学習通信031225
◎からだ……「自分はこのからだとずっとつき合っていくのだ」
 
■━━━━━
 
国民栄養調査 一〇代女性
体重普通でも7割「太ってる」
過剰な細身願望 裏付け
 
 「普通体重」と判定された十代女性のうち、七割が「太っている」と感じていることが二十四日、厚生労働省の「二〇〇二年国民栄養調査」で分かった。四年前は六割弱だったが増加した。やせている十代女性でも二割弱が「太っている」、半数強が「普通」と感じるなど、若い女性の適正レベルを超えた「細身志向」がさらに強まっているようだ。
 
 調査は昨年十一月、全国から無作為に抽出した約一万千人を対象に実施。栄養摂取状況のほか、今回は一九九八年と同様に体重に対する自己評価などを尋ねた。体重は「BMI」と呼ばれる指数を利用して、「肥満」「普通体重」「低体重(やせ)」の三区分に分類した。
 
 各年代別に見ると、十五−十九歳の女性では「普通」と判定された七〇・九%が「太っている」と答え、四年前の調査の五八・一%から急増。「普通」と適正な自己評価をしている女性は二五・一%と前回の三七・八%から大幅に減った。さらに「やせ」と判定されたケースでも一七・九%は「太っている」と認識しており、「普通」と考えている女性も五六・四%と半数を超えるなど、過剰とも思える細身願望を裏付けた。
 
 二十代女性でも「普通」体重の女性のうち、六六・七%(一五・六ポイント増)が「太っている」と考えていた。
 
 女性は各年代で「太っている」と感じる割合は多い傾向があり、同省は「やせているタレントなどをみて、若い女性を中心にもっとやせたいと考える女性は多くなっているようだ」と推測している。
 
 現実の体重で見ると、男性では三十代から六十代の約三割が「肥満」となるなど、二十年前に比べると、一・五倍程度に増えていた。だが女性と異なり、現実の体重と自己評価が一致した人が各年代で最も多いなど、自分自身を適正に評価している割合が多かった。
 
 普段から体重を量っている人は男性では約六割、女性では約七割と体重に対する意識は高かったが、栄養素の摂取状況では食塩の取りすぎなども目立った。
 
 同省は「適正な体重を知るとともに、栄養バランスも考え美食生活を心がけてほしい」としている。
 
 ▼BMI− 「Body Mass Index」の略で肥満度の判定に用いる。体重(`c)を身長(b)で割って算出する。日本肥満学会の肥満診断基準検討委員会が二〇〇〇年、一八・五未満を「やせ」、一八・五以上二五未満を「普通」、二五以上を「肥満」に分類した。例えば身長一六〇aで、体重六四`ならば、BMIは「二五」で「肥満」の下限となる。
(日経新聞 031225)からだ
 
■━━━━━
 
 「からだは大事だよね」という声は、大人だけではなく、若者の間でもよく聞かれる。いっしょに食事に出かけても、「これ、からだにいいんだって」と言いながらメニューを選ぶ若者も少なくない。ただ、彼らが言う「からだ」とは何のことか、と考えてみると、そこには大人が考えるからだとの間にちょっとした違いがあるようにも思える。
 
 なぜなら「からだは大事」と口では言いながら、実際には「からだに悪い」ことをしている例も少なくないからだ。たとえば、臨床の場面でも健康な若者と話をしていても、インターネットなどを介して、(医学的に見ると)あやしげなダイエットや元気回復などのサプリメントを気軽に買って飲んでいる人が多いことに驚く。
 
「それは効果もないし、かえってこういう危険があるよ」と説明しても、「今は何ともないから」とピンと来ないような顔をされることもある。とはいえ、ダイエットのためには将来の副作用も覚悟している、というわけでもなさそうなのだ。
 
 やや極端な言い方をすれば、今、自分が持っているからだを三年後も十年後も連続して使う、という意識に乏しいのだ。そのため、とりあえずこのからだを使うだろうと想像できる数週間後に体重が減っているように、あるいはとりあえず今週、元気を出すために、「いいよ」とすすめられたサプリメントや医薬品を気軽に口にしてしまう。
 
