学習通信040220
◎「日本の社会が絶大な犠牲を払って歩み初めた今日の意味は」……。
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「男らしさ・女らしさ」日本の高校生は意識希薄
日米中韓で行われた「高校生の生活と意識に関する調査」で、日本の高校生は「男は男らしく」「女は女らしく」といった性差意識が突出して低いことが16日、教育研究機関のまとめで分かった。
近年の男女共同参画社会の推進により、日本の若者意識が影響を受けたと見られる。
調査は、文部科学省所管の財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」が昨秋、4か国の各1000人余りの高校生を対象にアンケートをした。
日本が特異な値を示したのは「女は女らしくすべきだ」との設問で、肯定した人が28・4%しかいなかった。同じ問いかけを米国は58・0%、中国は71・6%、韓国は47・7%が肯定した。「男は男らしく」も、日本で肯定したのは43・4%(米63・5%、中81・1%、韓54・9%)で、4か国で唯一半数を割り込んだ。
また、「結婚前は純潔を守るべき」との設問に対する肯定も、日本は33・3%(米52・0%、中75・0%、韓73・8%)と著しく低くなっている。
さらに、各国の高校生の規範意識を探るため、14の行動を挙げて評価を求めたところ、日本は「学校のずる休み」を「よくない」と答えたのは27・4%しかなく、「親に反抗する」(よくない=19・9%)、「先生に反抗する」(同25・1%)も、批判は他の3か国より少なかった。
日本 米国 中国 韓国
男は男らしく 男 49.2 65.1 83.0 67.4
すべきだ 女 40.4 62.4 79.7 40.9
女は女らしく 男 38.9 61.0 75.9 61.3
すべきだ 女 22.5 55.5 68.0 32.3
結婚前は純潔を 男 40.9 47.5 72.9 71.2
守るべきである 女 29.2 55.9 76.5 76.6
(読売新聞 040217)
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「高校生の生活と意識に関する調査」調査の概要
【調査目的】
考え方や行動は「男性と女性でどう違うか」より、「個人と個人でどう違うか」が重要といわれる時代である。確かに男女平等社会を強く指向するようになって、一人ひとりの違いがより意味するところが大きくなった。
女性が強くなったか、男性が弱くなったかという視点は、古い男女観を引きずっているように思える。
とはいうものの、高校生の日常行動の一側面は「男と女」をめぐってあり、それが思春期の特徴でもある。この調査は共通するものと相違するもの及びその理由を尋ねることにより、現状を精確に把握し、今後の在り方に貢献しようとするものである。
日本の女子中学生は、男子よりやたら元気な側面があり「愛の告白」は女子のするものという現実があるようだ。しかし、高校生になると俄然、様子が違ってくる。中学生の愛の告白は、面白い遊びに過ぎないと思われるようである。高校生は男女とも軽々しく「愛」だの「好き」だのと公言しなくなる。
高校生ともなると、男性と女性の関係だけではなく、学校での諸活動、人間関係、人生観など個人としてどのように考え行動するかが大きなウエイトを持っているようである。
日常生活のさまざまな意識や行動では、男性と女性で大きな差があるというより、アンケートの結果は、数量的に男女間での差が少なくないと感じられる。その象徴的なものとして、「男らしい」「女らしい」の差が少なく、死語になりつつあるのではないか。
とはいうものの、「わがまま」「おしゃべり」は男子生徒も女子生徒も「女らしい」と考え、「乱暴」「不良っぽい」は「男らしい」特徴として捉えられている。しかし「責任感」や「はっきり主張する」では「女らしい」とみられており、そこに新しいものを感ずる。
明らかに大勢は法の理念だけでなく、事実として、「男女別」でなく、「個人別」の社会に変わりつつある。これは男女共学の学校という場での現象ではあるだろうが、新しい社会が生まれつつあるといえることになるのだろうか。学校現場でみる女子生徒の言葉は、大きいだけでなく、「おい」「お前」「やれよ」など男言葉の世界である。
