学習通信040203
◎労働者・労働者階級……わたしたちのしごと=c…。

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【し‐ごと 仕事】 @ すること。しなくてはならないこと。しわざ。 また、からだを動かして働くこと。作業。*とはずがたり‐二「善勝寺の大納言、故なく剥がれぬる事、さながら父の大納言がし事やと思ひて」

A事をかまえて、ふつうでない行動をおこすこと。また、悪事を働いたりたくらんだりすること。 *人情・春色袖の梅‐二「ありゃアなんでも仕事にあるく曲者だぜ」

B特に、針仕事。*滑・浮世風呂‐二「教たらちっとづつ縫物(シゴト)も出来やうと思ったが」

Cそれによって生計をたててゆくための職。職業。業務。「お所とお仕事を教えて下さい」

D力学で、ある物体に力を作用させその位置を移動させること。その量は力の大きさと動いた距離との積であらわされる。単位はエルグ、またはジュール。
(C)小学館

 
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主張 家計リストラ
あなたに言われたくはない
 
 大企業はリストラで汗を流してきたのだから、家計も支出を洗い直してリストラに取り組むべきだ──。日本経団運の奥田硬会長(トヨタ自動車会長)が「家計リストラ」のすすめ≠熱心に説いています。
 
 発言や報告書で繰り返し強調し、先日開いた「労使フォーラム」では、家計リストラをテーマに基調講演するほどの力の入れようです。
 
 この講演で奥田氏は、特に子育て世代に対し、生命保険への支出を「身分相応に」するよう求めていますが、まったく大きなお世話です。
 
所得減少と負担増
 
 家計リストラという吉葉が頻繁に登場するようになったのは、橋本内閣が九兆円の国民負担増を強行した一九九七年からのことです。負担増に加えて雇用不安や金融不安、超低金利政策による利息の目減りなど、かつてない困難に直面した家計の自衛策に関心が集まりました。
 
 以来、多くの国民は日々の食費や衣料費を抑え、家電の買い替えを先送りし、医者にかかることさえ控えてくらしを切り詰めてきたのです。
 
 生命保険の見直しなどはとっくに手を着けています。むしろ保険の解約に歯止めがかからず、生保会社の役員が決算発表の席で「家計リストラが影響した」と嘆くほどです。
 
 それでも家計は少しも楽になってはいません。収入面から見ると、九七年当時には雇用者報酬が年間で五兆円程度ずつ増えていました。ところが、その後は平均で毎年二、三兆円の減少に転じています。
 
 二日発表された厚労省の毎月勤労統計調査で一人当たり現金給与総額を見ると、昨年は九七年と比べて年三十六万円も減っています。いくら節約しても追い付かないわけです。
 
 そこに小泉内閣による社会保障の改悪と増税が襲いかかっています。すでに決めた負担増が四兆円以上、さらに小泉首相の総裁任期とされる〇六年度までに限っても、新たに年額で三兆円近い負担増となる制度改悪を押し付けようというのです。
 
 収入の低落を考えれば、小泉内閣の連続負担増が家計に与える打撃には九七年の数倍の重さがあります。
 
 まさに家計は「火の車」です。
 
 出費切り詰めの努力を収入減と負担増がけ散らしているときに、家計にいっそうの我慢と節約を説くなどというのはどういう神経か。日本財界のトップには、もはや庶民の苦労や生活感覚がみじんも理解できなくなっているのでしょうか。
 
 見過ごせないのは、同じ講演の中で奥田氏が改めて消費税増税を唱えていることです。同時に、「デフレと国際競争激化の中では所得を増やすことは難しい」「現状の所得の中でいかに家計を豊かにしていくか」と力説しています。
 
 消費税増税やリストラ・賃下げに文句を言わず、せいぜい家計のリストラに励めということです。
 
大反撃で応えよう
 
 トヨタをはじめ有力大企業は過去最高益を更新しています。日本企業の税と社会保障負担は欧州企業の五割から八割の水準にすぎません。
 
 それにもかかわらず法人税をさらに引き下げさせ、社会保険料負担を免れるため、政治献金をテコに自民党や民主党に消費税大増税の断行を迫っているのが日本経団連です。リストラの号令で雇用と賃金の破壊を先導しているのも日本経団連です。
 
 自らの利益を増やすために家計を犠牲にして恥じない財界代表に、国民に我慢や節約を求める資格などありません。身勝手極まりない財界の暴論には、国民・労働者の大反撃で応えようではありませんか。
(しんぶん赤旗 040203)
 
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 〔……〕社会民主主義者(科学的社会主義者 学習通信&メ者)の政治活動は、ロシアにおける労働運動の発展と組織化を助け、この運動を、指導的思想をもたない、ばらばらの抗議、「一揆」、ストライキの試みにすぎない現状から脱却させて、プルジョア制度に反対し、収奪者の収奪をめざし、勤労者の抑圧に基礎をおく社会制度の廃絶をめぎす、ロシアの労働者階級全体の、組織的闘争にそれを転化するのを助けることにある。
 
