学習通信040129
◎経済とはなにか……「生きた経済を学ぶには、まず人間を学ばなければならない」
 
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こうして会議は始まった 佐藤雅彦
 
「佐藤さん、エコノミクス(経済学)って、もともとはどういう意味かわかりますか」
その経済学者は、いきなりこう尋ねた。
 その日、僕はある雑誌の対談に招かれて、銀座の三笠会館の一室でひとりの経済学者と向かい合っていた。もう二年半も前のことである。
 
 正直に言うと、僕は経済学に対してあまりいい印象を持っていなかった。それは、株や投資といったものに伴うあやしげな雰囲気や、安易なお金儲けをよしとする傾向を作り出すことに、経済学が加担しているように思われたからだ。
 
 しかし、そんな偏見ともいえる経済学に対する考えは、その経済学者のひとことを機に、大きく変わることになってしまった。
 
 「佐藤さん、エコノミクスって、ギリシャ語のオイコノミコス≠ゥら来ているんです。オイコノミコスとはどういう意味かといいますと、共同体のあり方、という意味なんです」
共同体のあり方 −。
 経済学は、利己的な利益の追求を理論づけるだけの学問だと思っていた僕は、その言葉に少なからぬ感動さえ覚えてしまった。
 
 我々が、個人としてだけではなく、みんなでどのように生きたらみんなで幸せになることができるのか。それを発端とする学問がオイコノミコス、つまり経済学の始まりだったのだ。
 
 今まで、株とか投資とか税とか、なるべく近寄らないようにしてきたことがらが、その経済学者のひとことで、急に自分に関係あることとして考えられるようになったのだ。株も税も、世の中全体がうまくいくために我々の祖先が考え出したことなのだ。
(佐藤・竹中著「経済ってそういうことだったのか会議」日本経済新聞社 p2-3)
 
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経済学を学ぶには、まず人間を学ぶ。
それがなければ、経済学はおもしろくならない。
 
 数字のマジックといえば、おもしろい話がある。
 「日本人はエコノミック・アニマルだ」とよく世界でいわれる。けれど、はたして本当にそうなのか? そんなことは誰も調査をしていないし、調べたところで何の意味もない。
 
たとえば国民一人ひとりにアンケート調査をして、この人は拝金主義者、この人は権力主義者と分類していけば、日本人の何%かはエコノミック・アニマルだとわかるのだろうか。これは、この物質は炭素、この物質はアルミ二ュウムと元素で分類するのと似ている。そういう物理学を社会に応用しているだけで、これがまた間違いのもとである。
 
 人間は物質とは違って、今日は拝金主義者で明日は権力主義者とコロコロ変わる。人間は一人十色≠セから、アンケートで人間を分類しても、あまり実態は反映されない。国民意識調査をやろうという人は、人間をよく知らないのだろう。
 
 しかし、経済を勉強している人のほとんどは、指数や指標、統計、平均値の類が大好きである。というより、これがないと大学では経済学を教えられない(だから学校では生きた経済学が教えられない)。
 
 たとえば国の産業構造がどう変化していくかを考える「産業構造論」がある。いろいろな産業を農業は一次、工業は二次、サービス業は三次と分けて、さまざまな統計をとるのだが、産業に構造なんてものがはたして本当にあるのかと疑問に思う。人間の仕事はそんなに単純ではなく、農業や工業にもサービス業的要素がある。同じサービス業のなかにも金融や流通などがあり、ひとつのくくりで語れないほど範囲が広いものがある。
 
 「業界」も変な言葉である。企業が発行している社内報を制作している会社は、常識で考えれば出版業になるが、出版業の業界団体には加盟していない。制作現場の仕事は本屋で売っているような書籍をつくるのも、会社に納入する社内報をつくるのもそれほど変わらないし、部数も大企業の社内報や広報誌なら一〇万部単位になる。
 
それでも社内報をつくつている会社の数字は、出版業界の従業員数にも売上高にも表れない。年金基金や共済組合ではホテル業と同じ仕事をしているが、こちらもホテル業の業界団体には加盟していないので、ホテル業の産業統計とは無関係である。
 
 こんな例もある。現在、鉄鋼会社の収益のなかで本業である鉄鋼の売り上げは全体の半分しかない。これらの会社は鉄鋼のほかにも、半導体や不動産、レジャーなど、さまざまな事業を分散して手がけているのが普通だ。鉄鋼会社だけに限らず、本業以外で成功している会社が多いから、もはや一〇〇%純粋な業界や企業など存在しない。
 
