学習通信040221
◎霊魂……神とはなにか
 
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臨死体験も、霊魂が実在する証拠──稲盛
 
 いま、あの世とこの世はあべこべだという話をされましたが、同じような世界観は、現代物理学の世界にも見ることができます。
 
 原子は電子と原子核で構成されています。電子はマイナスの電荷を持ち、原子核のなかには、プラスの電荷を帯びた陽子があります。つまり、物質はすべてマイナスとプラス、陰と陽で構成されているのです。
 
 これに対して、「反物質」というものがあります。「反物質」とは、電子があれば反電子(陽電子)があるというように、あらゆる素粒子には同じ重さ、同じ大きさで、反対の電荷を持った反粒子が存在するといわれています。この反粒子からできた物質が「反物質」で、この両方の物質がぶつかれば、大爆発を起こして消滅してしまうといいます。この「反物質」の存在は、すでに実験では確認されているそうです。
 
 つまり、現在の物理学では、物質は必ず対になっていて、「正」と「反」がある。いまわれわれが知っている物質で構成される、われわれが住んでいる世界のほかに、まったく逆の性質を持つ「反物質」のみで構成される世界があるはずだと考えられているのです。だから、現世と来世があるというのも、考えられることなのかもしれません。
 
 霊魂の存在も同様です。古代にしても中世にしても、怨霊というものが存在していると、一般に考えられている時代でした。そのころから伝わる古典芸能を見ても、すぐに怨霊が登場してきます。それも死霊だけでなく、生霊までが登場します。
 
 その怨霊が禍をもたらし、あるときは福をももたらす。そう人々が信じていたからこそ、怨霊を鎮めるために、みんな加持祈藤を行なったのです。それが、明治維新になって、近代国家の建設をめざし、近代科学を基調として立国を図ることにより、すべて迷信の名のもとに否定されてしまいました。そして、それ以降、日本にはもはや怨霊が跋扈(ばっこ)することはなくなりました。
 
 しかし一方で、そのような現代人の常識を覆す事例が数多く報告されていますし、いまでも原因不明の病気に冒されたり、現代医学では不治といわれている病が突然治ったりする事例はいくらでもあります。しかし、現代人はそれを怨霊のせいと考えることはありません。
 
 また、事故や病気で仮死状態になった人が生き返って、そのときの体験を話すという、いわゆる「臨死体験」があります。
 
 この臨死体験を語る人が、いま欧米や日本でもたくさん出てきて、その事例は膨大な数に及んでいます。それらのほとんどに共通していることがあります。それは次のようなものです。
 
 客観的に見ると、当人は死んでいる。呼吸は止まり、心臓も止まっている。医者も「ご臨終です」といい、親族の人たちは嘆き悲しんでいる。もちろん、当人をいくら揺すっても反応もない。ところが突然、息を吹き返す。本人に話を聞いてみると、「ご臨終です」と医者が親族に告げた様子や、みんなが嘆き悲しんでいた様子を知っている。なかには、みんなが泣き叫んでいる姿を見ながら、「私はまだ死んでいないのに」と不思議に思ったという人までいる。
 
 また、その臨死状態のときの本人の記憶をたどると、「お花畑を歩いていた」と答える人が非常に多いそうです。お花畑を歩いていくと、道の先に亡くなったおばあちゃんがいて、「お前はまだ来るな」といって、一生懸命、手を振っている。そこで「戻ったほうがいいのかな」と思い、産を返したところ、突然、目が覚めて、生き返った。そんな話をする人が、世界で何万人もいるのです。
 
 彼らのほとんどが、客観的には死んでしまい意識もないはずなのに、医者の声や家族の声を聞き、なかには「天井から自分の体を見ていた」と、肉体と遊離した自分の魂について言及する人も少なくないのです。
 このようなことからも、霊や魂の存在を肯定してもいいのではないかと思えるのです。にもかかわらず、いまだにそうしたものは否定され、「幻覚を見た」とすまされてしまうのです。
 
 とくに医者などは、このような話をいくつも聞いているはずでしょうから、霊魂の存在を信じるようになってもいいと思うのです。ところが、ほとんどの方は認めようとしません。
 
 しかし私は、霊魂は絶対に存在すると思っています。今後は、現代科学の力をもって、人間は肉体だけの存在でないことを、ぜひ実証してほしいとも思うのです。
(稲盛和夫著「新しい哲学を語る」PHP p130-133)
 
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 いっさいのものを包容し、世界に運動をあたえ、存在するものの体系ぜんたいを形つくる、理解しがたい存在者は、わたしたちの目で見ることもできず、わたしたちの手でふれることもできない。それはわたしたちの感官にはまつたく感じられない。
 
