学習通信040209
◎「結婚で人生の新しいページを開きたいんです!」と。
 
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 東京都在住の会社員女性Aさん(26)は、月3回のペースで合コンに出ている。それを可能にしている母体は、1年ほど前に社内に立ち上げた合コン部=B
 
 23〜27歳の女性9人が所属し、Aさんが部長を務める。各部員のツテを共有して男性グループを探し、席上ではお互いの個性を生かした相乗効果で場を盛り上げる。
 
 赤やピンクなど明るい色の服を選び、半袖かノースリーブ、そしてスカート。席上では、好きな男性を教え合うサインを出し、トイレで情報交換する……などなど、細かいノウハウもあるそうだが、目的はほかならない。結婚相手を探すため、である。
 
 Aさんは力を込めて一言う。
「結婚で人生の新しいページを開きたいんです!」
 
 昨今は、晩婚化のうえ、離婚率も高まっている。「結婚して一人前」「女性の幸せは結婚にある」といった固定観念は崩壊した……ようにも見えていたが、さにあらず。結婚して人生を一新したい、結婚でステージが上がって違う自分になれる、と感じている20代女性は山ほどいる。
 
 Aさんは入社3年日。希望職種に就き、新規事業の立ち上げにも携わった。昇給・昇進も版調だ。が、気分は晴れない。仕事上の変化は、「新しいページ」と呼べるほどの高揚感をもたらしてくれない。「仕事の成功は、私にとっては付加価値にすぎないことが分かった。きっと、子どもを育て、幸せな家庭を築く営みこそが、本当の喜びなんだろうと思う」
 
 独身のまま働く今の自分は、大袈裟に言えば「服も着ないで外出しているような状態」で、「まず服を着ようよ」という心理が常につきまとうのだそうだ。
 
 振り返れば、中学、高校、大学、就職と、ほぼ3年おきに転機は訪れた。そろそろ次の展開が来ないと落ち着かない、ともいう。
 
 就職した時点では結婚を意識していなかったのに、24歳ごろから焦りがでてきた。今は仕事を軸にし、週末に演劇、ゴスペル、ガーデニングなどを楽しむ。そうでなく、家庭を軸に仕事や趣味をこなす生活に変えたい。最近は何をやっても満足度は「中」くらい。
 
「家庭という土台ができれば、仕事も含め、何もかもうまくいくような気がする。そう考えている独身女性って絶対多いと思います」
 
自分変革するきっかけ
 
 情報誌の契約社員Bさん(27)も、自分が変わりたいと麻っている。
 一人っ子で、両親と都内に同居している。親元を離れて、自分らしく生きたいと切望はしているが、両親が許してくれないし、独り暮らしをするお金もないという。「精神的にも経済的にも目立していない」状態を変革するきっかけが欲しいのだそうだ。それは結婚だ。「他力本願で甘い考えだと思う。結婚に過剰な期待をしているかもしれない。でも、私が一人前になるには、結婚しか残されていないような気がするんです」
 
 これまでも、何か壁にぶつかる度に他人に相談しながら生きてきた。独りで強く生き抜くタイプではないと思う。契約社員の道を選んだ時点で、すでに結婚も前提としていた。「誰かがそばにいる、守られている」という確固たる安心を得れば、「違う自分」になれるような気がするという。
 
安定収入のある男性を
 
「結婚を機会に新しい人間関係も生まれるでしょう。子どもをつくり、育児の問題にぶつかりながら、自立心も養われるものだと聞きます。私にはそんな生き方が合っていると思います。
 
 そんなBさんが結婚相手に望むタイプは「私のことを一番に考えてくれる人」。
 
 実は、結婚をテコに「自分革命」を模索する女性は、減少傾向だ。
 2003年版の国民生活自書で、女性が思う「結婚の利点」について1997年との比較をみると、「精神的なやすらぎ」「人間として成長できる」「一人前と認められる」「仕事をしやすくなる」の各項目は、いずれもポイントを下げている。
 
