学習通信040111
◎保守的であること。革新であること。
 
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保守的であること
 
 保守的であるとは、見知らぬものよりは慣れしたしんだものを好むこと、試みられたことのないものよりは試みられたものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを、あり余るものよりも足るだけのものを、完壁なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである。
 
得るところが一層多いかもしれない愛情の誘惑よりも、以前からの関係や信義に基づく関係が好まれる。獲得し拡張することは、保持し育成して楽しみを得ることほど重要ではない。革新性や有望さによる興奮よりも、喪失による悲嘆の方が強烈である。
 
保守的であるとは、自己のめぐりあわせに対して淡々としていること、自己の身に相応しく生きて行くことであり、自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完壁さを追求しようとしないことである。
 
 むろん、このような精神態度にがまんがならない者もいるだろうし、また、仮にそれを受け入れるとしても、決して、人間の生活は全面的にこの保守的態度で覆い尽くされるなどということは不可能である。われわれは変化を求め、時には革新を求め、見知らぬものや神秘的なものにも惹かれる。これは当然のことである。
 
ただ「保守的であること」が説くのは、もしそうだとしても、決して絶え間ない変化や革新や完壁さによっては生活は組み立てられない、ということにほかならない。保守的なものと革新的なものの両者が人生には必要である。しかし、生活の「基調しになるのはあくまで「保守的なもの」であって「革新的なもの」ではない、ということなのである。
 
 したがって、保守主義は決して変化に対し無条件に抵抗するわけではない。変化とは何よりもまず受け入れざるをえないものなのである。あらゆる時代が決して静止しているわけではない。時の流れとはとりもなおさず変化だからだ。だがその場合にも、保守主義は、変化とは慣れ親しんだものの喪失であること、に敏感であらざるをえない。
 
だから保守主義者は、「提案されている変化が全体として有益なものと期待してよいということを示す挙証責任は、変革を唱える側にある」(オークショット)と考える。こうした態度は、変化を拒否するということではなく、変化を受け入れる際の一つの方策というべきであろう。
 
「保守的であるとは、単に変化を嫌うということだけではなく、変化への適応というすべての人間に課された活動を行う一つの方法でもある」ことに注意しておかねばならない。
 
 ではこの種の態度の背後にあることは何であろうか?それは、何よりも、人間の理性的能力への過信に対する防御にほかならない。ハイエク(一八九九〜一九九二。オーストリアの経済学者)が述べたような、人間があらゆる情報を管理し理性的に社会を設計できるという理性万能主義(設計主義)への深い疑問がそこにはある。
 
そして不確定な将来に対してあまりに楽観的に理性を信仰することを嫌う。見えない未来の大きな骨を夢想して今ある小さな骨を落とす犬にはなりたくない、と思う心性がそこにはある。あるいは、自分がとても責任を持ち得ない大きな理想を持ち出して、自分の持ち場をおろそかにすることへの抵抗がある。抽象的な真理違い求めるよりも、確かな経験から出発しようとする。これが保守的な精神というものである。
 
 したがって、保守主義が最も明瞭に対立するのは、社会主義にせよファシズムにせよ、社会全体を管理できるとする全体主義にほかならない。保守主義の中からファシズムが生まれるなどというのは、全く保守主義を理解していない無意味な言説に過ぎないのであって、理念としていえば民主主義などよりも保守主義の方が全体主義に対立することは、そもそも保守主義の生みの親とも目されるエドモンド・バーク(一七二九〜九七。イギリスの保守主義思想家・政治家)が、その保守的な思考を、ジャコバン独裁をもたらすことになるフランス革命批判から生み出したことを見てもすぐにわかるであろう。
 
──略──
 
 さて本書におけるわたしの「保守主義」的な立場はおおよそわかっていただけただろうと思う。ではなぜわたしは「保守主義」的な立場を選ぶのか? なぜ進歩主義や革新ではダメなのか? あらかじめいっておけば、戦後の進歩主義とは、まさに戦後日本の「体制」にはかならないからなのである。
 
 このようにいうと、当然、反発が予想されよう。進歩派や革新こそが戦後の「反体制」だったのではないか、と。しかし、わたしはそうは考えない。「反体制」的な体制、「反権威主義」的な権威主義、「反国家主義的」な国家意識、こうしたものが戦後日本の政治的観念を特徴づけてきたといってよい。だがこの点は後に述べてみたい。
 
 実際、現代社会は基本的に「変化」を歓迎する社会である。戦後、進歩派が掲げた「社会主義」というような理念はもはや消え去ったが、「進歩」と呼ばれる変化を歓迎する風潮は全く変わっていない。
 
社会主義にまで到達する必要はなくなったものの、人類共通の普遍的真理、例えば人権意識の拡大、平和主義の拡張、平等化、人間の自由の拡大、物質的豊かさの拡大、こうしたことを無条件に「善」と見なし、この人類の「共通善」へ向けて社会改革を行うという近代的コスモポリタニズムは依然として強力である。
 
いや、「冷戦以降」この種の一見したところ誰もが反論しがたい「擬似思想」は、強力なイデオロギーがなくなった今、いっそう流通力を増しているともいえよう。
(佐伯敬思著「国家についての考察」飛鳥新社 p23-30)
 
