学習通信040107
◎平等とはD 「これがすなわち不平等の到達点であり」……。
■━━━━━
日本的平等とは結果の平等であり、縦の平等です。
これが戦後になりますとガラリと変わって、「効率」と「平等」と「安全」が正義になります。「効率」は近代工業社会の正義です。近代工業社会はまさに「効率」からはじまった。明治維新の「黒船」も、日本人に「効率」の良さをメッセージとして伝えました。
戦後の日本は、ことのほか「効率」にこだわりました。なぜなら、戦争を経験した者が、なぜ日本が戦争に敗れたかを考え、物量の乏しさだと信じたのですね。
日本人は頭も良かったし勤勉でもあった。軍人はよく勉強していたし、勇気もあり、忠義でもあった。けれども、アメリカの物量には負けた──こういう認識が広がります。明治維新のときもそうでした。チャンバラでは駄目である、やはり大砲や軍艦を沢山持たなければいけない。ハードウェアが大事だ。
ハードウェアをつくるのは近代工業であり効率である。従って、日本も物量を増やす「効率」が大事である。こういう認識が終戦直後には全日本に広がりました。そして経済成長こそ何よりも大事だという意識が、戦後社会に定着しました。明治維新のDNAが日本主義の敗北で甦ったともいえるでしょう。
次に、「平等」。平等という思想は日本に古くからあります。「貧しきを憂えず等しからざるを憂う」という儒教の言葉、徳川時代はこれがよくいわれたものです。
徳川時代が等しくないことは明らかです。大名と足軽、武士と百姓がいるわけですから、等しくない。では、なぜ徳川時代の大名や奉行が「等しからざるを憂う」といったか。それは身分序列の変わらない「縦の平等」を目指したのです。
平等には二つあります。一つが「機会(チャンス)の平等」です。あるいは「法の前の平等」。これは近代革命の「自由・平等・博愛」の平等です。
フランス革命、アメリカ独立戦争でいわれた平等は、誰でも何の商売でもでき、どんな所にでも住める、機会の平等です。新規参入の機会がある、立候補する機会がある、受験の機会が平等にある。名門でないと大学に入れないとか、家系によってする商売が決まっているとか、苦から権利を持っている階級でないと土地を持てない、などとはいわない。われと思わん者は誰でも何でもできる。「機会の平等」こそ近代自由主義の平等です。
しかし、機会が平等なら結果は不平等になります。受験の機会が平等でも落第する人と合格する人がいる。商売の機会が平等でも成功する人と失敗する人がいる。立候補の機会が平等でも当選する人と落選する人がいる。結果は必ず不平等です。
これに対して、結果の不平等はけしからん。結果の不平等は所得の格差を生み、財産の格差を起こす。結局、資本家が搾取しているではないか。だから、結果の平等が大事だ、という考えが生まれました。
そしてその次に、これを実現する方法として、私有財産の制限、生産手段の国有化を唱えたのが社会主義です。累進課税と福祉による所得配分を主張したのが福祉主義です。この二つは、政治的には鋭く対立していましたが、発想の根は共通しているのです。もう一つ、平等にするのは財産や所得ではなく支出、つまり消費だと主張したのが、国家社会主義、つまりナチスです。
では、徳川時代の「等しい」とは何か。それは「結果の縦の平等」です。「結果の平等」には「縦の平等」と「横の平等」がある。「横の平等」とは、現在ただ今の人々の所得や権利が同じということです。社会主義も福祉主義もナチスも、これを主張しています。
ところが、「縦の平等」は、そんなことではない。二十年前に足軽だった人たちが二十年後の今日もみんな同じ足軽なら平等だ。二十年前の殿様が今も殿様なら平等だ。二十年前の新入社員が全員、同じ課長級になっていたら平等だ。取締役になった人とヒラのままの人がいるのは不平等だ。これが「縦の平等」、いわば徳川以来の「日本的平等」です。
