学習通信031130
◎うわさ……国が恐ろしい伝染病と……。
 
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 熊本県南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」=アイスター(東京都)経営=が、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(けいふうえん)の入所者の宿泊を拒否した事件は、「四十年も五十年も時代が逆行した感じがする」など、元患者をはじめ、多くの人々の怒りをよび起こしています。 熊本県  西田純夫記者
 
 今回のような理不尽な偏見・差別が出てくる背景には、九十年も続けられた国の「らい予防法」と、二〇〇一年五月の熊本地裁判決後二年をすぎても、責任を果たしていない国に責任がある、と元患者らは指摘します。
 
 国は伝染力も弱いのに、強制隔離政策を長年にわたってつづけ、国民に「怖い伝染病」との意識を植え付けてきたのです。
 
 理不尽な■
 
 元患者らは、長期にわたる強制隔離、強制労働、断種・堕胎など苦難を強いられ、社会的な偏見・差別にも苦しめられてきました。熊本地裁判決は、国の隔離政策を憲法違反だと明言し、国を断罪したのです。判決に、元患者らは「おれたちは人間になれるんだ」
 
 「光の申、胸を張って歩ける」と熊本地裁前で涙ながらに喜び合いました。そして、いま、多くの人たちが、希望を持って人間回復を果たそうと歩き始めているなかで起きた事件です。
 
 菊池恵楓園のハンセン病西日本訴訟原告団・弁讃団は十九日、恵楓園で記者会見。「少しでも差別・偏見をなくして人間回復をしたい、というのが裁判を起こした原点」だとして、「かつてハンセン病を病み、そして治った、その人たちがなぜ『他の客の迷惑』『客の懸念に考慮』されなければならないのか」「法・人道・社会正義に照らしても不正義であり、あからさまな確信的な差別の萌芽(ほうが)を許さないために、いま何をなすべきかを主権者である国民の皆さんに訴える」との声明を発表しました。
 
 課題山積■
 
 志村康原告団副団長は「国が謝罪し、社会復帰者も出ている。その人たちが喜んで生活できるか懸念している。かつて病気だった人がなぜ差別の対象にならなければならないのか」と怒りを表明。弁護団の内川寛弁護士も「今ある差別は、国が恐ろしい伝染病と宣伝してきた結果だと、判決も指摘している。今回のことは一ホテルの問題にかぎりません。いろんな所に残っていると思う」と述べました。
 
 熊本地裁判決後、国は控訴を断念し、「政府として深く反省し、率直におわびもうしあげる」(小泉首相)と述べていました。しかし、国のその後の対応は、真撃(しんし)な反省とはいえないものです。
 
 原告団の一人、溝口製次さん(六八)=菊池恵楓園=は「今回の事件は、判決後も、国が対策を怠ってきた結果だ。真相究明問題での予算を減らそうとしたり、資料の提出を拒むなどしてきた」と国の対応を批判します。
 
 療養所を退所した人や入所歴のない人たちへ生活保障、社会復帰、医療体制、再発防止のための真相究明など、まだまだ数多くの問題が残されています。国は、これらの問題に真剣に取り組まなければなりません。
(しんぶん赤旗 日曜版 031130)
 
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 そこで私は、皆さん方に、「うわさ」 への抵抗力を強くしてもらいたい、と思います。そのためには、ふたつの側面から努力すればいいのです。
 
 まず、ある「うわさ」を聞く、とします。それを信じる前に、周りの人のいっていることなら、それより他の人たちの意見も聞いて、本当かどうかを確かめてみてください。新聞の報道だと、ひとつの「うわさ」が気にかかれば、それに声をあわせるもの、それと反対の情報がのっているもの、中立のものと、数種の新聞を調べてみることです。それには図書館が便利です。
 
 「うわさ」を聞いて、それがあやしげな、いかがわしいものであるほど、かえって勇みたって、それをふくらませすらして発信して、面白がってもらおうとする人がいます。私は、そういう性格の人には、有名な人物でも、冷淡な気持しか持ちません。
 