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 ヒュームにみられた現実的保守主義は、もっとつよい形ではエドマンド・バークにあらわれる。バークは近代の保守主義の祖といわれるけれども、その初期の政治的立場は決して保守的なものではなかった。むしろかれは政党政治の確立を主張し、言論・出版の自由のためにたたかい、アメリカ植民地に対する抑圧に反対し、その独立を支持したのである。
 
しかし思想的にはすでに一七五六年の『自然社会の擁護』において理神論を批判し、また『崇高と実の観念の起源にかんする哲学的研究』(一七五七)では、美の観念を理性の領域から直観の領域にうつし、合理主義に対する反逆をしめしたといわれる。
 
バークの主著『フランス革命についての省察』(一七九〇)は政治思想の分野での合理主義への反逆であって、のちにのべるプライスなどの自然法思想にもとづくフランス革命支持に対する批判であった。バークも名誉革命を否定はしない。
 
しかしかれが強調するのは名誉革命というのはまったく異例の特殊な状況下の事件であって、これを一般化するのは誤りであり、またこの名誉革命がなしとげたことは、ジェイムズ二世の追放であったのと同時に、新しい国王とその後継者へ永久に服従するという誓いをたてたことであって、「そのときにイギリス国民は、かれら自身とかれらすべての子孫について、永久に、もっとも厳粛に、それ(国王をえらぶ権利)を拒否し放棄したのである」とバークは主張する。
 
バークが自然法や自然権の代わりに重視するのは伝統であり、世襲あるいは時効という考え方である。マグナ・カルタいらい、イギリス国民が主張しまもりつづけてきたのは、決して抽象的な自然権なのではなく、イギリス国民の世襲財産としての自由なのであり、われわれがものごとを判断する基準も、理性ではなく「伝統と先入見」である。
 
平等ということはありえないのであって、どんな秩序のなかにも上下の差はかならずあり、とくに私有財産は不平等ということがその本質的特徴であり、これも伝統によってつくられ、まもられてきたものである。プライスらはとくに選挙区の改正を主張するけれども、議員というものは地方的な利害の代表者ではなく、国家的な観点にたつべきものだから、選挙区の不平等ということは問題にならないし、議員はとうぜん、国民のうちの財産所有権、とくに土地所有者から、えらばれるべきである。
 
合資会社においても、五シリングしか出資していない人は、五〇〇ポンド出資している人と「平等な配分をうける権利をもつのではない。」多数者の支配はもっとも誤りやすい。こういう主張をかかげて、バークは、「だから、完全な民主政治はこの世でもっとも恥知らずなものである」といいきるのである。これはロック思想の完全な否定にほかならない。
(浜林正夫著「イギリス民主主義思想史」新日本出版社 p263-265)
 
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 新聞などで「保守的」と「進歩的」という言葉が使われるのを見られたことがあるでしょう。これらの言葉の、もともとの意味を調べてゆくのも必要ですが、いまは少し別に、実際に使われている様子を見ると、こういうことがいえると思います。
 
 その国、その社会の、いま現在のあり方、動き方にそくして生きる。それに適応して生きてゆく。未来のことも、いまあるあり方の、自然な延長として思い描く。現在のあり方を変えようとは思わない。その国、その社会で、いま勢力のある人たちの考え方にしたがうやり方で、自分の態度をきめる。
 
とくに教えられたことを大切にして、そのとおりにやってゆこうとするし、自分もそのように人に教えたいとねがう。
 
 こうした生き方の人たちを「保守的」ということができると思います。もちろん、この「保守的」な考え方、生き方の、実際の現れ方には大きいはばがあります。この人は本当に「保守的」だと思う人で、私のとても好きな人がいるし、これはまったく困った人だ、と思う人はもっと沢山います。
 
 そして、私がとくにいいたいのは、子供はまず「保守的」だ、ということなのです。子供はこの世界に新しく生まれてきた人間だし、実際新しいことに敏感でもあるのですから、子供が「保守的」だなんて、とおかしく感じられるかも知れません。しかし、赤んぼうは自分にあたえられた環境にしっかりおさまって満足のようだし、大人たちのやってくれることに頼りきっています。
 
 そして、こういう自分の状態を見なおすことをはじめ、大人の保護から少しずつでも自立していこうとしはじめる時、子供は赤んぼうでなくなり、「進歩的」になってゆくのです。
 
 自分がそのなかで生きている国や社会に対して、それまで自分が持ってきたのとは別の考えを受け入れ──あるいは、自分でつくりだし──自分のまわりから、少しずつであれ変えてゆこうとする。そういう人間になってゆく、ということです。
(大江健三郎著「「自分の木」の下で」朝日新聞社 p86-87)
 
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◎「自分の状態を見なおすこと……大人の保護から少しずつでも自立していこうとしはじめる時、子供は赤んぼうでなくなり、「進歩的」になってゆく」と。
 
◎わかれみち といわれる今日です。歴史の進歩に寄せて生きることが問われています。学習通信2003.12.22 とあわせて深めてください。