作品は目に見えているが、作者はかくれている。それが存在するということをとにかく知るのも容易なことではないのだが、わたしたちがそこまでたどりついて、それはどういう者か、どこにいるのかと考えてみるとき、わたしたちの精神は混乱し、道に迷い、もうどう考えていいかわからなくなる。
 
 ロックは、精神の研究からはじめて、つぎに物体の研究に移ることを望んでいる。それは迷信、偏見、誤謬に導く方法だ。それは道理にかなった方法でもなければ、自然の正しい秩序にかなった方法でさえもない。それは見ることを学ぶのに目をふさぐことだ。
 
精神について正しい観念を得るためには、精神が存在するのではないかと考えるためにも、長いあいだ物体を研究していなければならない。これと逆の順序は唯物論をつくりあげることになるだけだ。
 
 わたしたちの感官はわたしたちの知識の最初の道具なのだから、物体的、感覚的な存在だけがその観念をわたしたちが直接にもつ存在だ。哲学したことがない者にとっては「精神」ということばはなんの意味ももたない。民衆や子どもにとっては精神はある種の体にすぎない。
 
かれらは叫んだり、話したり、ぶったり、騒いだりする精神〔精霊〕を考えているではないか。ところで、腕や舌をもっている精神は人の体にたいへんよく似ていることをあなたがたはみとめてくれるだろう。こんなわけで世界のすべての民族は肉体をもつ神々をつくりだしたのであって、ユダヤ人もその例外ではない。
 
わたしたち自身も、聖霊、三位一体、人格というようなことばをもちいていて、大部分はいつわりのない神人同形論者なのだ。なるほど、わたしたちは、神はいたるところにある、と言うことを教えられている。けれども、わたしたちはまた、空気はいたるところにある、少なくとも大気圏内ではそうだ、とも考えている。
 
しかも、「精神」ということばそのものもはじめは「息」または「風」を意味していたにすぎない。ひとたび人々にわけのわからないことばを話す習慣をつけさせると、あとは容易になんでも言わせたいと思うことを言わせることができるものだ。
 
 ほかの物体にたいするわたしたちの行動の意識は、それらの物体がわたしたちにはたらきかけるときにも、わたしたちがそれらにはたらきかけるときと同じようなしかたではたらきかけるのだ、とはじめわたしたちに考えさせることになったにちがいない。
 
そこで人間は、なんらかの作用が感じられるあらゆる存在を生きているものと考えるようになった。それらの存在のたいていのものより自分は強くないと感じ、それらのものの力の限度を知らなかった人間は、その力を際限のないものと考え、それらの存在を肉体をもつものと考えるとともに神々に祭りあげた。
 
原始時代を通じて、あらゆることに脅やかされていた人間は、自然のなかに死んだものをなにもみとめなかった。かれらにあっては物質の観念も精神の観念よりはやくつくりあげられたわけではない。物質の観念そのものもまた一つの抽象なのだ。
 
そこで、かれらは宇宙を感覚的な神々でいっぱいにした。星、風、山、川、樹木、都市、さらに家も、すべてが魂をもち、神をもち、生命をもっていた。ラパンがもっていた小像〔テラピム〕、インディアンのマニトゥ神、ニグロの呪物など、すべて自然と人間とがつくりだしたものが人間の最初の神々だった。
 
多神教がかれらの最初の宗教で、偶像崇拝が最初の祭式だった。かれらが唯一の神をみとめることができるようになったのは、しだいに観念を一般化して、最初の原因にさかのぼることができるようになり、存在するものの体系ぜんたいを唯一の観念にまとめて、結局のところもっとも大きな抽象である「実体」ということばにある意味をあたえることができるようになってからにすぎない。
 
だから、神を信じている子どもはみんな必然的に偶像崇拝者であるか、あるいはとにかく、神人同形論者なのだ。そしてひとたび想像で神を見るようになると、悟性が神を考えることはきわめてまれになる。これがまさにロックの順序が導いていく誤謬だ。
(ルソー著「エミール -中-」岩波文庫 p99-101)
 
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 すなわち、いいあらわしかたは歴史的にいろいろですけれども、ようするにそのポイントは、わたしたちのまえにあるこの物質的な世界がまずすべてのおおもとにあって、わたしたちが「精神のはたらき」とよんでいるものもそのなかから生じてきたのだと考えるか、それとも反対に、この物質的な世界とは素性のちがったなんらかの「精神的なもの」がまずあって、その力によってこの物質的な世界はつくりだされ、なりたたされているのだと考えるか、ということです。
 
