学習通信031209
◎競争……。いまではあなたにはどれほどのことができるか
 
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 競争否定の日本の学校
 
 もちろん、若いときに知識をできるだけ多く吸収すること自体は将来の創造性にとって必要不可欠である。創造性の源泉がどこにあるのかは古くて新しい問題だが、頭のなかにたたき込まれた大量の知識が創造性を刺激することは間違いない。問題は、教室における教師と生徒の関係である。たとえば、生徒がまだ教えてもいないことを教室で発言することを嫌う教師は非常に多い。教師の能力や知識の範囲を超える生徒がいた場合、教師はそれを教師であることを盾に、権威でもって抑え込もうとする。
 
 受験塾では公立学校とちがって競争が厳しい。学校の教科より進み具合が早いことはもちろん、教える内容もはるかに進んでいる。塾で習ったことを教室に持ち込まれると、学校での教育進度や秩序が乱されるという理由もわからないではないが、できる生徒の好奇心を抑え込むのではなく、−人−人の能力や進度に応じて先生が対応し、知的能力を最大限に刺激することができるような教育体制をとることが本筋である。
 
平均的な生徒をひたすら大事にする、あるいは、落ちこぼれを出さないといったことにかまけるあまり、潜在的能力の高い優秀な生徒の頭を押さえつけるといった「平等主義的な教育思想」にそれなりの価値があることは認められなければならないが、それが独創的な人材の芽を摘みとっている危険についても十分な配慮が必要であろう。
 
 問題の根源には、先生の質の問題、さらに、大人数教育の問題がある。個人個人の能力を見極め、それに対応する教育体制をとろうとすれば、先生一人に生徒の数は一二、三人が限度だろう。ところが文部省は、目標の四〇入学扱が達成されたことでそれ以上の少人数教育のことは考えていないらしい。
 
先生が一方的に黒板に知識を書き、一方的に説明をするといった一律的な教育ならそれでよいが、個人個人の潜在的能力を極限まで伸ばそうというのなら、四〇入学級では所詮無理というものである。さらには、日教組の悪平等主義が、そのような能力別指導をこれまで阻止してきたことは周知の事実である。ここにも、戦後の思想基盤としての根強い平等主義が浸透していたのである。
 
 しかし、この平等主義は最近は明らかに行き過ぎている。最近の小学校の運動会では、徒競走ですら生徒間に優劣がつかないように工夫されていると聞く。あらかじめ予選を行い、運動会の当日にはほとんど差がつかない同タイムの生徒だけの組合せで走らせるのである。こうすると、ほとんど優劣がつかないから、運動会で「傷つく」生徒はいなくなる。したがって、いまや1等賞の賞品などは存在しない。
 
あるいは、勉強の面でも、劣等生が「傷つく」ことを避けるために優等賞は消えてしまったようだ。「競争否定」は学校では当たり前のことになっている。運動会ではビリだけれど、算数では一番で、小学生なのに高校の数学がわかる、あるいは算数はからきしダメだけれど、人の面倒をみるのはいちばんという人材の育て方は日本ではなかなかお目にかからない。
 
 競争が否定されているところでは活気は生まれない。逆にうっ積した空気が陰湿な「いじめ」を生み出したりする。他方、できる生徒は塾で生き生きと競争を楽しんでいるが、これは学枚教育の歪みからでた不幸な現象である。日本の学校は明らかにどこかで道を間違えてしまったのである。それは単に日教組だけの責任にしてしまってよいとも思えない。戦後日本の行き過ぎた平等思想の産物だとみるべきであろう。
 
個性化教育中心のアメリカの教育
 
 他方、日本の義務教育を活性化するうえで、「ひどい」とみられていたアメリカの教育制度は少なくとも筆者には大いに参考になった。市町村レベルで予算や教育内容が異なるため、アメリカの義務教育に大きなばらつきがあることは問題であり(ハーレムでは予算がなくて、良い先生が雇えないのに、高級住宅地ではすばらしい教育が行われている)、これを是正することは必要だが、平均以上のレベルの学校では、日本よりもはるかに活気のある少人数教育をしている。
 
 たとえば、筆者の息子が通っていたアメリカ(ボストン)の公立小学校では、先生から生徒への知識の伝授は、基本的には個人の能力に応じて、個別になされていた。日本におけるような大教室で、先生が一方的に一律の知識を黒板に書き、生徒がそれをノートに書き写すというというスタイルではなく、十数名程度の小さな教室で、各個人の能力に応じた進度で学習が進められるのである。
 
