学習通信031113
◎だまっていられない。……給料は下がる。人員は減る、仕事はどこまでも追いかけてくる
 
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対談
仕事に殺されないために
ジル・A・フレイザー / 森岡孝二
 
給料は下がる。人員は減る、仕事はどこまでも追いかけてくる! あげくの果てに持っているのはリストラ。
これが日米のサラリーマンを襲う現実だ。
こんな現実、おかしくないか?
 
日米過重労働競争
 
森岡 今日は、進行役を兼ねて、フレイザーさんと、日米の労働環境の実態について話し合いたいと思います。フレイザーさんの著書『筆息するオフィス』を訳して感じたのは「アメリカの職場はとんでもないことになっている」ということでした。日本と似ている状況も多々ありますが、まずは、日米の環境の違いをみておきます。
 
 九〇年代、アメリカは歴史的な繁栄を迎え、消費が拡大し、株価は上昇を続けました。他方、日本は九〇年代初めから不況に突入し、バブル崩壊の後遺症に苦しんできまし美。その点で両国は対照的です。労働条件の面では、アメリカの方が厳しい点があり、アメリカの就業規則では、原則として会社はいつでも労働者を解雇できます。
 
また、ホワイトカラーには労働時間の規制がなく、彼らはほとんど労働組合にも入っていません。さらにM&A(合併と買収)が頻繁に行われ、株式市場に対する期待が非常に高く、いわゆる株価至上主義の経営がなされています。女性管理職も多く、トップ以外は男女平等に近いことも日本との違いです。
 
 一方、共通点もあります。リストラやダウンサイジングによる人員削減。パート、派遣・契約社員など非正規雇用の増加。さらに、仕事に対する要求が非常に高くなり、働く人びとにとって重い負担となっていることなどです。
 
 しかもこの間、資金と諸手当は下がり続けています。他方、労働時間は延長が続き、休暇は短くなってきています。また、IT機器の発達により、仕事が家庭に侵入し、家族生活や地域生活に大きな影響を及ぼしています。また労使関係が、これまでの家族主義的経営から株価至上主義の軽営へと変化して、長期雇用が崩壊しっつあります。従業員同士の絆も企業への忠誠心も薄れ、みんな自分を守ることに精一杯で、職場は殺伐とした雰囲気になっています。
 
企業は儲かり、社員はリストラ
 
フレイザー 「なぜ社員はこのような苦しい状況に置かれているのか。会社が利益を上げているなら、なぜ社員を増やして社員の負担を減らそうとしないのか。あるいは賃金アップや福利厚生に回さないのか」。……このような疑問を抱え、調査を行いました。
 
 ここ二〜三年で、アメリカ経済はさらに悪化し、九〇年代の日本と同じことが起こっています。デフレが懸念され、雇用者の状況はさらに悪くなりました。会社は人員整理や貸金カットを以前よりも容赦なく行っています。倒産件数も増え、失業期間も長期化しています。特にホワイトカラーが悲惨です。
 
 その結果、一旦失業すると、二度と雇用されないのではないか、という恐怖が、いまのホワイトカラーを支配し、会社に留まるために、長時間労働せざるを得ない状況です。
 
森岡 日本の労働者も同様です。最近の「生活意識に関するアンケート調査」(日本銀行、第一六回)では、勤め先で雇用や処遇に不安を感じる人が八割を超えています。最近一年間に給与や人員の削減などのリストラが行われたか、行われる予定と答えた人は、五割近くに達しています。
 
フレイザー 私は金融ジャーナリストとして、ウォール街の金融・投資関係の人びとに何度も取材してきました。彼らは、終身雇用はよくない、会社は生産性を第一の目標として経営されるべきだと考えています。できるだけ少ない社員をできるだけ多く働かせるのが、アメリカモデルです。そして、アメリカ以外でも、アメリカモデルを採用すれば、もっと利益が上がると思っています。それが雇用者にどのような犠牲を強いるかなどとは考えようともしない。
 
 問題は、この人びとがアメリカモデルの欠点に日を向けようとしないことにあります。このような経営が続いた多くの会社は、実は現在では苦境に陥っています。ですから、企業の長期的改善ではなく短期的な成果を重視する、このような欠点だらけの方法をなぜ外国の企業に輸出しようとするのか、投資家に聞いてみたいものです。
 
