学習通信031129
◎平等≠ニはB……「自由」は平等の定義におけるその一部であって、平等と衝突するところはまったくない。
 
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 いずれにしても、「ルールの束」の重要性を認識できなければ、経済を語っていても、その内容の価値は半分以下になってしまうことにそろそろ気づかなければならない。
 
 世の中にはいろいろな人がいて、資本主義を支えているコンセプトは、「自由」だと手張する人がいる。大きな勘違いである。資本主義が円滑にかつ暴走せずに機能するためには、「資本を最も有効に利用できる者が報われる」ことが保証されねばならない。その意味で、資本主義の根本を見つめたとき、気づかねばならないコンセプトは「規律」なのだと言ってよい。それを具現化したのがルールであり、「ルールの束」なのである。
 
 自分では資本を有効活用できないくせに、暴力やコネや反則技を使って他人の富を略奪する者が処罰されないとしよう。あるいは、「資本を有効活用している」という嘘つきが巨額の報酬を得るとしよう。そういう環境下で、誰が資本を有効活用しようと思うだろうか。そんな暇があったら、盗みの腕をあげるか、粉飾決算する技術を磨いたほうがいい。結果として誰も真面目に働かなくなる。資本効率も落ちる。
 
 じつは、ルールを守るという規律が資本主義を支える基盤なのだ。ルールを遵守するなかで自由に競争してこそ、資本主義は有効に機能する。規律がなければ、資本主義とは呼べないのだ。
 
 そもそも、自由な経済が成り立つためには、自由な財やサービスの販売がなければならない。財やサービスと貨幣の交換が自由になされなければならない。また、そのことは、購入した人間の所有権が確立されていなければならないことを意味する。要するに、当事者同士が、相手方に対して、それぞれが所有する商品に対する絶対的で排他的で全面的な支配権をお互いに認め合わなければならない。
 
 そのような支配権を私的所有権という。
 いかなる市場原理主義者であろうとも、私的所有権が確立され、その権利が保護されていなければ、市場原理主義は暴力で戦利品を奪い合う悲惨な状況になることは想像できるだろう。私的所有権というルールがあるから、自由に競争ができる。ルールがあるから、資本主義を謳歌できるのだ。
 
 そうなるためには、私的所有権が社会的に認められ、制度的に擁護されなければならない。私的所有権を侵害したものに対しては厳しい処置が下されなければならない。とすれば、司法や警察という市場原理から遠い人たちがいるからこそ、資本主義というものが機能するというパラドックスを認めなければならないだろう。「ルールの束」があるから、資本主義が機能するのだ。
 
 あるいは契約の効力について考えてみればよい。いったん契約したら、その約束は履行されなければならない。履行されないのなら、その履行を要求し、賠償金を払わせるなどの措置がとられる必要がある。契約の履行を強制せしめる制度的なメカニズムが必要だ。そこには、法的な規範が存在しなければならない。そうでなかったら、安心して商取引などできないではないか。
 
 ゆえに、資本主義が成り立つためには、私的所有権と契約自由の原則が確立され、私的所有権が侵害されたり、契約が履行されなかった場合に、強制力をもって是正措置が行なわれる社会制度(=ルールの束)が確立されねばならないのである。
 
 少し考えれば、法も規範もない自由というものがあり得ないということにはすぐに気がつく。だから、ルールのない資本主義もあり得ない。もし、あるとするなら、それは暴力が支配するジャングル資本主義とでも形容すべきものだろう。
 
 さて、もう一つ根本的な問題を提起しておこう。自由と平等はいずれも人間生来の重要な要求であるが、資本主義のもとにおいても、この両者は両立するか否かということがつねに問題として議論されてきた。ここでは、大野忠男『自由・公正・市場』(創文社)を引用しながら議論を展開しておこう。
 
 人格としては平等に取り扱われるとしても、自然から与えられた資質、能力、家庭環境などの点で個々人の間には違いが存在する。人間は生まれながらにして平等であるわけでは決してない。このため、資本主義のメカニズムを通じてもたらされた不平等を野放図に認め、自由を最大限に認めるならば、結果における大幅な不平等は避けられないものとなる可能性がある。
 
