学習通信040120
◎孤独と連帯……「ぼくはどんな集団にもぞくしたくないんだ。自分というものを大事にしたいからね」
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孤独の効用
だれも学ばない、だれも知ろうとしない、
だれも教えない──孤独に耐えることを。
ニーチェ『曙光』
ものを考える人間、なにか創造的な仕事にいそしむ人間はつねに孤独である。ものごとを考えるために必要な集中力は孤独のなかからしか生れないからである。最近、集中力に欠けた子供が増えているというが、その一因は、協調性が重視されるばかりで、孤独の効用が無視されていることにある。
ニーチェのこの言葉は、教育との関連で述べられたもので、孤独に耐えることを誰も教えないことを、「われわれの人格形成や教育のもっとも一般的な欠陥」と言っている。しかし、「孤独に耐えること」はどのようにしたら教えることができるだろうか。そもそも、そんなことを教えることができるのだろうか。「孤独の教育」は可能だろうか。
ニーチェは、孤独に「耐える」と言っているが、私なら、孤独を「楽しむ」と言いたい。「耐える」というと、孤独がなにか悪いことのように思われがちである。もちろん、ニーチェもそのようには考えていない。彼は、孤独こそ哲学者の故郷だと言っている。故郷と言うからには、居心地が悪いはずがない。もっとも心が落ち着く場所が故郷である。そういう場所は、哲学者にかぎらず、すべての人が求めている場所である。
孤独を楽しむことは、他人から教えられて身につくものではない。『ローマ帝国衰亡史』で有名なギボンは、「孤独こそ天才の学校である」と言っている。歴史にその名が刻まれた科学者や思想家、芸術家の多くは、人生の初期の段階で孤独と親しむ習慣を身につけていた。ニーチェもそのひとりで、十四歳のとき、こう記している。
「小さいときから、僕は孤独を求め、ひとりでいると、誰に妨げられることもなく思いのままにできたので、いちばん心楽しく思ったものでした。しかも、たいてい僕は大自然という広々した殿堂のなかで孤独を楽しみ、本当の喜びを覚えたのでした。いつもいちばん素晴らしい印象を与えたのは雷雨でした。遠くまでゴロゴロつと富が鳴り響き、稲妻がピカピカっと光っても、こわいどころか、むしろ神にたいする畏敬の念が増すばかりでした」
大自然のなかの孤独と雷雨との結びつきが興味を引く。「たくましい孤独」とでも言ったらいいだろうか。雷雨をこわがる人はすくなくないが(私もそのひとりであるが)、ニーチェはそれによってむしろ元気づけられるタイプだった。友人の証言によると、雷鳴の轟くなかでのニーチェのピアノ即興演奏は、ベートーヴェンでさえ及ばないと思われるほど感動的だったという。
それにしても、すでに十代の半ばにして、孤独を自分の生活の大事な一部分として、というより、生活の中核としてはっきり自覚していたというのは、きわめて早熟と言ってよかろう。
しかし、それと自覚しなくとも、孤独に親しむ習慣、孤独のなかで心楽しく時間を過ごせる習慣は、すでに小さい頃に、遅くとも十代のはじめの頃には形成されるものではなかろうか。ギボンの言葉がまさにあてはまる天才のひとりに、万有引力の法則などの大発見を行った、イギリスの物理学者、アイザック・ニュートンがいる。
祖母の手で育てられたニュートンは、遊び友達もなく、もの心つくころから孤独な生活を強いられ、家のいたるところに日時計を刻むなど、自分ひとりの時間を楽しむ方法を工夫しながら、幼少時代を過ごした。
大発見の背景には、このような「孤独の特訓」の成果もあったにちがいない。どのようにして大発見をなしとげたのかと訊かれて、「発見にいたるまで、いつもいつも考えていた」とニュートンは答えている。孤独のなかで集中力が培われていたのである。
知識は教えることができるが、習慣は教えてもなかなか身につくものではない。しかし、いったん身についた習慣は生涯ほとんど消えることがない。ものごとを学ぶ楽しさと、孤独を楽しむ能力(「孤独力」とでも言おうか)をできるかぎり早い時期に身につけることこそ、人間の成長過程においてもつとも重要な一項目である。
