学習通信031126
◎マニュアル人間……未経験のことにたいして自分で考え、工夫するということ
 
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マニュアル依存症  藤原 智美・作家
 
 奇妙な青年を見かけた。彼は通りを浴衣姿で歩いていた。カップルだったが、彼女がどんなふうだったかは記憶にない。もっぱら彼のほうへ視線がむいていたからだ。まず目についたのは帯がへソのずっと上、胸下あたりにまかれていたことだ。子どもじゃないか、とおもったが、彼は身長百八十センチほどのりっぱな大人だった。
 
さらに足下に目がいってぶっ飛んだ。まばゆいばかりの白足袋がそこにあった。一瞬、冗談なのだろうとおもった。むかしのハリウッド映画に登場したおかしな日本人のような、キッチュを演じているとさえ見えた。が、彼は大まじめで、スタスタと歩いていった。
 
 ことしは浴衣姿の若者が目についた。これほど凄いのはいなかったが、お端折(はしおり)のないのっべりとした浴衣姿の女性も少なくなかった。お端折は身丈が異なる人にもフレキシブルに合わせられる便利なアクセントだが、姉妹でお下がりを、というようなことがなくなって「不要」とされつつあるのかもしれない。もっともミュールに浴衣という格好がフツーになっている今、ファッションにセオリーを求めるのが時代遅れ、といわれてしまえばその通りだけれど。
 
 ことし夏、見た奇妙な光景をもうひとつ。それはあるスタジオでのことだ。撮影の合間に一息入れようということになった。スタッフが表に出て、アイスキャンデーを買ってきた。むかし懐かしい棒状のかたいやつだ。
 
 で、さっそく食べはじめたのだが、二十代の若手はその食べ方がわからない。真ん中あたりをネズミのようにかじってみたり、たまたま用意されていた果物ナイフで削ってみたり。しまいには服にぽたぽたと滴を垂らすしまつ。
 
 食べたことがないのだから、食べ方を知らないのはあたりまえだ。が、そうだろうか、と疑問がわいた。たしかに「やったことがないことはできない」という理屈は一見正しい。けれどアイスキャンデーなど手と口を使うだけの簡単なもの。ちょっと考えれば食べ方などすぐわかる。
 
 要するに未経験のことにたいして自分で考え、工夫するということが苦手なのではないか、とおもうのだ。浴衣も初めてなのだから、もう少し緊張感をもって着付けを「知る」努力くらいしてほしい。テキトーすぎる。これもマニュアル依存というのか、きっと幼いころから日常的に自発的な工夫を怠ってきたせいではないか。
 
 と、若者「批判」に調子づいていたら、マニュアルという言葉でハッと気づいた。買って一年たつDVDレコーダーがいまだに使いこなせないのだ。厚いマニュアルの冒頭には「本機は、従来の家電製品と異なり、複雑なソフトウエアで構成される『デジタルAV』製品です」などと脅し文句が掲げられている。複雑な編集はおろかへDVDへのダビングもいまだにできない。内蔵のHDDに収録しているだけだが、そのうちにいっぱいになりそうで心配だ。
 
 これまで「家電製品」でマニュアルを放りだしたことはなかった。けれどこればっかりはダメだ。もう歳か? 白足袋の浴衣青年などはあんがいDVDレコーダーをめいっぱい使いこなしているかもしれない。いや、きっとそうだ。
(日経新聞030912 夕刊)
 
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マニュアル人間
 
 「個性」を発揮せよと求められるのは、子供に限りません。学者の世界でも同じです。学問の世界でも、やたらに個性個性と言うわりには、論文を書く場合には、必ず英語で書け、と言われる。
 
 学術論文には「材料と方法」という欄があります。論文を書くにあたっては、その言語も、「方法」の基礎のはず。ところが、学者の世界では大概、英語を共通語として、それを使うように求められる。一体どこが個性なのでしょうか。
 
 英語で書かなくてはいけないという規則は存在しません。しかし、「英語で書かないと評価されない」と言う人がいます。そもそも誰が評価されないといけない、などと決めたのかもわからないのですが。
 
 今の若い人を見ていて、つくづく可哀想だなと思うのは、がんじがらめの「共通了解」を求められつつも、意味不明の「個性」を求められるという矛盾した境遇にあるところです。会社でもどこでも組織に入れば徹底的に「共通了解」を求められるにもかかわらず、ロでは「個性を発揮しろ」と言われる。どうすりやいいんだ、と思うのも無理の無い話。
 
 要するに「求められる個性」を発揮しろという矛盾した要求が出されているのです。組織が期待するパターンの「個性」しか必要無いというのは随分おかしな詣です。
 
 皮肉なことに、この矛盾した要求の結果として派生してきたのが、「マニュアル人間」の類です。要は、「私は、個性なんかを主張するつもりはございませんが、マニュアルさえいただければ、それに応じて何でもやって見せます」という人種。これは一見、謙虚に見えて、実は随分倣岸不遜な態度なのです。
 
 「自分は本当は他人と違うのですが、あなたがマニュアル=一般的なルールをくれれば、いかなるものであろうとも、それを私はこなしてみせましょう」という態度なのですから。こういう人は、ご自分のことを随分全人的な人間、すなわちあらゆる面でバランスがとれていて、何にでも対応できる人間だと思っているのではないでしょうか。
 
 私自身は、マニュアル通りになんかとても出来ないし、読む気もしない。最初からそんな気は無い。しかし、具体的に仕事をやれば、どういう手順がいいのかなんてことは、わかってくるものなのです。
 
 私が昆虫の標本を作る際に、昆虫から交尾器を抜く必要が生じることがある。その場合には、カラカラに乾いた虫の交尾器をいったん柔らかくして元に戻して、体から抜くのが楽です。
 