この活動の基礎となるものは、ロシアの労働者は全ロシアの勤労被搾取住民の唯一の自然的な代表者であるという、マルクス主義者の共通の確信である。
 
 自然的な代表者であるというのは、農奴制経済の死滅しつつある残存物をべつとして考えれば、ロシアにおける勤労者の搾取は、どこでもその本質上資本主義的なものであるからである。
 
ただ、生産者大衆の搾取は小規模におこなわれ、分散的で、未発達であるが、他方、工場プロレタリアートの搾取は大規模で、社会化され、集積されている。
 
前者の場合には、この搾取に、さらに中世的な諸形態が、政治上、法律上、日常生活上の種々の付加物や、術策や詭計がからみついていて、それらのものが勤労者とその思想的代表者とに、勤労者を圧迫している制度の本質を理解すること、それからの出路がどこにあるか、また、どうしたら脱出できるかを理解することを、さまたげている。
 
これに反して、後者の場合には、搾取はすでに完全に発達していて、問題を混乱させるような細部事情をまったくともなわない、純粋な形態で現われている。
 
労働者は、自分を抑正しているものが資本であること、ブルジョアジーの階級にたいして闘争しなければならないことを、もはや見ないわけにいかない。
 
そして、当面の経済的必要の充足のため、自己の物質的状態の改善のための労働者のこの闘争は、不可避的に労働者に組織を必要とし、また、不可避的に、個人にたいするたたかいではなくて、階級にたいする、すなわち、ひとり工場内だけでなく、いたるところ、あらゆるところで勤労者を抑圧し、圧迫しているその階級にたいするたたかいになっていく。
 
これこそ、工場労働者がまさしく全被搾取住民の先進的代表者にほかならない理由である。
 
そして、工場労働者がその代表者としての責務を、組織的な持久的な闘争を通じて実現するためには、なんらかの「見通し」によって彼らを熱中させる必要は、まったくない。
 
そのために必要なのは、ただ工場労働者にむかって、彼ら自身の地位を明らかにし、彼らを抑圧している制度の政治経済的構造を明らかにし、この制度のもとでは階級敵対が必然的、また不可避的であることを、明らかにすることだけである。
 
資本主義的関係の一般的制度のなかでの工場労働者のこのような地位は、彼らを、労働者階級の解放のための唯一の戦士にする。
 
なぜなら、資本主義的発展の最高の段階である大規模機械工業だけが、このような闘争のために必要な物質的条件と社会的勢力とをつくりだすからである。
 
それ以外のあらゆるところ、資本主義的発展のより低い形態のもとでは、こういう物質的条件は存在しない。
 
すなわち、生産は幾千の零細経営(それは、共同体的土地所有の最も均分的な諸形態のもとでも、やはり分散した経営的であることにかわりはない)に分散しており、被搾取者は大部分まだ微小な経営を保有していて、こうして自分が反対して闘争しなければならない当のブルジョア制度にしばりつけられている。
 
このことは、資本主義を打倒する能力をもつ社会的勢力の発達をおくらせ、困難にする。
 
分散した、個別的な、小規模な搾取は、勤労者をその居場所にしばりつけ、彼らをたがいに分離させ、彼らが自分たちの階級的連帯性を把捉することを不可能にし、自分たちの抑圧の原因があれこれの個人にはなく、全体としての経済制度にあることを理解して団結することを不可能転する。
 
これに反して大規模資本主義は、不可避的に、古い社会や特定の場所や特定の搾取者との、労働者のいっさいの結びつきを断ちきり、彼らを団結させ、彼らにものを考えさせ、組織的闘争を開始できるような条件のもとに彼らをおく。
 
社会民主主義者は、この労働者階級にたいしてこそ、その全注意と全活動とを集中する。
 
労働者階級の先進的代表者たちが科学的社会主義の諸思想、ロシアの労働者の歴史的役割についての思想をわがものにするとき、また、これらの思想がひろく普及して、労働者のあいだに、現在のばらばらな労働者の経済闘争を意識的な階級闘争に転化する恒久的な諸組織がつくりだされるとき、
 
──そのとき、ロシアの労働者は、いっさいの民主主義的分子の先頭に立ちあがって、絶対主義を打ちたおし、ロシアのプロレタリア−トを(万国のプロレタリアートと手をたずさえて)公然たる政治闘争のまっすぐな道にそい、勝利的な共産主義革命へみちびくであろう。
 
 一八九四年『「人民の友」とは何か』一八九四年に単行のバソフレッ=トとして刊行 レーニン全集第一巻316-318
(レニン著「労働組合──理論と運動-上-」大月書店 p2-4)
 
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◎労働者が科学的社会主義を学ぶことのおおきな意味。
 
学習通信040201 「なんのために労働者が科学を学ぶのかということである。それは知識を「飾り」として身につけることではなく、科学を徹底的に消化し、血肉とすることにより、人生観・社会観をつくりあげるためである。」と山宣はいう。
 
◎レニン著「労働組合──理論と運動」は日本共産党 労働組合部が編集したものです。不破哲三氏がまえがき≠書いています。1970年に出版されています。
 
これから学習通信≠ナも労働組合論を学んでいきます。労働組合を強めたい、労働学校を大きくしたい、と思っている人には朗報≠ノなるでしょう。