 このとき、それでも平等という価値を社会的に求めようとするなら、国あるいはルールが個々人の自由に対して干渉しなければならない。このため、経済的・社会的不平等を矯正し、社会的な平等というものを実現するために、国家がどこまで個人の自由を制限することが正当化されるかという問題が浮上してくる。そこでは、自由と平等というコンセプトが鋭く対立するのだ。
 
 この点について、これまで幾多の学者や識者たちが論争を演じてきたが、そのなかでも重要なコンセプトを提起し、議論のベンチマークを提示したのが、リベラリズムの代表的論客とされるジョン・ロールズによる『正義論』である。ロールズは手続的正義という考え方に従いながら、正義の本質は「公正」(=fairness)だとみなすとともに、「公正としての正義」という手続的概念を、社会秩序自体の正義の問題に適用しようとした。
 
 ロールズが正義の本質とみなした公正とは、たとえば、あるゲームを行なう場合、あらかじめ決定されたそのゲームのルールに従うことであり、相手を騙したり、不正な手段を用いたりしないことを指す。そして、ルールに従って、ゲームが行なわれた以上、その結果がどうあろうとも、ゲームの参加者はこれに対して異議を唱えてはならない。問題は結果のいかんではなく、ルールが守られたか否かにあるからだ。
 
経済社会の成員は、法的・社会的ルールに従って、公正に行動することを要請されるけれども、その行動の結果については、市場システムのルールが守られるかぎり、自己の自由な決定に基づく正当な帰結として、これを社会的に受け入れなければならない。
 
 こうした結果として、自由な経済システムは、特定の目標や欲望満足のランキングについてなんら強制を受けることなく、各人の行動と目的の選択に関して広範に自由が認められているという点に、最大の長所がある。その場合、ルールによる行動の制限は、すべての人がこのルールに従うことによって各人の有する自由の範囲が制限されることなく、その目的の追求を保証するという意味において、ルールによる制約と自由との一致が見られるのである。
 
 無論、こうしたロールズの見解には、多くの賛同とともに、さまざまな批判が寄せられている。その正当性を学問的に探求することが本書の目的ではない。しかし、この「公正のための正義」という枠組みが充たされれば、マーケット・メカニズムが、ロールズが定義するところの、平等な自由と公正な機会均等の原理を提供してくれるということについては広く支持されている。
 
 もっとも、冷めた目で見れば、ロールズの主張は、一定の条件のもとで、不平等と私有財産制度の基礎の上に立脚する資本主義経済体制を正当化することを目指して、最低限のルールを定めたものにすぎない。
 
 ところが、そうした観点で見たとき、じつは日本資本主義は、ロールズがいう意味での最低限の「正義」すら満たしていないことに気づく。ロールズは、社会的、経済的不平等に関して、「不平等の付属している地位および職務がすべての人に平等に開かれていること」を主張したが、その最低限の条件すら、日本資本主義は満たしていないからだ。典型例は、問題企業に対する債権放棄である。
 
 ロールズが説いている最小限の手続的正義すら満たせない日本資本主義は、フェアなどという概念からは遠く離れた存在なのだと言わざるを得まい。
(木村剛著「日本主義の哲学」PHP p186-192)
 
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 トーマス・ジェファーソンや同時代の人が、「平等」に何を意味させていたかの手掛りは、アメリカの独立宣言における次の表現の中にみつけることができる。「(すべての人は)創造者によってある不可侵の権利を与えられている。それらの権利の中に、生活、自由、ならびに幸福の追求に対する権利が含まれている」。
 
すなわち、人は神の前において平等だとされた。すべての人は、その人自身として貴重であり、存在そのものが貴重なのだ。すべての人は、誰によっても奪われることができない権利、何人もこれを侵してはならない権利を与えられている。
 
すべての人は、自分自身の目的を達成するため献身する権利が与えられており、誰か他人の目的を促進するための道具としてだけ使われてはならない権利をもっているのだ。「自由」は平等の定義におけるその一部であって、平等と衝突するところはまったくない。
 
 神の前における平等、これがほんとうの意味での人格的な平等だが、人は誰一人として同じではないという、まさにその理由においてこの平等が重要なのだ。人はそれぞれ異なった価値観、異なった嗜好異なった能力をもっている。その結果、人はそれぞれきわめて異なった人生を送りたいと欲するようになる。
 