 逆にポイントを上げているのは、「経済的に余裕が持てる」「仕事を辞められる」「親を安心させられる」。経済的に先行き不安の時代を如実に反映している。──略──
 
「結婚が幸せを運んでくる」と考える理由は、ほかにもある。
 まず、子どもだ。
 
「子育ては、人生においてこの上ない幸せだし、自分を成長させる大きなプロジェクトだと思う。独身で子をつくるのは現実的じゃない」(Dさん)
「子どもは2人くらいほしい。そうなると30歳までには結婚しておきたい」(Bさん)
 
シングルの先輩に疑問
 
 子どもを抜きにしても、結婚するのは20代で、という願望は根強い。セイコーが今年発表したアンケートによると、「おばさんは何歳から」という問いに、多くの若者が「30歳」と答えた。こうした周囲の目は無視できないようだ。
 
「プライドというか、プレッシャーというか……どうしても30を意識してしまう」(Cさん)
 そのうえ、シングルの先輩たちの人生には疑問を招く。
「会社と結婚するのはむなしい」「シングルの先輩方は幸せそうに見えない。ああはなりたくない」
 と、異口同音に言うのだ。
 
 02年実施の出生動向基本調査でも、「シングルライフに対する未婚者の評価にゆらぎが見られる」と指摘されている。「生涯独身はよくない」「離婚はすべきではない」「同棲するなら結婚」という価値観を支持する未婚女性が、過去の調査でずっと減り続けていたのに、一転して増加した。
 
 日本の経済成長が止まり、将来への不安が増大した影響とみられる。シングルで生きるのが困難な時代であるのは間違いない。
(AERA 04.2.16 朝日新聞社 p30-32)
 
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友情と恋愛
 
 人間なら誰しも一度でいいからすばらしい恋愛がしたいと思います。すべての情熱をかたむけて愛せる相手はいないものかと真剣に考えるのは、男性女性ともに共通しています。人間はものごころつく幼児の頃から他人との交わりなしに生活することは出来ません。幼児は幼児なりに、小学生は小学生なりに、良い集団良い友だちの中で健全に成長していくのです。
 
幼ない子供でも自分をとりまく集団──なかまには限りない友情を持っています。自分のなかまが他のグループからいじめられると、なかまをかばい合って、こんな経験を通じて友情の結びつきを強めています。
 
 一〇才代の半ばになれば、自分の属している集団の良さ悪さが、自分たちで評価できるようになり、もしも外部から悪い刺激をうけるような場合、防衛しようとする意識も出てきます。この年代の子供たちは、しばしば母親や父親に言えないことでもなかまと話し合い、自分たちなりに判断し、解決する力が出来てきます。こうした関係を通じ、本当の友情──心から結びつけるともだちに成長していくのです。
 
 学生時代──中・高学校に出来たグループの中での友情は、その年代の成長に欠くことの出来ない重要な役割を持つのですが、その友情は何時までも長く、就職・結婚して別々の生活に入って以後もながつづきするとは限りません。
 
 人生観や価値観が形成される一〇才代のおわりから二〇才代の半頃にかけて、若ものの考え方は環境や学習によって著しく変化します。「あんなに仲好く、気のあった友人だったのに……どうしてあんな生活で平気な顔してるのだろう……」と失望したり、逆に「学生時代、何時も私の言うとおりにしかやれなかったのに……何てしっかりしちゃったのだろう……」とうらやんだりする経験を持つ人は多いでしょう。
 
 もし学校時代の友人と、何時までもお互にあつい友情関係が続いている人は、大変幸運な人たちですから、その友情は死ぬまでとくに大切にしてほしいものです。
 
 学校時代の友人に失望したあなたは、すでにその時、別の集団に属し(属さない場合でも気持はすでに移動し)ている場合がほとんどでしょう。きっとその時は、共通の人生観や価値感を土台に新しい友情のまじわりが始っている場合が多いのです。
 
ここでは、自分の悩みや家族のこと、生きかたや結婚のことが、学校時代の友人たちより、もっと深くつっこんで話しあえます。時には映画や読書を通じて、お互いの考え方が確かめあわれます。女性の場合、働きはじめて二〜三年の間に、こういったグループ一本当の意味で友情をかわしあったなかまを持つか持たないかは、少し大げさな言い方をすれば、その人の一生を左右する位重要なことです。
 