 小学校高学年の算数が抜群にできる優秀な生徒は高校数学に挑戦し、できない生徒は低学年の教材を復習している。しかし、国語ではまったく逆になったりするのである。それがアメリカ的な意味での平等なのである。日本では、落ちこぼれが出ないようにというのが公立学校の基本的な関心事であり、したがって、できる生徒にとっては学校は「休憩場所」となっているのが実状だ。
 
本当の競争は学習塾で行われているが、かといって、学習塾が創造性を育む教育をしてくれるかというとけっしてそうではない。学習塾は受験で高得点をあげるための技術を教えているにすぎない。ただし、競争原理が働いているので、先生にとっても、生徒にとっても、学枚よりもずっと活気があることは確かである。
 
 そして、アメリカでは多くの授業時間が、ディスカッションのために割り当てられていることも特徴的である。自分の意見のどこが他の生徒と違うのか、なぜ自分の意見のほうが正しいのかといったことを人前で説得的に(したがって、論理的に)議論する訓練が重視されているからである。日本の若者の論理的に議論する能力が不足しているのは、小学校以来の詰込み教育のなせる業である。
 
 私事で恐縮であるが、筆者がハーバード大学に留学したとき、一六歳の女生徒が応用数学科でPh・D(博士号)を授与されたという話が話題になっていた。しかもハーバード大学は彼女を助教授に任命したのである。彼女は、数学以外ではおそらく幼い子供であろう。しかし、数学では天才であった。そして、そのような天才を育て、処遇する度量があったということになる。日本のような平等主義思想の強い国ではどう転んでもこのようなことは起こりえないに違いない。
(中谷巌著「日本経済の歴史的転換」東洋経済新報 p247-250)
 
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 競争について
 
 「競争については、ちょっと変かも知れないけれど、競争して何か意味があるのかなあと思うんですよ。その先に何があるのかなあって思う。競争しないで、力を合わせていけば何とかなるんじゃないかなあって。どうせ達成するのは同じなんだから、そんな争わなくていいんじゃないかなあ。でも、現実を考えたら無理なんかなあ……。
 
 先生たちは、ライバルを持ちなさい、がんばりなさい、何位までに入りなさいっていうけど、別に入りたいとも思わないし、自分でこれだけできたんだと思えばいいんだから、一位になりたいとも思わない。争いたくないんですよ。私が友だちの目を気にしてしまうというのと、競争したいというのとはちょっと違う。
 
 偏差値がいいからといって、その学校がいいということはない。偏差値が悪くても、のんびりしていて友だちと話ができるそういう学校がいい学校だと思います。進学するとき、函館の高校を受けようかと思ったけれど、そういうふうに考えて、この高校を最後には自分で選んだんです。先生にはライバルを持ちなさいと言われるけど、その人を追い越したってどうなるの、自分のやりたい勉強を、やれるようにやった方がよいと思う。」
 
どのように生きられたら幸福か
 
 「今の生活は、楽しい。学校に来たくて来たくてしょうがない。本当ですよ。変だという人が多いかもしれないけれど、学校に来て、みんなとふれあって楽しく過ごせたらそれだけでいい。それが一番の幸せだなあって思う。辛いときは、仲のいい人とか信頼している人に裏切られるようなことがあったとき、そんなときにやっぱり辛いなあと思う。
 
 どんなふうに生きられたら幸福な人生だと思うか、うまく言えないけれど、みんなが幸せだったら自分も幸せになれるかなあ。毎日毎日、そういう人と一緒に生きて行けたら、それが幸せかなあ。やっぱり、人には変だと言われるけれど、因っている人がいたら助けたい、人のために何か役立つことが出来たら幸せだなあと思う。自分を犠牲にしてまでやることはないと言われるけれど、そう思うんだから、これは仕方がない。」
 
(4) 新しい価値観の芽生えとして
 @競争への疑い、「普通」 の幸福へのこだわり
 
 このように、Nさんは、それまでの人生の体験と学習のなかで感じ考えてきたことを、「自分はどこから来て、どこへ行くのか」という自分の人生の「物語」として語った。その考え抜かれた「一貫性」には驚くばかりであった。その語り口を通じて、聞き手の私は、高校生活の半ばにある彼女自身が、一年あまり後にやってくる大きな人生選択を前にして、自分の経験・学習のすべてを一つの生き方の「物語」に創り上げることを必要とする時期にあるということを知らされた。
 
 語られた話の内容に関して言えば、父親の「出稼ぎ」と事故、地域に青年の就職口がないこと、中学校時代に「いじめ」を受けたことがあり友だち関係に緊張を感じていること、進学・就職をめぐる「競争」のプレッシャーを感じていることなどが伝わってきた。現代日本の社会を覆う問題が、この地域でも集中的に現れていて、それを彼女は、気がかり・心配・不安として語ったのである。
 