江戸時代の人が「等しからざるを憂う」といったのは、百姓だった人の中から大名になる人も大金持ちになる人もいる、一方、大名から貧乏になる人もいる、これは不平等だ。親の代が百姓なら子の代も百姓、孫の代も百姓、これは平等だ。そうしたら誰も嫉妬することはない、というわけです。徳川家康のいった「浄土」、つまり封建社会です。
「縦の平等」は、嫉妬の原理で生まれたものです。日本ではこれが非常に強かったし、今も強い。年功序列でずっと一緒にいくのがありがたい。抜擢人事は腹が立つ。
戦後の日本は何の平等かを明確にしないまま、とにかく「平等」が大事といってきた。これを戦後の正義にしました。
(堺屋太一著「文明を解く 東大講義録」講談社 p185-188)
■━━━━━
平等への道
数時間の登山は一人の悪者と一人の聖者をかなり似通った人間に仕立て上げる。
疲労は、千草と友愛へのいちぼんの近道だ。
ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』
アメリカの西部開拓時代、こんなことが言われていた。
「激しい労働こそ、最良の警察である」と。
一確千金を夢見てやってきた荒くれ者たちが、一日の激しい肉体労働のあとに必要としているもの、それは休息と睡眠である。映画の西部劇などでは、荒くれ者たちの大立ち回りをよく見かけるが、あれは、仕事嫌いの怠け者たち、あるいは、仕事にあぶれた者たちの仕業である。社会の治安は失業率と大いに関係がある。一日中しっかり働いた者を待っているのは、安らかな睡眠である。眠っている人間には、悪人、善人の違いはない。
人びとが仕事で疲れきって、もう何も悪いことも良いこともできないようなところには、警察は無用である。疲労は、平等と友愛ばかりでなく、平和への近道でもある。ようやく山項にたどり着いた登山者の、汗で輝やいている顔を見れば、そのことがよくわかる。見知らぬ同士も、なにか偉業をなしとげた同志のような気分になる。山登りをしたことがある人なら誰でも、ニーチェの言葉を実感しているはずである。おそらく、ニーチェ自身も数時間の登山でたっぷり汗をかいたことがあったのであろう。
しかし、平等と友愛への近道はほかにはないのだろうか。疲労だけというのでは、なんだかもの足りない。元気な人間同士が平等と友愛を享受することはできないものか。
卑近な例では、ある特定のチームを熱烈に応援するスポーツ・ファンがいる。たとえば、タイガース・ファンはタイガース・ファンで、ジャイアンツ・ファンはジャイアンツ・ファンで、職業、収入、年齢、性別、宗教、政治的信条、悪人と聖者などにかかわりなく、それぞれ同一のチームを応援している点で平等であり、そのことでたがいに友愛の情を持つ。
およそ人びとを熱狂させたり、夢中にさせたりするものには、人びとの気持を平等化し、友愛ないし同志意識を生む力がある。
たとえば、火事である。
アメリカの作家、ヘンリー・デイヴイッド・ソローは 『ウォールデン (森の生活)』で、火事場見物の野次馬について辛辣な観察を行っている。
「仕事仕事と大騒ぎするが、われわれは大事な仕事などなにひとつしていない。みんな舞踏病にかかって、頭を静かにしておくことができないのだ。その証拠に、もし私が教会の鐘の紐を二、三度引っ張って、火事だと知らせれば、あれほど仕事が忙しいと言い訳していた男もコンコードのはずれから飛んでくるし、女も子供もひとり残らず何もかも投げ出してやってくる。それも、火のなかから家財道具を運び出すためではなく、正直なところ、ただ燃えさかる家を見たいがためである」(木原武一訳)
ここに集まった野次馬も、言うなれば、平等と友愛を象徴する集団である。しかし、ここには「平和」はない。野次馬が火事場泥棒に豹変しないとはかぎらない。熱狂的なサッカー・ファンが「フーリガン」にならないとはかぎらない。