これらの現実の背後にどのような男意識や女意識があるのか、「ほんね」のところをみるために、深いレベルでの意識をみるように質問を工夫してみている。
本調査では、日本、アメリカ、中国、韓国でも、殆んど同じ質問を行った。その国の伝統文化や国の在るべき理念とその結果を知ることができるであろう。
──略──
【調査結果の概要】
<クラスの人気もの>
「冗談がうまい」が四カ国で共通。そのほかに、日本では「個性的」「やさしい」、米国では「流行に敏感」「スポーツができる」、中国では「自分の意見をはっきりいう」「弱い人を助ける」「勉強ができる」「積極的」「やさしい」、韓国では「積極的」「個性的」である、
<学校で最も充実している時>
日本:「親しい友人と一緒にいる時」
米国:「親しい友人と一緒にいる時」「よい成績を取った時」「好きな授業を受けている時」
中国:「好きな授業を受けている時」「よい成績を取った時」
韓国:「よい成績を取った時」
日本の生徒の勉強に対する関心の低さが目立つ。男女別で見ると、「親しい友人と一緒にいる時」の肯定率が日本の女子生徒は男子より2割弱上回っている。また、男子が部活動、女子が文化祭を楽しむのも日本の高校生の特徴である。
<強い生徒のイメージ>
日本:「はっきり自分の意見を言う」「勇気のある」「責任感が強い」
米国:「責任感が強い」「頼りになる」「リーダーシップのある」
中国:「責任感が強い」「勇気のある」「頼りにあんる」「弱い人を助ける」
韓国:「責任感が強い」「勇気のある」「忍耐力がある」
<クラスの中の男子生徒と女子生徒の行動>
各国とも男子が多いのは「スポーツ活動に熱心」、女子が多いのは「文化活動に熱心」「他人の面倒をよくみる」「読書が好き」「流行に敏感」。
日本の女子生徒は「先生によく反抗する人」「校則をよく守らない人」に対して、「女子が多い」と肯定するのが特徴である。
<男のイメージ>
日本:「乱暴な」「頼りになる」「冗談のうまい」「不良っぽい」
米国:「乱暴な」「元気な」「意地の悪い」「冗談のうまい」
中国:「冗談のうまい」「元気な」「頼りになる」「はっきり主張する」「創造性がある」
韓国:「頼りになる」「乱暴な」「頑張りや」
男のイメージとして、日本では「元気な」と答えた者がわずか25.3%で、ほかの三ヶ国とは大きな違いがみられた。
<女のイメージ>
日本:「かわいい」「おしゃべり」「わがまま」
米国:「やさしい」「朗らか」「情熱的な」「おしゃべり」
中国:「かわいい」「わがまま」「やさしい」
韓国:「おしゃべり」「おとなしい」「やさしい」「かわいい」
<性別願望>
生まれ変わることができるなら、「男として生まれたい」と答えた男子が日本50.9%、米国63.2%、中国53.4%、韓国41.6%。
「生まれ変わることができるなら、女として生まれたい」と答えた女子が日本36.5%、米国60.1%、中国31.2%、韓国40.3%。「男として生まれたい」という女子が日本34.0%、米国15.0%、中国41.9%、韓国25.8%。
<男らしさ・女らしさ>
親に「男らしくしなさい」と言われたことがある男子生徒は日本11.4%、米国15.3%、中国45.7%、韓国37.3%(「よくある」+「時々ある」)。
親に「女らしくしなさい」と言われたことがある女子生徒は日本54.8%、米国20.6%、中国57.3%、韓国52.6%(「よくある」+「時々ある」)。
<男は弱いか>
高校生活で「男が弱い」と感じる高校生が日本36.2%、米国54.5%、中国55.4%、韓国50.1%(「全くそう思う」+「まあそう思う」)と、日本の肯定意見がわりに少ない。
<愛の告白>
「異性に愛の告白をしたことがある」という高校生は日本50.7%、米国57.8%、中国28.2%、韓国47.8%。
「異性から愛の告白を受けたことがある」という高校生は日本66.2%、米国67.4%、中国49.1%、韓国63.4%。
<付き合いやすい友人のタイプ>
日本:「同じ趣味をもっている人」「活発で明るい人」「自分の話をよく聞いてくれる人」
米国:「よく冗談をいう人」「自分の話をよく聞いてくれる人」「頼りになる人」
中国:「活発で明るい人」「頼りになる人」「同じ趣味をもっている人」
韓国:「頼りにあんる人」「活発で明るい人」「周りによく気を使う人」
<規範意識>