 だから産業構造なんてしょせんはイメージに過ぎないのであって、そのイメージの上に立ってそれぞれの産業続計をとるのだから、これはもうイメージを超えた空想の産物に近い。学生はそれを大学で学んで、さも物知り顔で「日本の産業構造は……」などという。
 
 そもそも構造という発想は、建築用語からきている。建物には屋根や柱や土台があって、それぞれがお互いを支えあって構造をなしている。どれかひとつ欠けても建築物としては成り立たないし、倒壊する危険も出てくる。
 
 産業構造を分析することは、建物を分解して屋根や柱や壁などを別々に考えることと同じだが、産業内部に「これが柱」「これは屋根」という構造があるのかどうか。あることはあると思うが、あると決め込んで統計をつくつている部分がある。
 
 最近は建築資材や建築技術の向上で、東京ドームのような建築物が登場してきた。全体がひとつの風船のようになっていて、屋根も柱も壁も一体である。東京ドームから柱をとりだそうにも、それは空気なのだからとりだしようがない。建物全体がひとつになっていて、構造の分解は不可能である。経済も近頃は、東京ドームと同じようなものになっていると感じられる。
 
 建築物をかたちづくつているのは物質だが、経済をかたちづくつているのは人間である。決して「お金」というモノではない。だから生きた経済を学ぶには、まず人間を学ばなければならない。ここを誤解していると、いつまでたっても経済学はおもしろくならない。
(日下公人著「お金の本」竹村出版 p94-97)
 
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 すべての国民の年々の労働は、その国民が年々消費するすべての生活の必需品や便益品を本来その国民に供給する基金であって、そうした必需品や便益品はつねにその労働の直接の生産物であるか、あるいはその生産物で他の諸国民から購入されるものである。
 
 したがってこの生産物と、またはこの生産物で購入されるものと、それを消費するはずの人びとの数との割合が大きいか小さいかに応じて、その国民が必要とするすべての必需品および便益品の供給を受ける度合がよかったり、悪かったりすることになる。
 
 しかしこの割合は、どの国民にあっても、二つのことなる事情によって、すなわち、第一には、その国民の労働が一般に適用されるさいの熟練、技倆、および判断力によって、そして第二には、有用な労働にたずさわる人びとの数とそうでない人びとの数との割合によって規制されずにはいない。ある特定国民の土壌や気候や国土の広さがどうであろうとも、その国民が受ける年々の供給が豊かであるか乏しいかは、そうした特定の情況のなかでの、それら二つの事情によらざるをえない。
 
 この供給が豊かであるか乏しいかはまたさらに、それら二つの事情のうち後者よりも前者によるところが大きいように思われる。猟師や漁夫からなる未開民族のなかでも、働くことのできる個人は、すべて、多かれ少なかれ、有用労働にたずさわり、自分白身、あるいは彼の家族または種族のうち、狩猟や漁獲に赴くには高齢すぎたり、若すぎたり、病弱にすぎたりするような者を扶養することにつとめる。
 
しかしながら、そのような民族は極度に貧しいために、彼らの幼児や高齢者や長びく病気にかかっている者を、ときには直接に殺害したり、ときには捨てておいて飢え死にさせたり、野獣に食われるままにする必要に、しばしば迫られるし、あるいはすくなくともそう考える。
 
これに反し、文明化し繁栄している民族のあいだでは、多数の人びとは全然労働しないのに、働く人びとの大部分よりもー〇倍、しばしば一〇〇倍もの労働の生産物を消費する。
 
しかしその社会の労働全体の生産物はきわめて多大であるため、万人がしばしば豊富な供給を受けるし、最低・最貧の労働者ですら、倹約かつ勤勉であれば、未開人が獲得しうるよりも大きな割合の生活必需品や便益品を享受することができる。
 
 労働の生産力のこの増大の原因、および労働の生産物が自然に社会のさまざまな階級や状態の人びとに配分される順序が、本書の第一編の主題をなす。
 
 どの国民でも、労働が行使されるさいの熟練、技倆、判断力の実際の状態はどうであれ、その状態がかわらなければ、労働の年々の供給が豊富であるか稀少であるかは、有用労働に年々たずさわる人びとの数と、たずさわらない人びとの数との割合による。
 
やがて判明するであろうが、有用かつ生産的な労働者の数は、どこでも、彼らを働かせる資本の量と、資本が用いられる特定の仕方とに比例する。それゆえ第二編は、資本の性質、資本が次第に蓄積されていく仕方、そして資本の用いられかたの相違に応じて資本が作動させる労働の分量の相違を扱う。
 