やはり、平等と友愛と、そして、平和への近道は、たっぷりと流された快い汗のほかにはないのだろうか。
(木原武一著「人生を考えるヒント」新潮選書 p46-48)
■━━━━━
──未開人はほとんどすべてがこの段階において見出されたのであるが、彼らの実例は、人類が永久にこの地点に停まるように造られていたこと、この状態は真に世界の青年期であること、そして以後のいっさいの進歩は、表面上は、それだけ個体の完成への歩みとなりながら、実際はそれだけ種の老衰への歩みであったことを確証するように思われる。
人々がその粗末な荒屋で満足していたかぎり、また彼らがその毛皮の衣服を麻や魚の骨で縫い鳥の羽や貝殻で身を飾り、からだにいろいろな色を塗り、その弓や矢を完成したり美しくしたりし、よく切れる石でいくつかの漁業用の丸木舟や粗末な楽器類を作りあげるだけに止まっていたかぎり、一口でいえば、彼らがただひとりでできる仕事や、数人の手の協力を必要としない技術だけに専心していたかぎり、彼らはその本性によって可能だった程度には、自由に、健康に、善良に、幸福に生き、そしてたがいに、独立の状態での交流のたのしさを享受しつづけたのであった。
ところが、一人の人間が他の人間の援助を必要とするやいなや、またただひとりのために二人分の貯えをもつことが有効であると気づくやいなや、平等は消えうせ、私有が導入され、労働が必要となった。そして広大な森林は美しい原野と変って、その原野を人々の汗でうるおさなければならなかったし、やがてそこには収穫とともに奴隷制と貧困とが芽ばえ、生長するのが見られるようになった。
冶金と農業とは、その発明によってこの大きな革命を生みだした二つの技術であった。人間を文明化し、人類を堕落させたものは、詩人からみれば金と銀とであるが、哲学者からみれば鉄と小麦とである。だから両方ともアメリカの未開人には知られていなかった。
そのために彼らはいつまでも未開にとどまったのである。他の民族も、これらの技術の一方だけを行なっていたかぎりは、依然として野蛮なままでいるように思われる。そして、ヨーロッパが世界の他の部分にくらべてより早くとはいえないまでも少くともより恒常的に、またよりよく文明化した最大の理由の一つは、おそらく、ヨーロッパが鉄にもっとも豊かであるとともに、麦にももっとも富んでいるからであろう。
人々がいかにして鉄を知り、用いるようになったかを推測することは非常に困難である。なぜなら、彼らがこの物質を鉱山から引き出し、結果がどうなるかもわからないのに、それを熔解させるのに必要な調整を加えることを自力で思いついたなどとは信じられないからである。
また一方において、鉱山は木も草もない不毛な場所でなければ形成されないものであるだけに、なおさらこの発見をなにか偶発的な火事のせいにすることもできない。従って、あたかも自然がこの運命的な秘密をわれわれの眼から隠そうとあらかじめ気を配ったかのようである。
そこで残るところはただなにか火山の異常な状態だけであって、それが、熔解した金属性の物質を吐き出して、観察者たちに、自然のこの作用を模倣しようということを思いつかせたのだろうということになる。しかもさらに、彼らがそんなに骨のおれる仕事をくわだて、それから引き出しうる利益をそれほど久しい以前から予想するとすれば、よほどの勇気と先見の明とを彼らに想遺しなければならない……。
(ルソー著「人間不平等起原論」岩波文庫 p96-97)
身分と財産との極端な不平等、情念と才能との相違、無益な技術、有害な技術、つまらない学問から、理性にも幸福にも徳にもひとしく反する無数の偏見が生れてくるであろう。
すなわち、結集している人々を分離させて弱めるような一切のもの、外面上は一致しているような様子を社会に与えながら、しかも現実には分離の種を蒔くような一切のもの、さまざまな階級にその権利や利害の対立によって、相互の不信と憎悪とを吹きこみ、従ってそれらすべての階級を抑える権力を強めるような一切のものが、首長等によって助長されるのが見られるであろう。