それは他人から教えられるものではなく、自分で学ぶしかない。教育に何かできることがあるとしたら、それらの楽しさに少しでも気づかせることぐらいであろう。
ところで、幼い頃から孤独に慣れ親しんでいたニーチェは、孤独な生活を送る自分自身の姿をこんなふうに描いている。
「ひとりでいることにすっかり馴染んでいるので、けっして自分を他人と比較するようなことはせず、静かな楽しい気分で自分との対話に打ち興じ、笑いさえ交えて独白の生活を紡ぎつづける」(『人間的な、あまりに人間的な』)
このような人間の孤独を妨げてはいけないと、ニーチェは言う。また、このような人間を「弧独のために哀れむ」ほど愚かであってはならないとも言う。たしかに、他人の孤独を哀れむ愚かな人が少なくない。そもそも、他人を哀れむことじたい、不遜なことである。他人を哀れむ余裕があったら、その前に自分自身を振り返れと言いたい。
孤独こそ、自由の確かなしるしではある。誰にも侵されない世界が孤独である。しかし、そこにはそれなりの厳しさがある。その厳しさに誰もが耐えることができるとはかぎらない。ニーチェが「孤独に耐える」と言った理由がここにある。ニーチェの「基準」はきわめて高い。
「私はお前たちに私と同じ冒険を、あるいは、冒険とは言わぬまでも同じ孤独を勧めるなどと思わぬがいい! なぜなら、自分自身の道を行く者は誰にも会わないからである。自分自身の道とはそうしたものである。誰もそこでは助けに来てくれない。危険、偶発、悪意、悪天候に遭遇したならば、自力で切り抜けねばならない。自分の道をまさに自分のために進んでいるのだから」(『遺された断想』)
ニーチェはこのような道を進んでいたのである。「孤立無援」を恐れる人にはこのような道は向かない。しかし、ニーチェもこのような道を幼年時代のようにいつも楽しんでいたわけではなかった。はじめは故郷であった孤独をやがて耐え難いものに感じることもあった。
「孤独が重荷となるような時も多くなりました」とも、また、「四十三にもなって、子供のように孤独なのです」とも手紙に書いている。まさに孤独に耐えているニーチェである。だが、その孤独こそ、彼の思想の源泉であった。
「孤独力」を教育しようなどと考えないほうがいい。誰にもそんなものは教えられないからである。
(木原武一著「人生を考えるヒント」新潮選書 p96-99)
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人は生まれた以上、好むと好まざるにかかわらず、組織や人間関係に翻弄されながら生きていく。それはごく一握りの人間は別として、大多数の人々にとっては不自由で窮屈なことである。多くの場合、たまたま組織の責任ある地位に就いた者は、「何で自分だけこんな苦労をしなければならないのか」と嘆き、そうでない者は「自分の実力が正当に認められない」不遇さを嘆きつつ、ともに喘ぎながら生きているのではなかろうか。
──略──
労働者の団結が、労働組合という組織によって調整された合意にとどまらず、その労働組合に参加している一人ひとりの組合員が手をつなぐ「友情的団結」を広げていくことが大切になってきているのではないか。
新年早々、『人は生まれた以上、組織や人間関係に喘ぎながら生きていく』などとネクラな心情を吐露したが、仲間に不自由で窮屈なものを感じさせない労働組合の団結について考えてみたい。
(月刊:全労連2月号「ガッツ板ちゃん 事務局長日記」 p45-46)
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IT時代の個人と組織
IT時代とは、誰でも自由に平等に情報を受発信できる時代のことだと前に書いたが、これは個人と組織にとって大きな意味を持つ。というのは誰でも自由にどんな情報でも持てるということで、個人と組織が持つ情報の質や量に格差がなくなるのである。
企業組織でしか入手できなかった情報をもとに仕事をしてきた個々の社員は、何も組織の庇護と恩恵に浴さなくとも仕事ができるようになる。
