学習通信040208
◎思想が時代をつくるのか、時代が思想をつくるのか。
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天才
イタリアの観客は厳しい。お金を払ったからといって、映画を終りまで観るとはかぎらない。面白くないと、足音も高く途中で出てしまう。つまらない映画は、三日も経たないで姿を消す。反対に面白いとなると、その後の上映作品のスケジュールはどうなっているのかと心配するほど、延々と長期上映をつづける。『アマデウス』も、半年もの長い間、映画館にかかったままだった。それも、アカデミー賞を総なめにする、以前の話であったのだ。
ミロス・フォアマン監督のこの映画の原作は、ピーター・シューファーの同名の舞台作品で、映画の脚本も原作者が書いたらしいが、三十五歳で死んだモーツァルトを同時代の音楽家サリエリの眠から見たものである。アマデウスとは、モーツァルトのセカンド・ネーム。
劇作家であろうが歴史家であろうが、文章を表現形式にもつことでは同じの私から見ると、ピーター・シューファーは、モーツァルトのセカンド・ネームがアマデウスであることから、この作品のヒントを得たのではないかと思う。いや、ほとんどそうだと確信する。
アマデウスという、常にはないラテン語のセカンド・ネームの意味は、神が愛した者、というものだ。それも、モーツァルトが生れたときからつけられていた名ではなく、彼が十歳前後の頃に父親がつけた名であるらしい。父親はわが子に、神が愛した者、つまり天才という、セカンド・ネームを与えたのだった。
人間には、三種あると思う。天才、秀才、凡才と。映画『アマデウス』には、この三種のタイプが、モーツァルト、サリエリ、オーストリア皇帝レオボルドと、書き分けられている。私は人間はこの三種に分けられるとは書いたが、それはけっして、秀才や凡才を軽蔑して言っているのではない。
ただ、ちがう、と言っているだけである。そして、天才、秀才、凡才の区別は、努力しなくてもできる人、努力の人、努力しない人、の区別でもない。全員、努力はする。努力とはベースのようなものだ。天才とは努力することを知っている人のことである、というゲーテの言葉もあるくらいだから。
原作者シューファーの区別の基準は、これに私も賛成だが、次のようなものではないかと思う。
天才──神が愛した者。
秀才──神が愛するほどの才能には恵まれていないが、天才の才能はわかってしまう人。ゆえに、不幸な人。
凡才──秀才の才能は理解でき、尊重はするが、天才の才能まではわからない人。ゆえに、幸福でいられる人。
この現象はあくまでも同時点、つまり「生前」の現象であって、「没後」の評価は別の話とする。「没後」ならば、秀才も凡才も天才を理解でき、それゆえに尊重し愛することになるのが一般的な現象である。
映画『アマデウス』は、天才の才能には恵まれなかったが、天才の才能をわかる程度の才能には恵まれた、秀才の悲劇である。この点が、あの作品の独創的なところだ。なぜなら、今までは、凡才に理解してもらうことができなかった、天才の悲劇ばかりであったのだから。
あの映画のモーツァルトは、下品でハレンチで、よくもまあこんな男を神は愛したものだと、サリエリが神を呪うのも当り前と思われる男に描かれている。モーツァルトの生国であるオーストリアの一地方、多分ザルツブルグと思うが、郷土の天才のこの像を子供たちには見せてはいけないと、上映禁止処分にしたらしい。
まったく、原作者の意図をわからない凡才≠スちは、いつでもどこにでも健在のようである。
あの映画の中で、私が最も美しいと思ったのは、次の一句だった。モーツァルトが、皇帝に向って言う言葉である。
「わたしは、下品かもしれません。でも、わたしの作品は下品でないことは保証します」
創作する者の自負心をあらわして、右の一句に優るものはない。
こう言える人は、もうそれだけで幸福な人である。貧乏で死のうが共同墓地に放りこまれようが、そんなことは問題でなくなる。他者を幸せにすることができた人にとっては、それがその人にとっての幸せであって、常識的な幸福まで望むようでは、それこそ、常人とは別の才能を恵んでくれた神に対して申しわけない。
あの映画のモーツァルトは、下品でハレンチでも鷹揚(おうよう)である。自分に対して燃やすサリエリの敵愾心に気づかないくらいに、サリエリに対してさえも鷹揚である。天才がおおらかでいられるのは、神に愛されているという自信があるからだ。こういう人間を描くのは、大変にむずかしい。シューファーはモーツァルトを、神に愛されているという自信をもてない、サリエリの視点から描くしかなかったのだと思う。