 同時に、彼女が、地域の自然の豊かさと親密な人間関係への愛着、それが自分の人生を支える「原風景」になっていることをくり返し語っていたことが、印象的であった。この地域で重ねられてきた住民同士の共同、父母と教職員の子育ての共同、学校での地域に根ざす教育への教職員の努力、それを支えている行政の努力などが、彼女の内部に確実に反映していて、生きる上での安心感のようなものを生み出していることを感じとることができた。
 
不安定な時代と社会であるからこそ、地域にこうしたおとなの動きが少しでもあることが、子どもの内部に予想以上の安心感をもたらすということがあるのであろう。
 
 この語りの全体を通して、伝わってきたのは、Nさんが、「不安」と「安心」の複雑に交錯する生活感情を抱いているということであった。そして、その交錯のなかから彼女が、「競争してその先に何があるのか」と「競争的価値親」を疑い、この地域で結んできた人間関係を大事にして「普通」に生きていけたらそれが幸福ではないかという価値観を選び取ろうとしているということであった。
 
 A一年後に語られた教師への疑い
 
 ここで一つの事実をつけ加えておきたい。この調査のほぼ一年後の二〇〇一年の九月に、私たちの研究グループの大学院生の一人が、再度上ノ国を訪ねて、同じ七人の高校生に、同じ趣旨で話を開き直した。そのなかで、Nさんは、次のようなことを語った。
 
 「今まで部活で発散していたんだけど、先生たちに『まだ部活行ってるのか』って言われると、発散できなくなる。……二・三人の先生に『勉強してるって言ってるけど、本当はしてないんじゃないの?』って、そういうこと言われて、ちょっとそれはないんじゃないですかみたいな、やりたいこともやってないで、一生懸命やってるのに、何も分かってないのに、そういうこと言わなくたっていいじゃないって。
 
去年の先生たちと今年の先生と変わっちゃってから、そういうふうに言われるようになった。前からいる先生にも勉強のこと言われちゃって、『あんた変わりましたよね。学校で勉強してたのにしなくなって……』と言われちゃって。自分自身では何も変わってないと思うんですけれど。今、職員室に入るのがすっごく嫌なんです。また言われるかなんてみたいな、だから放課後もいなくなるか、たまに部活に顔を出すというくらい。そうでもしないと自分が壊れそうでやっていけないから。だから、実際には学校にはほとんど来たくない。
 
 最近、いろんなこと言われて、自分が進路に向いていないのかなって考えるようになって、これから一か月後に試験あるんですけど、願書も書けないんですよ。……
 
 支えて欲しいときありますよね。でも、そういうこと言われていると、支えて欲しいのに支えてもらえなくなっちゃうようで、フレンドリーだったのが境界線がひかさってきているように見えてきた。今までいろんなこと話してきたけど、今はもう話せないのかなあって、やっぱり前となんか違うなあって……。
 
 先生は分かってないんだと思う。言っても分かんないのかも知れない。考え方が固いっていうか、言っても分かってくれないなあって、今は本当、話してない。何か用事ないかぎり話さない。思いっきり笑えなくなっちゃったんですよ。むかむかして。次何か言われるかなと思うと……。」
 
 高三になって、「現実」の厳しさがよりはっきり見えるなかで、希望する進路に進めるのかという「心配」がつのってきた。進学準備の学習を軸とした生活の「重圧感」もたまってきた。
 
 その中で、自分が本当に看護婦になりたいのかどうか疑わしくなり、自分が何をしたいのかという「迷い」が出てきた。そうした生活の中で、「息抜き」をしたいという気持ちが噴出してくることもある。先生たちには、今こそ、そうした迷いや揺れを受けとめて支えて欲しいと思う。そうなのに、先生たちの口から出るのは、「競争から逃げるな」「ライバルを持て」などという「叱宅」の言葉ばかりで、それがやりきれない。
 
 Nさんは、このように、教師たちに対する「疑い」や「批判」を強く語り、そのニュアンスは、先に紹介した高二の時の語りとは大きく変化したのである。
 
Bおとなと教師の価値観への問い
 
 私は、聞き取りをした大学院生からNさんの語りの変化を開いて、このとき強く表明された彼女の教師への「疑い」「批判」から目をそらさずに、それを受けとめて考えるということが、この地域のおとなや教師にとって重要ではないかと感じた。
 
 それは、教師の至らなさを責めるということではない。教師の立場にたってみれば、生徒の進路の決定の最終局面を迎えて、その生徒の将来を考えて、少しでも「良い」就職先や進学先に進めるように「激励」しょうとするのは、それとして理解できることである。
 