たとえば不動産の売買をする会社に働いている社員は、今までは売りに出される物件の情報は会社からもらって仕事を始めたのだが、これからは会社と同時に入手できるから、何も会社から教えられて動き始めることはない。
つまり個人と組織は上下の関係ではなく、同一レベルの関係で仕事ができるようになってきた。これは前に述べたコンピュータのネットワークに似ている。ある組織は一つの区切られたネットワークであり、そのネットの中の一員として個人が働くという構図であって、決してかつてのようなピラミッド型ではない。
しかも今までは組織に属する個人は、いつも組織の中にいなければならなかった。つまり毎日会社に出勤しなくてはならなかった。しかしIT時代になってその技術がフルに活用されるようになると、満員電車で「毎日出勤」という苦労から解放される可能性が大きくなった。
その一つが、IT時代の勤務スタイルといわれる個人オフィスの「e−Work」である。個人がパソコンで処理できる業務は際限なく広がっていく。メーカーなら商品企画、デザイン、設計、生産管理などから販売管理まで、それ以外でも仕入や在庫管理や経理処理など枚挙にいとまがない。
ホームオフィス(HO)と呼ばれる在宅勤務は日増しに脚光を浴びてくる。情報がリアルタイムで受発信できれば、それを処理する場所は何処でもかまわないからHOでもいいわけである。
しかしこういう時代になると、ますます個人・個性のあり方が鮮明に浮かび上がってくる。大きな組織の中で大勢の人間に囲まれて仕事をしていたころは、個人の能率が少々悪かろうと仕事に個性を出すことを怠ろうとあまり問題にはならなかった。それはおみこしを担ぐのにも似ていた。大勢で担いでいれば、一人や二人が怠けようと目立たないし、大した影響は与えない。
しかしeーWorkのようなIT時代になると個人の能力開示や個性の発露がたちどころに業務に反映されてくる。漫然と会社で時間をつぶすことなど許されない。自分はどういう仕事ができてどのくらいの仕事をこなせるかという個人の自己管理や、その仕事に対してどのような評価でどれほどの報酬が得られるのかという個人の目標管理が必要になってくる。
こういう時代になると、当然組織の中での主従関係は薄れてきて、偶の集合体が組織であるということになる。組織はある目的を持って動いているから、その目的のあるパートを個人が受け持つ。しかし誰がやってもそのパートの仕事の成果が同じであれば個性は表出しえない。与えられた仕事にどう自分の考えを注入できるかがキーポイントになる。
仕事を処理する際の個性の表出は、料理のさじ加減に似ている。素材やレシピがまったく同じでもいろいろな味が出てくるのは、ちょっとした味付けが人によって違うからではないか。
組織の中の個性のあり方が、組織そのものの個性を形作っていく時代になろうとしている。
(黒木靖夫著「ビジネスマンのための「個性」育成術」生活人新書 p65-67)
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個人と集団の関係
それでは、同時的な観点から世界の現状を見てみましょう。いま非常に大きい問題となっているのは、個人と集団との関係だと思います。個人は、集団に属さなければ、ひとりでは影響力を社会に与えることができません。
たとえば、平和を望むならば、平和のためにある人たちが一緒に共同して動かなければなりません。行為や行動を効果的に行い、意見を社会に対して伝えていくためには集団に属する必要があります。
しかし、集団の連帯行動のために、あるいはその集団内部の調和のために個人が完全に吸収されてしまえば、その集団は脆弱なものになってしまうのです。
集団は、その目的に向かって、一致協力して行動をすることになりますが、そのときに集団のメンバーである個人が、その価値を、あるいは目標を内面化して自分のものにしていなければ、すなわち、個人が集団に吸収されてしまうのではなくて、積極的に同じ価値を共有する個人が集まるというのでなければ、その集団は脆弱になってしまいます。
もうひとつの弱みは、集団に個人が吸収されてしまうと、集団が解散したのちも個人が同じ価値を保持し続けるということはむずかしくなります。多くの場合には、個人は別の価値を持つようになってしまうでしょう。
