学習通信031128
◎平等≠ニはA……「能力に応じて開かれている人生」
 
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機会の平等
 
 ひとたび南北戦争が奴隷制度を廃止し、人格的平等の概念、すなわち神と法との前における平等の概念が次第によりよく実現されていくにつれ、人びとの知的な討論や、政府の政策や民間のあり方との関連において、人びとは異なった概念、すなわち機会の平等をいっそう強調するようになっていった。
 
 文字通りの機会の平等、すなわちすべての人が完全に同じ機会をもつという平等は、まったく不可能なことだ。盲目で生まれる子供もいれば、そうではない子供もいる。ある子供は、福利・厚生のことを深く心配してくれたり、その文化的背景に関心を払い、できるだけ理解力を深めるような機会を提供しようとしてくれる両親を、もっているかもしれない。
 
別の子供は、先のことを考えない自堕落な両親にしか恵まれていないかもしれない。ある子供はアメリカに生まれるだろうし、他の子供はインド、中国あるいはソ連に生まれるかもしれない。このように、子供たちは生まれたときに、まったく同様な板金に恵まれていることはけっしてなく、そのような横会を完全に同一なものにする方法は皆無だ。
 
 人格的な平等と同じく、機会の平等も文字通りには解釈されるべきでない。その本当の意味は、フランス革命のときフランス人が使用した表現によって、もっともよく表わされている。「能力に応じて開かれている人生」がそれだ。その人の能力にふさわしい地位を達成するのを妨げるような、また人がそれぞれなりにもっている価値観によって達成したいと追求する人生を妨げるような、どんな盗意的な障害も許されるべきではない。
 
生まれ、国籍、肌の色、あるいは信仰、性別、その他もろもろのつまらない特徴によって、人びとに対して開かれている機会がどんなものになるのかが決定されることがあってはけっしてならない。これを決定するのは、その人の能力だけだ。
 
 このように理解すれば、機会秒平等とは、人格的な平等、すなわち法の前における平等が何を意味するかを、もっと詳しく表現しているものでしかない。人格的平等と同様に、機会の平等が意味をもち重要でもあるのは、人が遺伝子的に異なっており、文化的特徴においても違いをもち、それに応じていろいろと異なった人生を追求したいと欲しもするし、またそうすることもできるという、まさにその理由においてだ。
 
 人格的平等と同様に、機会の平等も自由と矛盾するところがまったくない。それどころかそれとはまさに逆に、機会の平等は、自由の本質的な構成部分だ。もしもある人が自分ほそれに向いているというのに、人生におけるある特定の立場に就くことを、人種的な背景や肌の色や宗教の理由において否定されなければならないとすれば、これこそ「生活と自由と幸福の追求」とに対する人びとの権利を侵害するものだ。
 
このようなことが発生すれば、それは機会の平等に対する否定であり、まさにそれと同様な理由において、誰かの特定な利益のために、誰かの自由を犠牲にすることを意味するものだ。
 
 すべての理念がそうであるように、機会の平等も完全に達成することは不可能だ。それにしても、機会の平等をもっとも深刻に否定されているのは、アメリカ南部においてとりわけそうだが、アメリカ北部においても同様な運命にさらされているアメリカの黒人たちだ。そうではあるが、アメリカの黒人や他の人種グループにとって、多くの前進がなされてきた。
 
いわゆる「人種のるつぼ」という考え方それ自体が、機会の平等という目的を反映したものだ。同様に初等・中等・高等学校教育、ならびに高等教育における「自由」の拡大も、機会の平等をもたらした。ただし、次の章で述べるように、この「自由の名における無料」教育の発展は、望ましくない結果ももたらすこととなった。
 
 南北戦争後、アメリカの公衆によって、機会の平等がいろいろ異なった価値観の全体系の中で重要な地位を占めると考えられるようになった。このことは、とりわけ経済政策の分野においてはっきりと示された。当時における標語は、自由企業と競争と自由放任とであった。どんな商売を始めようが、どんな職業に就こうが、どんな財産を購入しようが、すべての人は自由とされ、その際の唯一の制限は、どんな取引でも当事者双方の合意がなければならないということだけだった。
 
誰しも自分が成功すれば、その利益を手に入れる機会を与えられるべきであり、それと同時に、誰であろうが失敗をすれば、その損害の責任をとらなければならないものとされた。これらのすべてを通じて、自由に対するどんな慈恵的な障害も設けられるべきではないとされていた。ただひとつの試金石は実績であり、けっして生まれでも、信仰でも、国籍でもなかった。
 
 このような発展がもたらした当然の結果は、自分こそ文化的なエリートだと考えている連中が俗悪な物質主義とあざけったような事態が出てきたということであり、万能のドルに対する重視であり、富が成功のシンボルであり象徴であるとされる風潮だった。
 
トクヴィルが指摘したように、これらのことがアメリカ社会によって強調されるようになったのは、アメリカ社会が、封建社会や貴族社会における伝統的な基準、すなわち生まれや両親といった基準を受けつけるのを拒否したからだった。伝統的基準とは異なり、実績だけが新しい基準であり、富の蓄積が実績を計るのにもっとも容易に使用できる基準だった。
 
