学習通信040218
◎「経験」のもっている力……。
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わたしはあきることなくくりかえして言おう、若い人たちにたいする教訓はすべて、ことばよりもむしろ行動で示せ、と。
経験に教えてもらえることはなにひとつ書物のなかで学んではならない。なにも話すことがないのに話の練習をさせるとは、だれになにをなっとくさせるという興味もないのに学校の腰かけのうえで情念の言語の力づよさと人を説得する技術のあらゆる力を感じさせるつもりでいるとは、なんというばかげたやりかただろう。
弁論術のあらゆる教えも、自分の利益になるその用いかたがわからない者には、たんなるおしゃべりにすぎないように思われる。兵隊たちにアルプスを越える決心をさせるためにハンニバルがどうしたかを知ることが学校生徒になんのかかわりがあるのか。
そういう壮大な演説をもちだすかわりに、生徒監に休暇をあたえる気にならせるにはどうすべきか、と言ったとしたら、生徒はあなたがたの規則にもっと注意ぶかく耳をかたむけることになるのは確実だと思っていい。
(ルソー著「エミール -中-」岩波文庫 p90-91)
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もうなくなった、私のむかしの家は、通りに面してすぐ、広い土間があり、そこは家の横幅の全体をしめていました。栗がみのる季節には、農家の人たちが収穫して運んで来る栗の実が、土間に敷いたムシロの上に、小山のように積みあげられます。それを品種や品質によって分類し、木箱に詰める作業が夜遅くまで続き、通りの向こう正面にある作業場で、栗の実のなかにいる幼虫を殺す処理をした後、大阪の市場に送り出します。
この作業場には、ほかに紙幣の原料になるミツマタの真皮を乾かしたものを、運送用に大きい直方体にかためる設備も──それは父親が図面を書いて作らせたものです──ありました。
さて広い土間の一方の端に、表からまっすぐ奥へ延びる通路があったのです。そこの、向かって右に、床下には薪がつめてある緑にそって、茶の間、父親が帳簿をつける部屋が続き、普通の家より広いクド場へ抜けます。カマドが二つ並び、井戸も流しもある炊事場です。なぜ広いかというと、忙しい季節には数多い働き手たちの食事が準備されるからです。
さらに進むと、さきにいったミツマタの、梱包するための小さい束を作る作業場にもなる裏座敷の上がり口。そこまで、細長く暗い通路が延びているのです。
私は学校から帰って来ると、裏座敷で仕事をしている父親にまず挨拶してから、川に面した小部屋で復習をしたり、畠のはしに自分で作った、本を読む木の家まで降りて行ったりします。父が私の挨拶に愛想よくこたえてくれる、ということはなく、白いミツマタの皮の束を調べていた目を私に向ける、というだけなのですが、私は家の土間に入ると、その暗い通路を駆け出さないではいられないのでした。
そうやって裏座敷へ向かう時、私は、クド場へ出る境目の、通路の上に張り出している黒いはりに、頭をガーンとぶつけることがあったのでした。それはひどい衝撃で、引っくり返ったり涙を流したりこそしませんが、暗いなかで唸り声をこらえ、呼吸をととのえてから、やっと仕事場の障子を開けて挨拶したものです。
そういう時、父は不思議そうな、また面白がってもいるような目をして、私を見ました。だからといって、私に大丈夫か、と声をかけるような人ではありません。私の方も、痛みはあるし、またもや失敗をした自分に腹を立てていることもあり、早々と本を読む場所に引きあげました。
──どうして自分はまた、頭をガーンとぶつけたのだろう? あすこにははりがあるとわかっているのに!
そのように、私は自分を情けなく思いました。しかも一月たたないうちに、同じ失敗をしていたのでした。
3
父が亡くなって一年もたってからのこと。母の話から、私は自分が繰り返していた失敗について両親が気にかけていたと知りました。まだお葬式の名残が残っていた間は、家のなかで走るようなことをしなかった私が、同じ失敗をやったのです。
もう障子を開けて挨拶する人は居ませんから、ガーンとやった後、ひとり脇の小部屋に入って自分に腹を立てていると、クド場から上がって来た母が父の話をしました。
以前から、母は、あのようにひどく頭をぶつけていると、脳に悪い影響が起こるかも知れない、暗い所で駆けないようにいってもらいたい、と父に頼んでいたのだそうです。ところが父は、頭蓋骨が脳をしっかり保護しているはず、と答えた。
また、あれだけ勢いよく駆け込んでくるのには、それだけの気持があるのだから、自分でそれをとめることはできないのだろう、ともいったということなのです。
父は、それだけ話せば自分の仕事に戻ったはず。しかし母は私が頭をぶつけるたび、そのことを相談するのをやめなかったのでしょう。
──そのうち、本当にお父さんらしい考えをいわれた、と母は話しました。
私の今の言葉でまとめると、次のようになります。
自分も子供の時、あのような過ちをしては痛い目にあった。年をとるにつれて、それが少なくなった。どうしてそうなることができたかと、考えてみたことがある。大人の背たけなら、頭をかがめねば通り抜けられない所を、子供はそのまま通過できる。ところが、足にはずみがついて、わずかでも跳び上がると、頭をぶつける。
それを何度もやると、身体を動かしている今よりも、少し先へ心が働いて、このままだと頭をぶつける、と目に見えるように感じることになる。
そのように心を働かせられるようになれば、もう頭をぶつけない。ただ、こうした心の働きは、幾度も頭をぶつけて、そのあとやっとできてくる。あの子がさかんに頭をぶつけている時、親がなにかいっても役に立たないのじゃないか?