日本の高校生は、「電車の中で大声でしゃべる」「電車の中で携帯電話を使う」「電車の中で化粧する」「地面や電車の床に座り込んでいる」という行動に厳格であるが、「先生に反抗する」「親に反抗する」「学校をずる休み」「過激なファッションをする」という行動には他の国と比べて、かなり寛容的である。
<結婚をめぐる意識>
「結婚前は純潔を守るべき」という純潔志向が日本は最も低い。男らしさ・女らしさも日本で求められなくなっている。「仕事より家庭を大事」と主張する日本の高校生が多い半面、「個人がそれぞれ生活できれば、必ずしも結婚しなくてもいい」と肯定する者も7割弱に達し、四カ国のうち、最も多かった。
男女別で見ると、日本の女子高校生には「結婚前は純潔を守るべき」を肯定する者が他の3ヶ国と比べてきわめて少ない。仕事がよくできる人に魅力を感じる日本の女子高校生が男子より大きく上回り、韓国も同じ傾向がみられた。アメリカでは女子生徒は仕事のできる男性、男子生徒は仕事のできる女性には魅力を感じている。
<生活意識>
日本の高校生は他の三ヶ国と比べて、「偉くなりたい」「将来自分の会社を作りたい」「正式な就職をしたくない」「クラスのリーダーになりたい」「自分に満足している」「目立ちたい」と肯定する者がかなり少ない。(「財団法人日本青少年研究所」04年2月発表)
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はじめに
とまどいや誤解、摩擦や衝突をくりかえしながら、
たがいの心と躰とをすりよせ、
しなやかで優しい魂を撚りあわせるように、
きみたち自身の愛のかたちを
ひっそりとつくり出さなければならない。
詩人であり、弁護士でもある中村稔は「祝婚歌」と題する詩のなかで、夫婦のありようをこのようにうたっている(中村稔『浮泛漂蕩』所収、思潮社、一九九一年)。
この詩にうたわれた「摩擦」や「衝突」は、夫と妻のきずなをより深めるための、試練のようなものだろう。それを乗り切ることで、新たな愛のかたちが生まれる可能性もある。だが集団としての男、女の現状を考えた場合、両者間に走る緊張した関係の修復は容易な業ではない。
両者のいまを、少々、戯画化して表現するなら、相変わらず男性は仕事に明け暮れ、それに全力を投入して、家庭や地域で素顔に戻ったとき、もはやエネルギーは擦り切れている。女性たちも仕事を持ち、外で働く人が増えたが、家事・育児の大半を押しっけられて疲労の色が濃い。男性と対等に働きたいという願いも、さまざまな負担がのしかかるなかでは困難だ。
そんな状況に業を煮やし、結婚拒否や先送りのほか、子どもを産まないかたち、あるいは離婚といったかたちでの抵抗を試みる女性も多くなった。いま、男と女のあいだには、絶え間なく「摩擦」が生じ、ちょっとオーバーな言い方をすれば、不穏な空気≠ェ漂い始めている……。
久々に書き下ろすこの本は男性中心型、あるいは夫が働き、妻が家を守るという性別役割分業をもとに築かれた会社や地域、家庭、夫婦、親子の関係が、ライフスタイルの多様化や価値観の変化といった新しい波が押し寄せてくるなかで、どんなきしみを生じだしたのかを、「男女摩擦」というキーワードに置き換えてレポートするものである。摩擦の原因をたどっていけば、その奥の奥には性別役割分業という名の太い根っこが見え隠れする。
むろん私は、伝統的な性別役割分業の矛盾は指摘しても、すべての人にそれを排除すべきだと押しつけるつもりはない。どんな生活スタイルを選択するかは、個人の問題だからである。だがそれに息苦しさを感じる女性や男性が数を増すようになると、根っこを縦横に伸ばしたこの生活様式は、そんな女性や男性にとっては窮屈で息苦しいものでしかない。
なぜ平等というスローガンは掛け声倒れなのか、なぜ会社は管理職が男性ばかりなのか、なぜパートは大半が女性なのか、なぜ女性は結婚に魅力を感じなくなったのか──。こうした「なぜ」の背後に、新しい価値観を身にまといつつある女性陣と、どちらかといえば昔の鎧で身を固めた男性陣のあいだの価値観のギャップや新たな社会システムへの転換の遅れなどが読み取れる。
具体的に言えば、夫が働き妻が家を守ることを前提に組み立ててきた家庭の秩序、企業・社会のシステム、さらには社会通念までが、かつて遭遇したこともないような価値観やライフスタイルの激変期にあって、適合できないため悲鳴を上げているのだ。