この無秩序とこれらの変革のなかからこそ、専制主義が、その醜悪な頭を次第にもたげ、国家のあらゆる部分に善良で健全なものと自分に認められる一切のものを貪りくらい、ついには法律も人民も足下に踏みにじり、国家の廃墟の上に自己を確立するに至るであろう。
この最後の変化に先だつ時代は、混乱と災害との時代であろう。しかし結局すべてが怪物に呑み込まれてしまい、人民はもはや首長も法律ももたず、ただ僣主だけをもつこととなろう。この瞬間からまた、習俗や美徳が問題にならなくなるであろう。
なぜなら、「美徳について何の期待ももてない」専制主義の支配するところではどこでも、専制主義は、けっして他のいかなる主人をも許容しないからである。それが口をきくやいなや、そこには考慮すべき誠実も義務もなくなり、極度に盲目的な服従だけが奴隷に残された唯一の美徳となる。
これがすなわち不平等の到達点であり、円環を閉じ、われわれが出発した起点に触れる終極の点である。ここですべての個人がふたたび平等となる。というのは、今や彼らは無であり、家来はもはや主人の意志のほかなんらの法律ももたず、主人は自分の欲情のほかなんらの規則をもたないので、善の観念や正義の原理がふたたび消滅してしまうからである。
すなわち、ここでは、万事がただ最強者の法だけに、従って一つの新しい自然状態に帰結しているのだが、この自然状態がわれわれの出発点とした自然状態と異なるのは、後者が純粋な形で自然状態であったのに対して、前者が過度の腐敗の結果だ、ということである。
とはいえ、この二つの状態の間にはほとんど相違がなく、政府の契約は専制主義によって甚だしく破棄されているので、専制君主は最強者である間だけしか支配者でないし、人々が彼を追放することができるようになればたちまち、彼はその暴力に対して異議を申し立てる理由がなくなってしまうのである。
ついには、サルタンを殺したり、退位させたりするような暴動も、彼がその前日臣民たちの生活や財産を勝手に処理した行為と同じように法律的な行為なのである。ただ力だけが彼を支えていたのだから、ただ力だけが彼を倒させる。万事はこのように自然の秩序に従って行なわれる。
そして、こうした短い、頻繁な革命の結果がどうあろうと、何びとも他人の不正をなげくわけにはいかない。ただ自分の油断か、不運をかこつべきである。
(ルソー著「人間不平等起原論」岩波文庫 p126-127)
■━━━━━
最後に、ルソーの平等論──デューリング流平等論は、それの気の抜けた変造された模写にすぎない──でさえ、ヘーゲルの<否定の否定>に──そのうえヘーゲルの誕生の二〇年以上も前に──産婆の役をつとめてもらわなければ、できあがらない。
そして、この理論は、そのことを恥じるどころか、自分が弁証法の系統を引いているという押印を、はじめて世に現われたさいにほとんどこれ見よがしに示しているくらいである。自然の未開状態では、人間は平等であった。
そして、ルソーは、──すでに言語を自然状態の歪曲と見なしているので──同一種の動物のあいだにその種の範囲内で存在する平等を、ちかごろヘッケルがアラールス〔複数はアラーリ〕すなわち<言語をもっていない者>という名で仮説的に分類したこの獣人たちにまで及ぼしている。このことは、まったく正当である。
しかし、この平等な獣人は、他の動物よりもすぐれた特性をもっていた。それは、完成化能力、自分をこの先いっそう発達させる能力、である。そして、これが不平等の原因になった。こうして、ルソーは、不平等の発生を一つの進歩と見るのである。しかし、この進歩は、敵対をはらむもので、同時に一つの退歩であった。