長い人間生活の中で苦しいとき、行きづまった時、死≠思いつめた時、共に苦しみ共に考えあう友人、心から信頼出来る友を持つことは、どんなにか救いになるでしょう。困ったり苦しい時のみではなく、お互に励ましあい、批判しあって「生きていく」ことは人間生活をどんなにか豊かにすることでしょう。
 
 学校を卒業して、職場で働く若い年代こそ、こうした友情の育つ年令です。この大切な時期を集団から離れて一人ぼっちで過すことは大変不幸なことです。毎日おけいこ≠ヨ行くために、忙しすぎて、職場の友人たちと話しあう時間もない人がいます。
 
この人たちはきっと「今のうちに習えるものはやっておこう」という意欲的な人達でしょうが、結局は職場でも″おけいこ≠ナも信頼できる友人たちを持つことが出来ず、一人ぼっちになってしまう場合が多いのです。せっかく職場という大きな集団に参加しているのだから、もっと自分自身の生き方を考えられるような仲間を持つ努力をしたいものです。
 
これは、みんなと共に仕事をしたり、話しあったり、複数以上の集団でサークル活動をやったりする中で、自然に友情が育つ土壌がつくられていくのです。
 
 友情の場合その相手は男性・女性両方ともに共通ですが、恋愛となると相手は異性に限られ、しかもただ一人が対象となります。どんな人が好きになるかは、それぞれの人によって違いますが、本当にすばらしい恋愛とはどんなもので、どうすれば出来るのでしょうか。
 
 本当にすばらしい恋愛の第一条件は、恋愛を通じて二人が伸びる──前進するということです。これは二人の間の愛情が深まるだけではなく、生活や考え方全体が進歩していくということです。
 
第二は、出来ることなら、恋愛の成果が結婚へ発展することでしょう。ただ、これはすべての恋愛に当てはまるわけではありません。何回かの失敗や体験を通じてこの成果を手にすることが出来るわけです。
 
 こうしたすばらしい恋愛は、どうすれば出来るか──それぞれのケースで差異はあるでしょうが、共通したことだけを述べてみましよう。
 
第一は、恋愛の前提に集団を基礎にした友情があることです。
よく「一目ぼれ」など言いますが、こうしたきっかけで生まれた恋愛は、よほど二人の努力がなされないと、おたがいの中味がわかるにつけ、失望し破碇していく場合が多いのです。
 
第二は、その集団──なかまから離れてしまわないで、つまり二人だけの別行動をとらないで、相手も自分もみんなと共に歩むことです。二人だけになって楽しいのは、こうした集団あってのことです。何時もいつも二人だけでは、話すことも限られ、次第に新鮮さが失われていくでしょう。
 
第三は、お互いに相手の人格と、考え方生き方を尊重することです。愛しあえることはすばらしいことですが、愛は個性を殺し、相手に歩調を合わせることではありません。とくに女性は、自分を無にして「あなたごのみの女」になることが良いことだという理解がありますが、これは大きなまちがいです。
 
相手に合わすのでは、二人の間に進歩はありません。人間には「これで完成した」という到達点は無いのであって、いわば一生が努力(その内容は人々によってさまざまですが‥‥‥)の連続です。愛する二人が影響しあい、協力しあって、それぞれの目的にはげめば良いのです。
(田中美智子著「恋愛・結婚と生きがい」汐文社 p3-7)
 
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 それでも夫を愛する
 夫が浮気を告白した。問いつめたわけでもないのに。そして、離婚してほしいと言う。かなり前から心も体も私から離れていた。何とかしたいと思えば思うほど、溝は深まってしまった。
 
 子どもは二人。今でも夫を愛している。むなしい時もある。他人から見ればバカげていると思うだろう。つらくて、苦しくて、自殺も考える。子どもは小さいので、「ママ」の記憶は残らないかもしれない。命の尊さを教えなければいけないが、死んでしまうほど、ママはパパを愛していたと、いつかわかってくれる日がくるかもしれない。
 
 何の罪もない子に寂しい思いはさせられないと思いつつ、万が一、衝動的な行動を起こしたときのことを考えて、身辺整理をし遺書も用意した。
 
 嫌いになれば、どんなにか楽になるのに…。もう一度向き合いたい。大好きな笑顔を見たい。自分の気持ちに正直に愛し続けたい。もう涙は流したくない。
(「WOMEN 語るつながる」 しんぶん赤旗040207)
 