転勤や配転をめぐる裁判などの取材を通じても、摩擦の火種は、判決などからはっきり浮かび上がる。たとえば、育児や家事と仕事を両立させるためにギリギリの生活をしている共働きの女性が、通勤時間が二時間近い場所に配転されても、本当に「甘受」しなければならないのか。
あるいはそうした事件を「赴任先に転居すればいいではないか」とか、「夫の単身赴任先に職を探すことも不可能ではない」と言い切ってしまっていいのか。企業への配慮に比べ、家庭の維持や女性が仕事を持つ意味がとかく軽視されがちな、男性型の論理が根強い社会であるかぎり、男女間の摩擦はますます深刻なものになるだろう。
むろん「摩擦」の実相は、男VS女という単純化した構図だけでとらえきれるわけでもない。女性でも企業で働く人と専業主婦とでは、利害が対立することがある。育児休業を取得する人と取らない人、あるいは仕事一本槍の男性と企業社会に疑問を感じている男性とではまた、両者間に摩擦が生じることがある。
「男女摩擦」を浮き彫りにするには、単に男、女という関係だけにとどまらない複合的な把握も必要であり、執筆にあたっては、そうした点にも十分目配りしたということも付け加えておきたい。
(鹿嶋敬著「男女摩擦」岩波書店 p5-7)
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あとがき (『幸福について』)
私たち日本の女性が今日めいめいの生活にもっている理想と現実とは非常に複雑な形で互に矛盾しからみあっている。しかもその矛盾や葛藤の間から、私たちの二度とくりかえすことのない人生の一日一日が生み出され、歴史は発展しつつある。
今日すべての人々が困難に感じていることは何だろう。それは現実があまり切迫して、早い速力で遷(うつ)って行くから、一つの行動の必要が起ったとき、その意味や価値をじっくり自分になっとく出来るまで考えているゆとりがなくて、ともかく眼の前の必要を満たすように動かなければならないということではないだろうか。
あらゆる現象が私たちに考えることを要求している。それだのに、そのあらゆる現象そのものの流れの早さが、逆に私たちに考えるべき時間さえあたえない。
こういう現実の激しい流れと、生活の流れが、無意味なものではなくて、はっきりと歴史をすすめるものであることを、私たちは改めて感じ合おうとして、この一冊の本は読者の生活の中におかれる。
夏の幅広い河の流れの中に一つの石が立っている。河の流れはその石にぶつかって波立ちしぶきをあげ小さい虹を立てる。この光景は美しい。
水というものが、どんなに変化することが出来、虹となってかかることが、一つの石のあるために証拠立てられる。
この本が複雑な激しい希望と困難とのまざり合って流れている今日の生活の中にあって、この石のように、読む人の一人一人の人生はどんなに価値のあるものであり、個人は、どんなに歴史の中でその歴史を変えながら人間の幸福の可能のために、戦うものであるかということが、知らされて行けば、嬉しいと思う。
この集は第一部第二部と分れている。第一部はおもに一九四〇年頃かかれたもので、『明日への精神』や『私たちの生活』などの中から選ばれた。第二部は一昨年から最近までのものがあつめられている。
この本にとり集められていない沢山の問題が、今日の女性生活の中にある。七八年前は、「異性の間の友情」とか、「恋愛論」としてしか一般の常識の上にとりあげられなかった両性の社会関係についての考察が、この本の最後に集録されている文章の中では、はっきりと明日の、より幸福の約束された社会をつくるための、男女の新しい社会的協力としての面からとり上げられている。
「異性の間の友情」の中で最も中心的に語られたのは、この協力の課題であった。けれどもあの時には人々の心にそれは特殊なものとしてうけ取られていた。
今日新しい社会的な環境の中で、両性の協力ということを友情や、恋愛の感情の基本にあるものとして、一般がとり上げ初めたこと、そして私もその角度から率直に、話せるようになって来た事。このことを考えただけでも、日本の社会が絶大な犠牲を払って歩み初めた今日の意味はどんなに深いかが分る。(一九四七年七月十八日)
(「宮本百合子全集」第18巻 新日本出版社 p36-37)
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◎「新しい社会的な環境の中で、両性の協力」ということ。現代の日本の青年意識は何を教えるのだろうか。決められた結論で読んではいけない、と。