また、過疎化が進行するこの地域では、高校の統廃合が問題になっており、地域の存続のためにも高校の存続を望む多くの住民のことを考えれば、教師たちが、存続に催すると認められる「就職実績」「進学実績」を挙げようとし、そのために生徒を「叱咤」するというのも、それとして理解できる。
 
 しかし、そのような教師の対応に対して、Nさんは、深い疑問を抱いたのである。この疑問は、他の高校生たちにも共通していた。大学院生によるインタビューでは、別の高校生からは、「先生たちは、俺たちを、結局ダメな人間と見ていたんじゃないのか。これまで優しく受けとめてくれていたのは、厳しく扱うと荒れるからということだったのではないか」という言葉まで出たという。
 
 このNさんの「語り」を、「競争」に立ち向かえない「弱者」の「甘え」の言葉として受けとめ、「競争秩序」においてよりましな位置を占めるために「努力」するよう、「叱咤激励」することになってしまうのか。それとも、「競争」的な価値観が行き詰まり、新しい価値意識を探らざるを得なくなっている今日の日本の社会における、彼女なりの懸命な生き方の模索と受けとめて、彼女と一緒に考えていこうとするのか。
 
一年後の変化まで含んだ彼女の語りは、この地域のおとなや教師に、このことを問いかけているように私には感じられた。
 
 ここでは、一人の女子高校生の語りしか紹介できない。こうした調査はいくつもの地域で実施されねばならないし、聞き取りの方法はさらに改善される必要がある。しかし、私は、今の日本の社会においては、特別に厳しい状況におかれた特別な子どもだけが、生命と生き方への問いを発しているのではなく、例えばNさんが語っているように、多くの「普通」の子どもたちが、その日常生活の中から生命と生き方を考えようとしていると、かなりの確実性をもって言えるように思う。
 
そして、子育て・教育の改革の基本的な視座は、生まれ育った地域で、結んできた人間関係を大切にして、職業につき、「普通」の幸せを得たいと考えている子どもたちを「弱者」とみなすのではなく、そうした子どもたちの成長を支えるところにこそすえられねばならないと考えるのである。(田中孝彦著「生き方を問う子どもたち」岩波書店 p48-55)
 
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 その結びつきをみとめることができない因果関係、それについてなんの観念ももっていないよいこと、悪いこと、けっして感じたことのない必要、そういうものはわたしたちにとってはなんの意味もない。そういうものによってわたしたちの興味をそそり、なにかそれに関係のあることをさせようとしても、それは不可能だ。
 
人は、十五歳のとき賢者の幸福を、三十歳のとき天国の栄光を見るのと同じ目をもって見る。そのどちらも十分に理解していないのに、それを獲得しょうと努力するようなことはあまりしない。さらに、たとえ理解したとしても、それを望まなければ、それを自分にふさわしいものと感じなければ、やはりたいしたことはしまい。
 
教えていることが有益なことであることを子どもに説いてきかせるのは容易だ。しかし、説いてきかせても、なっとくさせることができなければなんにもならない。冷静な理性がわたしたちになにか承認させたり非難させたりしても、それはなんにもならない。
 
わたしたちを行動に駆りたてるのは情熱だけだが、まだ感じていない利害にたいしてどうして情熱をもつことができよう。
 
 子どもには見ることができないものをけっして示してはいけない。人間性というものがかれにとってほとんど縁のないものであるあいだは、かれを人間の状態に高めることはできないのだから、人間を子どもの状態にひきさげるがいい。
 
別の時期にかれの役にたちうることを考えながらも、役にたつことがいまでもかれにわかることだけを語るようにするがいい。さらに、けっしてほかの子どもとくらべないこと、すこしでも論理的にものごとを考えるようになったら、かけくらべをするときでも、競走相手のことを考えさせないこと。嫉妬心や虚栄心によってしか学べないことは学ばないほうがよっぽどましだと思う。
 
わたしはただ、かれがなしとげた進歩を毎年注意してやることにしよう。それをつぎの年になしとげる進歩とくらべることにしよう。わたしはこう言ってやろう。あなたはいろいろな点で成長した。あれがあなたが跳びこえた堀、あなたがもった重荷。これが小石を投げることができた距離、一息で建った道、等々。いまではあなたにはどれほどのことができるか、しらべてみましょう、と。
 
こう言ってわたしは、だれにたいしても嫉妬を感じさせるようなことなしに、かれに刺激をあたえる。かれは自分を追い越そうとするだろう。かれはそうしなければならないのだ。かれが自分自身の競争者になったところで、なんの不都合もないと思う。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p323-324)
 
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◎競争とはなにか……。教育にさらなる競争を持ち込もうとする教育改革論議、人間が育つ上でどのような影響をあたえるのだろうか。