 もうひとつの側面からの努力は、こうです。それが根拠のない「うわさ」である時、しかも自分がそのなかにいる社会でf遊びの場や教室で、また家庭に帰ってでも──「うわさ」がひろがってゆこうとするのへ抵抗することです。「うわさ」は誰もが面白がるし、感染する力が強いようで、じつは、本気でその「うわさ」に抵抗する人がいれば、とくにはじめのうちならすぐ打ち倒せます。
 
 それでいて、その弱い「うわさ」が、ある程度以上に大きくなると、危険な、別の種類の力を持つのです。あなた方が、世界の歴史を勉強して、なによりためになることに、そのような「うわさ」がどれだけ大きく不正な力を発揮したか、その実例を知ることがある、といいたいくらいです。
 
それらの、人類を不幸にしたひどい暴力としての「うわさ」も、最初に勇気のある正直な人たちが、それは本当じゃない、といっていたとしたら、小さく弱いうちにつぶすことができたはずなのです。
 
 
 フランスの、オルレアンという古い市のことを聞かれたことがあるでしょう? 十四世紀から続いた百年戦争の終わりに、ジャンヌ・ダルクが英国から解放した市です。一九六九年、この市で不思議な「うわさ」がひろまったのです。市にある六軒の婦人服の店で、若い娘さんが試着室に入ると、薬をのまされて連れさられ、外国の、女性たちが苦しい仕事をさせられる店に売られる! 実際には、警察に行方不明の届けは一件も出されていなかったのですが、それは市のみならず、フランス全土にひろまる「うわさ」となりました。
 
 この「根も葉もないうわさ」が、どのように作られ、ひろまったか、社会的に、また歴史的に、どんな根拠を持つ「うわさ」の出方だったか? それを責任感のある学者たちが調査しました。エドガール・モランという社会学者が、代表して報告を書いています。
 
 モランがあきらかにしているのは、これらの婦人服店の経営者たちが、みんなユダヤ人だった、ということです。店主たちはついに生命の危険さえ感じることになり、警察に保護をもとめました。モランは、ヨーロッパ全域の人びとが、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺について知った後のこの時期に、反省されたはずの社会的な差別、偏見が残っていること、歴史的にも遠くさかのぼる根があったことを示し、「うわさ」の作られ方、ひろまり方の典型的な恐ろしさを分析しています。
 
 モランの本で、私がとくに皆さん方に注意していただきたいことは、オルレアンの女子生徒の通う学校の、一部の女性教師たちが「うわさ」に影響され、「うわさ」がひろまることを助けた、という事実です。ユダヤ人の経営する婦人服店には行かないように、と生徒たちに話した女性教師のいたことが報告されています。
 
 
 私が、「うわさ」への抵抗力を強くしてもらいたいというのは、たとえば女子生徒たちの間で、この「うわさ」を確かめる動きを起こし、動揺されている女の先生ともよく話し合って、実際にはこういう出来事はないのだ、と家庭に帰ってつたえることもできたはずだからです。そうして市のふんいきを自分たちで作りかえてゆく、という方向に向けて。そうした具体的な働きにこそ、若い人たちの「しなやかさ」が発揮されることを望みます。
 
 ユダヤ人に対する、社会的、また歴史的な偏見は、日本にはないのじゃないか、これは外国のお請じゃないか、といわれる人もあるのではないでしょうか?一方、そうじやない、という人たちがいます。私が外国で教えた学生たちが東京に来てまず驚いたというのは、大きい本屋の店先の、よく売れる本を表紙を上に並べてある──平積(ひらづ)み、といいます──場所に、日本人の書いたユダヤ人に対する偏見にみちた本が置かれている、ということなのです。
 