ならば天才は、常に自信にあふれておおらかかというと、必らずしもそうではない。自負心というものは疑いもなくそのまま突走ってしまうと、自負心ではもうなくて、唯我独尊に変ってしまう。唯我独尊くらい自らの墓穴を掘ることはないことは、創作する者は知っている。それで、真の創作者は誰でも、疑いというか怖れというか、それを自負心と背中合わせにもっているものだ。
理解、賞讃が、創作する者には絶対に必要なのも、これに理由がある。自分の作品の出来に対する不安や怖れを、消してくれるからである。もちろん、疑いや怖れや心配は創作途上で再び頭をもたげてくるから、理解と賞讃は何度も与えられるにこしたことはない。与えられても、真の創作者ならばそれで唯我独尊になるようなことはないから、惜しみなく与えるべきである。
映画『アマデウス』の中で、私の最も好きなのは次の一場面だ。
病気も進んで余生も残り少なくなったモーツァルトが、痛床に伏しながら、『レクイエム』をサリエリに口述作曲する場面である。サリエリには、口述筆記したものを自分の作品として発表しようという下心があるのだが、彼とて、天才の才能には恵まれなくても、天才の才能はわかるくらいの才能には恵まれている。
それで、モーツァルトが口述するのを書きとめながら、早くも『レクイエム』のすばらしさを理解した彼は、思わず感嘆の想いを口にしないではいられない。そのサリエリに対し、もう顔は死人のようになっていながらモーツァルトは、頬に微笑をたたえながら言う。
「ありがとう、あなたは親切な人です」
あの瞬間、モーツァルトは、他の誰よりもサリエリを愛したと確信する。自分が死んだ後に賞讃を浴びせる凡才が山ほどでてくることは予想しなかったかもしれないが、いや予測しようがしまいが、そのようなこととは無関係に、眼の前にいるサリエリから賞められて、彼は嬉しかったのだ。そして、そのように嬉しいときに言える唯一の言葉は、右の一句より他にない。天才にこそ、理解や賞讃は、酸素のようなものなのだと思う。
では、われわれ凡才は、「神の愛する者」に対し、どう振舞えばよいものだろうか。「いかなる英雄も、召使の眼から見ればタダの人」という一句がある。
私はこれを、タダの人でしかない召使から見るから、タダの人でない英雄もタダの人にしか見えない、と考えることにしている。『アマデウス』も、凡才の視点から見て、モーツァルトってつまらない人間だったのね、と思っていては、あの映画のすばらしさはわからないだけでなく、われわれ自身さえつまらない存在を一歩も出なくなってしまう。
小林秀雄の作品を読んでいたら、ゲーテの言葉であるという、次の一句を紹介していた。
「ローマの英雄なぞは、今日の歴史家は、みんな作り話だと言っている。おそらくそうだろう。ほんとうだろう。だが、たとえそれがほんとうだとしても、そんなつまらぬことを言っていったい何になるのか。それよりも、ああいう立派な作り話をそのまま信ずるほど、われわれも立派であってよいではないか」
天才にはなれなくても、「立派に」ぐらいにはなりましょう。
(塩野七生著「人びとのかたち」新潮文庫 p283-288)
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あとがき
いま、なぜ偉人伝なのか。
ふつう偉人伝といえば、子供の読みものと相場はきまっている。いまだ世間を知らない子供にしか通用しないおとぎ話のようなもので、これをいい年をした大人が読むなんて、なんとも大人気ないこと、そもそも、偉人という言葉じたい、いまでは死語に等しい──。
しばらく前までは、私も漠然とそんなふうに思っていた。
しかし、本書でも取りあげた偉人の一人、ヘレン・ケラーの自伝を読んで、そういう思いは完璧に打ち破られた。いまから約百年前に善かれ、日本語ではすでに五十年以上も前に訳されている、この有名な自伝をはじめて読んだのは、本文にも記したように、つい数年前のことである。なんとも遅きに失する出会いではあったが、一読にしてたちまち私の座右の書となった。
大げさに言えば、その一行一行が感動と興奮を喚び、人が何かに感動することがあるとすれば、それはこういうことではないかというところまで気分は高揚し、それ以来、しばらくのあいだは会う人ごとにこの本をすすめずにはいられなかったことは本文で書いたとおりである。そして、この高揚した気分がさらに昂じて生れたのがこの本である。
ヘレン・ケラーの自伝から得た感動、気分の高揚は、ひとことで言えば、心が大いに元気づけられ、勇気づけられたということに尽きる。そのことを私は書こうと努めたつもりであるが、実は、この本にたいして最初に思いついたのは、「元気の出る偉人伝」という誇大広告めいたタイトルだった。