(加藤周一著「学ぶこと 思うこと」岩波ブックレット p46-47)
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孤独と連帯
孤独についての青春の意識
人間は、自分一人では「自分」というものを育てることができず、人間になることはできない。
人間仲間によって育てられるなかで、その仲間を(他人を)自分のなかにとりこんでいくにつれ、しだいに「自分」というものが育ってくる。ほかでもない「自分の心」というものがそのようにして育ってくるのだ。
子どもの心のなかには、ふつう、まず、もっとも身近な仲間としての母親がとりこまれる。ついで家族のだれかれが、そして保育園の先生や遊び友だちが。子どもがものを考えるというのは、このようにして自分のなかにとりこんだ「内なる仲間」と心のなかで相談会をひらく、ということだろう。「母ちやんがこういったなあ」「先生がこういってたっけ」というぐあいに。
もちろん、お話の時間にきかされたウサギさんやカメさん、カチカチ山のタヌキさんなんかも、事にふれ物に応じて子どもたちの相談相手となる、大事な「内なる仲間たち」だ。
こうした「心の形成過程」は、はじめのうちはもつばら受け身のかたちですすむが、あるところまでくると、それなりの能動性、主体性をかくとくするにいたる。「反抗期」といわれるものは、こうして育ってきた「自分」というものを、まわりのものにぶつけてたしかめようとしている姿にほかなるまい。
しかし、子どものあいだは、やはりなんといっても受け身の面が大きいのだ。本格的な自立は青春期とともにはじまる。孤独ということについて本格的に考えるのは青春期の特徴だが、それは、ここに基礎をもっているにちがいない。すなわち、本格的な自立のためには、いったん自分を他からきりはなして見つめることが必要となる。孤独の意識はそこに生じるものだ。
しかし、同時に青春期は、もっとも強く友情を求める時期でもある。このことを私は、たいへん意義深く思う。
二つのことが確認できるだろう。
第一。人間は本来孤独な存在ではないからこそ、「孤独」について考えることもできるようになるのだ、ということ。
第二。孤独についての青春の意識は、本来、本格的な連帯を志向するものであり、そのためのモメントをなすものにはかならない、ということ。
「孤独」のドラマ
「フン」とA君がいった。「人間は本来的に孤独なもの、たがいにつうじあえないものだ。人間の連帯なんて信じないよ」
「ウソをつけ」と私がいうと、A君がムッと怒った顔をした。
B君がいった。「そんないいかたはないと思うな。Aのいうこと、わかるよ。ぼくも同じ考えだ」
そらみろ、二人はさっそくよくつうじあってるじゃないか。
実存主義の流行ということは、こうした皮肉な現象ではないか、と私は思う。
あるニヒルな顔した彼がいうのだ。
「ぼくは他人を信用できない。人間は本質的に孤独なもので、ほんとのところはおたがいにつうじあえないものだ」
すると、そのニヒルなつぶやきをきいていた彼女がいうのだ。
「アラ、私もそう思う。私も他人なんて信用できない。人間は本質的に孤独なもので、はんとのところはおたがいにつうじあえないものだと思ってるの。これ、私のはんとのところ。私たち、とてもよくつうじあえるのね。お友だちになりましょう」
私はけっして茶化しているつもりはない。 一人の青年が、ある本のあるページを開いたまま、いつまでも同じところをじっと見入っていた。うしろからもう一人の青年がそっと近づいて、そこにしるされている文字を見て、ふるえた。それは、つぎのような文字だった──
「おお、孤独よ。私の故郷である孤独よ。君の声はなんというしあわせさとやさしさをたたえて私に語りかけてくることか!」(ニイチェ『ツアラトゥストラはこう語った』)
その日、二人は夜を徹して語りあった。三〇年前のことだ。あとの方の青年の顔は、三〇年前の私の既に似ていたような気がする。
自立、孤立、孤独、連帯