 じつは、さらにさかのぼって、この問題は遠く原始時代にその根をもつものなのです。すなわち、原始人が身体から独立して存在する「霊魂」というものを考えだし、おなじようにまた、自然諸力の背後に超自然的な「精霊」あるいは「神」というものを考えだしたところに端を発しているのです。その事情をまずここで検討しておきましょう。
 
 「霊魂」というものを原始人が考えるようになったのは、おそらく、遠くはなれたところにいる人の姿、あるいはすでに死んでしまった人の姿がゆめのなかにあらわれてくるということにうながされてのことでしょう。
 
身体そっくりのかたちをしていて、しかも身体そのものとはまるでつくりがちがい、へいぜいは身体のどこかに住んでいてこの身体をうごかし、時としては身体をはなれて自由に行動もし、死にさいしては身体とすっかりはなればなれになるところの「霊魂」というものを考えることによって、はじめてゆめにあらわれるこれらの現象の説明がつくと考えられたのです。
 
人間がものを感じたり考えたりするのは、身体そのもののはたらきではなくて、この「霊魂」のはたらきであるとみなされました。人間の身体がどんなふうにできているのか、まだまったく知るところがなかった当時としてはやむをえないことでした。
 
もっとも、それが当時としてはせいいっぱいの「合理的」な結論であったとしても、この考えかたは実践的にたいへん不合理な帰結をともなってもいたのです。すなわち、人は他人のゆめのなかで自分の「霊魂」がおこなった行動にたいしても責任をおわなければならないとされたのですから。このことがどんな不安と恐怖を人びとにあたえ、現実にどんな不幸を人びとにもたらしたかはおよそ想像がつきましょう。
 
「霊魂」の思想がその誕生のはじめから、こうした不合理、こうした恐怖、こうした不幸をともなうものであったということは、わたしたちがじゆうぶんこころにとどめておいていいことです。
 
 ところで、「霊魂」が身体の死後も独立に生きのこるとすれば、そのさきざきそれはどうなるのかという問題がおきます。どう考えたらいいのか? ずっと死なずに生きつづけるのだ、と考えるほかはありませんでした。なぜなら、もともとそれは死すべき身体と対比させて考えられたものだったのですから。
 
ですから、それをあらためて身体の死後しばらく生きのこったのち、特別なしかたで死ぬものというふうに考えるいわれはなかったのです。「霊魂の不死」という観念は、このようにもともとは「霊魂」というものを想定したところから生じるやむをえない帰結として承認されたものにほかならなかったのです。もともと死後のなぐさめのために考えだされたものではなく、またその当時にあってはなぐさめとなるようなものでもなかったのでした。
 
たとえばギリシャ人たちにとっては、死後の霊魂の生活は永遠の薄闇のなかをあらゆるよろこびをうばわれて、かげのように生きるものとして思いえがかれていました。わが国のばあいにも、死んだ妻イザナミをヨミの国にたずねたイザナギの説話に反映しているように、あらゆるけがれにつきまとわれ、すさまじい姿をして暗黒のなかによこたわっているような生活としてそれは思いえがかれていました。
 
その点では、原始時代の人びとは一般的無知のために、「霊魂」の存在とその不死という考えをいだきながらも、この大地の上、この太陽の下にこそ真に生きるにあたいする生活があると考える健康な現実主義者だったといえましょう。死後の生活がなぐさめとして説かれだすのは、社会が階級に分裂してからのちのことです。
 
 さて、このようにしてひとたび「霊魂」というものが考えだされてくると、おなじような考えかたがしだいにさまざまな自然諸現象にまでおしひろげられていきました。すなわち、いろいろな自然力の作用を人間の日常のふるまいになぞらえてとらえ、それを超自然的な「精霊」のしわざとして考えるようになったのです。
 
そして、それをなだめたりすかしたりすることによって、自然力の破壊的な作用をまぬがれ、自分たちにとって有利に作用させることもできると考えられるようになったのです。
 
自然にたいする人間の力がまだきわめて小さかったこと──石器しかたよりにできなかったのですから──とむすびついて、自然の事物・現象がどのような性質のもので、どのようにしておこるのかがわからず、したがってそれを制御して人間の利益のために活用するただしいすべを知るよしもなかった当時としては、これもやはり、やむをえないことであったでしょう。
 
 「神」という観念はこのようにして発生したものです。はじめのうちは、自然物の数、自然現象の数ほどの無数の神がみが考えられていましたし、あれこれの自然物、自然現象そのものとその背後にひそむ精霊──神──とはまだじゅうぶんに区別されてもいませんでしたが、しだいにこの区別がすすみ、それとともに神がみの統合整理もすすみ、神がみの姿はますます超世界的となり、ついにはキリスト教やマホメット教のような一神教的諸宗教のように、世界の創造者、支配者としての唯一絶対の神という観念を成立させるまでにいたったのでした。
 