これを読めばだれでも元気づけられるという、そんな精力剤みたいな本を構想したのは、精神を力づけることこそ、なにか他人にたいしてできることがあるとすれば最上のことにちがいないと思ったからである。
こうしたきっかけから偉人と言われる人びとの生涯と仕事を調べるうちに、彼らの偉大さというか大きさは、子供の年代の知性や経験、感受性のなかにはおさまりきらないこと、それを無理やり小さな器に押しこめようとしたのが今までの子供向け偉人伝であって、そういうものを通してしか世の偉人を知らないとしたら、これは人生における大いなる損失ではなかろうかということ、そして、むしろ大人にこそ、偉人伝から学ぶべきことがたくさんあるにちがいないということに思いいたった。そこで生れたのが、この「大人のための偉人伝」というタイトルである。
ところが、「大人のための……」と銘打ったものの、想定読者たる大人は偉人についてどう考えているのか気がかりになって、何人かの知人友人にあたってみた。その結果、まずわかってきたのは、大部分の人は偉人にたいして敬遠ないし反発の気持を抱いているらしいということである。
「シュヴイツァーは偉すぎて、どうも好きになれない」とある人は言った。また、およそ偉人といわれるような人は、われわれ凡人とは別世界の人間だ、と言う人もいたが、その心理を分析してみるに、そこには他人の偉さをすなおに認めたくないという気持が多分に作用しているようにうかがえた。他人の偉大さと対比して思い知らされるみずからの卑小さに耐えられる人はまれである。偉人を偉人としてすなおに受けいれるのは、たいへん勇気の要ることのようである。
その一方では、偉人のスキャンダラスな面にばかり興味を示す人もいた。たとえば、キュリー夫人について、夫のピエールの死後、弟子との不倫の関係をまるで鬼の首を取ったかのように言いたて、所詮は偉人も自分たちと変わらないひとりの生身の人間にすぎないことを強調する。
これはたしかに、偉人を自分のほうに引き寄せるためのひとつの有効な方法にはちがいないが、そんなふうにしてしか他人に共感できないというのは、なんともわびしいかぎりである。人間は折にふれみずからの善き性質に気づくこともあるはずであって、偉人の生涯はそのための「呼び水」のようなものになりうるのではなかろうか。
また、だれひとりその名を知らぬ者のないような偉人でも、その生涯はあまりよく知られていないということもわかった。多くの人が記憶にとどめているのは、偉人伝のいわばハイライトの部分であって、それが偉人の偉業と直結するとはかぎらない。たとえば、ナイチンゲールといえば「クリミアの天使」であるが、クリミアから帰国後、九十歳で世を去るまで何をしていたかを知っている人は少ない。
その生涯全体を知れば、「クリミアの天使」としての活躍は出発点にすぎず、その後の仕事にこそ彼女の偉業があったことがわかってくるはずである。あるいは、偉人について誤った「噂」が広まっていることも「取材」によってあきらかになった。リンカーンは熱烈な奴隷廃止論者であったとか、野口英世は黄熱の病原体の発見者であるとか誤解している人も少なくなかった。
そういう誤解をただし、生涯の輪郭を描いたうえで、いったいその人物がどういう人間であり、そもそもどんなところに偉人の偉さがあったかをあきらかにできれば、「大人のための……」と標模することも許されるのではなかろうか、と考えた。
はたしてそういう意図がどれほど実現されているかは読者の方がたの判断にまつしかないが、本書を書きながらしばしば脳裏をかすめたのは、私自身も含め、最近とくに大人たちはものごとに感動することを忘れたのではないかということである。
この本はひとつの感動とともにはじまったと言ったが、私はたえずその最初の感動をよびさますように努力しなければならなかった。たやすくものごとに感動しないというのが大人のひとつの特質でもあるが、それが昂じると無感動から無関心へと症状は悪化の一途をたどりやすい。
話は飛躍するが、無感動で無関心な若者が増えていることの主因は無感動で無関心な大人にあるのではなかろうか。なにごとかを感動をこめて子供に語ることのできる親がどれほどいるだろうか。感動はおのずから言葉となってあらわれるはずであり、感動をこめて語られた親の言葉には必ず子供は耳を傾けるものである。
ものごとに感動することは、人間の心のもっとも自然なはたらきであるはずだ。仄聞(そくぶん)する現代の家庭にもっとも欠けているのは、こういった親子の自然な会話であって、それが復活しないかぎり、家庭はかけがえのない教育と学習の場という本来の大切な役割をいつまでも失ったままでいることになるのではなかろうか。