森岡 もう少し日本の状況を話しておくために、最近の『朝日新聞』「声」欄の投書を紹介します。
 一つは経営破綻し、公的資金の注入によって実質国有化された、りそな銀行で働く人の奥さんの投書です。「朝は六時半の電車で出勤。昼食を取るのもままならず、終電で帰宅。家でも午前三時ごろまで仕事。リビングの床で眠ったり徹夜したりすることもしばしば。健康診断の結果は要注意項目だらけですが、病院に行く時間も取れません。土日もよほどのことがないかぎり出勤。リストラで業務を任せる人がいないからといいます」。
 次は、夫の過労休職のことで労働基準監督署に行ったものの、本人が来なければだめだ、と言われた奥さんの詩です。
「帰宅は午前○時前後、会社での泊まり込みは週一、二回ある。……夫は間もなく会社で倒れ、救急車で病院へ。一度は職場復帰したが、再び体調を崩し、以後休職中」。
 
 次は、契約社員の息子に社会保険制度がないことを心配する母親です。「契約社員として工場で働く息子は、毎朝七時すぎに出勤」帰宅は平均午後一一時頃。遅い時は午前一、二時になる。家では寝るだけ。過労で倒れないかと心配だ。正社員並みに働いているのに、雇用保険や健康保険などの社会保険制度がない厳しい状況」だと訴えています。
 これらの投書は忙しい本人に代わって妻や母が書いたものです。いかにも日本的な話だといえます。
 
フレイザー 保険の話が出ましたが、アメリカではこの二〇年で健康保険の削減が進みました。いまでは実に四〇〇〇万人もが、正規社員であるにもかかわらず、またその多くはホワイトカラーであるにもかかわらず、健康保険に入っていません。病気になったり、過剰労働によるストレスから精神的疾患になったりすると、もはや使い物にならないとばかりに解雇される人も大勢いると実際に聞いています。日本の投書にあった事例と同じことが実際にアメリカでも起こっているのです。
 
森岡 『日経ビジネス』(一月二七日号)の特筆「もっと働け日本人」に、日本電産の永守重信社長が「午前六時五〇分に社内の誰よりも早く出社し、二日一六時間働き、土日も全く休まないという男」と紹介されています。彼が言うには、「『日本人は働き過ぎだ』なんていうのは、もう昔話だ。最近は欧米のビジネスマンの方がずっと勤勉ではないかと感じる。
 
……中略……それが一番よく分かるのは、国際線の機内だ。日本人は、飲まなければ損とばかりに、酒を頼んで、そのうち酔っぱらって寝てしまう。片や欧米のビジネスマンは、搭乗時間の直前をで携帯電話で仕事の打ち合わせをし、機内ではノートパソコンを開いて作業を始める。あるいは、仕事の書類を読みふけっている」。
 
 一方で、この雑誌の同じ号に「社員の病は会社の病」という第二の特集があり、そのリードにはこうあります。「現代のビジネスマンの心身は間違いなく痛んできている。こうした状態を招く一因でもあるス十レスや長時間労働が度を越せば、過労死や自殺といった悲劇に至るのは避けられない。いまや各企業にとって、社員の心身の健康維持・増進は、経営上の重要課題になってきた」。
 
 どちらも現在の日本の状況を象徴していますが、このような環境の悪化は、どのようにして生じたのでしょうか。
 
──略──
 
森岡 アメリカのホワイトカラーは、なぜ抵抗らしい抵抗もせずにこのような状況を受け入れたのでしょうか。
 
フレイザー 第一の理由は「心理的」なものです。アメリカのホワイトカラーは二つのタイプに分かれます。一つは起業家タイプで、リスクをいとわず、自分のために働き、自分の会社を興そうとする野心的な人びとです。もう一つは、保守的で用心深く、安定志向の人びとです。これまでアメリカで大企業への就職を希望するのは、後者でした。そちらの方が安泰だと思われていたからです。このタイプの人びとは、働けと言われれば働き、もっと働けと言われれば、文句を言うかわすに命令に従うような人びとです。
 