母はそれでも、こういってみました。
──あの暗い所に、黒いはりが出ている、というてやることはできるでしょう?
──あれに、その知識がないだろうか?
母はそのように話すうち、久しぶりに楽しそうな顔になっていたのでした。
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身長が伸びるにつれて、かえって私もはりに頭をぶつけることがなくなりました。しかも、母から聞いた父の言葉は、とくに高校から大学に入るころ、私にとって大切なものになって行ったのです。
若者になった私は、身体を動かすことでもそうでしたが、もっと心に結びついたことでよく失敗して、それこそ頭をガーンとぶつけるような経験をしました。
そこにポジティヴなところを──私がpositiveと英語を用いるのは、それだと、積極的なとか役に立つとか、はっきりした考えのとか、いろんな意味が読みとれるからです──見つけるなら、自分が失敗してもこりずに、新しいことをやってみようとする若者だった、といえると思います。むしろ、そういう性格だった、ということです。
そして若者の私にも、これは決して繰り返してはいけない、恥ずかしい失敗だと思えるものと、うまくゆかなかったけれど決して後悔していないものとがあったのです。
そのうち、若かった私にも、心の働きについていうのですが、このまま駆けていれば頭をぶつけるとわかる、すぐ先の情景が目に見えてくるようになった、と思います。そして、その心の働きで自分の駆け方を修正するようになりました。少なくとも、駆けていること自体に注意深くなった、と思います。
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老人というほうが自然な年齢になって、私は確かに今、自分のやっている身体と心の働きの、少し先の情景が見えると感じることがあります。その力をきたえることが、子供から若者へ、娘へ、そして大人になってゆく過程で、大切なものだと思います。
そしてそれは、知識によっても作られますが、頭をガツンとぶつける痛い目を見る経験によってできた力こそ、本当に役に立つ、という父の言葉に同意するのです。
子供の私が学校から帰って来て、自分自身にもよくわからない理由で勇みたって、暗い通路に駆け込みます。裏座敷で仕事をしている父は、そのたびに私の足音を聞いていたでしょう。なにごともなく、クド場まで通り抜ければホッとする、ということであったのじやないでしょうか?
一方、父の方でも、注意力の必要な作業をしているのです。お百姓さんがミツマタの若い幹を刈り取り、大きい木桶をかぶせた釜で蒸し、皮を剥ぎ、いったん乾かしてから、あらためて川水にひたして柔らかくし、表面の厚く黒い皮をとります。
そして白い真皮を乾燥させ、私の家に届けて来ます。わずかでも黒い皮が残っていれば、紙に漉いた上で紙幣用として役に立ちません。そこで、内閣印刷局へ納めるための検査にあたる工程を、父は小さなナイフを片手に続けているのです。
そこへ、大きい音が聞こえてくるほど頭をぶつけた少年が、ショックのあきらかな顔を出すわけです。父の日に特別な表情が浮かぶのも、自然なことだったでしょう。私には不思議そうな、また面白がってもいるような目とうつって、反撥したのですが‥…。
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こうした経験の積み重ねによって、今より少し先の情景が目に見えることを、「未来にはみ出す」こと、と私は呼んでいます。
小説家の私には想像力ということが、仕事をなりたたせる上で中心の役割をしめていまそして、「未来にはみ出す」心の働きも、想像力のひとつです。これから一年後、十年後に、自分や自分の周りの世界がどうなっているか。それを考えるのは想像力を働かせることですね? すぐさきのことに向けてそうするのも同じだ、といえば賛成していただけると思います。
想像力というと、まず頭で考えること、と感じられるかと思いますが、毎日の生活のなかで、少しだけ先にどういう情景が現れるか、心を働かせるのも、想像力でやることです。
そして、未来の生活に向けてちょっとはみ出す心の働きは、じつは過去の経験によってきたえられた成果なのです。それを考えれば、ただ頭をガーンとぶつけるようなことも、とくに子供にとってはムダじゃありません。
子供の時の自分が、いろいろ痛い目にあい、性こりなく同じ失敗を繰り返してさえも、決して元気をなくすことはなかった──へたりこんでもすぐ元気を回復した──その理由がいまの私にはわかります。
(大江健三郎著「「新しい人」の方へ」朝日新聞社 p20-28)
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◎「経験の積み重ねによって、今より少し先の情景が目に見えることを、「未来にはみ出す」こと、と」と。
◎21世紀の学習仲間≠ひろげようと奮闘しています。これまでの広げようとするあり方にとどまっています。
「少し先へ心が働いて」「未来にはみ出す」そういうものとして経験を糧にしなければ、年を重ねても「頭をぶつけ」つづけなければなりません。