 本来はとってきたばかりの虫から抜くのが一番いい。そうすれば、跡形もなく綺麗に抜けて、後から元に戻すことも出来る。だから虫を取ってくるとすぐに抜くという作業をするわけです。この作業には、家庭で洗濯に使っている漂白剤を使用すればいいのですが、それも経験上、わかってきたことです。
 
 こんな手順のマニュアルなんかどこにも存在していません。しかし、こうしなくては駄目なことはわかっている。そして硬くなった虫はこうして柔らかくする、というのも、仕事をやっていくうちにわかることなのです。(養老孟司著「バカの壁」新潮新書 p45-47)
 
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 まちがえたからということではなく、稽古ではうまくできていたものなのに、なぜ本番では力が出せないのだ、ということだったと思います。自信があったのにうまくいかなかった、という自分自身への悔しさもあって、つい殴ってしまったのではないかと思います。泣いた私を、祖父がなぐさめてくれました。
 
 以後も、高校生ぐらいまでは、殴られることもよくありました。扇でさんざんに殴られて、扇が折れてしまったこともあったぐらいです。
 
 母親はそんな状況でも、芸のことにはロを出さないのが鉄則です。子どもをかばうこともありません。それでも、私は、つらいと感じるというよりは、しつけが厳しいようなものだと受け止めていました。ほかの親子関係は知りませんから、比べようもありません。
 
 子どものころに父からいわれたことで、もっとも印象に残っているのは、「とにかく一生懸命、萎縮せずに大きな声でやれ」ということです。繰り返し練習することで型はできるようになっている、本番ではその型に自分というものを注入する、ということでしょう。
 
型のために型に忠実であるのではなく、型を身につけてしまえば、型はむしろ自分に忠実なものとなり、自然にできるはずだという考えだと思います。
 
 思い返してみると、稽古は強制されるものにすぎず、伝承されてきた基本の型にはめこまれる狂言を、窮屈なものだと感じていました。ただ、舞台で演じること自体は、小さいころから窮屈だと感じたことがなかったように思います。
 
稽古は厳しくて、型以外のことをやったらものすごく叱られる。けれども、舞台の上では、詰め込まれたものを一気に発散させるような爽快さを感じられたからです。
 
 子ども時代から、お客さまが笑ったなら、じゃあ、もっと笑わせてやろう、と考えるようなところがありました。稽古のときには型にがんじがらめになっていて、舞台ではどういうことになるのか、まるでわからない。予測もできないし、予測するほど熱心にやる気もないし、といったところです。それが本番になると、しようがねえゃと思いながらやってきたものに、客席から生の反応が返ってくる。そこから楽しさや快感を得るようになっていったのです。(p32-33)
 
 『三番曳』は、「舞う」とはいわず「踏む」というぐらい、激しい足拍子の多いエネルギッシュな曲です。近代スポーツ、たとえば私のしていたバスケットボールなどでは、ジャンプしたりシュートしたりするためには、膝がやわらかくなければいけません。
 
しかし、狂言では、膝がやわらかいと、舞台上での基本的な歩き方である摺り足をするのに、膝のちょうつがいがぶれてしまって身体がゆれてしまうのです。『三番曳』はたいへん武闘的な要素が強く、身体のぶれをもっとも嫌う曲のひとつです。このときには、数ヵ月の間、「バスケット禁止令」が出ていました。
 
 舞台は国立能楽堂だったのですが、当時はまだ新しくて、木がよく枯れていなかったため、音があまり鳴りませんでした。それでも家の稽古場と同じぐらいの音が返ってくるように、無理やり強く足拍子したため、かかとが真っ青に内出血して、次の日には歩けなくなってしまいました。
 
しかし、この曲は理屈抜きに躍動する、神事ともいえる舞なので、何かに踊らされているともいうような、身体が勝手に躍動していくような感覚を得ました。体内のエネルギーを発散しつくしたような爽快さも感じました。
 
 『三番曳』を抜くということは、身体を完全にコントロールできるようになるまで訓練するということです。技術的にも飛躍的に伸びました。ちょうど、運転免許を取って世界が広がるような感じでしょうか。技術が伸びていくことが実感できるのは、自分としても楽しいことです。
 
押しっけられるものにすぎなかった型にも、やり方がいろいろあるということ、また、型というもの自体の深さ、奥がわからないくらいのブラックボックス的なところなどもわかってきました。受け継がれてきたものに、現代人である自分が交信してゆくような手応えを感じるようになったのです。
 
 この『三番曳』で狂言のおもしろさに目覚め、以後は稽古にも積極的に取り組むようになっていきました。狂言師として、大きなステップアップのきっかけとなった曲です。いまでも『三番曳』は、自分のキャラククーに合った得意な曲として、たびたび踏んでいますし、今後も踏みつづけていきたいと思っています。(p42-43)
(野村萬斎著「萬斎でござる」朝日文庫)
 
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◎マニュアル……社会を変革する活動は、マニュアル通りにはいきません。萬斎氏の言うような型≠フとらえ方が重要でしょう。科学的社会主義の古典を学ぶ、先輩の助言に学ぶ、方針に学ぶ……、そうしてこそ、自分が問われるときに応える力≠発揮することができるのです。学んだ対象が不十分ではなく、学ぶ私たち自身の人生観がとわれているのでしょうね。学ぶ対象を発見するのも私たちです。
 
◎労働学校でも、言ってもらえれば……「自分のことを随分全人的な人間、すなわちあらゆる面でバランスがとれていて、何にでも対応できる人間だと思っている」(養老氏)仲間がいますね。なんでも解っているような仲間です。その人の人生観≠ェ問われているのです。