 第二の理由は「企業文化的」なものです。アメリオでは従来ホワイトカラーはあまり労働組合に入りませんでした。高等教育を受けた自分たちに、身を守るための組合は必要ないと彼らは思っていました。
 
 しかし八〇年代以降、特に九〇年代になると、ブルーカラーは組合によって保護されるのに、ホワイトカラーは個人では団体交渉もできず、立場が弱く、だれからも守られないことがわかったのです。企業で人員が削減される場合、組織化されているブルーカラトの場合は、勤続年数の短い若い社員から順番に解雇されます。しかしホワイトカラーはその逆でした。解雇されるのは四〇〜五〇代の給料の高い、家族手当などのコストのかかる人びとです。これは不幸なアイロニーです。
 
 さらに最後に、人びとはさまざまな面で弱気になっています。「仕事を失うのでは」という不安は、多くの産業が不況に陥ったここ数年で特に高まっています。絶望感もあります。どこも同じように状況が悪いならば、わざわざ別の会社にいく必要があるでしょうか。家のローンを払い、子どもの教育費を貯め、家族を養わねばならない。となると、いまのまま働きつづけるしかないのです。
 
森岡 日本を見ていると、ホワイトカラーに限らず労働者のあいだに、グローバリゼーションの進行は避けられず、アメリカ的経営を受け入れないと、競争に勝てないという考え方が強まっています。具体的には、金融面では、国際決済銀行の自己資本比率規制(BIS規制)や国際会計基準の受け入れなどです。
 
さらに商法が相次いで改正され、アメリカ的コーポレート・ガバナンス(企業統治)が導入されてきています。税制改革では投資家優遇税制が最優先されています。政府は国民に「もっとリスクを取れ」と呼びかけています。いずれもアメリカの株価至上主義経営を取り入れようという動きです。経営者だけでなく、従業員の間でもこうした変化は避けられない、という考え方が強くなっています。
 
 つぎに、いまも進行中のIT革命、情報技術の変化があります。これはある意味でオフィスにおける産業革命にあたります。一九世紀のイギリスで機械が導入された当時のことを、マルクスは『資本論』に、機械の導入は労働時間を短縮したのではなく、むしろ労働時間の突発的延長をもたらしたと書いています。これがいまは新しい情報技術が導入されたオフィスについても言えるのではないか。
 
フレイザー とても皮肉な現象ですね。多くの人が、テクノロジーによって仕事は減る、もっと創造的な仕事ができる、単純労働から解放されると思っていた、と言いました。ところが反対に、職場の状況は悪化したのです。ある人はこの状況を、「昔、中世の時代には鉄の鎖で囚人を束縛したものだが、いまの私たちはラップトップ・コンピュータと携帯電話に束縛されている」と表現しています。
 
 確かにこれらのツールによって仕事を家に持ち帰れるようになり、ますます二四時間労働に近い状態で働くようになりました。多くの人が、いつでもどこでも働いています。電車の中でも、家族と一緒にいるときも、子どもの発表会や行事に参加するときも。
 
アメリカの人びとはこのような状況に憤りを感じていますし、日本でもそうだと思います。ある人は、「そのように働くのが『可能』ならば、それは『必要』なのだ」と雇用主は思っている、と青いました。突発的な事件や緊急事態の時だけではなく、長時間労働が常習化しているのです。全く皮肉なことです。
(月刊:世界10月号 p223-228)
 
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 資本家にしてみれば、労働者を養うために工場を経営しているのでもなければ、社会奉仕のために事業をおこなっているのでもない。資本家は工場の経営によって利潤をあげるために資本を投資しているのである。毎日の株式相場の上がりさがりを見れば、利潤の大小に、どんなに資本家が敏感であるかがよくわかる。
 
資本家にとっては、労働者を低い賃金でつかえばつかうほど利潤は大きくなる。労働者を首切ることが利益になると考えれば、いつでも労働者を首切る。貸金や労働条件はこういう資本家の営利本位の立場からきめられて、一人ひとりの労働者におしつけられてくる。労働者の生活は、労働者の思うとおりにではなく、資本家の思うとおりにきめられてしまう。
 
