の体制をたおして近代日本への夜明けをつくった大きな社会的変革でした。
 
 が、それはけっしてひとりでにやってきたというようなものではありません。あの幕末の動乱のなかで「勤皇の志士」と呼ばれた多くの青年たち、たとえば吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎など──そう彼らはたいてい二十代の青年たちでしたが、近代日本の夜明けをきりひらくために、その青春をささげてたたかいぬきました。
 
 社会というものは、より合理的で進歩的な方向に向けてかならず変えることができるし、また変わりはじめると早い、というのは明治の変革の場合にもいえるように思います。
 
 明治維新の激動、それはあの島崎藤村の『夜明け前』にも描かれていますが、それは一八五三年六月、アメリカの海軍提督ペリーのひきいる四隻の軍艦が浦賀の港にやってきたところからその幕を切りました。幕藩体制をたおして近代的統一国家の樹立を、という全国の「草葬(そうもう)」と呼ばれた在野の志士たちが立ち上がりました。
 
幕府はこれをおさえるために、たとえば安政の大獄と呼ばれている大弾圧(一入五八年)にでましたが、それは時代の進歩をおしとどめようとするはかない抵抗でしかありませんでした。そしてついに一八六八年一月、幕府権力の崩壊、維新政府の成立と、この間わずかに十五年しかたっていません。たった十五年、変わりはじめると早いというのはこういうわけです。
 
 いまはもちろんこれと同じように考えるわけにはいきません。もっと複雑で、もっと深刻な問題の根本的な解決を迫られている当面の日本の変革の事業では、それにふさわしいものが求められているからです。とはいえ社会は変わりそうもないと考えている人がいるとすれば、そうではないということをこうした事業から学んでもらわねばなりません。
 
また、暗さを嘆く仲間がいるとすれば、青年はいつでも「二十年を一つに圧縮」した偉大な日々の主人公だったし、いつも歴史を前方に進める機関車だったという事実から学ばねばなりません。
 
 レーニンは「未来は青年のものである。われわれは革新者の党であり、いつでも革新者に喜んでついていくものは青年である。……献身的な闘争にはいつでも青年がまっさきにはせ参ずる」といいましたが、いま、明治の変革をはるかにこえる壮大な転換期に際会して、どうして「はせ参」じないわけにいきましょう。
 
すでに変革のドラマの幕はあがっているのです。しかもこのドラマの主人公は、名もなく貧しく美しい民衆の、とりわけ二一世紀に生きてたたかう青年でなくてはなりません。そう、それは君自身なのです。
(有田光雄著「我が青春の断章」あゆみ出版社 p270-273)
 
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 ドイツの労働者が、自分の地位の利点をまれにみる分別をもって利用してきたことを、認めなければならない。労働連動というものが成立して以来いまはじめて、闘争はその三つの側面──理論的側面、政治的側面、実際的−経済的側面(すなわち、資本家にたいする反抗)──にわたって、調和と連関を保ちつつ、計画的に遂行されている。このいわば集中された攻撃にこそ、ドイツの運動の強さと不敗の力とがある。
 
 一方では、彼らがこういう有利な地位を占めているために、他方では、イギリスの運動の島国的な特異性と、フランスの運動の暴力的弾圧とのために、ドイツの労働者は、いまのところプロレタリア闘争の前衛の地位に立たされている。今後の経過が彼らにどれだけのあいだこういう名誉ある部署をゆだねておくかは、あらかじめ言うことはできない。
 
しかし、この部署を占めているあいだは、彼らはおそらくその部署をはずかしめないであろう。そのためには、闘争と扇動のあらゆる分野で努力を倍加することが必要である。
 
とりわけ指導者の義務は、あらゆる理論問題についてますます理解をふかめ、古い世界観につきものの、伝来の空文句の影響からますますおのれを解放し、そして、社会主義が科学となったからには、やはり科学としてこれを扱わなければならないこと、すなわち研究しなければならないことを、たえず心にとめておくことであろう。
 
このようにして獲得され、ますます明確になってゆく理解を労働者大衆のあいだにいっそう熱心にひろめ、党と労働組合の組織をますますしっかり固めることが肝要であろう。
 
一月に投じられた社会主義への票は、すでにひとかどの軍勢をあらわしてはいても、まだドイツの労働者階級の多数者を占めるにはほど遠いし、農村の住民のあいだの宣伝の成功がどんなに勇気づけるものであっても、そこにこそなすべき仕事が無限に多く残されている。
 
だから、たいせつなことは、倦むことなくたたかうこと、一つまた一つと都市や選挙区を敵から奪いとることである。しかし、なによりもだいじなことは、どんな愛国主義的排外主義の発生をも許さず、どの国民によってなされたものであろうと、プロレタリア運動の新しい一歩一歩を喜びをもって迎える真に国際的な精神を保つことである。
 
もしドイツの労働者がこのようにして前進してゆくなら、彼らは、必ずしも運動の先頭に立ってすすむとはかぎらないが──どれか一つの国の労働者が運動の先頭に立ってすすむことは、けっしてこの運動の利益にはならない──、しかし戦列に名誉ある持ち場を占めるであろうし、また、思いがけない重大な試練なり大事件なりが起こって、彼らがいっそう大きな勇気、いつそう大きな決意と実行力を必要とされるときには、戦備をととのえて持ち場に立つであろう。
 
 ロンドン、一八七四年七月一日
 フリードリヒ・エンゲルス
 
(エンゲルス著「『「ドイツ農民戦争」第2版および第3版』への序文」マルクス・エンゲルス8巻選集 第4巻 p199-200)
 
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 いうまでもなく、これをやるのはかならずしも容易ではない。それよりは、手あたりしだいのもの、耳にはいってくるもの、人々から「おおっぴらに」さけばれているもの、等々を信じこむほうがはるかに「容易である」。
 
だが、それで満足するような人物は、「軽い」、軽率な人間と呼ばれて、だれからもまじめには相手にされない。
 
ある程度自主的に苦労してみなければ、どんなまじめな問題についても、真実は発見できないのであって、苦労をおそれる人間は、真実を発見する可能性を自分からなくすものである。
(レーニン著「論争問題」レニン10巻選集 第5巻 p216)
 
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◎労働学校や職場で科学的社会主義を学ぶ学習運動の重大な歴史的使命・任務が問われています。その使命・任務≠フ堅持と効果的な発揮≠アそ問題なのです。これまでそのれを担ってきた私たち自身が学ばなければなりません。
 
◎進みましょう。歴史の求める方向で……。