 それは、単に日本人がよく知らないことに好奇心をあおられやすい、ということでしょうか? 私はそうじゃないと思います。人間は、自分たちの世界が大きな邪悪な力におびやかされている、という情報に敏感です。それは当然のことです。現在は、文明の作ったさまざまのものに私たちの社会は守られています−その道に、核兵器とかオゾン層の破壊とか、文明の作ったもののおかげで、危険にさらされてもいますが──。
 
はるかな昔の人たちは、私たちよりもっと敏感でいなければなりませんでした。いまでは人間が戦いに勝った疫病にも、永くどんなに苦しんだか。ペストとの戦いに日本人の医学者がついこの間、大きい働きをしたことをご存知でしょうか? コレラについていうと、二百年近く前のこの国で、オランダからつたわった医学を勉強しはじめたばかりの若者たちが、当時の書き方では大坂で強力な働きをしました。
 
 このように、人間に対して邪悪な働きをするものの実体がわかれば、それと戦うことができます。戦う人間はいます。しかし、実体がわからない時、人間は、漠然とした空想をしがちです。そして、自分たちの空想のなかで、そうした邪悪な働きをするものの、ニセの正体をこしらえあげてしまうのです。
 
 ヨーロッパの歴史をつうじて、ユダヤ人たちは、その被害をこうむってきた人たちです。古いロシアや東ヨーロッパで、ユダヤ人たちへの大きい迫害がありました。それがひとつの国の政策となって、何百万人ものユダヤ人たちがガス室で殺されたのが、まだ六十年たらずの昔でしかないナチス・ドイツの場合です。
 
 私が皆さんにすすめたいのは、ユダヤ人がどのような苦しく辛い経験をして、多くはそのまま殺されたかを、少年や少女の目で見た記録を読むことです。私の父親のいった、子供には子供の戦い方がある、ということのまさに有力な例として、ユダヤ人迫害の現場で起こったことを見つめていた子供たちの記録があります。
 
 『アンネの日記』はそのなかでも、なにより広く知られたものです。この本を読んだ人たちは、愛らしく利発なユダヤ人の少女、アンネ・フランクの運命だけでなく、ユダヤ人たちが第二次世界大戦時のドイツおよびその周りの、当時ナチス・ドイツの勢力下にあった国で、数多く殺されたことを忘れないでしょう。
 
 ところが、日本で『アンネの日記』を出した大きい出版社が、数年前、今度は、ユダヤ人を大量に殺したガス室はなかった、という記事を、そこから出している雑誌にのせたのです。
 
 出版社は、国内からも海外からも──それがとくに力の強いものでした──批判を受けて取り消しました。ユダヤ人の受けた大きい悲惨をなかったことにする──それは、恐ろしく邪悪なのは、ユダヤ人の方だという、昔ながらの「うわさ」に参加することです──態度が、日本にもあることを私は外国の若い友人たちに認めねばならなかったのです。
 
 私が不思議に思ったことは、あの出版社に、『アンネの日記』を読んで心をうたれたことのある少年や少女が成長し、編集者として働いていなかっただろうか? ということでした。大人になれば忘れるというのなら、子供の読書はムダです。皆さん方は、いま子供の自分が読んでいる本はムダだ、という社会にしてしまう大人たちと戦わねばなりません。自分でしっかり確かめていない「うわさ」にはしたがわない、ということも、その戦い方のひとつです。
(大江健三郎著「「自分の木」の下で」朝日新聞社 p150-157)
 
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◎「いま子供の自分が読んでいる本はムダだ、という社会にしてしまう大人たちと戦わねばなりません。自分でしっかり確かめていない「うわさ」にはしたがわない、ということも、その戦い方のひとつです。」と。
 
◎日本共産党に対する反共攻撃も、ひろく労働者の中に「赤は恐い」という思いこみを沈殿させています。マルクスの活躍した時代にもありました。それが誹謗であり中傷であることを事実を通じて明らかにするとともに、科学的社会主義の原則からきちんと明らかにする必要があるのではないでしょうか。