「その先の」(原始状態を越え出てからの)「すべての進歩は、外見上はそれだけ個々人の完成へ向かっての歩みであったが、実際にはそれだけ種の衰亡へ向かっての歩みであった。……金属加工と農耕というこの二つの技術の発明によって、この大革命が引き起こされたのである」(原始林の耕地への転化、しかしまた、所有を用いての貧困と隷従との導入)。
「詩人にとっては金と銀とが、哲学者にとっては鉄とコムギとが、個々の人間を文明化し、人間種族を破滅させた」〔『人間不平等起原論』、第二部からの引用。以下同じ〕。文明のどの新しい進歩も、同時に不平等の新しい進歩である。文明とともに生まれた社会が自分のためにつくりだす制度は、すべてそれの元来の目的とは反対のものに急転する。
「諸民族がみずからに君主をいただいたのは、自分たちの自由を守るためであって、この自由をなくするためではない。これは、争う余地のないことであり、国法全体の原則である」。
それにもかかわらず、この君主たちは、必然的に人民の抑圧者となり、この抑圧を強めていって、ついには、不平等が絶頂へ推し進められてふたたびその反対物に急転して平等の原因となる、そういう点にまでいたる。すなわち、専制君主の前では万人が平等である、つまり、平等にゼロである。「ここに不平等の極致が、円周を閉じわれわれが出発した起点に触れる終点が、ある。
すなわち、ここではすべての私人が、──まさに無であるからこそ、そして、臣民に主君の意志以外の法がもうないので──平等になるのである」。しかし、専制君主が主君であるのは、ただ彼が力をもっているあいだだけであり、それゆえに、人びとが「彼を追いはらった」とたん、「この力に異議を唱える」ことは彼にはできない。
「……力が彼を維持した、力が彼をくつがえす、万事は正しい自然の順序に従って行なわれる」。こうして、不平等はふたたび急転して平等になる。しかし、それは、言語をもっていない原人の古い自然生的な平等ではなくて、社会契約にもとづくもっと高度の平等である。抑圧者は抑圧される。これは<否定の否定>である。
こうしてここに、すでにルソーにおいて、マルクスの『資本論』で行なわれているものと瓜二つの思想の歩みがあるばかりか、個々の点でも、マルクスが用いているのと同じ弁証法的な言い回しが、まるまるひと続きある。
すなわち、<その本性においで敵対的で内部に矛盾を含んでいる過程>、<一つの極端のその反対物への急転>、最後に、<斜体の核心としての、空軍冠の否定>、がそれである。だから、ルソーは、一七五四年にはまだヘーゲル式隠語を話すことができなかったにもかかわらず、ヘーゲルの生まれる一六年前〔原文の「二三年前」を訂正〕に、ヘーゲル疫病・矛盾の弁証法・ロゴス説・神学=論理学などなどに深くむしばまれていたわけである。
そして、デューリング氏も、ルソーの平等論を浅薄にした焼きなおしのなかで自分の勝ちほこった二人の男を運用するとき、すでにいやおうなしに<否定の否定>の腕のなかへすべり落ちるほかない斜面に立っているのである。二人の男の平等が栄えている状態、やはり理想状態であると描かれてもいるこの状態、これは、『哲学〔の課程〕』の二七一ページでは「原始状態」と言われている。この原始状態は、しかし、二七九ページによると、必然的に「強奪制度」のために廃棄される──第一の否定。
しかし、いまわれわれは、現実哲学のおかげで、この強奪制度を廃止して、その代わりに、デューリング氏が発明した・平等にもとづく経済コミューンを導入するところまできている──<否定の否定>、前のよりも高い段階における平等。
デューリング氏自身かしこくも<否定の否定>という重罪を犯しあそばすしだいは、視界を有益に拡大してくれる、なんとも愉快な見ものではないか!
(エンゲルス著「反デューリング論」新日本出版社 p198-200)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎平等について深くとらえよう。平等から不平等……そして平等……否定に否定。