神の前における平等、すなわち人格的な平等は、人がこのようにそれぞれなりの人生を送る権利に対する尊敬を不可欠とさせるものであり、誰か他人の価値観や判断を人びとに押しつけることがあってはならないということを必要とさせる。
 
ジェファーソンが、人びとの中の何人かは他の人より優れており、またエリートがいると考えていたことは疑いない。しかし、そう考えたからといって、人びとの中の何人かが、他の人を支配していい権利があるとは、ジェファーソソはけっして考えていなかった。
 
 このようにエリートが、その意思を他人に押しっけていい権利をもっていないのと同様に、どんなグループ、たとえ多数派のグループであっても、その意思を他の人びとに押しっけるようなことがあってはならない。すべての人が自分自身に対する支配者でなければならない、とジェファーソンや同世代の人びとは確信していたのだ。
 
ただしそのとき、人は他人の同様な権利を侵すことがあってはならないという条件がついていた。このような権利を保護するため、すなわち、人びとが他の市民や外国からの脅威によって、このような権利が侵されることがないように、また多数派であっても、抑制のない支配力をふるうことがないようにするため政府が樹立された。
 
ジェファーソソは、自分の墓石に銘文として彫刻してほしいと綴った三つの自分の達成したことを、自ら選んでいた。それは、信仰の自由についてのバージニア州の法律(少数派を多数派の支配から守るように草案された、アメリカの権利章典の前身をなした)と独立宣言との起草者の一人であったこと、バージニア大学を創設したことの三つだった。
 
ジェファーソソの同世代の人によって起草されたアメリカ合衆国憲法の草案着たちが目的としたことは、アメリカを守りアメリカ国民の表的福祉を十分に促進できる強い国民政府を樹立し、しかも同時に、個人としての市民と各州の州政府とを、中央政府の支配から守ることができるように、中央の国民政府の権力を十分に制限することだった。
 
「民主主義的」ということが、政治への人びとの広範な参加を意味するものであれば、彼らのねらいは実現された。しかし、それが多数派原理という政治上のことを意味するのであれは、彼らのほんとうのねらいが実現されなかったのは明らかだ。
 
 これと同様に、あの有名なフランスの政治哲学者・社会学者のアレクシス・ド・トクヴィルは、いまや古典となったその著書『アメリカにおけるデモクラシー』を、一九三〇年代に長期間にわたってアメリカを訪問したのち書きあげたが、このトクヴィルも、アメリカのきわだった特徴として平等を取り上げ、多数決原理はその特徴とは考えていなかった。トクヴィルは次のように書いた。
 
 アメリカにおいてはその建国の当初から、貴族主義的色彩はつねに弱いものでしかなかった。今日の時点で、貴族主義的色彩が実際にはまだ完全に破壊されていないとしても、いまやその能力を完全に失ってしまっているので、これがアメリカの政治のあり方に、どんな程度でも影響を与えているとすることはほとんどできない。
 
これとは対照的に、民主主義的原理は時間が経ち、いろいろな事件が発生し、立法化が行われていくにしたがって、ますます強いものとなってきた。いまではこの原則は、アメリカ社会において支配的なだけでなく、あらゆることをそのもとに置いている。アメリカではどんな特定の家族による支配もなければ、企業による支配もない。
 
 このように、アメリカはその社会的な状況において、ひとつのもっともめざましい現象を現出させている。すなわち、アメリカでは世界の他のどの国よりも、また人類の歴史上これに似た状況を呈したどの時代よりも、人間はその運命と知性とにおいて、いいかえればその能力において、はるかにもっと平等だと考えられている。
 
 トクヴィルは、アメリカで観察したことの大半に感銘を受けた。しかし、だからといってトクヴィルが無批判的な崇拝者だった、ということを意味するものではまったくない。彼は民主主義があまりにも行き過ぎてしまえば、市民的道徳を崩壊させるのではないかと心配していた。
 
彼が自分で書いたように、「人間というものは、権力がもてるようになり、人びとに尊敬されるようにもなりたいと切望するものだが、人間にはこのような熱情をかき立たせる、平等への雄々しく正当な情熱がそなわっている。この情熱こそが、つつましい身分に生まれた人間を偉大な社会階級へと登っていかせる原動力になる。
 
