学習通信040217
◎己もそうしなければ、饑死をする体なのだ……。
 
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羅生門
 
──略──
 下人は、守宮(やもり)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平(たいら)にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗(のぞ)いて見た。
 
 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸(しがい)が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。
 
そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏(こ)ねて造った人形のように、口を開(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。
 
しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
 
 下人(げにん)は、それらの死骸の腐爛(ふらん)した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
 
 下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲(うずくま)っている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(や)せた、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
 
 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身(とうしん)の毛も太る」ように感じたのである。
 
すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱(しらみ)をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
 
 その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。
 
――いや、この老婆に対すると云っては、語弊(ごへい)があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。
 
この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
 
 下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
 
 そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄(ひじりづか)の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
 
 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩(いしゆみ)にでも弾(はじ)かれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
 下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞(ふさ)いで、こう罵(ののし)った。
 
老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ※(ね)じ倒した。丁度、鶏(にわとり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
 
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
 
 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘(さや)を払って、白い鋼(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球(めだま)が※(まぶた)の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗(しゆうね)く黙っている。
 
これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後(あと)に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
 
「己(おれ)は検非違使(けびいし)の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄(なわ)をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
 
 すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。※(まぶた)の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏(のどぼとけ)の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉(からす)の啼くような声が、喘(あえ)ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
 
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。」
 
 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑(ぶべつ)と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色(けしき)が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
 
「成程な、死人(しびと)の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸(しすん)ばかりずつに切って干したのを、干魚(ほしうお)だと云うて、太刀帯(たてわき)の陣へ売りに往(い)んだわ。
 
疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりよう)に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死(うえじに)をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。
 
されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
 
 老婆は、大体こんな意味の事を云った。
 下人は、太刀を鞘(さや)におさめて、その太刀の柄(つか)を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰(にきび)を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。
 
それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。
 
その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
 
「きっと、そうか。」
 老婆の話が完(おわ)ると、下人は嘲(あざけ)るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰(にきび)から離して、老婆の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
 
「では、己(おれ)が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
 
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色(ひわだいろ)の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 
 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。
 
そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
 下人の行方(ゆくえ)は、誰も知らない。
            (大正四年九月)
(芥川龍之介「羅生門」日本文学全集(24) 講談社 p8-10)
 
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 こういう勝利に、イギリスの全労働者階級は最高の歓呼の声をあげ、「組合」には多数の新組合員が参加した。そのあいだにも、北部のストライキは進行していた。働くものは一人もなく、石炭の主要輸出港であるニューカスルでは石炭がなくなってしまったので、スコットランドの港から石炭をはこんでこなければならなかった。
 
しかし、英語では、ニューカスルへ石炭をはこぶというのは、ギリシア語で、ふくろうをアテネへつれていくというのと同じように、まったく余計なことをするという意味なのである。
 
はじめのうち、「組合」の基金がつづいているかぎりは、万事うまくいっていた。しかし夏ごろになると、労働者たちにとって、たたかいは困難になってきた。彼らのなかでは窮乏がその極にたっしていた。
 
彼らには金がなくなってしまった。なぜなら、イギリス全国の全工業部門の労働者がカンパをしても、多数のストライキ参加者に割りあてるとわずかな額にしかならなかったからである。彼らは小売店で割高になってもつけで買わなければならなかった。どの新聞も、少数のプロレタリア紙を除いて、労働者に反対していた。
 
ブルジョアジーは、労働者を支持するだけの正義感をもっていたはずの少数のブルジョアジーでさえも、金銭しだいでどうにでもなる自由党系や保守党系の新聞から、この事件について嘘ばかり聞かされていた。
 
一二名の鉱夫による代表団がロンドンへいき、そこのプロレタリアートからカンパをあつめたがこれも救援を必要としている人が多数いるために、ほとんど役に立たなかった、それにもかかわらず、鉱夫たちは態度を変えず、さらにもっと強調すべきことは、鉱山所有者とその忠実な召使いたちのあらゆる敵対行為や挑発にもかかわらず、鉱夫たちは平和的であったということである。
 
復讐行為は一つもなく、裏切りものも誰一人虐待されず、窃盗もまったくなかった。こうしてストライキはすでに四ヵ月もつづいたが、それでもなお、鉱山所有者には優位に立つ見込みはまったくなかった。彼らには道はすべて閉ぎされていた。彼らは小屋制度を思いだした。抵抗している連中の家は自分たちの財産だということに、彼らは気づいた。
 
七月に賃貸契約の解除が労働者に通告され、一週間のうちに四万人全員が追いたてをくった。この追いたてはきわめて野蛮なやり方でおしすすめられた。病人も衰弱したものも、老人も赤ん坊も、出産間近の女性さえも、情け容赦なくベッドからひきずりだされ、道路脇の溝へほうりこまれた。ある代理人などは、出産間近の女性の髪を自分の手でつかんでベッドから道路へひきずりだすことを楽しんでさえいた。
 