 アメリカ社会にもたらされたもうひとつの必然的な結果は、いうまでもなく、人びとのエネルギーを圧倒的に解放したことだった。こうして爆発した人びとのエネルギーのおかげで、アメリカ社会はますます生産的になっていき、ダイナミックな社会となり、そこでは人びとの社会的な移動は日常的なこととなっていった。
 
もうひとつの結果は、人によっては驚くかもしれないが、慈善活動の爆発だった。この爆発は、富の急速な成長によって可能となったものだった。慈善活動の爆発は、非営利病院や個人の寄付でできた大学や貧困者を助けることを目的とした無数といっていいほどの慈善団体の創立をもたらした。これらは、当時の社会の支配的な価値観、とりわけ機会の平等の促進という価値観によってこそもたらされた。
 
 もちろん経済活動の分野では、他の分野と同様に、実際に行われていることが必ずしも理想そのものに合致するとは限らない。たしかに、政府は小さい役割を果たすように維持されてはいた。企業活動に対するどんな障害も、政府が後押しすることはなかった。十九世紀末期にとられた積極的な政府の政策といえば、とりわけシャーマン反トラスト法だったが、これも競争に対する民間からのいろいろな障害を排除することをこそ目的として採用されたものだった。
 
しかし、人びとがいろいろな商売を始めたり、仕事に就いたりする自由を妨げ続けていった法律外的ないろいろな取り決めほ、依然として残っていた。社会において実際に行われたことからいえば、「正しい」家庭に生まれ、「正しい」肌の色を持ち、「正しい」宗教を信じている人びとに対して、依然として特別な利益が与えられ続けた。
 
しかし、このような幸運に恵まれなかったグループの人びとも、社会的・経済的地位を急速に上昇させていくことができたという事実は、このような障害を乗り切るのがけっして不可能なことではなかったことを明白に示している。
 
 政府の政策に関していえは、自由市場から大きく逸脱した分野は外国貿易だった。この分野との関連でアレキサンダー・ハミルトンは、『製造業に関する報告』の中で、関税による国内産業への保護政策は、アメリカ的あり方の一側面として、神聖なものとした。
 
しかし、関税による保護政策は、機会の平等を徹底させるとき、これとけっして合致できるものではない。またこのような保護政策は、東洋人を除けば、第一次大戦までアメリカ社会を支配してきた移民の自由とも矛盾するものだ。
 
保護貿易主義を、国防の必要の理由において正当化しょうとしたり、あるいは平等は国境の範囲内においてのことだ、というまったく異なった理由によってこれを正当化しょうとする人が出てくるかもしれない。しかし、このような正当化の主張は、平等のきわめて異なった概念を唱導している大半の人によって採用されている、きわめて矛盾した主張でしかない。
(M&R・フリードマン著「選択の自由」日本経済新聞社 p211-215)
 
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 封建的中世は、そのうえ、自分の胎内に、やがて発展をとげるうちに近代の平等要求の担い手になる使命を授かった階級を、すなわち、市民階級を、発生させた。はじめは、自身、封建的身分であって、封建社会の内部で、おもに手工業的な工業と生産物交換とを比較的に高い段階まで発展させていた。
 
そこへ、一五世紀の末に、海路上のもろもろの大発見が行なわれて、そのために、一つの新しいいっそう広大な前途がこの身分の前に開かれた。
 
ヨーロッパ以外の地域との貿易は、それまではただイタリアと地中海東岸諸国とのあいだで行なわれていただけであるのに、いまではアメリカとインドとへ拡張され、まもなく、個々のヨーロッパ諸国相互のあいだの交換をも、個々の回それぞれの国内交易をも、ともに追い越すほどの重要性をもつようになった。
 
アメリカの金と銀とは、ヨーロッパに氾濫して、まるで分解剤のように封建社会のすべてのすき間・裂け目・毛穴に押し入った。手工業的経営は、増大する需要を満たすのにもう十分ではなくなった。最も進歩した国ぐにの主要な諸産業では、マニュファクチュアがそれに取って代わった。
 
 けれども、社会の経済生活の諸条件のこのものすごい激変にすぐに続いて社会の政治的編制のこれに見あった変化が起こったわけでは、けっしてない。
 
社会がますますブルジョア的になっていったのに、国家制度はあいかわらず封建的であった。大規模なものになった商業のためには、したがってとくに諸国民間の貿易のためには、それにもまして世界貿易のためには、なにものにも妨げられずに活動できる自由な商品所有者たちが必要である。
 
すなわち、商品所有者として平等な権利をもち、彼らの全員にとって──少なくとも個々のどの地域でも──平等な法にもとづいて交換を行なう、そういう商品所有者たちが必要である。
 
手工業がマニュファクチュアへ移行すみためには、その前提として、自分の労働力の賃貸にかんして工場主と契約を結ぶことができ、したがって、契約当事者として平等な権利をもって工場主と向きあう、或る数の自由な労働者──一方ではツンフトの束縛から自由な、他方では自分の労働力を自分で活用するための手段から自由な〔手段をもっていない〕、そういう労働者──が存在していなければならない。
 