しかし同時に、人間の心の中には、平等に対する堕落した嗜好もそなわっており、弱い連中が強い連中を自分の水準まで引きずり降ろすようにさせたり、自由における不平等よりは、隷従における平等を好むようにさせてしまうものだ」。
 
 アメリカの民主党は最近の数十年間にわたって、ジェファーソンやその同世代の多くの人が、民主主義に対する最大の脅威と考えた政府の権力を強化していくための、主要な手段となってきた。このこと自体が、前述のいくつかの言葉がその意味を変化させてきたことに対する、明白な証言だ。
 
民主党こそが、ジェファーソンが自由と合致したものとして主張した自由の概念や、トクヴィルが民主主義と矛盾しないものとして主張した平等の概念に対して、はとんどその正反対としかいいようのない「平等」概念の名の下に、政府の権力を増大させるべく、懸命な努力をしてきた。
 
 もちろん、アメリカを建国した人びとが実際に行ったことが、すべてそれらの人びとが唱導したことにつねに合致していたというわけではない。このような言行不一致のもっとも明らかな例は、奴隷制度だ。トーマス・ジェファーソソ自身、一八二六年七月四日に死ぬ日まで奴隷を所有していた。
 
彼は奴隷問題について何度となく苦しんでおり、自分のノートや手紙の中で、奴隷制度を廃止する計画を示唆した。しかし、このような計画を公に提案したり、奴隷制度に対して公に反対運動を展開したことは一度もなかった。
 
 ジェファーソンが起草した独立宣言は、その建国のため彼自身が努力したこのアメリカ合衆国自体によって、図々しくも違反されることになった。そして、ついに奴隷制度は廃止されるに至った。アメリカ合衆国が建国された初期の数十年間を通じて、奴隷制度をめぐる討論の彼が上昇していったのは当然のことだろう。この奴隷制度をめぐる論争は、南北戦争によってようやく終わりを告げた。
 
アブラハム・リンカーンのゲティスパーグ演説で彼が使った表現を借りれば、あの南北戦争は、「自由において建国され、すべての人びとは平等につくられている、という命題に対してささげられているこの国が、長期にわたって存続できるかどうか」を試した戦いだったのだ。アメリカ合衆国は生き残った。しかし、それは多くの人びとの生命と財産とのはなはだしい犠牲においてであり、アメリカ社会の分裂という危険においてであった。(M&R・フリードマン著「選択の自由」日本経済新聞社 p207-211)
 
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 <封建的束縛から解放し、封建的不平等をなくすことによって法的平等を確立せよ>、という要求は、まず社会の経済的進歩によって日程にのぼされると、たちまちもっと広い範囲にひろがらずにはいなかった。
 
この要求は、工業と商業との利益のためにかかげられたものであったが、この同じ平等な権利が、〔一方では、〕広範な農民大衆──彼らは、完全な農奴制をはじめとするすべての段階の隷属状態にあって、その労働時間の大部分を恵みぶかい封建領主に無償で提供し、そのうえまだ無数の貢租を領主と国家とに納めなければならなかったのである──のためにも要求されずにはすまなかった。
 
他方では、<封建的優遇・貴族の免税・個々の身分の政治的特権をも同様に廃止せよ>という要求が現われずにはいなかった。
 
そして、人びとは、かつてのローマ帝国のような一つの世界帝国に暮らしているのではなく、互いに対等の立場で交際している・ほとんど同じブルジョア的発展の水準にある独立の諸国家の一体系のなかで暮らしていたのだから、この要求が個々の国家を超えた普遍的な性格を帯びるようになり、自由と平等とが人権〔人間の権利〕であると宣言されたのは、自明のことであった。
 
その場合、<人権を承認している最初の憲法であるアメリカ憲法が、同時に、アメリカに存在している有色人種の奴隷制を是認している>、という事実は、こうした人権のブルジョア特有の性格をよく示している。すなわち、階級的特権は追放されるが、人種的特権は神聖化されるのである。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p151-152)
 
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◎「自由と平等というコンセプトが鋭く対立するのだ。」──木村 「自由」は平等の定義におけるその一部であって、平等と衝突するところはまったくない。──フリードマン 「自由と平等とが人権〔人間の権利〕であると宣言された」エンゲルス 
 
……「こうした人権のブルジョア特有の性格をよく示している」と。