軍隊と警察が大勢でそばに待機していて、すこしでも抵抗の様子があれば、この残酷な処置全体を指揮していた治安判事の目くばせ一つで、ただちにおそいかかろうとしていた。しかし労働者はこれにもうちかって動こうとはしなかった。
 
労働者が暴力を用いるのを待ちかまえていたのである。軍隊の力でストライキを終わらせる口実をつくりたいためだけに、全力をあげて労働者を反抗に立ちあがらせようと、挑発したのだ。家を失った鉱夫たちは、彼らの検察長官の警告をおぼえていて、いぜんとして動かず、黙々としてその家財道具を沼地や収穫の終わった畑におき、じつと我慢していた。
 
ほかにいくところのない何人かの鉱夫は、道路脇の溝で野宿しており、また別の鉱夫は他人の土地で野宿して、のちに訴えられ、「半ペニーの損害」を与えたという理由で、一ポンドの訴訟費用の支払いを命ずる有罪判決をうけた。当然、彼らは支払うことができなかったので、踏み車の刑に服した。
 
このようにして彼らは、昨年の雨の多かった夏の終わりに、八週間、あるいはそれ以上も、家族とともに露天で暮らし、ベッドのキャラコのシーツ以外には自分たちと子どもたちの雨露をしのぐものもなく、「組合」のわずかばかりの救援金と、しだいに減っていく小売商人からのつけ買い以外には、やりくりするものはなにもなかった。
 
そこで、グラムに有力な炭鉱をもっているロンドンデリ卿は「自分の町」であるシーアムの小売商たちにたいして、もし今後も「自分の」反抗的な労働者に信用を与えつづけるなら、自分の怒りは頂点にたっするだろうといって、おどしをかけた。
 
この「高貴な貴族」は、労働者にあてて、こっけいな、大げさな、悪文の「布告」をだして、もとからストライキ全体の道化者となっていたのだが、こういう布告も、ときどきだされては国民の物笑いの種となる以外に、なんの効果もなかったのである。
 
どんなことをしても効果がないので、鉱山所有者は自分の鉱山で働かせるために莫大な費用をかけて、アイルランドと、まだ労働運動のおこっていないウェールズの僻地から、人びとをつれてきた。そしてこのようにして労働者のあいだで競争が復活すると、ストライキ中の労働者の力は崩壊した。
 
鉱山所有者たちは、労働者を強制して「組合」から脱退させ、ロバーツを解雇させ、自分たちの指示した条件をうけいれさせた。このようにして九月のはじめに、鉱山所有者にたいする鉱夫たちの五ヵ月におよぶ大闘争は終わりを告げた。
 
──それは被抑圧者の側から、われわれを驚嘆させずにはおかない忍耐と勇気と英知と熟慮とをもってたたかわれたたたかいであった。
 
この四万人の大衆は、われわれがすでに見たように、児童雇用委員会報告では、一八四〇年〔一八四二年〕にはまだまったく粗野で道徳もわきまえないものとしてえがかれていたのに、こういうたたかいをすすめるにあたって、どれほど真に人間的な教養と、熱意と、つよい性格を身につけていたことであろうか!
 
 しかしまた、この四万人をまるで一人の人間のように立ちあがらせ、気持を一つにして、規律が正しいばかりでなく、意気さかんな軍隊のように、きわめて冷静かつ沈着に、もはやこれ以上の抵抗が無意味になるぎりぎりのところまでたたかいつづけるよう追いこんだのは、なんとひどい圧迫であったのであろうか!
 
 そしてなんというたたかいであったことか──目に見える生身の敵にたいするたたかいでなく、飢餓と窮乏、困窮と宿なし生活にたいするたたかい、金持たちの野蛮さに挑発されて発狂しそうになっている自分自身の激情にたいするたたかい──もし彼らが暴力に訴えていれば、武器をもたない彼らは皆殺しにされ、数日のうちに鉱山主の勝利は確定していたであろう。彼らが法律を守ったのは警官の棍棒を恐れたためでなく、熟慮したためであり、労働者の知性と自制心の最善の証明であった。
 
 こうしてこのときもまた、労働者は未曽有の忍耐にもかかわらず、資本家の力に屈服した。しかしそれは無駄ではなかった。とくにこの一九週間にわたるストライキは、北イングランドの鉱夫を、これまで彼らが落ちこんでいた精神的な死から救いだした。
 