 牧場の経営者が、乳牛を飼うのは、牛がすきだからとか、かわいいからとかいう理由からではない。年の生産する牛乳をしぼりとって利益をあげることが目的である。牧場経営者は自分の牛から毎日一合でも多くの牛乳をしぼりとることにたえず心をくだいている。資本家が労働者を雇う場合も同じことである。
 
資本家は労働者の生産する生産物のうち、できるだけ少ない部分を労働者に支払い、残りをできるだけ多く自分の手に収めようとする。「ゴマの油と百姓はしぼればしぼるほどとれる」という封建時代のむきだしの搾取が、こんにちでは低賃金、労働強化という形で労働者にたいしておこなわれているのである。ここに、労働者の貧困と苦しみの根本の原因がある。
 
 低賃金からくる生活の苦しみや失業、病気、老後の不安などは、労働者なら誰でも感じている。だが、資本家にそれを訴えてみても、一人ひとりの労働者の力ではどうにもしようのないことも、労働者はよく知っている。そんなことをすれば、かえって首を切られたり、不利益なあつかいを受けるおそれがある。
 
それで、「泣く子と地頭には勝てない」というような考えにおちいって不幸な運命とあきらめてしまう傾向もかなり強い。しかし、そうしたあきらめだけでものごとが解決されるものではない。毎日の生活の苦しさ、病気や失業の不安、労働強化でむしばまれてゆく健康などが労働者をいてもたってもいられない気持にかりたてる。
 
 そこで、この状態をなんとか改善するための個人的な努力がいろいろとおこなわれる。
 自分だけが失業しないように、あるいは、他の人よりもよけいに昇給したり、昇進したりするように、上役のごきげんをとったり、ひと一倍まじめに働くようにつとめる。ある場合には、上役に袖の下を使ったり、仲間の弱点を上役につげぐちしたりさえもする。
 
しかし、こうした個人的な努力は、他の人がそれをやらないときは、多少の効果があるようにも見えるが、それにしても、おなじ職場で働いている仲間の一般の水準と関係なしに、二倍も三倍もの貸金や手当てを受けとるわけにはゆかないことは明らかである。せいぜい昇給が一回早くなるとか、一〇円か二〇円昇給が多いぐらいのことで、現在の労働者の生泊の苦しみからのがれられるほどのものでないことも明らかである。
 
 しかも、こういうことは、一人じめにすることはできない。もしも他の労働者がそれを見習って、われもわれもと上役のごきげんをとったり、袖の下をつかうようになったとすれば、だれかれの差別のつけようがなくなって、結局、袖の下をつかわないと同じことになってしまう。それだけではなく、資本家は労働者のこうしたひくつな気持を利用していっそう労働条件や貸金を引下げようとしてくる。
 
──略──
 
 F自動車工場に臨時工として働いていた私の友人は、まじめに働いただけでなく、上役にも盆暮れのつけとどけもして、他の者より早く本工になって月収二万円くらいとっていた。この工場には、ほうぼうの工場で失業して、失業の苦しみを知りぬいた労働者が多く働いていたためか、首切りを非常におそれていた。会社は労働者のこのような気持を利用して、首切りをしないからということで数回にわたって労働強化をしいてきた。労働者はしかたなしにこれに従った。一昨年、会社は、仕事がなくなったという理由で全員解雇を申し渡してきた。
 
その後大部分の労働者を再採用したが、そのとき私の友人は二万円の月収を一万五〇〇〇円に引き下げられた。一年して、また全員解雇に近い首切りがおこなわれて、今度は私の友人もいろいろ手をつくしてみたが、四十五才という年令ではということで、永久に首になってしまった。労働者が個人的に身を守ろうとしても、結局、その弱気を資大家に利用されてかえってみじめな状態になることのよいいましめである。
 
 労働者のこうした弱い立場にあいそをつかして、商売とか事業経営とかいうような独立した事業をはじめるよりほかに、労働者としての現在の悩みや苦しみを解決する道はないと考える人もある。だが、そういう思いつきも一つひとつを調べてみれば、じつさいには、できない相談であることはだれにも明らかになる。
 