 たとえば、若者たちに流行っているファッション感覚の入れ墨、タトゥーにしてもそうだ。昔は「入れ墨を入れる」ということは、「一生変わらない決意を表明する」というのと同じ意味だったはずだ。逆に言えは、一生消えないものだからこそ、タトゥーには意味があり、それを入れている人は周囲から一目置かれたわけだ。
 
 ところが、最近のタトゥー雑誌を見ていると、若者には「タトゥーは一生消えないもの」という意識すらなく、ごく気軽に、気に入った模様や恋人の名前をからだに刻んでいる。そういう雑誌の編集者に聞いたところ、親たちの中にも「ひきこもりなどになるより、元気にタトゥーでも入れて仲間を作ってくれていた方が安心」と言う人がいるそうだ。つまりタトゥーは今や、「とりあえず今はこれが好き」とか「とりあえず今はこの人たちと仲間」というとりあえず≠フサインでしかなくなっているのだ。
 
 とはいえ、意味が変わっても、タトゥーじたいがすぐ消せるようになったわけではない。タトゥーを入れた若者がとりあえず=@の時期を越し、「もうこの人たちと仲間じゃなくなった」と思っても簡単に消せるわけではない。変わったのはタトゥーではなくて、「自分はこのからだとずっとつき合っていくのだ」という、からだに対する意識や感覚の方なのである。
 
だから若者たちは、あたかも髪をいろいろな色に染めるのと同じように、簡単に整形をしたり、半永久的に落ちないアートメイクを施したりするのかもしれない。今のところとりあえず≠フ感覚で施したタトゥーやアートメイクの始末に困った、という話はまだ多く聞かない。ある若者は「いつかは消せる技術もできるでしょ」と言っていたが、それくらいの意識でいる人が多いのかもしれない。
 
 このからだに対するとりあえず≠フ感覚は、ときとして彼らに不安や心もとなさを与えることもある。「自分のからだなのにロボットを操っているみたい」と、精神医学でいう離人症のような訴えをする若者が目につくのも、からだとどう折り合いをつけてよいかわからない彼らの戸惑いを現している。
 
それが行きすぎると、「これが自分のからだだ」という実感を取り戻すため、過激な行動(自分や他人に対する暴力、食べ物を詰め込めるだけ詰め込む過食など)の暴発が起きてしまうこともある。
 
 自分のからだはとりあえず≠フものではなくて、長く大切につき合っていかなければならないものであること。今だけ元気になったり美しくなったりするのではなく、十年後、二十年後も健康でいられるよう、気をつけなければならないこと。それを若者たちにことばでではなく、実感してもらうためにはどうすれはよいのか。
 
「実際にからだを使ったり自然に触れあったりしてもらうべき」と言う大人も多いが、それだけで簡単に「自分」と「からだ」はまたぴたりと一致するものなのか。もう少し多角的にいろいろな方法を考えなけれは、「このからだはとりあえず≠フもの」という彼らの感覚を修正するのはむずかしい、という気がする。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書 p76-79)
 
■━━━━━
 
 「太る」恐怖に怯える女たち
 
 太る条件がそろいすぎている米国社会で、実際、太らないように生活していくのは大変なことだ。その意気込みや努力が逆効果となり、極端なダイエットなどに走って摂食障害を引き起こす人が跡を絶たない。
 
 無理なダイエットでカロリー摂取量を急激に減らそうとすると、体は異常事態と判断して新陳代謝機能を低下させ、エネルギー消費量を低くおさえようとするため、自分が思っていたほど体重は減らない。それでダイエットに挫折して元の食生活に戻すと、以前よりもっと太ってしまう。ダイエットで新陳代謝機能が低下しているため、カロリーがあまってそれが脂肪となるからだ。
 
 だからこそ体重を減らすには減食だけでなく、連動もしなければならないのだが、これをわかっていない人が意外に多い。とくに若い女性は「痩せたい」との一心で無理なダイエットを続け、あげくに摂食障害を引き起こす。
 
 八三年、日本にも数多くのヒット曲をもたらしたカーペンターズのカレンが拒食症(神経性食欲不振症)で死亡したニュースは全米に衝撃を与えた。これをきっかけに拒食症や過食症などの摂食障害が注目されるようになり、治療を受ける八も増え始めた。
 