 キリスト教などにおける「神」の観念はきわめて洗練されたもののようにみえますけれども、もとをただせば右に述べたような原始時代の蒙昧な観念のなかに根をもつものであって、それがつぎつぎとこしだされてき、あるいは蒸留されてきたすえにえられた蒸留水のようなものにほかならないということができましょう。
 
ずっと時代をくだってあのヘーゲル哲学がさしだしてきた「絶対理念」なるものも、こうして生じた蒸留水に若干の哲学的な色つけをほどこしたもの以上ではないのです。
 
 さて、話をもとへもどしますが、このように原始的な蒙昧のなかから宗教的な観念が発生・発展していくかたわら、他方では、自然にたいする人間のはたらきかけの力の増大、それにともなう人間精神の発展につれて、そうした原始的な宗教的観念に対立する考えかたもしだいにきざし、発展していったのでした。
 
わが国のもっとも古い書物のひとつである『常陸国風土記』 のなかには、こうしたいきさつをいきいきとつたえる、つぎのような説話が記録されています。
 
 むかし、マタチという人がいて、新しく田をひらいていた。そうしたら、そこへヤツの神がむれをなしてやってきて、開墾のじゃまをした。──ヤツの神、すなわち「谷の神」とは蛇のことです。
 
──マタチはひどく怒って、武装してこの神にたちむかい、うちころしうちころしして追いはらい、山の登り口のところにしるしの杖をたてて「ここから上は神の領分とすることを許すが、ここから下は人間が田をつくる。社をたてておまえをうやまいまつつてやるから、たたったりうらんだりするでないぞ」と告げて開墾をつづけ、以後、子孫代々、祭をおこたらなかった。
 
ところがさらにのちの世に、ブノムラジノマロという人がおなじ谷を占有して、人夫に他の堤をきずかせたとき、ヤツの神がまたもあらわれて去ろうとしない。
 
マロは大声をあげて「民を活かすために池を修理しょうというのに、じゃまするやつはなにものか」というやいなや、人夫たちに「目に見えるかぎりの魚・虫のたぐいは、かまわずおそれず、みなうちころせ」と命じた。そのことばがおわると同時に、ヘビはどこかへ姿をけしてしまった──。(高田求著「マルクス主義哲学入門」新日本出版社 p75-80)
 
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 すべての哲学の、とくに近代の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在との関係にかんする問題である。
 
非常に古い時代
 
──そのころ人びとは、まだ自分自身の身体の構造についてまったく無知であり、そして夢のなかにあらわれるものごとから刺激されて、彼らの思考や感覚を彼らの身体の働きではなくて、この身体に住んでいてその死にさいして身体をみすて去っていく、特別な霊魂というものの働きであると考えるようになったのであるが、
 
──こういう古い時代から、人びとは、外部の世界にたいするこの霊魂の関係について、いろいろと考えめぐらさざるをえなかったのである。
 
もしこの霊魂が、人間の死にさいして、その肉体からはなれて生きつづけるとするならば、この霊魂になお特別な死があるなどと考えだすわけはなかった。
 
こうして、霊魂の不死という観念が生まれたのであるが、この霊魂の不死ということは、人間の発展のこの段階では、けっして慰めとは思われなかったのであって、かえってさからいえない運命だと思われ、ギリシア人にみられたように、しばしば積極的な不幸と思われていたのである。
 
どこででも人びとが個人の霊魂の不死ということに退屈な想念をもつようになったのは、宗教的な慰めをもとめたからではなくて、身体の死後に、ひとたびみとめられた霊魂なるものをどう扱ってよいかを、同じくどこにもみられる無知のためにわからず当惑したからである。
 
これとまったく似た道筋で、自然の諸力を擬人化して、そこから最初の神々ができた。
 
これらの神々は、あれこれの宗教がさらにいっそう発達していくうちに、ますます超世界的な姿をとっていき、ついには、人間の精神が発達するにつれておのずから生じてくる抽象の過程、あるいは蒸溜過程と言ってもいい過程によって、多かれ少なかれ制限され、たがいに制限しあっている多くの神々から、一神教の諸宗教にみられる唯一神という観念が、人間の頭脳に生じきたったのである。
(エンゲルス著「フォイエルバッハ論」新日本出版社 p30-31)
 
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◎人間の精神が発達するにつれて「一神教の諸宗教にみられる唯一神」。
ロックの主張と稲盛の云うところ……。
 
ルソー、高田、エンゲルスと重ねて学んで下さい。