──略──
 
 じっさいに他の職業に転業して成功するということは労働者の何万人に一人というような、きわめてかぎられた例外であって、たとえてみれば、宝くじを引当てるイブな確率の少ないものである。
 
 転業によって労働者としてのみじめな、不安な生活からのがれることはできない。そこから、なんとかして不安定な自分の気持をなぐさめるために新興宗教にたよる人びともでてくる。しかし、信仰によって、心の不安は一時的にしずめられるかも知れないが、子供が病気になる、自分が病気になる、失業するというような生身の苦しみはなに一つ解決できるものではない。生身の苦しみがなくならないかぎり心の悩みもつきるものではない。宗教だけで、かすみを食って生きてゆけるものでもない。(宗教については後述する)
 
 こうみてくると、労働者の一人ひとりの持つ生活の苦しみや悩みを個人的な努力で解決する道はないということがはっきりしてくる。労働者は、労働者として働き、生活する以外に今の社会では生きる道がないのであるし、労働者がこんにちの社会ではたしている重要な役割を考えるならば、労働者として働くことが、こんにちの世の中でいちばん尊い、生きがいのある生きかたであるといえる。
 
 ここで、私たちは、労働者こそ、こんにちの日本の社会の生産の中枢をになっているものであり、日本の文化と国民生活をささえる大黒柱であるということ、資本家の生命である利潤を創造しているものが、ほかならぬ労働者であること、これらの事実に目をむけなければならない。そうすれば、現在にどう対処してゆくかという確信と将来にたいするかぎりない希望が生まれてくる。
 
団結こそ、労働者の生活と権利を守る
 
 労働者が、労働者として生活しながら、自分の生活を守り、たかめていく道はただ一つしかない。
それは団結することである。
 労働者が、一人ひとりに孤立している場合には、非常に弱いもので、資本家のいいなりにならなければならないことは、すでに述べてきたとおりである。だが労働者が団結すれば資本家の手のくだしようもないほど強い力ができる。
 
 工場を動かし、商品を生産しているのは労働者である。もし、一つの工場の労働者が団結して、賃金や労働条件の改善を要求して、この要求がいれられなければ働かないということになれば、その工場の生産は止まってしまう。資本家が何百万円、何千万円の資本を投じて工場や機械を設備しても、労働者が働かなければなにも生産することはできない。生産がおこなわれなければ、資本家は利潤をあげることができなくなる。
 
一人や二人の労働者なら資本家も急に雇いいれることもできようが、全従業員を解雇して、かわりを雇いいれるということは簡単なことではない。生産をつづけ、利潤をあげるためには、資本家の方から労働者に頭をさげて働いてもらわなければならなくなる。労働者が一人ひとりでばらばらなときには、資本家に生活のみなもとをおさえられて思う存分にされてしまうが、労働者が団結すれば、あべこべに、資本家の生命のみなもとである生産をおさえて、労働者の要求を資本家にみとめさせる力が生まれる。
 
 こういう団結はできるだろうか? できる。団結と協力は労働者の工場での生活に即したものであり、団結は労働者の生活からにじみでるものである。労働者は一つの工場で働く場合、仕上、旋盤、組立などことなった仕事をしながらも、全体の分業と協力で、一つの製品を完成する。しかも同じ雇主の下で、同じような労働条件で働いている。
 
だから労働者の一人が自分だけ貸金をよくしようと思っても、同じ職場で働く他の労働者と格段にちがった貸金がえられるとか、自分だけが八時間労働で働くとかするわけにはゆかない。全部が九時間働くとき一人だけ八時間で帰るということは、その職場の労働者の全体の仕事のつり合いをくずすことになるので、近代的な工場労働のしくみからも許されない。
 
労働条件というものは、そこに働く労働者に共通なものであって、大きな目でみれば、全部がよくなるか、全部が悪くなるかどちらかである。共通の労働条件のもとで協同して働いていること、そして交渉の相手が同じであることが、労働者の団結する第一歩の土台である。
 
 昭和十二年ころ私はある鋳物工場で働いていた。ちょうど日支事変が起こって物価があがりはじめていた。ある日、母がしみじみと、「こう物が高くなっては暮らしがたたないから工場長に話して給金をあげてもらえまいか」といいだした。私は病気あがりで仕事も人並みにはできない。残業もあまりやらないし、日曜にも休む。
 