 拒食症は、体重が増えることを極度に恐れるあまり、食事の摂取を拒み、自分がひどく痩せているにもかかわらず、太りすぎていると思い込むなどの症状がある。過食症は神経性大食症とも言うが、抵抗できない衝動によって過食し、その後は不安になって無理やり嘔吐したり、下剤を乱用したりする。太ることに病的な恐怖感をもっている点ではどちらも共通している。
 
 米国には摂食障害をもつ女性が五百万人から一千万人、男性が約百万人いると推定される。また、年に五万人が摂食障害によって命を失っているという。日本でも摂食障害患者は少しずつ増えているが、厚生省(現厚生労働省)の二〇〇〇年度の調査では十万人に○・六人と、米国よりはるかに少ない。
 
 若い女性の多い大学キャンパスには、摂食障害患者があふれている。一九九人年二月、全米六百校以上の大学キャンパスで摂食障害の診断プログラムが行なわれた。約二万六千人の学生が質問票に回答し、その結果、四千七百人が摂食障害と診断され、治療を受けるようにすすめられている。
 
 その約二年前の九六年春、米東部ノースイースタン大学の女子寮で、サンドイッチを入れるビニール袋が何百枚も消えるという奇妙な事件が起こった。寮の責任者が調査したところ、女子学生が吐いたものを入れるのに使ったビニール袋が地下のトイレから次々に出てきた。さらにその周辺や下水管などを調べてみると、驚いたことに学生たちの流した大量の胃酸によって下水管が腐食し、すぐにでも取り替えなければならない状態になっていたという。
 
四十五人の女子学生たちのほとんどは食べる量を減らそうと一生懸命になりすぎ、少し食べただけでも「太るのでは」との恐怖感に襲われ、毎日のように食べたものを吐き出していたのだ(ピープル誌、九九年四月十二日号)。大学の女子寮での仲間のプレッシャーは想像を絶するものがあり、誰もが「周りはきれいな女性ばかり。私もダイエットして痩せなきゃ」という気持ちになるという。──略──
 
 自分の体重や体形を異常に気にする肉体美妄想は、雑誌の広告やテレビ、映画などによっても影響される。極端に痩せた女性モデルばかりが登場すると、それを理想的な女性の肉体美としてあこがれ、賞賛するようになる。こうして女性たちは、痩せることが美しく魅力的な女性の条件であるかのように考えるようになる。これも摂食障害を起こす大きな原因の一つだ。
 
 摂食障害患者の多くが、「体はこれを食べなさい。栄養があっておいしいから≠ニ言っているのに、頭の方が<_メだ。食べてはいけない≠ニ戒める」と言う。そして、どうしても食べたい欲求を抑えられずに食べてしまうと、今度は「太る」恐怖感とひどい自己嫌悪に襲われ、吐剤や下剤を使って食べたものを排出しようとする。そうしなければ気持ちがおさまらないのだ。それを繰り返しているうちに、摂食障害がひどくなる。
 
「おまえは太ったメス豚だ! 負け犬! ピッチ(売女)! それでもまだ、食べたいというのか」という幻聴がでてくる人もいる。そうなると、一時間数百ドルもする精神科医のカウンセリングが必要となってくる。摂食障害の治療は非常に高くつき、治療費から入院費、カウンセリング代などを合わせて数万ドルを払う患者もいる。
 
 米国人は痩せるために年間数百億ドルという莫大なお金を費やすとされている。そのなかには摂食障害の治療費も含まれる計算だ。
(矢部武著「アメリカ病」新潮新書 p62-68)
 
■━━━━━
 
体力とは何か
 
 体力≠ニいう言葉は非常に便利な言葉である。子どものからだがおかしくなってきたとき、多くはからだのどこがおかしいのかを具体的にくわしく調べずに、それを体力がなくなった≠ニとらえてきた。そして、そのようなおかしさにたいして、一般的に体力をつくる≠ニいう対応をしてきたのであった。その結果、あるところは間にあい、そしてあるところはよりいっそうおかしくなってきたのであった。
 