 労働が適用される上での熟練、技倆、判断力にかんしてかなりに進歩した諸国民は、労働の一般的な指揮ないし管理の上できわめてことなる計画に従ってきた。そしてそうした計画はかならずしもすべて生産物の増大に等しく有利であったわけではない。ある国民の政策は異常な奨励を農村の産業に与えてきたし、別の国民の政策は都市の産業に与えてきた。
 
ほとんどどの国民もあらゆる種類の産業を平等かつ公平に扱ってはこなかった。ローマ帝国の没落以来、ヨーロッパの政策は、農村の産業である農業よりも、都市の産業である工芸、製造業、商業に有利であった。この政策を導入し確立したと田心われる事情は、第三編で説明される。
 
 そうしたさまざまな計画は、まず特定層の人びとの私的な利害や偏見によって、おそらく、社会の全般的福祉にたいする影響について予見も顧慮もなしに、導入されたのであった。それなのに、そうした計画は、きわめてさまざまな経済理論を生んだのであって、そのあるものは都市で行われる産業の重要さを過大視し、またあるものは農村で行われる産業を過大視した。
 
それらの理論は、学識者の意見だけでなく、主権者や国家の政治方針にたいしても大きな影響を与えた。私は第四編で、そうしたさまざまな理論や、それらがさまざまな時代や国民に及ぼした主要な影響を、できるかぎり十分かつ明確に説明することにつとめた。
 
 大多数の人びとの収入は何であるのか、さまざまな時代と国民において彼らの年々の消費をまかなった基金がどのような性質のものであったかを説明するのが、これら最初の四つの編の目的である。
 
最後の第五編は主権者または国家の収入を扱う。この編で私が示そうとつとめたのは、
第一に、主権者または国家の必要な費用は何であるのか、またそうした費用のうちのどれが社会全体の一般的拠出によって支払われるべきか、またそのうちのどれが社会のある特定部分だけの、つまりある特定の成員たちの拠出によって支払われるべきか、
第二に、社会全体が負担すべき費用の支払いを社会全体が負担するのにどのようなさまざまな方法があるのか、そうした方法のそれぞれがもつ主な利点や不便はどのようなものであるのか、
 
第三に、そして最後に、ほとんどすべての近代の政府がこの収入のある部分を抵当にいれるに至った、つまり債務契約を結ぶに至った理由や原因は何であるのか、また真の富、すなわち社会の土地と労働との年々の生産物にたいするそうした債務の影響がどのようなものであったかということである。
(スミス著「国富論 -上-」岩波文庫 p19-22)
 
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第二篇 経済学
 
一 対象と方法
 
 経済学は、最も広い意味では、人間社会における物質的な生活維持手段の生産と交換とを支配している諸法則についての科学である。
 
生産と交換とは、二つの異なった機能である。生産は、交換がなくても行なわれる場があるが、交換は──もともと生産物の交換にすぎないのだから──生産がなければ行なわれることができない。
 
この二つの社会的機能は、どちらも、だいたいのところ特殊な外的作用の影響のもとにありだから、だいたいのところもそれに固有の特殊な諸法則をもっている。
 
しかし、他方では、この二つの機能はいつでも互いに条件づけあっていて、<経済曲線の横座標と縦座標>とでも言えるほどに互いに作用しあっている。
 
 人間がそのもとで生産し交換する諸条件は、国ごとに異なっており、また、どの国でも世代から世代へ変わっていく。
 
経済学は、だから、すべての国・すべての歴史的時代にたいして同じものというわけにはいかない。
 
未開人の弓矢から、石刀とただ例外的に行なわれるだけの交易とから、イギリスの一〇〇〇馬力の蒸気機関にいたるまでには、力織機と鉄道と銀行とにいたるまでには、途方もないへだたりがある。
 
フェゴ島人は、大量生産と世界貿易とを営むまでにはなっていないし、空手形を出したり取引所恐慌を引き起こしたりするまでにもなっていない。かりに、フェゴ島の経済学とこんにちのイギリスの経済学とを同じ法則のもとにまとめようなどと思う人がいるとしたら、明らかに、ごくごく月並みな陳腐な事柄を持ち出してくるだけであろう。
 
こうして、経済学は、本質上、一つの歴史的科学なのである。それは、歴史的な素材を、すなわち、絶えず変化していく素材を、取り扱う。
 
まず、生産と交換との個々それぞれの発展段階の特殊な諸法則を研究する。そして、この研究が終わってはじめて、生産および交換一般にあてはまる少数のまったく一般的な諸法則を打ち立てることができるであろう。
 
とは言え、その場合、<特定の生産様式と交換形能とにあてはまる諸法則は、そういう生産様式と交換形態とを共通にもっているすべての歴史時期にもあてはまる>、ということは、もちろんである。
 