そして、最後に、<すべての人間労働は、人間労働一般であるから、また、その限りで、平等であり、平等な資格をもっている>、ということが、近代ブルジョア経済学の価値法則のなかに、無意識的にではあるがきわめて力づよく表現された。
 
この法則によると、<或る商品の価値は、そのなかに含まれている社会的に必要な労働によって測られる>、というのである。──しかし、経済的諸関係が自由と平等な権利とを要求しているところで、政治制度は、一歩ごとにツンフト的束縛と特殊な特権とをそれに対立させていた。
 
地方的特権・差別関税・ありとあらゆる例外法、これが、商業上、外国人や植民地住民に打撃を与えただけでなく、自国民のすべての部類にも打撃を与えどおしであった。ツンフトの特権が、いたるところで、また、絶えず新しく、マニュファクチュアの発展の道をふさいで立ちはだかった。どこへいっても進路はふさがっており、競争するブルジョアたちにとって機会は均等でなかった。
 
──しかも、この〔機会均等という〕ことこそ、ますますさしせまった第一の要求なのであった。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p150-151)
 
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 最後に展開された等価形態の二つの独自性は、価値形態を、きわめて多くの思考形態、社会形態および自然形態とともにはじめて分析したあの偉大な探究者にまでわれわれがさかのぼるとき、さらにいっそう理解しやすいものとなる。その人は、アリストテレスである。
 
 アリストテレスは、まず第一に、商品の貨幣形態は、簡単な価値形態の、すなわち、なにか任意の他の一商品による一商品の価値の表現の、いっそう発展した姿態にすぎないことを、はっきりと述べている。というのは、彼はこう言っているからである。
 
 「5台の寝台=1軒の家」
ということは、
 「5台の寝台=これこれの額の貨幣」
というのと「区別されない」と。
 
 彼は、さらに、この価値表現が潜んでいる価値関係は、それはそれでまた、家が寝台に質的に等置されることを条件とすること、そして、これらの感性的に異なる諸物は、このような本質の同等性なしには、同じ単位で計量されうる量として、相互に関連しえないであろうということを、見抜いている。
 
彼は言う。「交換は同等性なしにはありえないが、同等性は同じ単位で計量されうることなしはありえない」。しかし、彼はここではたと立ち止まって、価値形態のそれ以上の分析をやめてしまう。
 
「しかし、種類を異にする諸物が、同一の単位で計量されうることは」、すなわち、質的に等しいということは、「ほんとうは、不可能なことである」。こうした等置は、諸物の真の性質にとって疎遠なものでしかありえず、したがって、ただ「実際上の必要のための応急手段」でしかありえない、というのである。
 
 したがって、アリストテレスは、彼のそれ以上の分析がどこで挫折したかを、すなわち、価値概念の欠如のためであることを、みずから語っているのである。寝台の価値表現において家が寝台のために表わしている等しいもの、すなわち共通な実体は、なにか? そのようなものは「ほんとうは実存しない」とアリストテレスは言う。
 
なぜか──家が寝台にたいして一つの等しいものを表わすのは、家がこの両方のもの、寝台と家とのなかにある現実に等しいものを表わす限りにおいてである。そして、これこそ──人間的労働なのである。
 
 しかし、商品価値の形態にはすべての労働が等しい人間的労働として、それゆえ、等しい妥当性をもつものとして、表現されているということを、アリストテレスは価値形態そのものから読みとることができなかった。
 
なぜなら、ギリシア社会は奴対労働を基礎としており、したがって、人間およびその労働力の不平等を自然的基礎としていたからである。価値表現の秘密、すなわち、人間的労働一般であるがゆえの、またその限りでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の平等の概念がすでに民衆の先入見にまで定着するようになるとき、はじめて、解明することができる。
 
しかし、それは、商品形態が労働生産物の一般的形態であり、したがってまた商品所有者としての人間相互の関係が支配的な社会的関係である社会において、はじめて可能である。アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見している点に、輝いている。
 
ただ彼は、彼が生きていた社会の歴史的制約にさまたげられて、この同等性関係が、いったい「ほんとうは」なんであるかを、見いだすことができなかったのである。
(マルクス著「資本論」新日本新書 p101-103)
 
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◎ マネタリズム 新貨幣数量説.ケインズ的な経済政策の破綻(はたん)のなかから,保守的なフリードマン(1912〜)の経済論が,にわかに脚光をあびるようになり,その貨幣政策論がマネタリズムとして浮上してきた.政府が財政支出をふやして総需要を増大させて失業率を低下させるなどということは,そもそもまちがいで,失業率をひきさげると加速的にインフレ率を高め,むしろ経済の不安定を結果する.それよりも通貨の供給量を抑制すれば物価の安定も実現する,つまり通貨政策によって景気をおさえ失業率を増加させることによってインフレをさけることができるという露骨な反労働者的主張.→新自由主義
(新編 社会科学辞典 新日本出版社)
 
◎平等=c…資本主義にはなくてはならないものです。