孤独と孤立と自立とは、同じではない。だが、つながるものはあるだろう。自立をふまえない連帯は、本格的な連帯とはいえない。しばしばそれはにせものの「連帯」でさえある。そして、自立をめざす過程のなかでは、人はしばしば周囲から孤立し、そこで孤独を味わうことがおきる。そんなときだ、人がいろんな本を読みあさるのは。そしてそのなかで、いろんな先人たちが、同じような過程のなかでやはり同じような孤独を味わったことを知る。そのとき、その人はもう「孤独」ではないはずだ。
「連帯を求めて孤立をおそれず」ということばがある。かつて「全共闘」がこのことばをスローガンとしてかかげた。
「このことばをはいた人物とその運動にはぼくは断然対立するが、このことば自体は好きだ。そういうことはあっておかしくはないだろう。ばくは美空ひばりは大きらいだが、彼女の歌はじつにうまいと思うのだから」と福岡猛志さんが「青春断章」と題する文章(立命評論社『激動に生きる』所収)のなかで書いていた。福岡さんのことばに、私は断然共感する。
思いだした。A君は、たしか、もと「全共闘」の心情的支持者だった。A君はかつてあのスローガンに共感をおぼえたのではなかったか。それがいまは「人間の連帯なんて信じない」という。どうしてそうなったのかを考えてほしい。
そしてまた、「全共闘」を支持せざるものは人にあらず、といわんばかりの雰囲気のなかで、これと断固対決し、「名誉ある孤立」をもおそれなかった人びとこそ、一貫して人間の連帯を信じつづけ、じっさいにもそれをつくりだしてきた人びとだということを考えてはしい。
──略──
芋洗いの話
「ぼくはどんな集団にもぞくしたくないんだ。自分というものを大事にしたいからね」とA君がいったことがある。
集団や組織は「自分というもの」をつぶす──そうA君は思っているらしい。
しかし、ここでまた、A君に考えてほしいのだが、はたしてそれは君の、君自身の考えといえるようなものだろうか、それとも? 気がついてみれば、それはまさしく「今日の流行」の考えそのままではなかろうかと思えるのだが、どうだろう。
集団にもいろんな集団があり、組織にもいろんな組織がある。容赦なく各人の個性をふみつぶしすりへらしていくような、そんな組織や集団もあるし、そうした力にたいしてたたかうための、そんな組織、集団もある。それを区別せずに十ぱ一からげにして組織・集団に背をむけるとき、じつはそれは後者に背をむけることによって前者のとりこになることを意味するのではなかろうか。
そのとき、その人の口ぶりは『週刊文春』や『週刊新潮』そっくりになっていくのだ。
「おれはしがないドロ芋なのよ」とB君がときどきいっていたことを、ここで思いだす。──私たちはたしかにドロ芋かもしれない。だが、いいではないか、と私は思う。私たちは現代というこのドロ沼道を歩いているのだ。
かざりもののメロンじゃあるまいし、ドロをかぶらぬ人間がどこにいるものか。それは私たちが、現代という生きた畑からとれたての芋だという生きた証拠だ。卑下する必要がどこにあるか。
ドロはおとせばいいのだ。では、どうやっておとすか。一人さびしく道ばたにころがっていたって、けっしてドロはおちやしない。はじめのうちはそれでもいいだろう。ドロは外部についてるだけだから。しかし、ながいことそうやっていると、芋はくさって、ドロは内部にまではいりこんで、はんとうにドロドロになってしまう。
では、どうするか。芋洗いだ。おおくのドロ芋仲間とともに洗いおけにとびこむのだ。そうすれば、激動の時代だもの、もまれもまれているなかで、仲間のドロが一かけおちるときは自分のドロが一かけおちるとき、こうしてみんなしてきれいになっていく。
こうして私たちは集団のなかでたがいをみがくのだ。「芋洗い」といういい方が趣味にあわないという人は、「たたかいのるつぼのなかで」といいかえれば、ぐつとかっこうよくなるかもしれない。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p32-39)
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◎「そのとき、その人の口ぶりは『週刊文春』や『週刊新潮』そっくりになっていくのだ。」と。