たとえば、金属貨幣が採用されるとともに一連の法則が作用しはじめ、この諸法則は、交換が金属貨幣に仲だちされるすべての国と歴史時期とにいつまでもあてはまるのである。
 
 或る特定の歴史的社会の生産および交換の仕方とともに、また、この社会の歴史的先行諸条件とともに、生産物の分配の仕方も同時にきまってくる。
 
土地を共同で所有する部族共同体または村落共同体──すべての文化民族は、これをもって、または、それの非常によく認識できる遣物をもって、歴史にはいっていく──では、生産物がかなり一様に分配される。
 
これは、まったく自明なことである。共同体の成員のあいだの分配にかなりの不平等が現われる場合には、この不平等がすでに、その共同体の分解が始まっていることの徴(しるし)である。
 
──大規模農耕でも小規模農耕でも、その発展の出発点である歴史的先行諸条件がどうであったかによって、非常にさまざまな分配形態がありえる。
 
しかし、はっきりしているのは、大規模農耕がたえず小規模農耕とはまったく違った分配を生み出す、ということ、大規模農耕が階級対立
 
──奴隷主と奴隷との、地主と賦役農民との、資本家と賃金労働者との
 
──を前提とするかあるいは生み出すかするのにたいして、小規模農耕の場合には、農耕生産に従事する諸個人のあいだに階級の区別が生み出されることにきまっているわけではけっしてなく、反対に、そういう階級区別は、ただそれがあるというだけのことで、分割地農業経営の没落の前兆を示している、ということである。
 
──これまでもっばら、あるいはおもに、現物経済が行なわれていた国で金属貨幣が採用されて普及すると、いつでも、それと結びついて、遅かれ早かれ、それまでの分配が変革される。
 
しかも、個々人のあいだの分配の不平等が、したがって、富者と貧者との対立が、ますます強まっていく、そういう仕方で変革されるのである。
 
──中世の局地的なツンフト的手工業経営では、大資本家と終身の賃金労働者との存在は不可能であったが、現代の大工業とこんにちの信用の発達とこの両者の発展に見あった交換形態である自由競争とは、必ず彼らを生み出す。
 
 分配における差異が現われるのにつれて、しかし、階級の区別が現われてくる。社会は、優遇される階級と冷遇される階級とに、搾取する階級と搾取される階級とに、支配する階級と支配される階級とに、分かれる。
 
そして、国家は、
──同一部族に属するもろもろの共同体のもろもろの自然生的なグループが、はじめはただその共同の利益をはかり(たとえば、オリエント〔西アジア〕における灌漑)、また、外敵にたいして身を守ることだけを目的としてつくりあげてきたものであったが
──このとき以後、そうしたことと並んで、支配階級の生活と支配との諸条件を被支配階級に対抗して力ずくで維持することをも、同様に目的とするようになる。
 
 それはそうと、分配は、生産と交換とのただの受動的な産物ではない。同様に両者に反作用を及ぼす。
 
新しい生産様式や交換形態は、どれも、はじめのうちは、古い諸形態とそれに見あった政治的諸制度にじゃまされるばかりか、古い分配の仕方にもじゃまされる。
 
それは、自分に見あった分配を、長いたたかいを通じてはじめて獲得しなければならないのである。
 
しかし、或る与えられた生産および交換の仕方が動的であればあるほど、完成し発展する能力を余計にもっていればいるほど、分配も、それだけ速く、自分の生みの親を越えて成長する段階に、これまでの生産と交換との仕方と衝突する段階に、到達する。
 
さきほどすでに述べた古い自然生的な共同体は、外部の世界との交易によってその内部に財産上の差異が生み出されて、その結果としてそれが分解しはじめるまでに、幾千年も存続することができる。
 
インド人とスラヴ人とのもとでそれがこんにちまで存続しているのが、その例である。これにたいして、現代の資本主義的生産は、生まれてから三〇〇年になるかならずかであり、大工業が導入されてから、つまり、この一〇〇年このかた、やっと支配的になったにすぎないが、この短い時間に、分配上の対立
 
──一方では、少数者の手中における資本の集積と、他方では、大都市における無産大衆の集積と──
 
をつくりあげた。現代の資本主義的生産は、この対立のせいでどうしても没落せずにはすまないのである。
 
 或る社会のそのときどきの分配とそのときどきの生活の物質的諸条件とは、事柄の性質上まったく当然にも関連しているので、この連関は、人民の本能に規則正しく反映される。
 
或る生産様式がその発展の上り坂にあるあいだは、この生産様式に見あった分配様式のもとで貧乏くじを引いている人びとでさえ、この生産様式に歓呼を浴びせる。大工業が到来したさいのイギリスの労働者たちがそうであった。
 