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肩幅の未来
 
こわれかけたラジカセ あなたが捨てたガラクタ
かわいそうで拾って 直せないまま ひと夏
忘れんぼうの歳月 好奇心でスイッチ
ノイズだらけのFM 痛い曲が流れ出た
ケンカなんていつもだった
嫌いなんて言わなかった
 
ちょっと甘い ちょっと苦い 夕暮れの溜息
肩幅の未来 いちずにあなたの背中しか
肩幅の未来 見ない自分が怖かった
一人になって見る夢は こんどは昔の背中だけ
……らちもない
 
ライヴハウスの立ちぎき ショールームの一日
非常口から夜中の駐車場に潜んでいた
宝探しするように
サヨナラを探したね
 
あなただって子供だった 私たち子供だった
肩幅の未来 いちずにあなたの背中しか
肩幅の未来 見ない自分が怖かった
一人になって見る夢は なおさら昔の背中だけ
……らちもない
 
肩幅の未来 いちずにあなたの背中しか
肩幅の未来 見ない自分が怖かった
一人になって見る夢は なおさら昔の背中だけ
……らちもない
(「中島みゆき最新歌集」朝日文庫 p100-102)
 
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 婚姻している男女の法律上の同権を見ても、右の状態よりましではない。以前の社会状態からわれわれに伝わっている男女の法律的不平等は、女子にたいする経済的抑圧の原因なのではなく、それの結果なのである。
 
幾組もの夫婦とその子どもたちをふくんでいた昔の共産主義世帯では、妻たちにまかされた家事のきりまわしは、夫たちによる食糧の調達と同じく、一つの公的な、社会的に必要な産業であった。
 
家父長家族〔の出現〕とともに、またそれ以上に一夫一婦婚個別家族〔の出現〕とともに、この事情が変化した。
 
家政のきりまわしは、その公的性格を失った。それはもはや社会とはなんの関係もないものになった。
 
それは一つの私的役務となった。妻は、社会的生産への参加から追いだされて、女中頭となった。
 
現代の大工業がはじめて彼女に──それもプロレタリア女性だけに──社会的生産に参加する道をふたたび開いた。
 
だがそれとても、彼女が家族の私的役務の義務をはたせば、公的生産から排除されたままでびた一文もかせぐことができず、また公的産業に参加して自分の腕でかせごうと思えば、家庭の義務がはたせない、という程度のものである。
 
そして女子は、医師業や弁護士業にいたるまでのすべての職業部門で、工場でと同じ状態におかれている。
 
近代の個別家族は、妻の公然または隠然の家内奴隷制の上にきずかれており、そして近代社会は、この個別家族だけを構成分子にしてつくられている一集団である。
 
夫は今日、少なくとも有産階級のあいだでは、大多数の場合、稼ぎ手、家族の養い手でなければならず、そしてこのことが夫に支配者の地位をあたえるのであって、この地位に法律上特別な特権をあたえることは必要でない。
 
夫は、家族のなかではブルジョアであり、妻はプロレタリアを表わす。
 
だが産業の世界では、資本家階級の法律上の特別な特権がすべて取り除かれ、両階級の完全な法律上の同権がうちたてられたのちにはじめて、プロレタリアートにのしかかっている経済的抑圧の特殊な性格が完全な鋭さで現われてくるのである。
 
民主的共和制なるものは、両階級の対立を廃棄するものではない。
 
反対にそれは、この対立がたたかいぬかれる地盤をはじめて提供するのである。
 
それと同じように、夫婦が法律上完全に同権になったときにはじめて、近代的家族のなかでの夫の妻にたいする支配の独特な性格も、また夫婦の真の社会的平等を樹立することの必要性と、それを樹立するやり方も、白日のもとに照らしだされるであろう。
 
そのときには、女性の解放には、全女性の公的産業への復帰が第一の先決条件であり、この復帰がこれまた、社会の経済的単位としての個別家族の性質の廃棄を必要とすることが示されるであろう。
(エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」新日本出版社 p101-102)
 
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◎「夫は、家族のなかではブルジョアであり、妻はプロレタリアを表わす。」と。がんばれ恋愛中のみんな。「肩幅の未来」では哀しいのだ。

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