彼らは眠りから目覚め、自分たちの利害に関心をもち、文明の動き、とくに労働運動にくわわるようになった。このストライキは、労働者にたいする鉱山主の蛮行をすべて、はじめて暴露し、この地方に労働者の抵抗を永遠に確立し、労働者全体の少なくとも四分の三をチャーティストにした
 
──そして、このように精力的な、このように信頼しうる三万人を獲得したことは、チャーティストにはほんとうにたいへん貴重なことであった。だが、ストライキ全体をつうじてしめされた忍耐と合法性は、それにともなう活発な煽動と結びついて、鉱夫たちは世間の注目をあつめるようになった。
 
石炭の輸出税にかんする討論のときに、ただ一人の断固としたチャーテイストの下院議員であるトマス・ダンカムは、議会で鉱夫の状態を議題にとりあげ、彼らの請願を議会の壇上から読みあげさせ、また演説をつうじて、ブルジョアジーの新聞に、少なくとも議会議事録の一部として、事態の正しい説明を一度は掲載させたのである。ストライキの直後にハズウェルで爆発事故がおこった。
 
ロバーツはロンドンへいき、ピールとの会談をゆるされ、鉱夫の代表者として事故の徹底的な調査をせまり、ついにイギリス第一流の地質学および化学の権威であるライエル、ファラディ両教授に、みずから現地へおもむくよう委託させた。
 
その後すぐいくつかの爆発がおこり、ロバーツから書類がふたたび首相に提出された。そこで首相は次の会期(いまひらかれている一八四五年の会期)に、できれば労働者保護のために必要な措置を提案すると約束した。こういうことは、もし鉱夫たちがストライキをつうじて、自由を愛し、尊敬に値する人間であることを証明しなかったなら、そしてロバーツと契約を結んでいなかったなら、いっさいおこらなかったであろう。
 
 北部の鉱夫たちが「組合」を放棄し、ロバーツを解任するよう強制されていることが知られるとすぐ、ランカシァの鉱夫たちは約一万人の労働者からなる組合に結集し、彼らの検察長官に一二〇〇ポンドの年俸を保証した。
 
その前の年の秋に、彼らは毎月七〇〇ポンド以上をあつめ、そのうち約二〇〇ポンド以上を給料や裁判費用などにあて、残りの大部分を、失業したり、鉱山主との争いのために仕事を放棄したりしている休業中の労働者の救援資金にあてた。
 
このようにして労働者は、彼らも団結すれば無視しえない力となり、万一の場合にはたしかにブルジョアジーの力に対抗できるのだということを、ますます認識するようになった。そしてこういう認識こそ、あらゆる労働運動の成果であり、それは「組合」と一八四四年のストライキによって、イギリスの鉱山労働者全体のものとなったのである。
 
いまはまだ、知性とエネルギーの点では工業労働者の方がすぐれているけれども、この差はもうすぐなくなり、そしてこの国の鉱夫はどんな点においても工業労働者と肩をならべるようになるであろう。このようにしてブルジョアジーの足元から、次つぎと地盤がくずれていく。彼らの国家と社会という構造物の全体が、それがのっかっている基盤とともに崩壊するまでに、どのぐらい長くもちこたえられるであろうか。
 
 しかしブルジョアジーは警戒していない。鉱山労働者の反抗は彼らをますます怒らせるだけである。有産階級はこの反抗のうちに、労働者全体のあいだでの運動の前進を見ず、またそれによって正気にもどろうともせず、そのかわりに、従来の待遇にはもはや納得しないとおろかにも公言する階級の人びとにたいして、怒り狂うきっかけしか見いださないのである。
 
彼がは無患者の正当な要求のうちに、ただ「神と人間の秩序」にたいする恥知らずの不満と、狂気の反抗しか見ないし、またもっとも好意的な場合でも「煽動で暮らしをたて、あまりに怠けもので働こうとしない悪意あるデマゴーグ」の成果しか見ず、この成果は全力をあげてふたたび鎮圧すべきものとされるのである。
 
彼らは、ロバーツや組合の代理人のように、まったく当然のことだが組合によって生活を支えている人びとを、労働者にたいして、彼ら、つまり貧しい労働者から最後の一銭までまきあげてしまう牧滑な詐欺師であるかのように見せかけようと──もちろん効果はなかったが──つとめた。
 
──有産階級にこのような精神異常があり、また彼らが目先の利益に目がくらんで、時代のきわめて明白な兆候についてさえ見る目がないとすれば、イギリスについては社会問題の平和的解決の希望は実際にすべて放棄しなければならない。残された唯一の可能な方策は強力革命であり、それは必ずおこるに違いないであろう。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 -下-」新日本出版社 p101-107)
 
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◎労働者の人間として生きるための反抗。「彼らも団結すれば無視しえない力となり、万一の場合にはたしかにブルジョアジーの力に対抗できるのだということを、ますます認識するようになった」