この生産様式が社会的に通常なものであり続けているあいだでさえ、全体として分配にかんする満足がいきわたっており、抗議の声があがるとしても、それは支配階級自身のなかからのものであって(サン・シモン、フーリエ、オウエン)、搾取されている大衆のあいだではそれこそまったく同感を得られないのである。
 
当の生産様式が下り坂にはいってからかなりたったとき、その寿命がなかば尽きたとき、それの存在の諸条件があらかた消えうせてその後継者が早くも扉をたたいているとき、
 
──そのときにはじめて、ますます不平等になっていく分配が不正なものと見えるようになり、そのときにはじめて人びとは、時代遅れになったもろもろの事実を持ち出して、いわゆる永遠の正義に訴えるようになる。
 
道徳と法とへのこうした訴えによっては、われわれは、科学上、指一本ほども前進しない。経済科学は、道徳的憤激がどれほど正当であろうとも、それを論拠と見なすことはできず、一つの徴候と見なすだけである。
 
経済科学の任務は、むしろ、<新しく現われてきている社会的弊害を、現存の生産様式の必然的結果であると同時にこの生産様式の分解が迫ってきていることの徴(あかし)でもあると立証し、そして、この分解しかけている経済的運動形態の内部に、あの弊害を除去する将来の新しい生産および交換の組織の諸要素を見つけ出す>、ということである。怒りで人は詩人になる〔ユヴュナリス『諷刺詩集』、一の七九〕。
 
怒りは、こうした弊害を描写する場合に、あるいは、支配階級に奉仕してこうした弊害を否認したり美化したりする調和論者を攻撃する場合にも、まったくふさわしい。
 
しかし、怒りがそのときどきのケースについてほとんどなにも証明しないことは、これまでの歴史全体のどの時期にも怒りの材料はいくらでも見つかる、ということからもわかる。
 
 けれども、経済学
 
──さまざまな人間社会が生産し交換し、また、それに応じてそのときどきに生産物を分配してきた、その諸条件と諸形態とについての科学としての経済学──このように範囲を拡げた経済学は、これからはじめてつくりだされるものとしよう。
 
われわれがこんにちまでに経済科学のうちでもっているものは、ほとんどもっぱら資本主義的生産様式の発生と発展とに限られている。
 
それは、封建的な生産および交換の諸形態の残り物の批判に始まり、資本主義的諸形態がそれに取って代わる必然性を立証し、ついで資本主義的生産様式とそれに見あった交換諸形態との諸法則を、その肯定的側面から、
 
つまり、この諸法則が社会の一般的な諸目的を促進するという側面から展開し、そして、資本主義的生産様式の社会主義的批判をもって、つまり、資本主義的生産様式の諸法則を否定的側面から叙述することをもって、すなわち、この生産様式がそれ自身の発展によってみずからを不可能にする点に向かって突き進んでいる、ということの証明をもって、終わるのである。
 
この批判は、つぎのことを証明する、
 
──<生産および交換の資本主義的諸形態は、生産そのものにとってもますます耐えられない桎梏(しっこく)になっている。
 
あの諸形態によって必然的に生じた分配様式は、日ごとにいよいよ耐えられないものになる階級状況を
 
──ますますその数を減じながらますます富んでいく資本家と、ますますその数を増すとともに全体としてますますその状態が悪くなっていく無産の賃金労働者との、日ごとに激しくなっていく対立を──生み出した。
 
そして、最後に、資本主義的生産様式の内部で生み出された大量の生産諸力は、もうこの生産様式の手に負えなくなっており、計画的な協働を行なうように組織された一社会が自分を取得して、その結果、社会の全成員に生活の資とその諸能力を自由に発達させるための手段とを、それもますます大量に、保障できるようになることだけを、待ちこがれているのである>。

 ブルジョア経済学にたいするこの批判を完全にやりとげるためには、生産・交換・分配の資本主義的形態を知っているだけでは十分でなかった。これに先行した諸形態や、発展の遅れている国ぐにに資本主義的形態と並んでいまなお存在している諸形態をも、同様に、せめて大まかにでも研究し比較しなければならなかった。

そのような研究と比較とは、これまでのところ、全体として、ただマルクスだけが行なった。だから、ブルジョア期以前の理論経済学についてこれまで確かめられたことも、ほとんどまったくマルクスの研究のおかげなのである。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p207-213)
 
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◎エンゲルスの言っている内容を労働学校の経済学は3部構成でやさしく学びます。117期開校予定は3月5日です。お早めに……。