感動こそ教育と学習の原点である。偉人伝はそういう感動の宝庫となりうるのではないかと考えるのであるが、いかがであろうか。──略──
一九八九年五月 木原武一
(木原武一著「大人のための偉人伝」新潮選書 p218-221)
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思想家とその時代
思想が時代をつくるのか、時代が思想をつくるのか。これは、すべてすぐれた思想家の活動や業績を祖述しょうとするときにいつでも起る問題である。ほかのいい方をすれば、英雄が歴史をつくるのか、それとも歴史が英雄をつくるのか、こういうことになるであろう。
昔からこの大問題についてはいろいろの考え方があったし、現在もなおいろいろの考え方がありうる。もしシーザーが生まれなかったなら、もしナポレオンが生まれなかったなら、もしレーニンが生まれなかったなら、今日の歴史はどんなに大きく現在あるがままの歴史とちがったことであろう。このようにみるのが、歴史における個人の役割にアクセントをおく考え方である。
これにたいして、たとえシーザーが生まれなくとも、ナボレオソやレーニンが生まれなくとも、歴史はその大筋においては現在とあまり大きくはちがっていないであろう。このようにみるのが、個人にたいする歴史的環境の役割を重視する考え方である。
どちらの見方が正しいのか。はじめて歴史や思想の書物を読み、いくらか自分でものを考えはじめるころの青年にとって、これは興味はあるが、いくら考えても容易に結論が出そうもない大問題となるであろう。青年たちはときには徹夜でこのテーマをめぐって討論の花を咲かせるかもしれない。(筆者である私自身も若いときにはそんな思い出をもっている。)
この論争はさらに発展して、観念論か唯物論かという哲学上の問題へ、天才か大衆かという芸術上の問題へとひろがっていくであろう。しかしながらいくら徹夜で論争の花を咲かせてみても、このような一般論抽象論ではなっとくのいく結論が出てくるものとは思われない。とどのつまりは水かけ論に終るか、自分でなんともすることのできないディレソマに陥るほかはなかろう。
それもそのはずだ。どうやら問題のたて方に大きな欠陥があるのではないのか。それは、にわとりが先か卵が先かというあの問題のたて方に似てはいないだろうか。そんなふうに思い直してみるがいい。たしかにそれに似たところがある。論理が空転するのはあたりまえである。私たちはすぐそのことに気がつくであろう。
しかしすぐれた思想家と時代環境の場合は、にわとりと卵の場合とはいくらかちがいはしないであろうか。たしかにいくらかちがっている。こんなふうにも考えられるであろう。つまり一般論抽象論だけでは、この場合あまりたいした役に立たないことがわかってくるであろう。
私たちは、シーザーとその時代の結びつき、ナポレオンとその時代の結びつき、レーニンとその時代の結びつき、そういう点を個別的にしらべていくほかに、先の問題に答える道はないことを発見するであろう。一般論や定式論はそれから後のことである。
(高島善哉著「アダム・スミス」岩波新書 p19-21)
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一七世紀の末ごろに天才的な人びとの頭のなかに生まれたものだとはいえ、狭い意味の経済学は、重農主義とアダム・スミスとが積極的に簡潔に述べた形では、やはり本質的に一八世紀の子どもであって、その時代のすべての長所と短所とを併せて、同時代のフランスの偉大な啓蒙思想家たちの諸業績と肩を並べている。
われわれが啓蒙思想家たちについて言ったことは、すべて当時の経済学者たちにもあてはまる。
この新しい科学は、彼らにとって、みずからの時代の諸関係と諸必要との表現ではなくて、永遠の理性の表現であった。
彼らが発見した生産および交換の諸法則は、あの諸活動の歴史的に規定された一形態の法則ではなくて、永遠の自然法則であった。
それは人間の本性から導き出されたのである。
しかし、よく調べてみると、この<人間>とは、ブルジョアになる過渡期にあった当時の中産市民であり、また、<人間の本性>とは、当時の歴史的に規定された諸関係のもとで製造し商業を営む、ということなのであった。──
(エンゲルス著「反デューリング論」新日本出版社 p213)
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◎アダム・スミスも「やはり本質的に一八世紀の子ども」。私たちは21世紀のこどもです。新しい人≠ヨの挑戦は続きます。