 したがって、私たちがここではっきりと気づくのは、子どもたちのからだのおかしさを十把一からげにして、体力がなくなった≠ニとらえてはいけないのだということである。
 
 体力≠ニいう言葉は、全体的な概念であり、からだのことを一言でいいあらわすのには便利な言葉ではあるが、それを具体的に見るときには、からだの一つひとつの器官の働き、あるいは体力の一つひとつの要素が発揮するできばえ≠見て、そこからそのできばえ″のもとになっている身体の資質≠推量しているのである。だから、体力がない≠ニいう場合、それを分解して考えてみなくてはならないのである。
 
 しかし、人間のからだが発揮する体力は、ひとつの生活力として表現されるのであるから、分解し分析した体力要素は再び総合してとらえられなくてはならない。
 
 ここでは、体力というものを、もう少しくわしく見ておくことにしよう。
 
体力の定義と要素
 
 体力の定義の仕方はいろいろあろうが、ここでは体力というのは、「身体的な生活力あるいは生存力のこと」であると一応は定義しておこう。
 
 体力がある≠ニか体力がない≠ニいう場合には、からだにある課題を課しているのである。からだがその課題、あるいは当て≠ノあえは体力がある≠ニいい、当て≠ェはずれると体力がない≠ニなげくのである。こういう当て∞課題≠よく満たしてくれるからだほど、大きな体力をもっているといっているのである。
 
 だから、私たちが子どもたちのからだにいったい何を当て≠ノしているのかを明らかにし、それとの関係で、子どものからだを見なくてはならないということになるだろう。
 
 しかし、この当て″の方は、なかなか見えにくいので、現実にある体力<eストの評価などから、逆にその 当て≠ノしているところをさぐりだしていくことにしたい。
 
 その前に、体力はどのような要素から成り立っているかを見ておこう。
 
 一般的には、できばえの性質から、課せられた作業がどのようになしとげられるかという点から推量されるものを行動体力≠ニいい、さまざまな刺激や変化にたいしてどのように適応し、防御し、調整し、復元するかという点から推測されるものを防衛体力≠ニいっている。体力を大きくこの二つの側面から見るのが普通である。
 
 朝比奈一男氏は、『日本人の体力』(杏林書院、一九六八年)において、疲労の回復力≠もうひとつの体力の側面としてとりだしており、体力についての実感としては、非常に理解しやすいものであるが、これも広く考えれば防衛体力≠フなかにふくめて考えてもよいだろう。
 
 この行動体力と防衛体力の程度は、必ずしも並行していない。行動体力をつけると、ただちに防衛体力がつくというようには考えない方がいいだろう。むしろ別々のことだと考えておいた方がよいことが多い。防衛体力のなかでも、暑さにつよいものと寒さにつよいものとは別々のものである。
 
 ただ暑さにつよいからだは、マラソンなどの時の体内の熱処理がよいであろうから、熱がマラソンの記録の第一の制限因子にはならなくなるであろうということは十分に考えられることであり、防衛体力と行動体力との関連はむしろ積極的に考えた方がよいのであるしかし、体力の要素を考えるはじめには、両者は区別しておき、のちにその関連を考える方が理解しやすいだろう。
 
 体力の要素をこれよりも分解して考えるときには、からだの器官や器官系の働きそのものを見る場合と、できばえの分類として見る場合とでは、要素の表現の仕方が変わってくる。
 
 たとえば、一定のスピードで、どれだけ長く走ることができるかというようなできばえから推定できるものをさして、全身持久力≠ニよぶことがある。また一定の重量をどれだけ長く持っていることができるかというようなできばえから推定できる体力要素を筋持久力≠ニよぶのである。
 
 これらにたいして、からだの器官の働きそのものに着目して体力の要素を考えることがある。たとえば、全身持久力というものを、そのできばえを成り立たせているからだの器官の働きのよしあしで見ようとするものがある。全身持久力についていえば、肺から酸素をどれだけたくさんとりいれることができるかという最大酸素摂取量≠ニいうものをその重要な指標として見るのである。
(正木建雄著「子どもの体力」国民文庫 p96-100)
 
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「自分のからだはとりあえず≠フもの」ではない。「痩せることが美しく魅力的な女性の条件」のように、「周りはきれいな女性ばかり。私もダイエットして痩せなきゃ」と、強迫観念にひきずられるという。
 
「疲労の回復力=vで体力の後退を自覚するのではないでしょうか。