だから、そんな事をいったらやめてくれといわれると答えた。「それは、お前一人でいってゆけばことわられるかも知れないが、みんなで相談して話をすれば大丈夫だろう」と母は教えてくれた。私の母は七十才をこえた年寄で、労働組合のことなどまったく知らずにその年まで生きてきた人である。
 
それでも労働者である息子といっしょに生活しながらどうして生活の苦しみを解決するかをまじめに考えれば、団体交渉ということに思いおよぶのである。労働者が、自分の生活を、いっさいの空想をすてて、まじめに考えるならば、団結するということが労働者一人ひとりの生活を守り、労働者全体の生活をたかめてゆくただ一つの道であることが自覚されると思う。
 
 紡績の女工さんといえば、昔から農村のまずしい農家の娘たちが、小学校を卒業するとすぐに工場につれてこられて、寄宿舎に入れられて、資本家のいいなりの低い賃金で、長い時間働かされて、若い生命を資本家の利益のために削りとられてきたものだった。
 
そして、毎日の生活のすみずみまで資本家に監視され、外出を制限されたり、手紙の発信、受信まで検査されて、まったく人間としての権利をふみにじられてこき使われてきた。年はもいかない、社会的な経験もない若い女工さんたちをあつかうのは、資本家にとっては赤児の手をねじるほどかんたんなことと思われていた。
 
 ちょうど、そんな状態だった近江絹糸の女工さんが、ひとたび団結して立ちあがり、毎日の生活にたいする不当な干渉や圧迫に反対して、少なくとも、現在日本の労働者のもっている基本的な権利を認め、賃金と労働条件を改善することを要求して六〇日をこえる長いストライキを決行したとき、さすがに悪名高い夏川社長も女工さんたちの固い団結のまえにかぶとを脱いで、要求を認めないわけにはいかなかった。
 
労働者の中でもいちばん弱い立場におかれていると考えられていた紡績の女工さんたちですら、団結すれば資本家の中でいちばん悪らつといわれた近江絹糸の資本家を屈伏させることができるのである。
 
 東京証券取引所といえば、古い封建的なしきたりの強く残っているところで、とくに女子従業員はその権利を無視されていたところである。ここの労働者諸君が団結して貸金の引上げと労働条件の改善を要求してたたかった結果、ここでも組合の要求をかなりに実現することに成功している。
 
 また、日本製鋼室蘭工場で、資本家が経営の都合上九〇一名の労働者を首切ると通告してきたのにたいして、労働者はこの首切りに反対して、一九〇日をこえる長期のストライキをおこなって、首切りを七〇〇名にまで減らすことに成功した。この争議では、労働者の要求がぜんぶ貫徹されたのではなく、かなり多くの労働者が首切りの犠牲にされたが、多数の労働者の首切りを防いだだけでなく、労働組合をつぶして、残った労働者全体の労働条件を引下げようとした資本家のくわだてをくじくことができたという点で大きな成功であった。
 
 こうした実例は戦後日本の労働組合運動の歴史だけでもかぞえ切れないほど多い。一九五七年の春の闘争でも、炭坑資本家は、はじめ五〇〇円しか賃上げできないといっていたが、つぎに六〇〇円になり、最後には一三〇〇円まで出すと譲歩した。これも労働者が団結して、要求の入れられるまではストライキをつづけるという強い態度を示したからである。
 
 これらの事実は、労働者の生活と権利を守るためには、団結して資本家とたたかう以外に道がないということを教えている。また、団結が固く、団結の幅が広ければ広いほど、労働者は、大きな勝利を得ることができることを教えている。
(春日正一著「労働運動入門」新日本出版社1963年出版 p14-23)
 
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◎「それは、お前一人でいってゆけばことわられるかも知れないが、みんなで相談して話をすれば大丈夫だろう」……一人でなくみんなで進むということです。
 
◎労働組合は労働者のもっとも広い団結の組織です。組合活動を強めることはいまほど重要なことはないとおもいます。明日の生活に不安がうんとひろがっているのですから……。